私が高校3年の頃、たまに友人たちと放課後の教室で数学の勉強会をしていました。名前を付けてサークルを作ったわけでもなく、日程を決めて集まったわけでもありません。時々、何となく何人か集まってきたのです。疲れたらやめて帰れば良い。適当に抜けても良い。全く自由な、遊びのような時間です。実際、半分遊んでいたのかもしれません。
空いた教室で黒板を利用して、解けない問題や、教科書や参考書のわからない記述について、ああだこうだやり合います。「こうやって見ようか」と黒板で計算始める者がいると、「いやこっちでやってみよう」と反対側で別の計算をする者がいたり。飛び抜けてよくわかっている者が、丁寧に式を書いて説明してくれたり。すごい計算力があって黒板一杯計算する者、それをじっくり見つめる者、いろいろです。
これは充実した時間でした。大いに勉強になった。その上楽しい。おやつ食べたり、ジュース飲んだり、これも自由。やっていた問題の中身はすっかり忘れましたが、夕日の差し込んでくる教室の情景は今でも浮かびます。
一つの問題についても、いろいろなアプローチがある、一つの公式でも人によって受け取り方が微妙に違う。それを知るだけで勉強の助けになりました。授業の堅苦しい言葉でなく、友人の砕けた会話で数学の説明を聞くとよくわかる。自分が話すとなると、自分が何となく考えていたことをしっかり言葉にして友人に伝えなくてはならない。これも勉強になる。自宅での勉強と組み合わせると、これは最強の受験勉強だったと思います。
その経験から、高校で数学を教えていた時代、授業の一部を「共同研究」の時間にすることを始めました。教室内たち歩いて良い。しゃべって良い。気の合う者が集まって解けば良い。そのかわり遊ばず頑張って問題を解く。もちろん、人とやるのが嫌なら一人で解いてもよし。その方法を生徒諸君が身につけるまで多少の混乱はありますが、教員が大声で解説するより「共同研究」の方が、テストのクラス平均が明らかに上がるのです。更に言うと、進んでまわりの生徒に教えていた子が、最も成績を伸ばします。
ついでに申し上げますと、大学の先生には「学会」と言うのがあります。この電子メールの時代、研究成果のやりとりは世界中、一瞬でできます。それでも大学の先生は、他の研究者と直接お話するためにわざわざ地球の裏側まで出かけます。「直接、向かい合って会話を交わす」ことには、テキストを読み込むこととは違った意味があります。最近の脳科学の研究によれば、人間同士が面と向かって会話するとき、脳の働き方が、違ったモードに入るのだそうです。
皆さんにも、友達同士で勉強する、共同研究する時間を作ることを是非オススメしたい。
この二つの体験が数学の理解を深めます。特に、友人に教える体験は、自分の数学理解を見直す絶好の機会。「教えてあげるから、聞きなさい」とむりやり友人をつかまえてきてもよいくらいです。
「そうなったら塾はいらないのでは?」その通り、中学生・高校生が皆これをやり出したら、塾・予備校は商売に困るでしょう。本教室も閉鎖します。「共同研究」は、補習・塾・予備校のかわりになります。断言します。でも、
自宅学習のかわりにはなりません。
残念ながらこれも確なことなのです。