それは柔らかな手触り

 例年よりも早い梅雨入りで連日雨が続いている。その為サッカー部は今日も校庭が使えない。代わりに体育館での部活動となると始まる前から部員達の不平不満の声が止まらなかった。俺がサッカー部の部長だからというのもあるが、皆口々に雨の日は練習無しにしようだとか室内専用コートを作れとか好き勝手を言っている。気持ちはわかる。校庭に出てボールを追いかけまわすのは面白い。夢中になれる。それに比べて雨の日の部活は体育館で行うので出来る活動も限られている。怪我を防ぐ為の柔軟を少々念入りに行い、腹筋背筋腕立ての各種筋トレが続く。体育館のニ階部分はぐるりと周囲が走れるようになっているのでこちらを当然のように走った後は持久力を増す為の階段ダッシュが永遠続く。基礎が大事だと皆理解はしているが地味だしボールを使わない。それから体育館の面積の都合で他の部活との合同使用となる。当然普段体育館をテリトリーとしているバドミントン部やバレーボール部の連中は面白くない。締め切った体育館は蒸し風呂のような環境で、そんな中肩身の狭い思いで俺達は黙々と筋トレを行っている。だけど皆がどんなに文句を言おうが、他の部活から睨まれようが俺は雨の日に体育館で部活動をする事が嫌いではない。

「並んで」

 掛け声と共に散らばっていた部員達がわらわらと集まる。二面に張られたネットの内、舞台に近い方が男子バレーボール部のテリトリーだ。そのネットが張られたポールの位置に掛け声の主、男子バレーボール部の副部長がいる。二年の尾形百之助。俺が雨の日の部活を嫌いになれない理由。それは尾形のバレー部での練習が見られるからだ。


 尾形は入学して早々にバレー部に入部し高一の夏にはレギュラーとして試合に出ている実力者だ。身長は平均より少し高い位だけどバネがあって跳躍力が凄い。ポジションはセッター。アタッカーが欲しい位置に正確にトスをあげるものだから大会では他校からも注目されているという。

 尾形とは学年が違うが朝練が縁で知り合った。父親と折り合いが悪い俺が家にいたくないという理由で思いついた自主的な朝練を尾形は正当な目的で、つまりはバレーがうまくなる為に行っていた。最初は同じ体育館を使うだけで特にこれといった交流は無かった。当たり前だがサッカーとバレーは違う競技だし、当時俺は2年で尾形は1年と学年も違う。それに俺も尾形も積極的に話す方ではない。それでも一人黙々とサーブを打ち、トス錬をするストイックな練習スタイルは嫌いじゃなかった。その内俺の方に転がってきたボールを尾形に投げ、その逆といったささやかなやりとりが始まった。廊下で見かければ俺はおぅと声をかけたし尾形も目礼を返した。息抜きに相手の練習に付き合ったり、和英辞書の貸し借りをするまでになった。尾形は当時バレー部に入ってきたクソ生意気な一年として同級生や上級生らに陰口をたたかれていたが俺からしたら努力を怠らない真面目な後輩の一人だった。少なくとも一週間前の朝練終わりに尾形が俺にキスするまでは。


 バレー部はミニゲームが始まったのだろう。短く鋭い笛が鳴る。間隔が短いので立て続けに点数が入っているようだ。こちらはパス連なので足下に集中しなければならないが、一セットが終わってコートチェンジをする所を横目で見た。部活前、いつも通りあがっていた前髪はミニゲームの激しい動きで乱れたか、尾形の大きな目にかかっている。反対コートに回ってポジションについた尾形が下りた前髪をかきあげる。整髪剤が無いのですぐにまた落ちてしまう前髪を気休めでかきあげるその仕草をなんとなく好ましく思うのはきっと俺が尾形を好きになりかけているからだ。

 職員会議が長引いて、顧問は結局部活動時間内に姿を現す事がなかった。一応そうなる事を予想して、ミーティングをしておいてほしいと頼まれていた俺は、定刻通りに部活を切り上げ軽いミーティングの後部員らを解散させる。荷物置き場にしている舞台端にある小部屋に一つだけ残った自分の通学バッグを肩にかけて部屋を出ようとしたその時、足下にモルテンのボールが転がってきた。片付け中のバレー部の物に違いない。柔らかな触りのボールを拾いあげると視線の先には尾形がいた。出入り口を背に佇んだ体が全身で息をしている。走ってきたのかもしれない。

「また明日な」

 ボールを尾形に手渡すと意外と大きな手に手首をとられた。えっと思う間もなく尾形の下りた前髪を撫でつけさせられる。撫でたそばから前髪は落ちて全く意味をなさないが、尾形にされるがまま二~三度頭を撫でたら満足したらしい、俺の手を離すと一礼し、踵を返して出て行った。一人小部屋で固まる俺を残して。


 雨の日の部活動は嫌いじゃない。でも今は早く梅雨明けになればいいと思っている。こんな事が続いたら流石に顔に出てしまいそうだから。