あんたのとなり

 強烈な日差しで目が眩む。

 暑すぎて空は最早青ではなく白っぽい。

 打ち合わせ先のビルを出てすぐにある申し訳程度の日陰で、尾形は「日傘 ビジネス」とつい検索していた。

 最近は男性向けの日傘も一般化してきたが、尾形自身はまだ少し抵抗があった。だが、こうも殺人的な日差しを受けると、日傘は女性向け、なんて固定概念は簡単に手放したくなる。やはりモノトーンのものが主流らしい。デザインに大差はない。あとは軽さを取るか、強度を取るかといったところか……。しばし迷っていると、半袖シャツにIDを首から下げた上司が小走りに駆け寄ってきた。

「悪いな尾形。暑い中待たせて」

「いえ。それよりありました?忘れ物」

「ああ、ソファの下に落ちていた。午後も打ち合わせがあるから焦った」

 彼はわざわざ鞄から革製の名刺入れを取り出してみせ、またしまった。

「はは、忘れ物キング月島さんが久々に出ましたね」

「全くこればかりは直らなくて困る」

 三年前、尾形がメーカーの営業をやめ市役所に入庁したときから、この人は忘れ物癖で有名だった。仕事に関しては厳しいが、立場に関わらずざっくばらんに接するタイプだ。同期では出世頭で、主査という立場ながら係をまとめる仕事ぶりだ。尾形は営業の経験を買われ、渉外的な業務を月島の元で一手に任されている。

「さあ、そろそろ行くか」

 月島が前を向いた。強い日差しを受けて、片眉を上げ、まぶしげに目を細めた、その横顔に尾形は釘付けになる。

 好きだな、と思う。

 きれいな弧を描く二重。光を受けるとやや緑がかって見える瞳。筋肉に覆われた小柄な体躯。一般的に言う美形ではないのかもしれない。でも誰がどう言おうと、尾形にとってはいい男だ。勿論外見だけではない。この人の傍で、時間にとらわれず、その真っ直ぐな心に触れていたい。他愛ない話を聞いていたい。

「どうした?」

 視線に気づいた月島が振り返る。

「いえ……あ、その、月島さんは日傘は使わないのかなとふと思いまして」

 面食らったが、運よく、直前に見ていた日傘のことを思い出した。歩き出した月島から遅れないように、尾形も足を前に運ぶ。

「日傘なあ。確かに使っている人は増えたよな」

「ええ、昨年辺りから」

「俺が使って変じゃないか?」

「そんなこと無いです、日傘があるだけで体感温度もかなり変わりますし肌へのダメージも抑えられますし……それに月島さんに似合いそうなデザインもたくさんありますよ」

 視線の意味がバレてはいないかと、余計なことまであれこれまくしたてる。

「お前はそういうの選ぶのが得意だよな」

「そ、そうですかね」

「ああ。センスがある。お前が使ってみて良いのがあったらおすすめしてくれ」

「えっ、じゃあ俺からプレゼントしますよ。月島さんに似合うものを」

 半歩先を行く月島がこちらを向いた。

「良いのか?楽しみだなあ」

 くしゃっとした笑顔。ああ、これもたまらなく好きだ。尾形の思考はまた停止しかける。

「そうだ。お礼に今日の昼飯を奢るぞ、何がいい?」

「え?でも……まだ選んでもいないのに」

 話がどんどん思わぬ方向へ展開していく。会話にはなんとかついて行くが、心は別だ。

「お前の選択を信頼してるって前にも言ったろ。先回りしてお礼しとくよ」

 言葉がでない。

 なんで、そんなにあんたは俺を信頼してくれるんですか。他の人間と何かが違うんですか。俺は、あんたにとってどういう存在なんですか。

 いっそのこと、胸の内を総てさらけ出し、思いつくままに捲し立ててやろうかと思う。

 好きで、好きで、ずっとこの気持ちを抱えて、出来る部下のふりを続けてきた。入庁してから三年ずっとだ。人付き合いの下手な自分にあれこれ気を回してくれるところも、仕事で関わる人間全員の希望をできるだけ叶えようとひた走るところも、ずっと、誰よりも好きだった。

 だが、打ち明けてすべてが壊れてしまうのが怖かった。だから物分りの良い笑みの下に隠して来たのだ。

 今も、心に素直になりたい気持ちと、社会人としての理性が尾形を引き裂かんばかりに引っ張り合っている。何も言えないまま、時が過ぎる。


「尾形、お前もラッキーだな」

 少し歩いたところで月島が突然足を止めた。

「『上』あたりいっとくか?」

 そう言って、ワンブロック先に見える鰻屋の看板を指して口角を上げた。

 やっぱり、言えない。

 奢るからと誘っておきながら自分が夢中になって鰻重を頬張る姿が、店に入る前から想像できる。そんな無防備な仕草の数々を近くで見られるのは、尾形が信頼のおける部下という立場だからだ。

 尾形は、深く息をしてから答えた。

「はい、ご馳走になります」

 すると、よし!と彼はまたくしゃっと笑った。

 肩を抱かれるようにして二人並んで藍色の暖簾をくぐる。

 この先どういう未来が待っているのかはわからない。自分がどういう選択をするのかも見通せない。とにかく、何があろうとこの人の隣のポジションを死守するのだ、と尾形は固く誓ったのだった。