恨み声
一応…礼儀として名乗っておこう。
蔓川檸依(つるかわ れい)、心霊スポットの調査や怪奇現象を調べては記事にして食っている。
ライターってやつだ。よろしく頼むよ。
…あの出来事の全ては、結局俺の吐いた言葉が呪いとなり、彼女を狂人にして…挙句の果てに起きた事だろう。その責任をもって、懺悔の意味も白状するために、正に、今ここで打ち明ける。
責めてくれたって構わない。
俺は、怪奇に惚れていた。
生と死…交わらぬ者通しが出会う…或いは亡者の此岸にしがみつく程の強い「想い」…爛れた形や過去の姿すら見当たらないその異形の姿…それら全てが魅力的で奇妙であればあるだけ興奮する。
物心着いた時には既にこの感情が俺の心中に染み込んでいて、指図め生まれ持った定めじゃないか…。と過信している。
…だが、酷く残念な事に昔の俺には所謂「霊感」というものが乏しかった。
よく「木目が人の顔に見えるのは所詮、シミュクラ現象だ」などと言うが、俺はその脳の錯覚に騙されてでも構わないと、心霊現象モドキにも飛びついていた。
学生時代は心霊写真が取れたと聞けばその写真を収集、焼き回して部屋に飾ったり、勿論心霊スポットなんかに行ってみたり…兎に角、それだけ恋焦がれているという話だ。
…そう、昔という事は今はどうなったのか。
実は、今はだな、"声"だけ聴こえる。
長年奮闘した結果が音のみ…なんて言うのも残念だが、全く何も無いよりは良いだろう。俺の想いが、幻想では無いってわかるんだからな。…となれば君は真っ先に「どうして見えるようになったのか」と問いただすだろう。
まァ…落ち着けよ。そこが本題なわけだ。
事の始まりは、針が丑三つ時を知らせる頃…夜中の二時だ。元々夜型というのもあって、俺は仕事に精を出していた。
心霊に関する記事は矢張り深夜に書いた方が臨場感も現れやすい、そんな勝手なジンクスを元に執筆していく。
…すると…自分の左側から、妙に蟠りの様な…霞みみたいな不気味な感覚があった。
一人暮らしの夜には節電も兼ねて自分の周り以外に電気を灯して居なかったので、パソコンの明かりが照らさない先の空間は…まるで血溜まりが黒く固まった時程の暗闇だった。
そこからもやもやとした「気配」が俺に触れたのだ。
確かにこれは一般的にもよくある現象で、話を聞く君も経験はあるだろう。
あの、どこからとも無くシィン…とした無音から、ふつふつと唐突に感じる悪寒。嫌に思って、振り返れば…そこには無いもない。
何も無い筈なのに…居るような…気がする。
だからその「気のせい」と思い込んでやり過ごす。…なんて所だろうが、良いことを教えてやろう。そこに根源が無ければ…何も感じない…「何か」を感じたから君は見たのだろう…火のないところに煙は立たない…とか言ったか…なぁ。そうだろ。
……それで、相変わらず霊のれの字も見えない俺は、もしかしたら…と少し出会いの可能性を彷彿とさせて暗闇に声をかけた。
「出てこいよ…居るんだろ…」
暫くの静寂。俺の独り言だけが転がった。
勘違いか、と肩を落とした…瞬間。
――ガタン、と何か落ちる音がした。
ポルターガイストか…!…期待をして音のした方にすぐさま駆けつけた。
部屋の状況を変えては霊も居なくなってしまうと思って電気は付けず、デスクから零れる薄暗い光を頼りに近づく。
どうやら、棚の後ろに飾ってある、コルクボードに貼った写真が落ちた様だ。
不幸が訪れるとの噂を知って、自分の写真の体部分にピンで刺していたのだが。
生憎、音の正体はその成果では無く。
…人から貰った出産報告の、赤ん坊の写真だった。
そこには産まれたばかりの顔を赤らめた可愛らしい泣き顔が写っていた。これはつい一週間ほど前に女性の知人から送られてきて、おめでたいのでこの写真だけは丁寧に、可愛らしいシールを態々買ってきて額のように幾つか貼って固定していた。
粘着力も良いのを選んだ、簡単には剥がれない筈だ。
これは単なる偶然かもしれない、流石に怪奇を愛せど人の幸福を不幸にしてまでとは思わない。あくまで俺の…この一種の変態行為は俺の中でのみ完結する。
コルクボードから滑り落ちた写真は、前にある棚の裏側に隠れてしまったようで、仕方が無いから灯りをつけると棚を動かして捜索した。そこまで大きな棚ではない。すぐに見つかる…はずなのだが。
幾ら、幾ら探っても、見つからない。そんな事は無いと思って付近にあるものも退かして更地の床を這いつくばって見てみるが、どこにも見当たら無いのだ。
おかしい…あり得ない、待ち望んでいたはずの不可解な現象を実際に初めて感じた俺は、喜ぼうにも、そもそも訳すら分からず床に膝をついたままへたり込んでしまった。
為す術なしか、と諦めて立ち上がろうとした…が。
「…ッ。なんだ…今度は…」
突如、携帯電話の着信音が部屋中に響き渡った。
急いで画面を開くと「非通知」の文字が映し出される。やけに嫌なタイミングだな…何よりこんな時間にかけてくる人間なんて幽霊でもなきゃ逆に迷惑だ。などと抜かしながら電話に出てみることにした。
「…もしもし…?」
けれど電話の向こうからはぶつぶつと何か小声で話すだけであまり聞こえない。
「あのぅ…もう少し、ハッキリ喋れますかね」
「……て…」
「…はい?」
『…こ……て』
どうやら電話の主は女らしく、弱弱しいもののか細い声で何度も同じ言葉を伝えようとしている。耳を澄ました。
『こ…っ…ち…に…き…て…』
こっちに来て。
そう聞こえたところで、ブツっと電話が切られた。
呆気に取られて閉じた画面を見つめていると、ディスプレイはつけていないのに、ぼんやりと…自分が反射して映るはずの場所に…女の顔が暗闇から浮き出て来た気がして思わず悲鳴をあげた。
気のせい…気のせいだ。と呟くが"根源"が無ければ…何も感じない…「何か」を感じたから俺は見たのだ。
現実は受け止めなくては行けない。何より、この状況は俺にとって益々好都合のはずだ。来てと言われなくても俺から会いに行きたい、そう何十年も願い続けて来たのだから。
「……それにしても…。来てと言われてもなぁ…」
一体、どこへ行けばいいのか。幽霊とは実に不親切だなと気を落ち着かせると頭を掻いた。
唯一の手掛かりと言うならば、あの写真が送られてきた…知人の場所だろうか。…だが今は深夜だ…もし何もなければ迷惑がかかる。せめて異変が無いかだけ確認してみよう。そう決めると仕事を放って、車を走らせた。
彼女の家は成金の父親から譲り受けた日本家屋の平家で、そこに一人暮らしをしていた。幸い、俺の家からさほど離れていない。
彼女とはそこそこ長い付き合いで、よく二人で遊ぶ事もあった。だから彼女から出産報告の手紙が届いた時はそれはそれは嬉しい事だった。
だが、彼女は男付き合いが苦手らしく、何でも金目当ての人間ばかりだからだと言う。
その彼女が付き合い、そしてお互いを尊重しあえる良い人に出会えたのなら、それも喜ばしい話だ。尚更、この不可解な…あまり良い前兆とは思えない現象の末路を食い止めなくては行けない。
家の前に車を止めた俺は家の周りから異変がないか歩いて確認をする。
喧騒もボヤ騒ぎも無い、不穏な予感も…無い。一先ず問題は無さそうだ。
幾ら怪奇が呼んでいようとも、矢張り何事もないに限る。そう、平穏な夜道に目を移していた。
…すると車で戻るまでの道…丁度、彼女の部屋辺りに差し掛かった時、……また電話が鳴った。
『…入って…』
「…待て、おい」
今度は先ほどと違って強く、明確に話すとすぐに切れてしまった。
「…くそ」
…仕方が無い。どうやら…彼女の幸せの為に俺は犯罪者紛いの事をしなければいけないようだ。
後で不法侵入がバレたら俺は愈々、刑務所か精神病院行きかもしれ無いな…などと悔やみながら家の扉を開けた。
一目見るだけだ、何も…何もなければすぐに帰る。
音を立てないようひっそりと歩いていく。ギシ…ギシ…と廊下を歩く度、年季の入った床が鶯張り如く鳴いていた。
「……入るぞ」
殆ど聞こえないぐらいの小声で彼女が寝ているであろう寝室の扉を開ける。…が
「な…」
一面に広がる光景に言葉を失った。
彼女が…一人の人間が…包丁を腹に刺して倒れている。
暗闇でよく見えないが足元は彼女を中心に一面どっぷりと濡れている、恐らく血だろう。
状況を把握した途端、鼻腔をその腐った香りが責めた。
吐き出しそうになりながら鼻を抑え、救急車…警察…と頭を巡らせて携帯電話を取り出す。緊急電話のボタンを押して耳に当てた。
「あ、ぁあ!もしもし!」
しかし、オペレーターの声は聞こえず、無音だけがしばらく続いた。
「…もしもし…?」
「来てくれたのね」
「ぇ…」
ぞっ…と背筋が凍った。体が指先一つもピクリとさえ動かなくなる。
成程これが金縛りってやつか、と震えながらやっと持てた余裕はそれぐらいだった。
額から溢れた冷や汗が顔を伝って顎に零れ落ちる。
電話の声はその機械音からではなく…明らかに肉声として聞こえていた。
当然、振り返る事もできない。後ろに誰かが迫り来る感覚を覚えながらも、今できる事は恐れを成すか会話だけだった。
「…君は誰だ」
「誰なんて酷い…いつも一緒だったじゃない」
「…彼女を傷つけたのは君か」
「違うわよ…」
女がそう言うと足元を何かに掴まれた気がした。
「あなたでしょ」
驚いて下に目線をやる…そこには何も視えていないはずなのに、確かに小さな手が俺の足にしがみ付いた感覚がある。そしてゆらゆらとよじ登ろうとしている。赤ん坊の笑い声と女の微笑んで笑う声が耳鳴りのように響いた。
「やめろ!」
「嫌ね…あなたの子なのに…」
「……何だって…?」
この得体の知れないものが…俺の子どもだと?恐怖の中で頭を巡らす。
俺は生者を愛す気なんて毛頭にないし、そもそも交際も学生時代以来無いのだ。俺が愛せるのは…
「…君は、亡くなっているのか?」
「…えぇ。だって…あなたが言ったのよ"俺は怪異しか愛せない"って」
その言葉を聞いて記憶が明確に蘇った。俺がその言葉を最後に発したのは…。
目の前で倒れて…いや、死んでいる彼女だった。
「ねぇ…これで愛してくれるんでしょう」
「…いや、君だけは愛せない」
「え…」
硬直した体は小さく震えている。
…それでも、彼女に伝えなくては。俺は彼女のことを信頼し、それこそ親友とも言えるが…。まさか、恋心を抱かれていたとは…。
…もしかしたら、俺が、彼女の勘違いをする程の振る舞いを見せていたのか、或いは酔った勢いで口説きでもしてしまったか…どちらにしても、俺に責任が無いとは言えない。彼女には、俺の…一人の知人としての想いを伝える必要がある。
「君は一番信用できる人間だった、一番親しい人間だった」
「何を…言っているの」
相手が動揺したおかげか、不思議と金縛りが解け、俺は彼女の遺体に近づいた。
血溜まりが歩くたびに飛び跳ねる。
「…けど…死んでしまったら、お終いだ。…触れ合う事も…もしかしたら俺の気が…変わって生者を愛す事ができたとしても、君と共に過ごす事はできない」
「そんな…そんな…」
声の震える彼女を他所に、血でドス黒く染まった遺体の手を自分の頬に当て「ごめんな」と呟いた。
俺の言葉が、彼女を殺してしまったのだ。
「嫌…私はここよ…ねぇ、あなた」
彼女の顔が窓から差し込む月光に照らされて濡れた血と共に輝いた。見開いた瞼を瞑らせると、深く眠った様な表情に変わる。
「違う…違うわ…それは私じゃない…檸依さん、私は…」
「…悪いけど、俺は"視えない"んだ、君は、俺からすればここに一人しかいない」
「嘘よ…!嘘に決まってるわ、あなたは"嘘が上手"ですもの」
赤ん坊の鳴き声が広がる。俺は遺体を抱きしめて微笑んだ。
「やめて!嫌!!その女はもう死んでるの!私はここなの…」
噛み付く様に叫ぶ彼女、声の方向を見ても俺には当然何も視えなかった。…ただ、悲痛な声だけが劈く。
ポルターガイストと呼ばれるものが起こったのか、ミシミシガタガタと建物が軋みだし、遂には部屋中の物が倒れたり、転がっていた。
俺は超常現象の数々に驚きながらも身の危険を感じた為、体を低くししゃがみこんでいた。血の匂いと彼女の遺体から香水の香りが混ざりあう。
…俺が昔、好きな香りだと不意に言った日と同じものだった。
幾つ程時間が経ったのだろうか、数十分かもしれないし、何時間も過ぎていたかもしれない…その暫くの間、彼女は只管喚いていたが幽霊にも体力があるのか、はたまた諦めがついたのか、ひとしきり泣くとグズ…と涙ぐみ小さく嗚咽していた。
「……」
「……恨むか……俺を」
ぐちゃぐちゃになった部屋の中で、俺は俯きながら声をかけた。
「……恨んでくれて構わない。これは…俺の所為だから」
「………」
彼女はただ、黙っていた。…少しすると涙も止まったのか声すら聞こえなくなる。
「……わかったわ」
掠れるように呟いた。
「恨む…恨むわ…。あなたが私のところに来るまで、ずっと恨んであげる」
「……あぁ」
その言葉を聞くと途端に眠気が俺を襲い、殆ど気を失うように眠りにおちた。
…気がつけば、日が昇り始め、外はうんと明るくなっている。
俺は警察に連絡をして事情を説明した。当然、信用はされないだろうから心霊現象を省いて…だが。
彼女の遺体は無事に供養され、その先は家族の方針に沿って決まる事だろう。
そうして…この事件があって以来、俺は彼女の呪いもあってか街行く霊の声を聞くことができるようになったわけだ。…当然…彼女の声も聴こえる。
でもこれは、本来俺が望むべき進歩の仕方ではなかった。
人を傷つけ、挙句自殺させてしまった俺の責任は重いだろう。
だから今晩、この話は俺の後悔話としても告白した。
…ところで、君に話を聞いてもらったこの場所は、平家の日本屋根だ。
…そう、彼女の家だな。
君は…この話に違和感を覚えなかっただろうか。
俺が彼女の家に入る時、鍵の確認どころか平然と扉を開け、迷わず彼女の寝室にたどり着けた事を。
…そして、疑問に思ったんじゃないか、彼女の子どもは一体誰が父親なのか。
…俺は別に、彼女と恋愛関係じゃなかっただけで…どんな友人間だったとは言っていない。
ハハ…そんな顔するなよ。
彼女は俺を"嘘が上手"なんて言ったが…どうなんだろうなァ…。
言っただろ「俺は怪異しか愛せない」って…。だから…幽霊なら、愛せるさ。
これで相思相愛だろ。
どちらにしろ、折角身近な人間が霊になったんだ……簡単に成仏されちゃあ困る。
"恨んで"でもこの世に残って貰わないとな。