ふたたびの兵ども

 到着したのは正午間際、高速道路でも一般道でも帰省ラッシュの交通渋滞に巻き込まれた。

 尾形の母が眠る墓は、水戸の小高い丘の上にあった。既にあちらこちらで香煙が真っ直ぐに上がり、輝く墓石の隙間に埋まるようにして鮮やかな盆花が供えられている。誰もいない墓地を二人で歩く。地を統べるは炎天で、影を奪われた。傍から見れば伸び縮みしながら陽炎の中を漂い、溺れているようにも見えるだろうか。この暑さであの世とこの世の境界が溶けて、さらには影を失い、現での存在があやふやになっている。


 迎え盆。墓碑を囲むように夏草が鬱蒼と茂っていた。

「そういや納骨のときに、玉砂利が少なくなってきたから防草シートの上に敷き直したらどうかって勧められたんだった、寺に。雑草が生えにくくなるとかで」

あん時やっときゃよかったな、パナマキートを被りなおしながら尾形が短く舌打ちする。そして乳白色のレジ袋から軍手、鎌、ハイポトニック飲料を二つずつ取り出して、一セットを月島に手渡した。『念のために寄っていいですか』と道すがらホームセンターで買ったものだ。虫の知らせだったのかもしれない。『墓参りにアクティブもパッシブもありませんよ』いつぞや尾形が言っていたのを月島は思い出す。


 鎌の尖りに少したじろぎながら葉叢にざく、と刃を入れる。ざくざく。ざくざく。刈り伏せたそばから青臭さが迸り、忍んでいた数々の虫が飛び出す。月島は額の汗を拭いつつ、黒御影を仰ぎ見る。白と黄の蝶がもつれあいながらてふてふと舞い、数匹のアキアカネが卒塔婆で羽を休めている。ふくらむ夏雲は龍の瞳をひた隠しにしているのか空を流れない。

 ここは骸と虫の世界で、俺らはいっときおじゃましているだけ。ぴりぴりと痛みが走り月島が腕を見ると、軍手と袖の間の露出した肌に一線の血が滲んでいた。夏草で切った傷に、汗がしみこむ。

「根っこは抜かなくていいです。どうせ来月また来るから、そんときで。今日は暑くてかなわん」

 尾形は立ち上がって腰を反らした。何気ない、でも確かな彼岸の約束。

 

 尾形の母に直接会って報告する予定だったのが、今年五月の大型連休。しかし尾形の母は三月に心筋梗塞で急逝した。そのまま忌中となりパートナーシップ宣誓と届出ができず、大型連休は四十九日法要となった。

 八月に入ってすぐの大安にバタバタと宣誓と届出を済まし、今日こうして墓前に二人で立つ。

 墓誌に新しく刻まれた尾形の母の名前は、まだ切り口が鋭い。何年経てばその縁はまろくなるのだろうか。

 

 夏草を刈り終わって新しい風の道が完成したが、無風。頭上の太陽は全てを曲げ、溶かし、焼き尽くす勢い。汲み置いた手桶の温い水を柄杓で掬い、棹石の上からかける。使い古したタオルで墓を洗う。背中を流すように、優しく。


 初盆は白上がりのアレンジメント、という知識を尾形はどこかで得たのだろう。白百合、小菊、スプレーマム、ピンポンマム、カーネーション、デンファレ、リシアンサスの七本を二束。些か豪華すぎる盆花を会社至近のターミナル駅構内の花屋で昨日尾形は購入し、帰宅した。汲み換えた冷たい水を花立になみなみと注ぎ、生ける。白く垢抜ける墓。


 蝋燭から線香に火を移し、香炉に手向け、二人並び無言で手を合わせる。死の悼みと弔いを越えて、今回は報告ごとをただ一つ。少し長い合掌。


「檀家、か。お前もここに入んのか、死んだら」

「死んだ後のこととか、どうでもいいです。好きにしてください、アンタが」

「おい、なんで俺が送る方なんだよ。歳の順番を守れ」

「いやですよ、アンタを看取るとか、送るとか。……勘弁してくれ」

 遠くにあったはずの蝉時雨が近くに戻っていた。一際濃い紅色が目にとまる。百日紅に囲まれていたのか、この墓地は。日が西へ傾き、短く、濃い影が現れる。


「頑張って働いて、金、貯めないとな」

 ぼそりと月島が呟く。後世になにも残さない二人だからこそ漠然と考えていたことだったが、うっかり言葉にしてみたら想像以上に決意表明のようになってしまった。己に怯むことなく月島は続ける。

「死ぬまでずっと一緒だからな」


 月島から目を逸らして、目を伏せて、鼻をフンと一回鳴らして、また月島の目の奥を覗き込む。

 尾形の意識的な気の取り直し方、体裁の整え方だ。近くで何度も見守ってきた。それがたとえ、あまのじゃくでシャイな性格だからとか、虚勢を張っているとか、はたまたセルフブランディングの成せる業だとしても、この螺子を巻き直すような一連の仕草を、月島は好ましく思っている。


 全身からは夏草の匂い。指先には線香の匂い。

 とめどなく汗が首筋を伝う。この汗と尾形の汗と、塩分濃度は同じだろうか。尾形の頸に舌を這わせることを想うと、月島は口の中が皺ばんで塩辛くなった気がして、喉が鳴った。