熱氷

 明治某年、八月。

 太陽が頂きに達した、午後二時過ぎ。

 狙撃訓練場に足を運んだ月島は、暑い陽射しの中、最も得意とする狙撃術の更なる向上を目指し、黙々と撃ち込む発見する。

「尾形、時間は空いているか?」

「…!軍曹殿じゃないですか。勿論、空いてますよ。」

 的に一発命中させたところで、尾形は月島に気付き、銃を下ろす。尾形の射撃を後ろで観察していた宇佐美が、「軍曹殿が来た途端、急にへらへらしやがって…」と、嫌味ったらしく呟くも、月島に夢中な尾形は右から左に聞き流し、次の言葉を待った。此の人は、自分の事を”尾形百之助”として見ている。きっと、褒めてくれるに違いない。

「…お前との任務が入った。今直ぐ行くぞ。」

「…え、任務…ですか…」

「あからさまに嫌そうな顔をするな…ほら、連いて来い。」

 素っ気無い台詞とまさかの任務に、尾形は瞠目する。其れなりに暑い大地の下で、任務なんて真っ平御免だ。しかし、尾形は何か良いことが有るだろうと信じ、黙って連いて行く。後ろで宇佐美がプスプスと笑いを堪えているが、後程締めることにして、無視した。

 第七師団兵舎近くに在る、見慣れた商店街。

 尾形は悶々としつつも、月島の隣を独占出来るだけも幸運か、と納得させ、歩みを進める。歩行中、月島が時折軍帽を上に持ち上げ、気怠そうに袖で汗を拭っている。やはり、暑いものは暑いらしい。しかし、何処となく色っぽい。本人の前で堂々と発言し、反応を見てみたいところだが、お得意の回し蹴りを喰らいそうなので止めておいた。

(此の人の蹴り、滅茶苦茶痛いしな…)

「着いたぞ。」

「…?何ですか、此の旗。」

 目的の場所に着いたらしいが、尾形の眼の前には、見慣れた茶屋に、【氷】という一文字が染め抜かれた旗が、微風でゆらふらとはためていた。

 此の任務は、本当に任務なのか。疑問を抱く尾形を他所に、茶屋を切り盛りする老婆が出てくる。月島が「【氷】を二つ。」と、老婆に声を掛けると、「味はどうなさいますか。」と訪ねてきた。

「ああ、味か…尾形、お前は砂糖蜜、あんこ、いちご、檸檬、どれだ?」

 訳が分からない、とは、此のことである。分かると言えば、月島が羅列した物の共通点は、甘い味がする。いや、最後のレモンは甘いではなく、酸っぱいが正しいか。

「…軍曹殿に任せます。」

尾形、状況を上手く飲み込めず降参し、味の決定権を月島に委ねる。

「分かった。婆さん、レモンを二つ頼む。」

 老婆は「はいよぉ。」と返事をし、茶屋の奥へと入っていった。

「檸檬…」

「任せると言ったのはお前だろ…」

「まあ、そうですけど…」

 此の軍曹、よりによって酸っぱそうな味を選ぶとは。スン顔で抗議したところで、時すでに遅し。今更ながら、比較的甘そうないちごにしておけば良かったか。

 寧ろ、月島からの説明が色々と不足し過ぎている。任務はどうした、見慣れた茶屋に来た理由は、【氷】の旗の意味は、本当に【氷】だけしか来ないのか、あと何故味を訪ねたのか、と、あれこれ問い詰めたいところだが、月島は屋内に設置してある木製の長椅子に腰掛け、隣に座るよう手招きしていた。尾形はつい嬉しくなり、月島の隣に座る。密着しようとしたら、「暑苦しいから間隔を開けろ」と肘でどつかれ、ちょっと落ち込む尾形であった。

 程無くして、ガラスの器を二つ抱えた老婆が、尾形と月島の許までやってきた。 器に盛られているものを見て、尾形は瞠目する。

「軍曹殿…あの黄色い山は、一体何なんですか?」

「ああ、あれはかき氷だ。此処近年急速に流行り出したものでな、婆さんも今年から始めたそうだ。」

 老婆は「檸檬二つ、お待ちどうさま。」とにこやかに笑い、黄色い山、もとい、檸檬蜜が掛かったかき氷を月島に渡し、奥へと帰っていった。月島に注力し過ぎていて気付かなかったが、屋内や茶屋の傍に居る客は、汗を垂らしながらかき氷を食べているではないか。

「ほら、とっと食え。暑さで氷が溶けてしまうぞ。」

「ああ、はい…では、頂きます。」

 月島に催促されるまま、尾形はかき氷を匙で掬い、急いで口に含むと、氷のひんやり感としゃりしゃり食感、甘酸っぱい檸檬蜜の酸味が、夏の陽射しに敗北寸前の身体をじんわりと冷やしていく。

「暑い日には打って付けですなぁ、軍曹ど…」

「………ん…?どうかしかたか?」

 尾形、本日三度目の瞠目。月島は尾形以上に匙を進め、半分以上食べ切っていたのだ。尾形が呆然としている間にも、月島はお構いなしに匙を進め、器を空にした。

 相変わらず、豪快な食べっぷりだ。加え、幸せそうな笑みを浮かべて食べるものだから、つい見惚れてしまう。

「…じろじろ見るな。」

「軍曹殿は、本当に食べるのがお好きなようですなぁ。」

「…此れは任務前の腹ごしらえだ…とっとと食って、とっとと行くぞ。」

「はいはい。」

 冷たいかき氷を食べたにも関わらず、月島の頬はほんのりと染まっていた。