ネコチャン奔放一日天下
とっても難しいお仕事で百之助がめっぽう偉かったので、鶴見は手放しで褒め、こう言いました。
「よくやった、素晴らしい、ささやかで悪いが何か望みはあるか?おれがしてやれる程度でだが……」
お酒でも(おれはやらないが、と鶴見は添えた)、飯でも、煙草でも。
望みを尋ねられた百之助は目も口元も動かさず、坊主頭をさらりと撫で、
「別に……くたびれたので按摩にでも行き、掃除をして寝るつもりです」
「そうか、ずっと同じ姿勢を取っていたのだから疲れただろう……それなら、」
そうかそれでは、鶴見はいつも影のようにいいえ右腕のように控えている月島に命じたのでした。
「できる限りの事をしてやりなさい」
「はい」
月島ははいで応えます。それしか用意されていないのかもしれません。
尾形は、いかにも結構ですのにという身振りで、
「はぁ、お手数をおかけします」
しかし断る事はしなかったのです。
そういう訳で錦の御旗を手に入れた尾形百之助、月島軍曹殿に全身くまなく按摩の真似事をさせ、ようとしたまではいいものの骨が軋む目に遭って早々に撤回、耳かきに切り替えた。
「軍曹殿にも立場ってもんがあるでしょうから」
寝起きする部屋へ連れ込むにあたり、いかにも親切ぶってそう付け加えるのも忘れない。さらりさらり、頭を撫でて。
どうにも肩が凝りました、さいきん耳の聞こえが悪い、尾形がそう言う度に月島は黙って肩を脚を揉むし、正座した腿へ尾形の頭をのせ、無骨な指で耳かきを操りもした。
更には尾形が面倒を見ている(事になっている)新兵が部屋へ洗濯物を取りに入って来たのに向け、
「まあ座れよ」
と床を顎でしゃくった。新兵は突然男同士の耳かきを目の当たりにしてかわいそうなほどうろたえ、言われるまま汚れものカゴを傍らに置いて正座をするしかない。
「気になるか?」
月島の脚がたくましく太いものだから膝枕は平均以上の高さとなり、尾形の首を妙にねじった。引っ張られたせいで作っていた笑みが歪んでいる。
「鶴見中尉殿のお計らいだ、まあ大したことはしていないが……俺の為にこうして月島軍曹殿を労いに遣わしてくださっている」
まるで年賀状の宛名でも書いているかのように無心に月島は手を動かしている。尾形は耳の痒いのが嫌いで、こまめに掃除をしているから特段汚れてはいない。
何も無い尾形の耳を、止めろと言われていない月島はずっと掘り続けている。活かされる穴を掘って埋めることを繰り返した経験。
新兵はわかりやすく目のやり場に困っていた、気になるかと聞かれても答える内容が無い。おろおろしてやっとの事でせめてハイと言おうとすると、
「まあやかましいのは好かんからそれでいい」
ハナからトドメを刺され、ますますと委縮する。こうなると誰も何も言わず、言えずだからますます尾形は調子に乗って舌を回す。
「ふふん」
尾形はチョイと指で示して、身体の位置を買えると逆側の耳を掃除させた。
「大した事はしてねえってのに……」
耳という脳まであと一歩という急所を明け渡しながら、尾形はどこまでも挑発的だった。
遠くから五時を告げる喇叭が聞こえ、新兵は次に行かねばならない部屋の事を考え気が気ではない。尾形上等兵と違って鉄拳指導をする上等兵も多いのだ。
膝をもじもじさせていると、
「どこか行かなきゃならんところでもあるのか、よほど大事なところのようだが」
と尾形がチクリ。月島はようやくちらりと新兵の方を見遣って、耳かきを引っこ抜くと左手に渡して右手を空けた、
そのままズバンと景気の良い音を立てて分厚い手のひらで尾形の頭を張った。膝から頭が落ちて、顔面を寝台に潰れ伏す。
驚きに固まっている新兵を他所に、月島はさっさと立ち上がると靴をつっかけた。尾形が目をぐらぐらさせながら起き上がっているのに構わず、
「田端、あんまりつきあわなくていいぞ、甘えてるだけだ」
尾形が呼びもせず、それどころか覚えているかも怪しい新兵の名前を月島は正しく呼んで促した。田端は弾かれたようにカゴを抱えて飛び出していく。
「ご苦労だったな尾形」
新兵の次に尾形の名前を呼び、後頭部をざらざらっと木魚でも撫でるみたいに雑に手のひらで擦ってから月島も出て行った。
尾形はそのまま、痺れるように動けない。
尾形は望まれたことを与えられたいのではない。
『見て』
見てと言って見られたことはなかったが、見てと言って見られたのでは価値がない。
月島が我慢できずに怒鳴ったら笑ってやろうと思っていたのに、やり遂げられてしまった。
おまけに。
撫でられた。撫でられてしまった、誰にも撫でられなかった坊主頭をまた、尾形は撫でた。こんどはいつもの自分の手で。