くりくり

 月島にとっては念願の、尾形と共に迎える初めての朝。スマートフォンのアラームは設定していなかったのに、休日であっても平日と同じ時間に目覚めてしまった。何百回何千回と繰り返されて深く刻まれた習慣からは、愛しい人と共に過ごしていたとしてもそう簡単には抜け出せないらしい。

 月島の胸元に尾形の頭。いつもは見えない頭頂部が目につく。それから、初めて感じたシャンプーの香り。普段のスーツに染みついた煙草の苦味と香水の甘みに包まれている時は胸が押し潰されてしまうような多幸感が湧き上がってくるが、こちらはこちらで、ありのままの姿をさらけ出してくれているようで今はじんわりと胸が温かい。

(触ってみても良いだろうか?)

 少し弾力があって、でも柔らかくて指通りの良い髪の毛。自分の刈り上げた坊主頭とは大違いだなという、率直な感想が思い浮かんだ。

 仕事の時はきっちりとオールバックにヘアセットされているため、絶対に得られないであろう手触りに思わず頬が緩む。

 今度は親指で抑えながら人差し指にゆっくりと絡ませてみる。親指を離すとあっという間に解けて元に戻ってしまった。

(……癖になりそう)

 くるん、ぱさっ。くるん、ぱさっ。

 この髪の持ち主のように頑固で自分を維持しようとする姿に愛着が湧き始めた。何度も捏ねくり回しては、勝手に離れていくさまを無心で眺める。少しずつ乱れて目元を覆ったり、戻りきれなかった毛束が増えてきたら、丁寧に手櫛で直してやった。

 ふと、視線の延長上、耳の後ろから項が気になり始める。ツーブロックに整えられている、刈り上げられた部分は自分とは違うのだろうか。

 指を沈めてみると、しゃりっと音がした。同じはずなのに愛しい人のものだとこうも感じ方が違うのか。流れに逆らうように首筋から後頭部へと指で撫でつけると、チクチク抵抗があるのがまた良い。

「ひひっ」

 自身の背筋に這い回る気配がむず痒くて声が出てしまった。

「随分と楽しそうですね」

「……っ…!お、おは……よう……!」

「おはようございます」

「寝づらくなかったか?」

「全く。最高の抱き枕がいてくれたので。……ねぇ、月島さん」

 身じろぎをして自分の頭の方へ移動していくのを見守っていたら、いつの間にか尾形の胸元へと収まってしまった。

「耳元で囁かれるのがお好きなのだとばかり思っていましたが……違ったようですね」

「いや、ちが……っ!いや、違う訳ではないが……!」

 耳元に与えられた熱が顔中に広がる。恥ずかしさのあまり尾形の胸へと何度となく頭を擦りつけ、ささやかな抵抗をしてみせた。

「月島さん」

「っ〜〜〜!な、何だ⁉」

「好きです」

「……俺の方が好きだぞ」

「好き、大好きです」

 こんなに近いところで何度も呼びかけられたら、血流に乗って全身に熱が広がってしまうではないか。昨夜の情事に飛び火しないよう、下唇を噛んでじっと熱が引くのを待つ。

 ところが尾形の口撃は止まらない。

「じゃあ俺に沢山触れて。好きな人に触ってほしいって思うの、当たり前でしょ?」

「っん……‼分かった……どこが良い?」

「どこでもどうぞ」

(「どこでも」ってのが一番困る)

 暫しの思案の後、それならば先程の続きをやらせてもらおうと思い至る。

「尾形、膝枕してやる。だからその……お前の髪に、触りたい」

「もちろん。あぁでも、それなら当然このジャージは脱いでもらえるんでしょうな」

 露になった太腿。尾形はそこへうつ伏せになり、空いた両手で月島の尻を揉みしだいている。苦しくはないのだろうか。念のため鼻と口を塞いでしまわぬよう足を広げ、内腿にかかる吐息で呼吸の有無を確認する。

「尾形、大丈夫か?」

「おめでとうございます。たった今月島さんの太腿を、俺が国宝に認定しました。俺の極楽浄土はここです」

「……そうか。それは光栄だ」

 表現の仕方の是非はともかくとして、自分が思っている以上に尾形に好いてもらえているということが分かり、つい優越感に浸ってしまう。

「仕事で嫌なことがあったら、ここへ逃げ込んでも良いですか?」

「家でなら良いぞ。俺も【くりくり】するから」

「……くり、くり?」

 がら空きの後頭部を、尾形の真似をするように毛並みに沿って優しく撫でる。

「頭を撫でて、髪に触って。こうして指に絡ませて遊ぶから【くりくり】」

「何かちょっとペット扱いしてません?」

「ん~……そう、かもな」

「まぁ月島さんが元気になれるなら、いくらでもどうぞ」

「じゃあ遠慮なく」

 くるん、ぱさっ。くるん、ぱさっ。

 お墨付きをもらい、堂々と【くりくり】を始める。右手にはスマートフォン、左手には尾形の髪。更には足を崩してとことん堪能することにした。

 今日知った、尾形との新たな触れ合い方と癒し。

「時間が、溶けるな」

「俺もです」


 残業マーチが続き、仮眠室で尾形に膝枕をしながら無表情で【くりくり】を続ける月島が目撃されるのは、また別のお話。