Bless you
月島さんは俺より少しばかり年齢を重ねていて、世間一般でいうおじさんとお兄さんの境目にいる。
人によってその境界は変わるだろうが、当の本人は何でもないような顔をして生きていた。なんなら自分で「俺はお兄さんってガラじゃないだろ」なんて言っている始末だ。
そのくせ加齢臭を気にして「臭くないか」と聞いてくることがあり、その矛盾が可笑しくて腹を抱えて笑ったこともあった。月島さん曰く、俺と付き合うようになって少しは身綺麗にしようという気持ちが芽生えたそうだ。
『お前は汗かいても良い匂いがするから心配になるんだよ』
恥ずかしそうに言われた言葉を脳内で反復するだけで口の端が持ち上がるのを感じる。良くも悪くも、自分に頓着しない彼が俺との年齢差や価値観を埋めようと必死になっているのを見ると堪らない気持ちになった。
がた、と音がする。そちらを向けば、月島さんが片腕を顔の前に持って行き目を瞑っているのが見えた。月島さんに気取られないように顔を背けながらも、目の端に黒目を移動させ必死に彼の姿を視界に入れる。
「ッ、くしゅっ」
静かで明るい昼下がりの部屋に、小さくて可愛らしい音が響く。俺はこの控えめなくしゃみを聞くのが好きだった。
月島さんは、もっと豪快に「ぶえっくしょん!」などとおっさん丸出しでくしゃみをするのだろうと思っていたのに。意外や意外、小さくて控えめなそれに心を奪われてしまった。くしゃみが出そうな時の顔も、くしゃくしゃになっていて可愛いと思う。
「ティッシュ要ります?」
何食わぬ顔で箱ティッシュを差し出せば、彼は「すまん」と謝りながら数枚引き抜く。その直後、二発目のくしゃみが飛び出した。
「なに笑ってんだお前」
「いやぁ、別に」
「鼻風邪ひいたかな」
「腹出して寝てるからでしょ」
「んー、心当たりしかない」
チーンと鼻をかみ、ゴミ箱に丸めた紙くずを捨てる。心当たりしかないのはその通りだと思った。
夏らしくなってきた今、月島さんはパンツにタンクトップという目のやり場に困るファッションで過ごしている。俺はどちらかといえば寒がりなので、ガンガンに冷房が効いているこの部屋でそんなファッションをしてたら凍え死ぬだろう。
この顔、この図体、このファッションで異常に小さいくしゃみの音。女子かとツッコミたくなるくらいにこじんまりしているそれに、俺は一人で悶えていた。これがギャップの魔力というやつか。
普段風邪を引くことも体調を崩すことも無い、頑丈な身体を持っている月島さんはくしゃみをする頻度が低い。そのため、この可愛さになかなか気が付けなかった。
夏は暑くて鬱陶しいが、月島さんがいるなら話は別だ。一挙手一投足が俺の世界を明るくする。
心の中でにんまりと笑いながら、真面目な顔をしてティッシュを差し出し続けた。なんならブランケットなんかも差し出してみたり。こんなものを被るより先に、服を着た方がいいと思うけれど。
「やけに甲斐甲斐しいな」
「心配してるっていうのに酷い言われようですね」
「お前のことだから、何か企んでるのかと思ってな」
おっ、鋭い。純粋な気持ちだけでこんなに世話を焼いてないことはバレていたようだ。
「残念ながら特に何も企んでませんよ」
「へぇ?」
「心外だな。こう見えて、恋人には優しい男ですよ」
邪な気持ちは持っているけれど、企んだりはしていない。甲斐甲斐しくしているのも事実だ。だからこそにっこり笑ってそう言えば、可笑しそうに月島さんが笑い始めた。
「ふ、ふふ、そうか。すまなかった」
「なんですか」
「いいや、俺はお前のその得意げな顔が好きだなぁと思っただけだ」
「はぁ?」
「優しい彼氏で助かった。ありがとう。いつもそれくらい優しくていいぞ」
「ほぉ?」
「なんだ、褒められたかったんじゃないのか?」
今度は月島さんが目を細めて笑うから、バツが悪くなった俺が小さく舌打ちをして背中を向けた。後ろで心底可笑しそうな笑い声が聞こえる。
「は、ははっ、ぶふふ……は、っぶぇっくしょん!」
あー、と言いながらティッシュを引き抜く姿がもう完全におっさんで、俺は堪え切れずに噴き出した。イメージ通りの豪快なくしゃみも嫌いじゃないですよ。ねえ、月島さん。