祝詞
眼下に広がるのは、見慣れた景色。
長い塀と、錆びた門。
門の中には広い庭と小さな砂場と古びた遊具。
尾形百之助、18歳。
前世の記憶や容姿もそのままにまたこの世に産まれてきた。
再びこの世産まれ、まるで前世の生い立ちをなぞるように母親は死に身柄は養護施設へ。
父親だと名乗る人物が自分を引き取ると一度施設に来たことがある。
だが、尾形はあっさりとその話を蹴った。
会いたい人間がそこにいたからだ。
月島 基、18歳。
焦がれ、会いたかったその人物に記憶はなかったが愛した姿だけはそのままだった。
「こら、不良。」
背後からかけられた声に振り向いた。
煙草の煙を吐き出す。
「施設の中では吸うなって言っただろう。」
「はいはい、わかってますよ。」
手元の携帯灰皿を開き、吸っていた煙草を落とす。
「ね、証拠隠滅。」
唇に皮肉な笑みを浮かべながら風でしなだれかかった髪を後ろへなで上げる。
柵から眼下に広がる景色を見ると、庭で小さな子供たちが遊んでいる。
「ほら。」
突然鍵を手渡された。
「お前と住めるとこ、見つけてきた。」
突然渡されたそれに戸惑いと赤くなる顔を隠せずにいると月島が笑った。
「嬉しいだろ。お前一人じゃ心配だからな。」
そういうとこ········。
「何か言ったか?」
尾形は黙って首を横に振った。
「お前ってほんと、に」
夕闇が迫る中、唇が重なる。
いつのまにか体に回された尾形の腕が解けないくらい力強く月島を抱きしめていた。
唇が離れるとその隙間に風が吹き込み、二人の唇の熱を冷ます。
「あんたが好きだ。」
「········知ってる。」
傷だらけの月島が施設に来たのは10歳の時。
膝を抱えて、怯えたようにいつも部屋の角にうずくまり誰一人近付けさせない。
一目で尾形は解った。
記憶が古い映画のフィルムのように流れて、気が付くと月島を抱きしめていた。
不思議と月島も尾形を拒否しなかった。
憶えてなどいない筈なのに。
その日から、二人はずっと一緒にいる。
朝も昼も夜も。
厄介な問題を押し付けるように、大人達は月島のことを尾形に丸投げした。
一緒に風呂に入った日は月島の痩せ細った体と痣や傷跡に胸が傷んだ。
月島が怯える夜は一晩中抱きしめて眠った。
食事をして、学校へ通って。
そんな何気ない日々を重ね二人は成長していった。
「俺、あんたが好きです。」
夏祭りの夜、高台にある神社の階段に座って二人きりで花火を見ていた。
蒸し暑い空気の中、風にのって流れてくる火薬の匂いと虫の声。
「ん。」
その言葉に月島はそう答えた。
「意味わかってます?」
「わかってる。」
顔を赤くした月島がそう答え、少し乱暴に唇を押し付けてきた。
「お前の好きはこれだろ?」
尾形は盛大にため息を吐く。
「ほんっとあんた······ そういうとこ·······!」
───狡い。昔から。けど好きだ。
尾形は続く言葉を飲み込んだ。
月島は解っているのかいないのか、何事もなかったかのように缶ジュースを飲みながら花火に目を戻している。
缶ジュースはすっかり微温くなっていたが月島の耳や首筋は赤く熱いまましばらく冷めそうもなかった。
花火の灯りでは見えない、それ。
「························。」
熱を冷ますように月島はジュースを煽り続けた。
四月、二人は荷物を載せたトラックを見送った。
二人の物を合わせても軽トラ一台で済んでしまうほどの微々たる荷物。
「あの。」
「なんだ。」
「········はじめさん········て呼んでいいですか?」
「········いいぞ。俺もヒャクって呼ぶ。」
月島がずいっと懐近く寄ってきて尾形を見上げた。
「はじめさん、な。前世でも呼んでなかったのにか?」
「!」
「お前は上等兵のがいいんじゃないのか。」
「あんた、記憶········!」
月島が笑った。
「さぁな。」
「ほんとそういうとこだっての········!」
踵を返し歩き出した月島の背を追い掛ける。
ようやく背中に追い付き、抱きしめた腕の中から月島が尾形を見上げた。
「いいだろう、こんな祝福も。」
「················はい。」
桜が二人の足元から散った花弁を舞い上げていた。
風の中に淡桃が混じり、僅かに霞がかっていた。