煙草

 西陽が差すオフィス。オフィスに響くキーボードを叩く音。鳴っていた電話はさっき止んだ。とどめといわんばかりにカタンと大きくエンターキーを叩くと、月島課長、一服どうですかと声がした。その声に顔を上げると、自分とその人以外誰もいないことにようやく気がつく。ああ、そっか。みんな帰ったんだった。いつの間にか残っていたのが俺たちだけだなんて、まるで夕焼けの世界に取り残されたみたいだ。あまり根を詰めても仕方がない。月島は、いいぞと誘いを受けた。


 箱から煙草を一本取り出すと、隣に立つ男を横目で見る。相変わらず綺麗な手だと思った。すらり長い指は煙草を吸うとき一等綺麗に見える。さながら芸術作品のよう。

 もし、この綺麗な手を独り占めする権利があるのなら、俺は喜んで手を挙げるだろう。だって、俺の一等好きな仕草を間近で見られるのだ。独り占めしたっていいじゃないか。実際にはできやしないのだから、考えるくらいならいいだろう。まあ、コイツと二人っきりになることなんて早々ないし、二人っきりになれたんだからそれでよしとするか。月島はそんなことを思いながら煙草を蒸す。

「月島課長、煙草変えました?」

 じっと月島を見つめる真っ黒な瞳が言う。

「……ん、あぁ。まぁな」

 危ない。さっき考えていたことがバレただろうか。心象的ヒヤリハット。俺は自然に答えられていただろうか。

 何で変えたんですかと続く質問に、何でだと思う?と、疑問符で答える。尾形のその質問が少しだけ意地が悪かったから月島はわざとそうした。

尾形は少し考えると、

「失恋ですか?それとも好きになった相手と同じだからですか?」

 と月島に尋ねた。

「さあ、どっちだろうな」

 バレないように話をはぐらかす。よく見ろ、お前の胸ポケットに入っているのと同じだろう?という言葉の代わりに煙を吐き出すと、タバコを持つ尾形の手を見つめた。

 少しずつ短くなる一本目の煙草は、まるで砂時計のようだ。灰となって落ちて短くなるその姿は時間の経過を告げる砂時計とよく似ている。

 月島は自分の胸ポケットから二本目の煙草を取り出し、ライターで火を点ける。しかし、ライターは煙草の先を掠めるだけで、点火していなかった。何度か点火を試みるが全く火は点かない。

 部下の前でライターを切らすなんて格好悪いな。さて、どうやって火を点けよう。目の前にいる尾形から借りるのが一番手っ取り早い。しかし、これ以上格好悪い姿を見せたくはない。流石に点火棒やマッチを使って煙草に火を点けるのはダメだろうな。さて、どうしたものかと思案し、諦めて二本目の煙草を仕舞う。

「あれ、吸わないんですか?」

「あぁ。急ぎの案件を思い出したからな」

 先に行くなと喫煙室のドアノブに手をかけると、待ってくださいと尾形に呼び止められた。その声に気がつくと同時にライターを投げられた。月島は慌ててそれを受け取ると、尾形を見た。それ、使ってください、と動いた唇に、次があったら借りると答える。

「その『次』がいつ来るかわからないじゃないですか」

 と続く追撃に言葉を返すことができず、言葉を一瞬見失う。返しそびれたライターと自分自身が重なってバツが悪くなる。使ってくださいよと言う尾形に『でも』や『しかし』といった逆説の接続詞を使うことはできず、月島は仕方なく尾形のライターを借りた。

 シュボッと点いた火は僅かにユラユラと揺れ、煙へと姿を変える。ふぅーと煙を吐き出すと、逃げられなかったかと心の内で小さく呟いた。

「俺、さっきの質問の答えまだ聞いてないんです。質問に質問で返されたんじゃあ、気になって眠れません」

 なにしれっと嘘ついてんだよ、お前、そんなキャラじゃないだろと思わずつっこむと、こう見えて繊細なんですよと尾形は言った。

 月島は再び煙草の煙を吐き出すと、お前の胸ポケ、それが答えだと言った。それから、お前の煙草を吸うときの手が好きだと告げると、尾形は、しれっとそういうこと言わんでくださいよと嬉しそうに笑った。

「月島課長、なんだかんだ言って俺のこと好きですよね」

「まぁな」

「意外ですな。俺の煙草を吸ってる姿が好きなんて」

「何だっていいだろ。そういうお前はどうなんだ」

「俺ですか?俺は、月島課長が何か食べてる姿を見るのが好きですね」

「……変わってるな、お前」

「月島課長に褒められるなんて光栄ですな」

 にまにまとにやける尾形に、褒めてないとつっこむと、おにぎり食ってる姿が一番好きですと尾形に告げられ、月島は脱力した。

「でかいおにぎり、特にアレ食ってる姿が好きなんですよ」

「……お前、変わってるな」

「そりゃお互い様で」