見上げる君の、胸の内

 カーテンの隙間から差す朝の陽の光さえも、ジリジリと焼けるような熱を持つ時期になった。


「あっつ」


 ぬるっとした不快な室温に思わず声が出た。クーラーのタイマーを切る時間が早すぎただろうか。ベットから体を起こして時計を見ると、休日にしては早い起床時間だった。だが、隣の掛け布団の中身は空っぽなので、一緒に寝ていたはずの尾形は既に起床したようだ。寝室から出て、洗面所で顔を洗い、少しさっぱりした気持ちでリビングのドアを開けると、ふわっとコーヒーの香ばしい香りが漂ってくる。ソファには寝間着姿で髪もセットしていない尾形が座っており、テレビのチャンネルを変えようとしていたのか、リモコンを持ったまま、顔を俺の方に向けた。


「おはようございます」

「おはよう。早いんだな、今日は」


 まぁ、たまにはと言って、リモコンをローテーブルの上に置き、代わりにコーヒーを口にした。俺はソファの横に立ち、テレビに映る旅番組をなんとなく眺めた。今週は函館のようだ。いいな、北海道はここらより涼しいのだろうか、やっぱり暑いかななんて腕を組んだまま考えていると、マグカップを置いた尾形が話しかけてきた。


「ねぇ、月島さん」


 お願いがあるんですと、尾形はソファに腰掛けたまま、俺のTシャツを少し引っ張って、真っ黒な目でこちらを見上げてきた。

 無意識なのか確信犯なのか、尾形はここぞという頼みごとは、俺を下から見上げて伝えてくる。俗に言う、「上目遣い」。俺は尾形のこれに1番弱い。髪を撫で付ける気だるげな仕草より、一瞬で恋に落ちそうな、外では滅多に見せない微笑みより、良い声だと評される低く甘い声より、何よりもだ。

 元々俺は背が低い方で、下から見上げられる経験がほとんど無いから、普段は俺より目線の高い尾形の上目遣いが好きなのかもしれない。それに、とっくに成人してアラサーの男が、このときばかりは、まるで幼い子供のように見えて愛おしく思う。惚れた弱みと言われればそれまでなのだが。


「…お前、それ無意識か?ワザとなのか?」

「え、それって何です?」


 尾形はTシャツから手を離し、とぼけた声で聞き返してきたが、声を発したその顔を見ると口角が上がっている。


「ね、分かんねぇから教えてくださいよ。何のこと言ってんのか」

「分かってるだろ。お前はそういう、察するのが得意だ。それやれば、俺が断れないと思ってんだろ」

「違ってたら結構恥ずかしいんで。あんたの口から聞きたいです」


 朝から面倒だなと思ってしまったが、ここで言え言わないを繰り返す方が馬鹿らしい。はぁーーーーーとため息をつくと、一瞬、尾形はピクっと震えて固まったが、すぐに前髪をかきあげながら、言ってみてくださいよと俺に回答を促した。仕方ないので、ドスンと尾形の横に座り、きっと尾形の予想通りの回答をしてやる。


「上目遣いで、頼みごとしてくるだろ」


 それを聞いた尾形が、へぇ、と驚いたように呟く。そういえば、その時はお願い聞いてくれる気がしますね、なんて白々しく言うものだから、俺は、尾形のその仕草に弱い本当の理由を教えてやった。


「そうやって何か頼んでくるのは、だいたいお前が自信無くしてる時か、変に不安になっている時だ」


 俺は上目遣いされるから頼みごとを聞いてるんじゃない、お前のその行動の理由が無視できないから、聞いてるんだ。


「ついでに言うと、不安な時はいつもより少し早口で喋るな」


 と付け加えると、尾形の白い肌がみるみる赤く染まっていく。


「…オレは、あんたのそうやってすぐ気付くところ、嫌いです…」

「そうか嫌いか、俺はお前のそういうとこも好きなのにな」


 今日は何が不安なんだと問いかけながら、尾形の、まだセットされていない髪をクシャッと撫でる。尾形は俺の腕を掴んで自分の背中に回し、そのまま俺をグッと抱きしめ、ポツリポツリと話し始めた。俺は尾形の背中に回した腕に少し力を込めて、時々相槌を打ちながら話を聞く。話を聞きながら胸の内で思う。

 

 髪をかきあげる仕草より、微笑みより、声よりも、何よりも。上目遣いで問うてくる、普段より少し弱々しくみえる姿が、頼られていると、求められていると強く感じて好きなんだと。