あまいしっぽたち

 土曜の朝ランニングは、尾形と同居する前から月島の習慣である。

最近は、帰り際に近所の気に入りのパン屋に寄って朝飯を調達するのが俺の中で流行っていた。月島と違って尾形は完全に夜型人間なので、月島がラン終わりでシャワーを浴びて戻っても、布団にすっぽりおさまって寝息を立てていることが多い。その寝顔を見るのも、月島の習慣の一部になっている。

 しかし今朝は、月島がリビングに戻ると、珍しく尾形が目を覚ましていた。いつもなら月島が今日のセレクションを説明するのを半分寝ながら聞くほど朝に弱いはずなのに。繁忙期を過ぎて少し目元の隈が濃くなったか。尾形はするり、と近寄るとスマホを差し出した。

「この間、あんたの上司が送ってきた動画についてなんですが」

 動画…?何のことだ。パンの詰まった袋をぶら下げたままぽかんと口を開けた月島をよそに、尾形は画面をタップした。ゴソゴソと言う音の後に、ぶれる画面の端を毛むくじゃらの生き物が横切る。

この間連れて行かれた猫カフェで月島があまりに動物慣れしていないのを、面白がった鶴見に撮られた動画だ。動画の中で床に胡坐をかいた月島はペルシャに手を伸ばした。優雅な長毛のぶすくれ顔は月島の手を2、3度嗅ぎ、何かを認めたのか指に首元を擦り付ける。月島はドギマギしながら猫の額を指の背でそっと撫でて、ゆっくり肩回りの毛に指を通した。

丁寧な触れ方に気分を良くした猫は月島に背を向けて転がる。気に入られたなあ、と鶴見が言ったところで鶴見の横に座る短毛の黒猫が映った。黒猫は鶴見の手をするりと除け、ペルシャに近づいた。

鼻まで真っ黒い横顔をぺちゃんこ顔に近づけると、内緒話をするように耳をひとなめし、二匹は連れ立ってバックヤードに戻っていく。鶴見の残念がる声を残して、動画は終了した。


「…ここ、あんたが猫を撫でるところ。よく見て」

 そう言われて数回見ても猫が可愛いだけだ。月島は両手をあげてギブアップを示した。

尾形は眉をくいとあげてあきれ顔をして見せると、わかんないかな、と手を拭き月島の腕を引きよせた。二人は、狭いキッチンで向かい合う形になる。

 おもむろに、尾形はそろえた指の背で月島の眉の間を撫で上げた。月島はびくりと肩を揺らすが、尾形の指はそのまま月島の頭の形を手になじませるように行き来する。尾形は、色の濃い瞳でじっと月島を見ていた。指はときおり耳の裏をくすぐり、髪の生え際をなぞり、ゆっくりと手のひらがうなじに沿う。尾形の大きくて平べったい指は温かく、自然と体をゆだねそうになる。目を閉じてしまおうか、そう思った途端に、パッと尾形の手は離された。

「はい。わかりました?」

「っえ?」

「月島さんの猫の撫で方。これ、いつも俺にするやつでしょ」

 月島はいまさっきまでの自分の行動を思い返し、さっと顔を赤くした。尾形は知らん顏でさっさとダイニングに戻り、パン屋の袋を物色している。

「…怒ってるのか」

「怒っている、わけではないですが、面白くないのは確かです」

 尾形はそう言いながらも、普段と変わらない顔でコーヒーをマグに注いだ。上手く隠そうとはしているが、スウェットの中から、垂れたしっぽが覗いた気がする。月島はなんだかむず痒い気分になった。普段社内で、雰囲気カッコいいですよねなんて言われる尾形が。俺が猫を撫でているところを見て落ち込んでいる。月島は、休日で下ろされている尾形の前髪をかき上げ、額にキスを落とした。ああ、あの黒猫も、相方がとられてさみしかったんだろうか。

「俺はお前と暮らすまで、猫なんてろくに触ったこともなかった」

 でもお前、案外くっ付きたがりだろ?と月島は笑う。付き合うようになってから、何となくわかるようになったんだ。だから。

「じゃあ……あれは俺への撫で方?」

「俺はそれしか知らない」

 尾形はそうですか、とだけ言ってコーヒーに口をつけた。表情は相変わらず変わらないのに、やわく伏せた目元はどこか安堵しているように見える。

月島はパンの中からお目当てのツイストドーナツを取り出した。

「あ、そうだ。このドーナツ、お前にも買ってきたから後で食え」

「ああ、二つ入ってるなと思ったんです。月島さんも甘いのそんなに得意じゃないのに珍しいですね」

「ん、まあ、無性に食べたくなったんだ。ほら、こうやって縦にすると2匹の猫のしっぽみたいだろ」

「え?……ぶ、あはは!あんた猫カフェでも食いもんのこと考えてたのか?はあー。こりゃ鶴見も連れて行き損ですなあ」

 吹き出した尾形は笑いを引きずって、しばらくは買い物に行くとこれは何に似てますかと揶揄われた。


 もしも、俺たちがあの猫カフェで働く猫の一員であったなら。

きっと尾形はこうやって俺に世話を焼かれるたびに、あの黒猫のように機嫌よくしっぽをからませてくるんだろう。