知りたくなかった

 たとえば、任された仕事で期待を上回るような出来を収めた、とか。

 たとえば、作った飯が思いの外あんた好みの味になった、とか。


 そんなとき、月島さんは必ず俺の頭をぐしゃぐしゃと掻き回してくる。前者なら「さすが尾形だ」なんてセリフがつくだろうし、後者なら「うまかった。また作ってくれ」なんて言葉が添えられるかもしれない。

 これは、恋人である俺の特権……と言いたいところだが、残念ながらそうではない。所謂オツキアイを始める前、部下としてあの人の下に配属された頃からのことだ。ちなみに、俺は頭を掻き回していると思っていたが、本人は撫でているつもりであることが先日発覚した。

 最初は、上司と部下というには近すぎる距離感にずいぶん驚かされたものだ。ガキじゃないんだからと思ったし、実際本人にそう伝えもした。しかし、月島さんは「悪い悪い」と言いながら決してやめようとはせず、そのうちに俺の方が慣れてしまった。今となっては、甘やかされていることが実感できて悪くないと思っている。向こうは今も俺が嫌がっていると思っているだろうけれど。

 唯一の問題は、その対象が俺だけではないということだろう。頭を撫でられるなんて人によっては気があると思われてもおかしくない。妙にガチ恋されやすい自覚を持って、紛らわしい行為は控えてほしいと思うのは当然だと思う。しかし、これはそもそもやめてくれと言っても続いた習慣なのだ。どうせ言っても無駄だろうと、半ば諦めてもいた。


 でも、さすがにそろそろ対策を練るべきかもしれない。


 先ほどから俺の頭を力任せにぐしゃぐしゃと掻き回し続ける月島さんを見ながら、そんなことを考える。反対の手には日本酒の入ったグラス。顔を見るとずいぶん赤く染まっていて、どこから見ても立派な酔っ払いだ。

 今日はここのところ揉めていた取引先と和解できたとかで、珍しく羽目を外したい気分だったらしい。家に帰ってくるなり「今日は飲むぞ」と言ってプルタブを開ける音がしたと思ったら、簡単なつまみを作る間に冷蔵庫に入っていたビールは空き缶の山に変わり、ストックしてあった日本酒が引っ張り出されていた。

 きっと、対応に当たっていた連中と打ち上げの話も出ただろう。それを蹴って真っ直ぐ帰ってきてくれたことを思うと、いるはずもない神様とやらに感謝したい気分だった。こうしてふにゃふにゃのこの人が俺以外の誰かに触れていたかもしれないと思うと、それだけで殺意が芽生えてくる。


 そんなことを考えている間にも、どんどん一升瓶の中身は減っていく。明日は休みだが、さすがにそろそろ止めた方が良さそうだ。そう判断して握られていたグラスをそっと取り上げると、月島さんはそれにも気づかずにこにこと笑っている。かわいい。

「月島さん、今日はずいぶんご機嫌ですね。でも、俺そろそろ頭がすり減りそうです」

「んぅ……。ちょっとくらいすり減っても、おまえはいいおとこだから、大丈夫ら」

 何が大丈夫かはさっぱりわからないが、どうやら褒められたらしい。呂律が怪しくなっていることを考えると、今日何があったかなんて明日は覚えていないかもしれない。そう思ったら、口から普段は抑えている言葉が滑り落ちていた。

「あんた、頭撫でるの好きですよね。俺はともかく、他のやつにするのはどうかと思いますが」

 冗談めかそうと思ったのに、ずいぶんと不貞腐れたトーンになってしまった。それに少しだけ動揺していると、月島さんはぱちぱちと瞬きをした後、ふにゃりと相好を崩した。

「何言ってんら。おれじゃなくて、お前が好きなんらろ」

「……あんた、谷垣とか、宇佐美とか、他のやつにもしてるでしょう」

「らって、俺が他のやつの頭撫でると、お前が拗ねてかわいいから。でも、宇佐美はそれ知ってて嫌がるんだよなあ。あいつも冷たいよなあ?」

 ちょっと待ってほしい。頭の処理が追いつかない。混乱する俺の隣で、何がおもしろいのかくふくふと笑っている月島さんは実に楽しそうだ。

「お前、最近じゃ褒めてほしいとき、俺の方にちょっと頭傾けてるろ。ほんっとかわいい……」

 その言葉を最後に、頭に乗っていた右手がぱたりと落ち、身体はずるずるとテーブルに沈んでいった。


 すうすうという寝息が静かな部屋に響く。寝落ち間際に爆弾を落とされた俺の気持ちなんて知りもしないんだろう。この人には敵わないという気持ちと、それが悔しい気持ちが入り混じる。

「あんた、ほんっとタチ悪ぃ……」

両手で顔を覆い、小さく呻いた。