『可愛いのは猫ですか?~冷徹部長の溺愛事情~』
『可愛いのは猫ですか?~冷徹部長の溺愛事情~』
「可愛い猫ちゃんでちゅねー」
その日、私は我が目を疑った。部内を恐怖にたたき落とている、怖ーい部長のありえない姿に。しかし猫がきっかけで部長の家にお邪魔するうちに、会社とは違う彼の側面を知り……。
A6(文庫)48P
――私がいま、見ているのは幻なんだろうか。
その日の会社帰り、近道で突っ切った裏路地で捨て猫を見つけた。
「……猫」
まだ小さいその猫は、箱の中でミーミーとか細い声で鳴いている。
「どうしよう……」
先週末から台風一過なのか突然秋が来たうえに、夕方からはしとしとと冷たい雨が降りだした。こんなところに子猫を放置しておけば死に至るのは必然だが。
「困ったねー」
つん、とつつけばキジ猫は小さくミーと鳴いた。私が連れて帰ればいいのはわかっているけど、そうできない事情がある。大家さんが極度の動物嫌いなのだ。隠れて迷子のインコを保護していただけで隣人が追い出されたのは、つい先日の話だ。大学卒業してまだ入社二年目、貯金なんてろくにない状態でアパートを追い出されたら終わり。
「あんた抱えて路頭に迷うわけにはいかないしね」
「ミー」
「どうしようかねぇ」
「ミー」
猫はミーミー鳴くばかりで建設的な意見を言ってくれないが仕方ない。なにせ猫なうえにまだ赤ちゃんといってもいいくらいなのだ。
「うん、ごめん。私はあんたを拾えない。その代わり、誰かいい人が拾ってくれるように祈ってるから」
ハンカチで濡れている身体を拭いてやり、着ていたカーディガンで包んでやる。仕上げに傘を立てかけた。
「いい人に拾われなよ」
雨に濡れてブラウス一枚は寒いが、この猫よりはまし。それにコンビニで傘とカッパを買えば雨も寒さもしのげる。
「じゃあね」
後ろ髪を引かれながらその場をあとにした。それでも数歩ごとに振り返ってしまう。三度目、足を止めたところでよく知っている声が聞こえてきた。
「……猫」
フルオーダーのスーツが汚れるなどかまわず、その人――輿石(おきいし)部長はしゃがみ込み、猫を抱き上げる。――次の瞬間。
「あー、もー、猫ちゃん、可愛いでちゅねぇ」
私は我が目を疑った。これでもかっ!ってくらい、いつもつり上がっている目尻は下がりきっているし、それにありえない猫なで声。あの、毎日部内を恐怖にたたき落としている社内最年少部長の、輿石部長だとは思えない。
「はいはい、帰ったら温かいミルクをあげまちゅからねぇ」
輿石部長は捨て猫を拾い上げ、頬ずりしているけど……。ちょっと待て、いま〝あげまちゅ〟とか言った? モデル並みの高身長、さらにスーツの上からでもわかる分厚い胸板、そのうえブローチックな銀縁ハーフリム眼鏡で、しかもオールバックとくれば、一歩間違えばその筋の方と間違われかねないあの、輿石部長だよ? あれは本当に私が知っている輿石部長なんだろうか? もしかして人違い?
「寒かったでちゅねぇ。早くお家に……」
振り返った輿石部長と目があう。一瞬、メドゥーサに睨まれたみたいに彼は固まったが次の瞬間、ギロッ!と眼光鋭くいつも通りの顔で睨んできて、今度は私が固まる番だった。
「タクシー」
そのまま、猫のことも私のことも知らないかのようにタクシーを拾って去っていったけど……。あー、あれだよね、さっき見たあれはきっと、なにかの間違いだ。ここのところ誰かさんのおかげで疲れているから幻覚でも見たに違いない。うん、きっとそうだ。早く私も帰ろう。
翌日の会社ではいつも通り、輿石部長の怒号が飛んでいた。
「こんだけ時間かけてこんなクソみたいな企画しか出せないのか、朝倉(あさくら)!」
「す、すみません!」
うっすらと朝倉さんの目には涙が浮いているが、ご愁傷様としかいいようがない。輿石部長が気に入る企画が出せる人間なんてこの世にいないのだから。これで部長が出す企画もクソ、とかだとあれなんだけど、いかんせんいくつも企画をバンバン成功させて三十歳で部長となれば、誰も文句は言えない。
「もっとましなん出せよ、十月だからハロウィンで仮装して接客とか、阿呆か!」
あー、それは確かにマズいよ、朝倉さん。輿石部長、ハロウィンとか大っ嫌いだもん。仮装して騒ぐ奴とか爆散したらいいとか前に言っていたよ?
「うちのお客様は上流階級なんだ、そんな浮ついたのじゃなく堅実な企画を出してこい!」
ですよねー。ちなみに私の勤めている会社は不動産会社で、いる部署ではタワマンや豪邸など、高級物件を扱っている。当然、お客様にはスポーツ選手とか芸能人とか、いる。
「は、はいぃぃぃっ」
ついに朝倉さんは半べそで突き返された企画書を持って私の隣の席に戻ってきた。
「大変だね。なんか今日、ご機嫌斜め?」
「伊織(いおり)もそう思う?」
……以下、続く。