東京通信

(メンバー小野寺浩によるブログ)

いい間違い

写真、1つ目は東京・錦糸町にあった看板。錦糸町は東京では有名な歓楽街である。「ロンリー・ウーマン」はキャバクラのたぐいだと思われる。この地域は多国籍化が激しいが、「Lonely」を「Ronly」にしているのは、英語圏の経営者ではないせいかもしれない。

「RIFORM」は豊島区大塚の私の自宅近く。住宅改造専門の事務所のようです。これは「REFORM」のことでしょう。

むかし、コピーライターの糸井重里は「いいまつがい」という本を出したことがあったような記憶がある。読んでないが、この手の勘違いを集めたものだろう(たぶん)。

歌謡曲などでも間違って聞いていたことが、しばらく後で判明することがある。「あげてよかった」を「あげてよ、カッター(シャツ)」だと長い間思っていた。向田邦子に「眠る盃」というエッセイがあるが、これは「めぐる盃、かげさして」(荒城の月)の聞き間違いのことだった。少女時代の思い出だから、鹿児島にいた頃かもしれない。

(2019.12.26)

錦糸町・クラブ
大塚・リフォーム屋

バナナのたたき売り

スーパーなどでバナナ売り場を見ると、あまりの安さに驚く。なぜこんなに安いのだろうか。子供のころは高級品で、そうそう食べられるものではなかったような記憶がある。運動会とか遠足とか、やや特別な時に食べた。

門司にバナナのたたき売り発祥の地という石柱があった。明治時代にはすでに台湾からの輸入が始まっていたが、たたき売りは大正時代からのようだ。当時は、フィリピンやインドネシアから船で門司まで来て、そこから全国に運ばれていった。

バナナは本来熱帯性のもので、インド、中国、東南アジアの生産量が多い。アフリカでは主食にしているところもあるという。奄美や沖縄には島バナナがあるが、これはごく小さい実がなる。甘いが高い。奄美に行くとあちこちにある。一見、木のように見えるが多年草である。

(2019.11.30)

近くのスーパー売り場
与論で見かけた島バナナ

葱鮪(ねぎま)・なべ家

自宅近くに「なべ家」という老舗の料理屋があった。2,3年前に店をたたんでいまはない。4階建ての小ぶりのマンションになった。葱鮪(ねぎま)鍋と冬はフグが売りで、知る人ぞ知る店のようである。高いとの噂であるが、行ったことはない。主人は江戸前の正統板前だったという。廃業したのは、築地市場の豊洲移転騒ぎの中で旧知の仲卸が止めてしまったからだという。築地移転には、こうした知られざる余波もあったのである。

通りすがりにいつも見ていたところに突然空き地ができて、つい先日まであったはずのビルがどうしても思い出せない。田舎ではそんなことはないから、どうもこれは都会ならではの現象らしい。

鹿児島天文館のタカプラから永田シロアリありまでのビルが、いつの間にかなくなった。ホテルその他の複合施設になるという。初めて見たときに、巨大なシロアリの絵にはギョッとしたが、無くなると聞くと少し寂しい。

(2019.11.3)

なべ家・廃業前。猫が3匹いた
現マンション

コンビニ・御三家

コンビニは、そもそもいつ頃からできたのだろうか。昔、アメリカ映画でセブンイレブンを見たから、アメリカ発のものだろう。日本で普及し出してから、せいぜい30年か40年なのではないか。いまや、すっかり生活の中に入り込んで、もはやコンビニがない暮らしは考えられない。若者がアパートを選ぶときに、コンビニが近くにあるかどうかが決め手であり、部屋代も違うらしい。

大手3社、つまり、セブンイレブン、ファミリーマート、ローソンが断然のシェアでしのぎを削っており、最近ますますその寡占傾向が強まっているという。

平成19年に鹿児島に転居した。セブンイレブンがなくて、何となく淋しい感じがした。その数年後には一気に出店攻勢が始まったのであるが。今年になって、沖縄にもついに出店したとのニュースを聞いた。意外にもまだなかったらしい。

北海道にはセイコーマートというコンビニチェーンが健在で、道内だけで1000店はある。大手3社も歯が立たないようだ。

(2019.10.5)

あんバタサン

土産物は、観光そのものより経済効果があるかもしれない。

数年前、北海道の総生産を調べた。道全体の総額が18兆円、農業が1兆円、観光は1・2兆円と農業より大きい。しかも観光には、チョコレート、クッキーなど土産物は入っていない。北海道の菓子業界は競争が激しく、次々と新製品が出る。最近は、あんバタサンなるクッキーが異様な人気である。すぐ売り切れて、なかなか手に入らない。

札幌の和洋菓子は、老舗千秋庵の一強であった。むかし、従業員が独立して帯広千秋庵を立ち上げようとした。開業直前、屋号使用にストップがかかり、つくったのが六花亭である。あっという間に本家を凌駕した。いまは、チョコレートのロイズに抜かれてしまったらしいが。

鹿児島も芋焼酎がブレークし、黒豚人気もすっかり定着したようだ。年寄りにしろくまドロップを渡したら、たいへん喜んだ。また買おうと、鹿児島市内を探したが見つからない。どこで買ったのだったろうか。

(2019.9.1)

あんバタサン
しろくまドロップ缶

ハワイに行こう!

東京・大塚駅前でフラフェスタがあった。「フラ?」と一瞬思ったが、要するにフランダンス大会ですね。どうやら女性には根強い人気があるらしく、何十組が次々と登場する。50代、60代が中心のようだ。一見ゆったりした踊りがいいのだろうか。実際はどうなのか、踊ったことがないのでわからない。

鹿児島大学時代、奄美市の公民館を使って出張事業をした。講義に借りた部屋の横にフラダンス教室があって、ときどき練習風景を見ることになった。

フラダンスはハワイの伝統的な歌と踊りであるが、元々はタヒチなどポリネシア諸島から渡ってきたもののようだ。

「トリスを飲んでハワイに行こう!」は、昭和36年の寿屋(現サントリー)のPRコピーである。山口瞳がつくり、一世を風靡した。当時彼は寿屋宣伝部にいた。直木賞を取るのはこの2年後のことである。なお、昭和36年の日本人出国者数は14万人(現在は1800万人)、ハワイは遥かに遠い時代であった。

6月末、奄美にいた。飲み屋街のまん中でフラダンスを踊っていた。奄美でなぜフラダンスなのかは不明である。

(2019.7.31)

東京・大塚フラフェスタ元年7月
奄美市屋仁川のフラダンス元年6月

6月はいっせいに

6月はいっせいに花開くという歌があった。たぶん、アメリカかヨーロッパの曲ではなかったか。半年雪に埋もれる北海道育ちにとっては、じつに実感がある。春の、心が浮き立つような気分は、雪国で暮らした人間にしかわからないかもしれない。長い冬を耐えていたものが一気に解放され、花も咲く準備をはじめる。

北海道出身の作家伊藤整の自伝的小説に「林檎園の6月」という詩が出てくる。

この花が散れば

それで夢のように過ごした6月は経ってゆき(中略)

ただ狂ほしく私をめぐって

緑へ緑へと季節が深まるばかり

小樽市郊外の塩谷村から小樽高等商業に通う伊藤は、通学列車で高商先輩の小林多喜二と会ったりする。

鹿児島の荒田神社の近くにブーゲンビリアの大木があった。ブラジル原産のこの木は、霜さえなければ日本の冬にも耐えるようだ。和名はイカダカズラ(筏葛)という。

(2019.7.7)

北海道余市のリンゴの花
鹿児島荒田のブーゲンビリア

海の庭園

今月、浜離宮、芝離宮と東京の大名庭園を立て続けに見た。海の大名庭園というのは、この2つしかないはずである。どちらも中心に大きな池があるが、これは海の水を取水したものだからコイやフナはいず、ボラなど海の魚がいるらしい。もっとも見た目にはまったくわからないが。

若いころ、京都の庭を浴びるほど見た。札幌出身で歴史的なものへの憧れがあったし。しかし名園もあまりまとめて見ると、感性がマヒして感動が薄れてくる。一息入れて、二、三流のものをいくつか経由して戻ってくると、京都の庭が如何に洗練されたものであるかが身に染みてわかる。

鹿児島の磯庭園も日本を代表する大名庭園である。錦江湾越しに見る桜島の風景は、比類のない雄大さである。

知覧の武家屋敷はだいたい庭付きで、そのいくつかはかなりのレベルであるようだ。京都の庭師がつくったのだろうか。京都で修業したという造園屋に聞くと、「知覧の庭は割った石を使っている。これは中国風であり、日本庭園ではまずない」とのことであった。

(2019.5.28)

浜離宮の池
知覧、サツキの刈込み

挨拶はむずかしい

哲学者梅原猛さんのお別れの会が京都であり、出かけてきた。さすがに京都の大学者らしいお別れの会だった。アイヌ舞踏団の葬送の儀式―歌と踊りと語りーが縄文文化論を唱えた人らしい。

弔辞は4人、みんな活躍中の学者だからさすがに上手い。だいたいは梅原さんとの逸話、知られざる梅原猛的なことを話す。その中で宗教人類学者中沢新一は、真っ向から梅原氏の学問的業績を分析して聞かせた。ちなみに愛知万博のテーマ「自然の叡知」は、彼のつくったコピーである。

作家の丸谷才一に「挨拶はむずかしい」という本がある。この本を読んで一番驚いたのは、結婚式のスピーチその他自分の話す中身を、予め書いて準備しておくということだった。座談の名手でさえこの謙虚さである。見習いたいと思いつつ、いつも付け焼刃で後悔している。

(2019.4.24)

お別れ会会場 アイヌ女性も見える
パーティで映された梅原さんの書

街の中の動物たち

日本では、観光地などで見かける動物が抜群に多いというのが、来日した外国人の感想である。たしかにシカは激増してどこにでもいるし、青森のサルは雪の中で温泉に入る。こんなサルは世界中で日本にしかいない。そもそもヨーロッパはとっくにサルを絶滅させてしまったし。先進国でサルがいる国は日本だけかもしれない。

動物が多いことの影響か、人間と動物の関係が近いせいか、街中にも動物がたくさんいる。クロネコ宅急便の子猫をくわえた猫は、街中でよく見かける。

天文館を歩いていたら、バー黒猫というのがあった。その近くの山之口通りに中央競馬会の馬券売り場があって、その入り口に金属製のサイがいた。名のある人がつくったという説もあるが、真偽は不明である。

(2019.3.25)

鹿児島市山之口通りのサイ
国立科学博物館前庭のクジラ

シベリアロール

巣鴨とげ抜き地蔵界隈をぶらぶら歩いていたら、シベリアロール発祥の店とあった。シベリアは、羊羹をカステラで挟んで三角に切ったケーキ。明治の末頃に誰かが考え出したらしい。なぜシベリアなのかはいまのところ不明である。羊羹とカステラだからそれなりに手がかかるが、どういう訳かだんだん廃れていったようだ。それでもスーパーなどで、ときどき見かける。最近買って食べてみたが思ったより旨い。シベリアロールは、ロール状にしたのが巣鴨の店の発案ということか。

鹿児島ならではの菓子がいくつかあって、げたんは、あくまきなどは、最初聞いた時にはまるでイメージが掴めなかった。奄美の黒糖もたまに買って帰るが、年寄りに意外に受けたりする。素朴なのが却って滋味深いようだ。

(2019.2.26)

巣鴨商店街のシベリアロール
徳之島の黒糖。天文館の土産物屋

開発は時計回り

東京の開発は時計回りで進むという説がある。たしかに渋谷方面から横浜にかけて私鉄が引かれ、沿線の住宅地整備が進められた。高級住宅地田園調布はその代表である。

さすがに近年、西側には開発余地がなくなり、東側が盛ん開発され始めたようだ。秋葉原はいまや若者のメッカだし、錦糸町、小岩なども駅周辺のビルなどの新築改築ラッシュである。池袋の陰でひっそり大人しくしていた私の住む大塚も、JR駅ビル改築を機に、雰囲気が大きく変わってきた。

鹿児島市は、老舗の天文館が勢いを失いつつあって、中央駅周辺が一大拠点になってきた。飲み屋街も天文館離れが進み、騎射場界隈が学生相手から幅広い客層を開拓するなど、発展途上にあるようだ。店の数も、20年前に比べて倍増してるんじゃないかな。

(2019.2.1)

大塚駅前看板
騎射場・どんぐり横丁

2018→2019

年末年始は、日本列島の全域に大雪が降るとのウワサがある。

正月とかゴールデンウイークとか、人が動くときは出かけないようにしているからあまりピンと来ないが。正月の都心は、車も少なくて意外に心地よいし。

年末、友人と気まぐれで鶯谷の駅近くにある焼鳥、中華屋に行った。どういう理由か、山手線鶯谷駅周辺はラブホテルが蝟集していて、飲屋もその中というか続きというか、一帯にある。年末の昼下がりだが、客は結構入っていて、しかも安い。一角に元三島神社があり、出来たての茅の輪があった。

ずい分以前の鹿児島時代、屋久島で大晦日、初日の出という時があった。たしか、NHKのゆく年くる年に屋久島が出た時ではなかったかなぁ。とすると、たぶん平成4年の12月31日だろう。

大雪の鹿児島元旦ということもあった。大晦日から降り出した雪が、正月にも残り、桜島の雪景色を数日見ることができた。市内の西郷像も雪を被っていた。

(2019.1.4)

平成30年12月27日鶯谷元三島神社 茅の輪
鹿児島 雪の西郷像

大塚のれん街

大塚駅周辺がどんどん開発されていく。思えば、数年前の駅ビルの新築が大きなエポックだった。2年前には、星野リゾートのビジネスホテルが駅の近くにできた。

駅北口の「大塚のれん街」は、つい先日、突然出現した。古民家風の木造の建物に何軒かの飲み屋が入り、それが何棟か連続する。寿司、焼鳥、餃子の店やいわゆる居酒屋など、全部で十数軒はあるようだ。思ったより安く人気が出るかもしれない。

大塚駅は山手線でただひとつの、路面電車と交差する駅である。レトロな感じがいまだに残りそこが気に入っていた。しかし流れには抗せず、今風の町になっていきそうな気配である。

大塚のれん街は、鹿児島の屋台村とほぼ同じコンセプトのようだ。鹿児島の屋台村は人気がありつつ、契約上の都合か何かでなくなってしまうらしい。この屋台村が大受けしたのは、微妙に懐かしい「界隈」の気分が漂っているのがよかったのだろうか。

(2018.11.26)

大塚のれん街
鹿児島屋台村

唄島フェスティバル

10月下旬、奄美大島の「唄島フェスティバル」に行った。元ちとせ、中孝介、里アンナなど、いま売り出し中の若手唄者が勢ぞろいして新曲「懐かしい未来」を歌った。ポップス調の明るい歌で、近日発売とのことである。驚いたのは若手の唄者がどんどん出てきていることで、奄美のエネルギーを感じた。偶然だが、奄美行きの直前、ユーチューブで「We are the world」を見た。マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーがつくり、ボブ・ディラン、ダイアナ・ロスなど、アメリカの人気歌手45人が参加した。アフリカの飢餓と貧困解消のためのチャリティ活動で、CDの売り上げはすべて寄付される仕組みだった。

ところで、今回のイベントの副題は「奄美環境文化祭」である。「環境文化」は、屋久島で取り組んだ地域づくりのキー・コンセプトで、いわば自然との共生のことだ。屋久島以来、広めるべく頑張ってきたが、成果はいまいちであった。それから25年、今回奄美大島に突然登場したのである。それが島唄のイベントであったことが、とりわけ嬉しい。

(2018.10.30)

若手唄者たち
唄島フェスティバルポスター

京大総長

先日、4年前からやっている研究会に京大の山極総長を招いた。ふだんは30~40名の参加者であるが、さすがにヤマギワ人気は高く、70余名が参加した。彼の話はいつも具体的で、さわやかな風が吹くような気分になる。いつかテレビでやった、アフリカのゴリラと二十数年振りに再会する(山極さんと壮年に成長したゴリラの)姿は感動的であった。

鹿児島環境学の旗揚げのシンポジウムは、9年前の平成21年1月に鹿児島大学稲盛会館で開催された。基調講演に山極さんを招いた。

会場一杯、300名の聴衆が、彼の話にグングン惹きつけられていくのがわかる。彼のサル学は屋久島から始まり、のちにアフリカでゴリラの研究をすることになる。

研究会の後飲みたかったが、どうしても新幹線で帰らなければならないという。タクシーで東京駅に行くのを見送った。雨がどんどん激しくなる。

(2018.9.28)

9月20日研究会の山極さん
総長選でキャンパス中に貼られたビラ。研究者内での人気がわかる。残念ながら選出された。

いちごかき氷

暑い。今年は暑い。

全国的には30℃代後半は当たり前で、40℃超もすでにあちこちあるようだ。金足農業のエースもバテるはずである。

むかし小学校で習ったのは、たしか山形市40何度かが日本記録ということだった。この記録はずい分長い間破られなかったのではなかったか。

札幌時代、巨人阪神戦の甲子園球場が37℃と聞いても、まるで実感できなかった。京都に暮らし始めたある日、目覚めたらこれが初の35℃体験だった。泳ぐように近くの喫茶店に行って、ようやくひと息ついた。その35℃が、いつの間にか東京でも珍しくなくなった。

こう暑いとかき氷を食べたくなる。できれば昔ながらの単純なヤツがいい。昨年8月、神田駅近くの喫茶店でかき氷を食べた。オーソドックスないちごシロップのかき氷だった。

かき氷といえば、鹿児島名物の白くまは昭和21年に発明されたらしい。とにかく大きく、彩(いろどり)で、チェリー、レーズン、ミカンや緑の寒天などが刺してある。

(2018.8.23)

神田喫茶店の、いちごのかき氷・500円
鹿児島・無邪気の白くま。これでハーフサイズ

じろう物語

大塚に引っ越してきてすぐだった。自宅裏の路地にひん死の猫がいた。せいぜい生後1ヵ月、獣医に連れて行ったが「とても育たない。これもなにかの縁だから家で看取ってあげなさい」と言われ、ガッカリして帰ってきた。これがなぜか甦って、今年の5月まで14年間生きた。名はじろうという。

茶虎の大型の雄猫だが気はやさしい。前からいた阿蘇出身の10才年上の猫に可愛がられた。4年前、これも駒込の道端の植え込みで拾われた妹猫を、いじめることもなく仲良く暮らした。路地時代にかかった病気のせいか、終生片目だった。室内での生活にとくに不自由はないようであった。家人の引っ越しに付き合って、東京→鹿児島→東京と移動した。鹿児島から戻るときは開通したばかりの新幹線に乗った。大阪乗り換えで7時間かかった。

猫は最初の1年が人間の20年に、その後1年が4年換算で年をとるという。その計算でいくと、14才は72才になる。長寿とまではいかないが、一度は獣医に見放された命だからよく生きた方だろう。

(2018.7.23)

妹猫とじろう
しろくまと寝る

花の6月

6月はいっせいに花開くというが、これはヨーロッパのことだろう。日本は梅雨の盛りで、東京でもこの時期はむしろ花は少ない。札幌は名物のライラックが咲くのが6月で、ライラック祭りも6月にある。北海道は梅雨もなく、ヨーロッパに似た気候のようだ。先日調べたら、イタリアのミラノと日本の最北端・稚内の緯度が同じだったのには驚いた。イタリアは、ヨーロッパでも南にあるという先入観があったし。何年か前、稚内に近いサロベツ湿原に行ったことがある。地元の人が10年に一度と言うほど、エゾカンゾウの黄色い花が湿原一面に咲き誇っていた。あれもたしか6月だったように記憶している。

屋久島は海抜ゼロメートルから2千メートルまであるから、標高順ごとにさまざまな花が咲く。屋久島シャクナゲが咲くのも5月から6月だ。数年前に屋久島の北の吉田集落に、里のエコツアー体験に行った。じつに楽しく、地元の主婦グループがつくってくれた昼食もすこぶる美味しくて大満足だった。

(2018.6.25)

屋久島吉田集落のウツギの花
札幌北大植物園のライラック

村上主義

村上春樹の文庫新刊に、田中一村記念館を見に行った話が出てくる。彼はふだんはアメリカで暮らしているが、世界中の気に入った町に住んで小説を書くらしい。しかし、奄美の田中一村までマークしていたとは… さすがノーベル文学賞候補者だけのことはある(関係ないか)。

5月中旬は札幌にいた。ライラックの花が咲く直前だった。着いた日は暑くどうなることかと思ったが、翌日は一転して寒く震えるほどであった。この寒暖の変化は、いかにも北海道の初夏の気候である。

札幌から戻ってすぐ鹿児島に行った。存外暑くなかったが、桜島の灰が降っていた。むかし県庁に出向していたころはまだ旧庁舎(いまの県民交流センターの場所にあった)にいたが、当時の桜島はしばしば噴火していたような記憶がある。

鹿児島と北海道は縁が深く、北海道開拓長官として辣腕を振るった黒田清隆や、日本初の麦酒醸造所(サッポロビールの前身)を札幌につくった村橋久成は、いずれも旧薩摩藩士である。

ところで、村上春樹の熱烈なファンをハルキストというらしい。本人はこの呼び方はあまり好まず、せめて村上主義者にしてくれと言っている。

(2018.5.29)

村上春樹文庫新刊
サッポロビール工場

さいはて

人間には、「さいはて」志向とでもいうべきものがあるようだ。北と南の辺境に作家や画家が行き、観光その他で人々が追いかける。

明治時代、作家がこぞって北海道を目指した。フロンティアの明るい気分というか、あるいは憧れに近い感覚が北の大地にはあったのだろうか。国木田独歩が東京郊外の里山の風景を書いた「武蔵野」は明治31年の作であるが、その3年前に北海道に行き原生林の中を歩いている。石川啄木は、明治40年の1年間に、函館、小樽、札幌、釧路と転々とした。そのとき、各地でつくった歌がたくさん残る。札幌の大通公園には石川啄木の歌碑・像がある。

南方への、異国情緒、あるいはふる里回帰願望とでもいうのだろうか、南島志向も根強いものがある。林芙実子の『浮雲』は屋久島が舞台である。「屋久島では1と月に35日雨が降る」という一節はあまりにも有名だ。昭和18年、作家の島尾敏雄は特攻隊長として加計呂麻島にいた。そして終戦後も奄美に長く住んだ。日本画家の田中一村は昭和33年に奄美大島に渡り、無名の大島紬の染色工として孤独に死んだ。昭和52年のことだった。

(2018.4.24)

札幌大通公園、石川啄木像
田中一村、大島紬染色工時代

シン・ゴジラ

新宿歌舞伎町にゴジラがいた。ビルの屋上から街を見下ろしている。ぎょっとしたが、よく考えると東宝系のシネコンがあるビルだから、ゴジラがいてもおかしくないかな?

シン・ゴジラという映画が大当たりした。2016年公開。環境省野生生物課の課長補佐が大活躍して日本を救う。首相やその周辺がみんな死んで、この女性課長補佐がいつの間にか課長代理になって、獅子奮迅の働きをする(らしい)。らしいというのは、じつはまだ見ていないからである。

アメリカ版のゴジラ「GODZILLA」というのもあった。1998年公開だから、20年も前のことだったのか。

ゴジラは1954年の東宝映画が初登場である。映画を見た記憶はないが、映画の前に少年雑誌の絵入り小説を読んだ記憶がある。当時はかなり凶悪な怪獣だった。ビキニ環礁の水爆実験で海底から甦ったという設定。たしか、口から放射能の火を吐く。1954年は、遠洋漁業に出かけた第五福竜丸が、ビキニで水爆実験の灰を浴びた年でもあった。

シン・ゴジラでは、野生生物課長(当時)が、課長(つまり自分)は一度も映画に登場せずに死んでしまった、とボヤいていた。

(2018.3.22)

歌舞伎町、ビルの屋上から街を睥睨するゴジラ
日比谷・鹿児島物産販売所「遊楽館」前のゴジラ

俳優 大杉漣

2月22日は猫の日だった。2は(にやん)と読む。昭和62年に制定されたというから、もう30年にもなるわけだ。

環境省の動物愛護管理室によると、日本のペットの双璧は犬と猫で、これまでは犬がやや多いといわれてきたが、この1,2年、どうも逆転しているようだ。ノラ猫などもいて、実数がつかみにくいが、どちらも1千万頭程度と推計されている。

環境省の自然環境局は自然が専門、動物も野生生物を対象としてきたが、平成14年の省庁の統廃合で総理府から環境省に移管してきた。動物なら同じだろうという大胆な理由だったらしい。

近年、猫が増えたのは、何といっても住宅事情が一番だろう。犬、特に大型犬は広い庭でもないと飼えない。散歩もさせなくていいし、猫の方がかなり楽である。

何年か前に、大杉漣がモーレツ人事部長役の映画を見た。新人教育など苛烈を極める男だったが、偶然猫にはまって飼うようになる。インチキ猫を売りつける“もたいまさこ”のズルそうな目付きが絶妙だった。実際も猫好きだったという大杉が、突然亡くなったのは猫の日の1日前、平成30年2月21日のことだった。

(2018.2.23)

猫チョコ
奄美大島、古仁屋の子猫

蒸気製の白くま

都会でも意外とたくさんの動物に会う。犬や猫などペットはもちろんだが、動物の看板やぬいぐるみが氾濫している。

上野は前から街中にパンダがあふれていたが、昨年の子パンダ誕生以来、さらに加速しているようだ。東京都が動物園も経営しているせいか、都営バスにもツシマヤマネコやパンダがいる。

鹿児島では、天文館山之口通りに金属製のサイがいたし、中央駅前のショーウィンドウにはラッコの親子がいた。しかし鹿児島と言えばやっぱり白くまでしょうか。最初は白くまとかき氷が結びつかなかったが。白くま・無邪気は、たしか昭和21年創業と看板にあった。70年経ったいま、東京のコンビニでも白くまアイスを買うことができる。

中原中也の詩に、蒸気の白くまが登場する。「無邪気」のPRに使えないかと、密かに考えているが…

「初夏の夜」

また今年(こんねん)も夏が来て、

夏は、蒸気(じょうき)で出来た白熊が、

沼をわたってやって来る。

―色々のことがあったんです。(後略)

中原中也 昭和10年

(2018.1.19)

都バス・パンダ
鹿児島・白くま

忠犬ハチ公

東大に忠犬ハチ公像があった。ハチ公没後80周年の2015年につくられたらしい。ハチ公といえば渋谷であるが、東大では飼い主も登場している。

秋田犬ハチの飼い主は東京帝国大学教授の上野英三郎。農業土木の草分けで当時駒場にあった農学部に通っていた。出張する時は渋谷駅から出かけ、いつもハチが見送った。

ハチは1923(大正12)年に生まれてすぐ上野宅に来た。犬好きの上野はたいへん可愛がった。しかし1925年に上野は急逝する。出張に出かけたと思ったハチは、以来10年間11才で亡くなるまで駅で主人の帰りを待ち続けた。

渋谷のハチ公像は1934(昭和9)年に立てられた。除幕式には本人、つまりハチも出席した。その翌年に死んだ。

駅で待ち続けた10年間の、前半はけっこう邪険にされたという。美談になったのはその姿が新聞で紹介されてからで、忠君愛国の時代風潮も後押しした。プロレタリア作家の小林多喜二が特高に虐殺されたのは1933年のことである。

犬といえば、上野の西郷像も犬を連れている。この犬は薩摩犬という小型の猟犬で、ウサギやイノシシ狩りによく連れて歩いた。むかしの屋久島には屋久島犬がいて、農作物を狙うサルなどを追い払っていたという。その屋久島犬もいまはもういない。

犬はもっとも古いペットあるいは家畜である。おおよそ1万5千年ほど前には人と暮らしていたというから、人間との付き合いには年季が入っている。

(2017.12.27)

東大・上野博士とハチ公
渋谷・忠犬ハチ公象(昭和23年に再建された2代目像)

走る男

飛行機での旅行が重なると窓からの風景にも飽きて、降りるのに便利な通路側に座ったりする。先日鹿児島行きの便で、久々に窓側に座った。そろそろ富士山がと思ったら、すでに眼下に迫っている。あわててカメラで撮ったのがこの写真である。こんなに近かったかなぁ、富士山。雪の被り具合もなかなかいい感じだ。

俳優で監督の伊丹十三に「走る男」というエッセイがある(日本世間噺体系 文春文庫)。全席指定なのにとにかく全速力で走る男がいる。これが例外なく窓際に座る。配られたおしぼりのビニールをパンと音をたてて破り、ただし飛び始めると必ずといっていいぐらい寝てしまう。昭和40年代の高度経済成長期の男の典型、こんな奴がたしかにいた。そもそも当時は機内で煙草が喫えたし、サービスの新聞や週刊誌もあった。あれはいつ頃からなくなってしまったのだろうか。

富士山が見えた便の、鹿児島空港着陸直前に黒い機影が見えた。高度が下がるに連れて影もどんどん大きくなる。

(2017.11.20)

冠雪の富士山
着陸寸前の撮影

西郷どん

東北への玄関口、上野の山、花見、新幹線、博物館美術館などなど、上野のシンボルはたくさんあるが、最近はパンダだろうか。子供が生まれてからとくにその傾向に拍車がかかっているようだ。しかしここにきて、西郷人気が盛り返してきた気配がある。来年、明治維新150年を迎えることもあるだろうが、来年NHK大河ドラマが「西郷(せご)どん」であることのインパクトが大きいようだ。本屋に行くと西郷関連本が平積みされている。

上野駅からすぐ、アメ横の入口近くに「立ち呑みさいごう」という店がある。前から気になっていたが、先日、思い切って入ってみた。思ったより居心地がよく店主の愛想もいい。元は立ち呑みだったのを改良したのだろうか、椅子とテーブルもある。生ホッピーが売りで試すとたいへん飲みやすい。店名の由来は、鹿児島出身者だからなのか単なるファンだからなのかは不明である。

(2017.10.26)

立ち呑みさいごう・看板
上野駅・パンダ人形

不思議な人々

東京は人が多い分だけ変な人が多い。先日も錦糸町駅近くの大きな本屋で、アメリカの猟師みたいな毛皮帽と服の男に出会った。高田馬場駅では、70代後半・かなりデブの爺さんが、セーラー服に白髪のお下げ髪でJR改札口横に堂々と立っていた。もしかすると幻だったのではないかと思えるぐらい不気味な風景だった。あまりに驚いたので写真はない。

自宅近くのJR大塚駅界隈でもいろいろな人を見る。駅近くの医療専門学校の生徒とよくすれ違うが、ほぼ全員アジア系の外国人である。ときどき中近東系がいるが、日本人と欧米系の白人は見かけない。何を教える学校なのかはよくわからない。

この夏には麻の着物を来た男をよく見た。30代後半ぐらい、左手の小ぶりのカゴには煙草などが入っている。どういう職業で、どこに向かっているのかは不明である。見かけるのは土日が多い。一度タキシード姿を見たような気がする。猫ストッキングの女性は20歳前後と若かったような気がする。ブーツだから冬だったのかな。この人は残念ながら一度しか見ていない。

鹿児島はこの手の人間にはほとんど会わないように思う。もしかすると危ない奴は、早めに東京や大阪に送り込んでいるのだろうか。

(2017.9.20)

麻の着物の男性
猫ストッキングの女性

東上野コリアタウン

7月末東上野のコリアンタウンに行った。最近知ったことだが、東京でもっとも古いという。上野駅から歩いて数分とごく近い。アメ横の雑踏を抜けるとすぐ、しかし人はまばらであった。焼肉屋などのごく小さな店が数十軒ある。有名な大久保通りなどより前からあるらしい。

8月1日から屋久島へ。さすがに夏で35℃と暑く、夜になってもなかなか気温が下がらない。夏の出張が疲れるのは暑さよりもむしろ温度差で、羽田空港などは妙に生暖かく、乗物、建物内は意外と寒かったりする。夏休みだから子供連れも多くて騒がしいし。

3日は奄美の写真家浜田太さんの国際賞授賞式が池袋であり、パーティに参加してきた。アジア地区の自然写真家が対象とのこと、11月にはアメリカのスミソニアンでも授賞式があるとか。アマミノクロウサギの授乳する姿・動画が、審査員の心を打ったようだ。

(2017.8.7)

屋久島空港口永良部島ポスター
受賞記念パーティ、真ん中が濱田さん

かつ丼

突然、かつ丼が食べたくなることがある。しかし、長いことおいしいのは食べてないなぁ。かつ丼はどこにでもあるが、これだというのにはなかなか巡り合わない。阿蘇時代、国道57号線沿いのドライブインでもの凄いかつ丼を食べたことがある。薄い汁というよりお湯が丼の半ばまで浸していて、じつに恐怖だった。あれほどまずいかつ丼は空前絶後である。もっとも周りを見わたしたところでは、かつ丼なんぞ注文している客はいなかったが。天丼、親子丼、かつ丼などの丼物はそもそも関東のものなのか、関西ではいまいちだったような記憶がある。

国分がまだ国分市だった頃、「こけし」というかつ丼屋に行った。かつ丼、カツカレーなどの店だった。かつ、玉子、玉ネギ、ご飯など、それぞれの大盛がある。ダブルカツスーパーというのが、全てが倍のものだっただろうか。文化の熟度は多様性にあるとの説に従えば、鹿児島国分・かつ丼の文化性は日本一かもしれない。

(2017.7.10)

東京・西荻「坂本屋」のかつ丼
国分「こけし」メニュー

日光・田母沢別邸

1年ぶりに日光へ行った。今回は田母沢別邸、―つまり大正天皇の夏の別荘ですねーを見物してきた。この別荘は全体で千数百坪あるらしく、じつに広大である。日光は標高が500から600メートル、さすがに涼しく風が心地よい。このところの東京は急に暑くなってきたところだから、なおさらである。むかし阿蘇のカルデラに住んでいたことがあるが、ここも夏は涼しかった。阿蘇はカルデラの底でも標高500メートルほどあって、日光と同じくらいである。

その数日前は、縄文杉発見50周年のイベントに呼ばれて屋久島にいた。屋久島は南の海に浮かぶ島で鹿児島市より暑いと思われているが、実際は市内よりかなり涼しい。夜などは肌寒いぐらいである。海風もあるがむしろ山から風が吹く。九州最高峰の宮之浦岳1936メートルから、冷たい風が下りてくる。


田母沢別邸・ふすま絵(猫)
屋久島・縄文杉発見50年

今年のサクラ・その2

今年のサクラの開花は、全国的に遅いようだ。札幌はついこの間まで雪があった。3月末に鹿児島に行った。甲突川の桜並木は蕾もまだ固かったから、今年の鹿児島の開花は遅れたことだろう。

4月6日現在、東京都心はほぼ満開の気配である。4月4日、所用で上野に出かけた。週日の午後だというのに花見客でごった返している。サクラの樹の下の青シートは宴会の集団が占拠し、さらに新手の見物客が続々と集まってくる。歩くのにも苦労した。上野という花見の名所のせいなのかどうか、飛び交う言葉を聞くと、花見客の半ば以上が外国人だったようである。

考えてみると、花見は日本独特の文化、習俗かもしれない。その日本でもせいぜい関東あるいは関西の、それも近世以降に始まったもののようである。サクラは徒然草や西行の歌にも登場する。しかしこれは、いまのいわゆる花見とは違い、もう少し孤独で文学的な行為だったと思われる。

(2017.4.19)

鹿児島大学正門横
伝通院。ここに家康生母の墓がある。

サクラ、あるいは猫

どこかで梅でも見ようかと考えているうちに、サクラの開花に行き当った。東京の東の、錦糸公園である。早咲きの河津桜のようだった。昨年はたしか梅とほぼ同時咲いていたが、今年はなぜか桜が早い。桜の開花には1,2月の低温が必須条件で、暖かければ咲くというものでもないらしい。2年前に上野の科学博物館館長室で鉢植えのサクラを見た。ここ数年中では、この花が一番記憶に残っている。

大塚のよく行く本屋にネコの特設コーナーがあった。文庫本だけでもかなりの数があり、つまりそれだけ猫の本が出版されているということだろう。猫ブームもついにここまできたかと感慨深い。十何年か前、霞が関の役所を統廃合したときに、それまで総理府がやっていたペット関係の仕事を環境省が引き取ることとなった。犬猫も生き物だからというアバウトな理由で、当事者としては複雑な心境だった。

いまはどうか知らないが、鹿児島大のキャンパスではよく猫を見かけた。少なくとも十数匹はいたようである。夕方、構内で犬の散歩をさせている人が結構いた。夜陰にまぎれて猫に餌やりに来る人もいた。

(2017.3.6)

大塚・山下書店の猫本コーナー
上野・科学博物館館長室・サクラ

上野アメ横

所用で上野からアメ横へ行った。上野界隈は月に何度か行く。松坂屋デパートがあるしヨドバシカメラもあって、なにかと便利である。ちなみにアメ横とは、御徒町と上野駅の間500メートルに400の小さな店が連坦する商店街だ。魚介、乾物、衣料、雑貨屋が多い。雰囲気は焼け跡闇市風で、まさに戦後にできていまに至っているらしい。

少し時間があったので、御徒町からアメ横、上野駅近くまで歩いてみた。アメ横自体はほとんど変わっていないが、まわりに屋台風の居酒屋が増えているのには驚いた。鹿児島中央駅前の屋台村とは違って、1つ1つが大きい。店の前に椅子、テーブルが並べてあったりする。流行っているのは、開放的な雰囲気が好まれているのか、やっぱり安いからなのか。上野駅近くには「さいごう」という店もあった。何といっても上野は西郷だし。この店は立ち飲み屋だが、テーブル席も少しあるようだ。

写真の「大統領」という店はいつからあったのか不明だが、4時前だというのにほぼ満員である。外から見た感じでは、リタイア組のオジサンではなく、若い客が多いようだった。

(2017.1.27)

居酒屋大統領
松坂屋地下・いちご。1個300円はあんまり!

築地市場

12月半ば、築地市場に出かけた。ここも今年が最後になるかもしれないし。というか、例の騒ぎがなければ、11月にはすでに豊洲に移転しているはずだった。

土曜日ということもあって、思ったよりずっと人が多い。そもそもこの時期は人が多いのか、あるいは私と同様に今年限りの気分で来たのだろうか。中国人観光客が多いのにも改めて驚いた。中国への土産物には生鮮食料品はあまり向かないようにも思うが、定型の観光コースになっているらしい。昼食などとるにはいいのかな。

市場の面白さは、地域の経済や生活がストレートに感じられるところにある。いわゆる観光施設での情報には何かしらの「よそおい」あるいは「意図」が感じられるが、そうした感じは市場にはほぼない。

「時代」だからまあ仕方がないが、鹿児島中央駅前の朝市が少しずつ小さくなってきたのは寂しいことだ。たまに行ってみると、おばあさんが道端で松の枝や花、漬物を売っていたりする。

(2016.12.26)

築地には昆布塚もある
鹿児島中央駅前・甲南通り

銀座の白くま

11月の東京はクリスマスと正月が混在する。つい先日まで大騒ぎしていたハロウインは、もう影も形もない。上野駅構内に大きな熊手があった。最近は毎年出ているようである。

銀座を少し歩いた。それなりにクリスマス・モードだったが、まだ日があるせいか全体にやや地味目の印象である。あるいは今年という年が、そもそもそういう気分なのかもしれない。あちこちで工事中のところが多く、銀座も大きな変わり目のようである。

銀座の街はデパートがわかりやすい目印で、三越、松屋、松坂屋が銀座本通りに面している。その一角である松坂屋は現在閉店して大規模工事中である。なんでも高層の総合ビルになり、デパートはなくなってしまうらしい。

鹿児島の天文館では、電車通り沿いのタカプラから永田シロアリまでを再開発、ホテルその他の総合テナントビルにすると聞いた。ここのところ、中央駅アミュと郊外のイオンに押されて天文館はやや地盤沈下しているという。老舗繁華街のV字回復第1弾になることを期待したい。

(2016.11.22)

上野駅構内大熊手
銀座4丁目 和光・巨大白くま

はまなすの丘海浜公園

10月半ば北海道石狩市へ行った。札幌の近くだからよく知っているようで、じつはあまり知らない。子供の時は海水浴に行ったような記憶がある。むかしは石狩町だったがいつの間にか石狩市になっている。

石狩市の南は小樽に接し市の最北は浜益(はまます)で、南北80キロと日本海に沿って長い。浜益の北に増毛町がある。この一帯は陸の孤島で、「増毛―雄冬」間の国道が開通したのは、なんと平成4年のことだ。それまでは雄冬への交通は船か山道しかなかった。

昭和54年に「駅STATION」という映画があった。その舞台が増毛だ。雄冬の実家に帰ろうとする高倉健が、吹雪による欠航で増毛に泊まる。増毛駅前の居酒屋の女将が倍賞千恵子。大晦日に2人で紅白歌合戦を見る。店に流れるのが八代亜紀の舟唄だった。倉本聰原作、降旗康男監督。

石狩市の南、小樽にまたがる広大な石狩新港の一角に海浜公園がある。矮性のはまなすがたくさん自生していた。遠くに見える石狩灯台は明治41年建設と古く、木下恵介の映画「喜びも悲しみも幾年月」(佐田啓二、高峰秀子主演)の舞台になった。

江戸時代から明治半ばにかけて盛んだった北前船は、カズノコや鰊など北海道の海産物を日本全国に大量に流通させた。薩摩藩は北海道の昆布を入手して琉球経由で中国にまで売り、大いに潤ったという。

(2016.10.30)

石狩市海浜公園。小さく見えるのが石狩灯台
浜益番屋。鰊の加工場だったが、いまは博物館になっている

肉食系女子会

天文館に花椿三十郎という看板があった。新しくできた居酒屋らしい。表から見た感じでは、サラリーマンや学生向きの店だろうか。黒澤明の映画「椿三十郎」から取った名前のようである。封切られたのは昭和37年、半世紀も前のことだ。たしか正月に札幌の映画館で見た記憶がある。三船敏郎の椿三十郎と、仲代達也扮する室戸半兵衛との決闘シーンが迫力だった。当時は映画の全盛期だったが、なかでもこの映画はダントツの収益を上げたはずである。

池袋にときどき買い物に行く。自宅の大塚から山手線でひと駅と近いし、デパートや大型の本屋、名画座などもあって便利である。たまに友人と待ち合わせて飲んだりもする。先日は、池袋サンシャインビル近くの映画館で「後妻業の女」という映画を見た。大竹しのぶの悪女振りが評判だった。

先日池袋の西口を歩いていたら、飲食店などがたくさん入っている雑居ビル1階の焼肉屋に「肉食系女子会」の貼り紙があった。草食系男子の反対が肉食系女子で、最近、ますます女子強大化の傾向が際立ってきたようである。

ところで、いまどきの若いサラリーマンや学生、椿三十郎なんて映画、知ってるのかな?

(2016.9.26)

天文館・居酒屋「花椿三十郎」
池袋・焼肉屋貼り紙「肉食系女子」

ハマナス

東京大塚の自宅から100メートル足らずのところに、ダチュラの花が咲く。樹高2メートルほどの木に、黄色い大きな花がたくさん咲いている。ときどき白い花もある。木はたまに行く蕎麦屋の敷地にあり、隣は有料駐車場になっている。いかにも南方の花の風情で、原産はブラジルだという。調べてみると、ダチュラとは同じ属の1年生草本を指し、この木はエンゼルトランペットということである。

この花を始めて見たのは二十数年前の屋久島である。本土にはなかなかない、インパクトのある花だった。屋久島は亜熱帯だとつくづく感じた。

8月24日は札幌にいた。ハマナスの花を見たかったがなかなか行き会えず、郊外でようやく見つけた。ハマナスは濃いピンクの花のものが多いが、白い花もあるようだ。中学生の頃、網走のオホーツク沿岸の砂浜に群生しているのを見たことがある。あれはたしか夏の終わり、今ごろの季節だったと思う。赤い実をたくさん取った記憶がある。

(2016.8.31)

札幌郊外、ハマナスの花と実
大塚のエンゼルトランペット

よか晩や

自宅近くに飲み屋がオープンした。扉に「よか晩や フロムさつま」とあるから、鹿児島出身者の店らしい。さつま揚げが出るようだ。当然イモ焼酎もあるだろう。この場所にあったスナック風の店はいつの間にかなくなって、「よか晩や」はその後継である。

大塚駅近くにインド料理の店がオープンして半年になる。まるで流行っていない。インド人とおぼしき店主・調理人がいつも外を眺めている。これが逆効果で、却って入りにくい感じになっている。この場所は、蕎麦屋、居酒屋と変転してきた。この手の店の、立地と流行り方には法則があるように思える。

最近東京では昼飲みが流行で、店も11時ぐらいから始めるところが多くなった。むかしはビアホールぐらいしか、昼からやっている店はなかったものであるが。昼から飲んでるのは、さすがにリタイア組らしき男のグループが多いが、最近は若い層も結構来るようである。

「よか晩や」は、自宅から10メートルとあまりにも近く、さすがにまだ行ったことはない。

(2016.7.26)

大塚・「よか晩や」扉
赤羽・まるます屋。超人気店、土曜の午前11時過ぎにはこの状態

日光東照宮

友人に誘われて日光のシンポジウムに出かけた。池袋から東武日光駅まで2時間かからない。JRと東武電車が乗り入れてたいへん便利になった。土曜日ということなのか、季節のせいか、日光市内から日光東照宮はかなり混雑ぶりだった。どこかで茶会でもあるのか和服姿もあちこちにいる。

シンポジウムは、日光市立美術館(小杉放菴美術)であった。この美術館は地元の画家である小杉放菴の絵と、国立公園ごとに有名画家が描いた絵が80点ほど所蔵されている。国立公園絵画には、坂本半繁二郎の阿蘇・根子岳や林武の十和田湖などがある。

時間が少しあったので東照宮周辺を歩いた。遠足の小学生の集団がいた。東照宮はさすがに人があふれていたが、ちょっと裏道に入るとたちまち誰もいなくなる。東照宮前に看板があった。東照宮の標高(この看板設置個所)は634メートルあり、東京スカイツリーの高さと同じらしい。面白い発想である。どういう意味があるかと、聞かれても困るが。

国立公園絵画には、鹿児島も当然いくつか登場する。霧島、桜島、屋久島などがある。

(2016.6.27)

日光東照宮・標高634m
国立公園絵画「桜島」原精一 1967年

玉子塚

東京築地市場の近くまで食事に出かけた。少し時間があったので近くの波除(なみよけ)神社にいった。波除という名称は、おそらく江戸時代に埋め立てた土地だからだろう。

ごく小ぶりの神社の一隅に玉子塚なるものがある。玉子型の石に注連縄が捲かれていた。築地市場には全国から生鮮食品が集まるが、魚や肉ではなく「玉子」を祀るというのが面白い。魚や牛豚の鎮魂碑もどこかにあるのだろうか。

知らない町にいき、時間があるときには市場にいくことがある。名所旧跡を漠然と見るより、地域の気配がよくわかる。京都の真ん中に錦小路という有名な市場があるが、最近は観光客が溢れて商売はいまいちだと地元の人はぼやいていた。

鹿児島では中央駅前にある朝市によく行った。ごくせまい場所に、ごちゃごちゃと野菜やつけ揚げなどを並べていた。指宿方面専用の建物もあって、実エンドウ、花などを見た記憶がある。先日いったが、指宿専用はすでになく、一番大きかった市場は広い駐車場に変わっていた。

(2016.5.23)

築地場外「玉子塚」
鹿児島中央駅前朝市「指宿線」

阿蘇地震

一瞬、ぐらっときた。日比谷公園近くの、ビルの17階で食事中だった。時間は夜の9時半を過ぎたころである。大したことはないと思ったが、思えばこれが熊本地震だった。

阿蘇のカルデラの底に3年いた。平成7年から10年までのことである。当時は、環境省の九州統括事務所が阿蘇にあった。阿蘇神社は住宅から500メートルと近く、遊びに来た友人などとよく行った。熊本城の石垣が崩れたのにも驚いたが、阿蘇神社の楼門の崩壊はさらに衝撃だった。

平成5年8月6日の鹿児島水害のときは県庁にいた。旧庁舎に一晩閉じ込められた。阪神大地震は、環境庁の水質保全局にいて、対策や復興のいわば当事者でもあった。私の個人的体験だけでも、こうしてしばしば災害絡みであるのは、この国が災いかに災害大国であるかを示している。

東北大水害から1年半後に、宮城から岩手を見て歩いた。まだ災害が生々しくそこにあった。

(2016.4.28)

地震で崩壊した阿蘇神社楼門
陸前高田、陸に取り残された漁船

ハリガミ考現学

むかし路上観察学会というのがあった。路傍のなんのヘンテツもないものを探し出し取り上げて、みんなで議論して遊ぶ。意味不明のとにかく妙な看板を探すとか。事象へのユニークな視点に味があった。学会員は、芥川賞作家の赤瀬川源平、イラストレーターの南伸坊、建築史家の藤森照信などなど、そうそうたるメンバー、まあしかし冗談学会です。そのテーマのひとつに、南伸坊・ハリガミ考現学という、町中の不思議なおつに、南伸坊・ハリガミ考現学という妙な、しかし味があるハリガミを集めるというのがあった。たしか、厚めの文庫本になっていたはずである。

そう思って周りを見渡すと、自宅から駅までの、たかだか4,5百メートルの間にも結構あるもんです。普段はまるで気がつかないのだが…

① 焼き鳥屋の前にあった通告。しかし、いくら暑いからって、修理せずに店を休むかなぁ。流行ってたのに。

② スナックの募集ハリガミ。20から40歳とは、なかなかアバウトでいい。界隈にやや古い感じ(ママも?)のスナックが何軒かあるが、つぶれもせずに営業している。客層は不明。

③ 気がついたのは最近だが、やや古いポスターかもしれない。まだ、生きてるのかな、この内容。需給関係が怪しい気配である。詐欺の一種ってこともあるのか。

④ 行方不明の、たぶんまだ子猫。晩年の内田百閒に「ノラや」という随筆がある。可愛がっていたネコの「ノラ」がいなくなり、百閒が必死に探し回る。結局見つからない。

⑤白くま・スムージー。白くまは、鹿児島が生んだ国際的?ヒット商品である。昭和25年に商品化されたらしいが、いろいろ進化してるようだ。

(2015.8.24)

①焼き鳥屋休業
②スナック・ホステス募集
④有閑夫人
③行方不明ネコ人相書
⑤鹿児島中央駅前南国ビル・白くまスムージー

純喫茶、和さんのこと

むかしはあちこちにあった「純喫茶」を、最近はさっぱり見なくなった。その理由の第1は、チェーンの安いコーヒー店が激増してからでしょうね。もっとも、純喫茶を駆逐したコーヒーチェーンも、コンビニの100円コーヒーに追い上げられているというが。純喫茶なるものを東京で探してみたが、隅田川を渡った東のはずれの道路沿いに1つ上野駅の裏筋に1つ、ようやく発見した程度でほぼ絶滅に近い感じである。鹿児島では中央駅横にある「門」というのが近いが、この店には純喫茶の文字はない。そもそも「純」喫茶とは、アルコール類を出さない店ということだったらしい。女給付きカフェの全盛期は昭和初めだから、その頃純喫茶も出現したと思われる。いまもその定義が生きているのかどうかは不明であるが。

純喫茶「ヒロ」
純喫茶「丘」
鹿児島中央駅前喫茶「門」

鹿児島環境学の事務を一手に引き受けていた和さんが、この8月で勤めてから丸6年の任期を満了し、今月いっぱいで辞めることになるらしい。事務だけでなく、環境学本に載せたデータの、とりわけ私の論文のかなりの部分は彼女の作業の成果である。奄美や徳之島のシンポジウムや、種子島の視察など、あれこれ一緒にやりました。和(にぎ)という姓は、彼女と知り合わなけれ多分一生知らなかっただろうなぁ。

(2015.8.17)

徳之島フォーラム受付

小豆島の猫

小豆島に三毛猫がいた。島の中央、中山地区にある千枚田という棚田を眺めていると、足元にじゃれついてきた。人間にかなり慣れているから、たぶん近くの飼い猫だろう。ここには棚田の他、農村歌舞伎も残っている。歌舞伎は、一昨年、東京の明治神宮に出張して演じたのを見た。東京小豆島会なるものの催しの1つだった。

東京大塚の自宅近くは猫が多い。この一帯は年寄りも多いので、その関係もあるのだろうか。あるいは都会は年寄りに限らず孤独だから、ペットに依拠する気分になるのかもしれない。自宅裏の道で、ときどき会う黒猫の兄弟がいる。半ば飼い猫なのかおっとりしている。大塚駅への道や、その反対方面のスーパーへの道に、飼い猫、半飼い猫を合わせて、延べ20匹はいると思われる。

東大前の本郷通に山猫軒というレストランがある。カレーが何種類かあり、スパゲッティもあったかもしれない。昼飯に手頃なので何度か行った。想像通り、宮沢賢治の童話からの命名のようで、店内にそれらしき絵が飾られていた。雰囲気は落ち着いていて、なかなか好感が持てる ―

鹿児島大学に赴任してすぐ始まったのが、大河ドラマ「篤姫」(平成20年)である。たいへんな人気だった。平成2年に県庁に出向してきたときには、これも大人気の「翔ぶが如く」が放映中で、どうやらNHK大河ドラマと縁があるらしい。

(2015.7.3)

小豆島の猫
大塚の黒猫兄弟
山猫軒
垂水人形・篤姫と猫

某月某日その3

ざくろの花

ざくろの花が咲いた。やや濃い目のだいだい色で、小さな緑の葉が密集した木に咲く。花も小さく、秋になるとあの赤い大きな実がなるのが不思議である。日本には平安時代に中国経由で入ってきたという。近頃八百屋で巨大なざくろを見かけることがあるが、あれはカナダ産だったかな。

ライラック

ちょうど今ごろ、札幌ではライラックが咲く。これもたぶん北米から渡ってきたのだろうか。日本自生のものもあって、ハシドイという。北大植物園や、最近では札幌郊外にライラック公園なるものまでできた。それらを見るとじつにたくさんの品種があるようだ。本来北のものらしく、東京ではほとんど見かけない。


ほおずき市

7月は浅草ほおずき市だ。たしか7月の9日から10日だった。この日浅草寺にお詣りすると、1回で4万6千日分の御利益があるという。ほおずき市は全国あちこちにあるが、浅草がもっとも大規模で華やかである。浅草で売っているほおずきは、鉢植えが茨城、切り花は九州宮崎あたりから来るという。

口永良部島

6月初め屋久島に行った。屋久島の12キロ先にある口永良部島の新岳が大噴火して、137人の島民全員が屋久島に避難した。現地はマスコミが溢れて大変だった。今度の噴火では9千メートルの噴煙が上がったというからすごい。桜島の噴煙はせいぜい2千メートル、大きくても4千メートル規模だから、今回の噴火の大きさがわかる。もっとも7300年前の鬼界ヶ島海底火山の爆発では、30キロ南の屋久島はもちろん、南九州全域が60センチの火山灰に覆われたという。

(2015.6.10)

南大塚・ざくろの木
北大植物園のライラック
浅草ほおずき市
屋久島いなか浜から見た口永良部島

かごしま遊楽館

東京の有楽町にあるから「遊楽館」というのだろうか。場所がいいこともあって、鹿児島県の物産館、アンテナショップである「かごしま遊楽館」は大人気のようだ。近くに帝国ホテル、東宝劇場、霞が関の官庁街からも昼飯圏にある。

全国の県はだいたい東京に物産店を持っているが、見たところ、北海道がダントツ人気である。次いで京都、沖縄などの人気があるようだ。各県たぶん1ヶ所程度の出店だが、北海道はプラザはあちこちにある。震災後、最近とくに福島の観光、物産のポスターが目につくが、福島館はどこにあるのか行ったことはない。

遊楽館は1階が物産販売、2階が黒豚しゃぶしゃぶの店、3階が工芸品どの展示場となっている(らしい)。3階には行ったことがない。立地が抜群だからビルの賃貸料も高く(たぶん借りてるのかな)、最初に出店するに当たっては賛否があったというが、結果は大成功のようである。2階のしゃぶしゃぶ店は鹿児島の新興勢力で、鹿児島はもちろん、あっという間に全国展開した。何年か前、札幌駅ビルのレストラン街で偶然見かけ、驚いたことがある。

(2015.5.7)

かごしま遊楽館正面
ゴジラ越しの遊楽館
遊楽館内部
有楽町交通会館内の北海道どさんこプラザ

屋久島財団寄付募集

昨年半ばから屋久島環境文化財団にかかわることになった。

で、今回のブログは、寄付募集の宣伝。

日本の法律もどんどん進化して、とくに寄付については税制がたいへん改善されてきた。欧米に比べても、税制上はいまやそん色ないまでになった。

屋久島の財団のように公益財団法人に寄付すると、アバウトに言えば、寄付した金額の9割ぐらいは戻ってくる。つまりふるさと納税と同じ仕組みですね。

行政や企業ではなく、屋久島財団にしかできないことは何だろうか。試案は継続中だが、今回は寄付募集のチラシを全国にたくさん配ろうという作戦。これは屋久島財団を、全国的に知ってもらうことも大きな狙いとしている。

いったいに日本社会は寄付に消極的だといわれている。あちらはキリスト教、利他主義の伝統が社会の根底にあるから等々諸説あるが、まあ、貧乏だったんでしょうね日本は、明治以来ずっと。しかし最近、私の関係している自然保護団体に、突然10億円の寄付があったりした。世の中、変わってきたのかもしれない。

(2015.4.6)

※関心のある方は下記ボタンをクリック↓
寄付募集チラシ(表)
寄付募集チラシ(裏)

富嶽三十六景

富嶽三十六景は、江戸時代の天才版画家葛飾北斎の代表的作品である。大波の向こうに見える小さな富士、などの大胆な構図は彼ならではのものである。

富士山には月見草がよく似合うといったのは太宰治。彼は山梨県天下茶屋滞在中に、黄色い月見草越しの富士を見て書いた。ただし月見草は薄紫の花で、黄色いのは待宵草(まつよいぐさ)である。どちらも明治初めに入ってきた外来種で、よく混同される。

最近は東京からも富士山がよく見えるようになった。冬は空気が澄んでいるせいか、とくによく見える。羽田空港行きのモノレールから、意外と大きい富士山を発見して驚くことがある。飛行機上から雲の上に浮かぶ富士山もまた、独特のものだ。富士山は日本でもっとも高い山で、標高3776メートルある。飛行機は1万メートル前後の高さを飛ぶから、富士山をはるかな高さから見下ろすことになる。

日本人は富士山が好きだ。これまでわが国の画家にもっともよく描かれてきた山は、断然富士山だろう。地域の山を富士山に「見立てる」ことはかなり昔から行われてきたようだ。この地域富士は、一説には400近くあるという。

(2015.3.11)

マツヨイグサと富士山
機上からの富士山
蝦夷富士・羊蹄山ホルスタインが北海道らしい
夕焼けの薩摩富士・開聞岳

デフレの正体

アベノミクス効果とやらで、世間の一部は好況らしい。株価や求人の数字は好調だという。しかし末端ではまた別の、むしろデフレの継続ともいうべき動きがあるようだ。

近くの飲料自販機の値段はどんどん下がって、いまやコーヒー100円が普通になった。消費税増税でいったん上がり、130円や110円が見られたが、現在は100円域が拡大しつつある。自販機の値段は設置者と販売会社が相談して決めると聞いたことがある。

東京でのマッサージ店の増加は著しい。ストレスや運動不足で肩凝りが増えたのか、東京に特に多いように思える。これも最近60分3千円を切るところが出始めた。これまでの相場は1時間6千円超だから、ほぼ半額になったわけだ。

近くに指圧、マッサージの専門学校があって、生徒とよくすれ違う。ほとんどアジア系外国人で、なぜか日本人と白人は見あたらない。中近東系も近頃散見されるようになった。毎年数十人は卒業していくのだから、マッサージ店の競争は激しくなる一方だろう。

駅前には牛丼屋、中華チェーン店があり、ハンバーガー店も3つほどある。牛丼だと400円もかからずにとりあえず満腹になる。中華、ハンバーガーも安いものを選べば、500円で昼飯はすむ。先日行った屋久島の外食は昼でも800~900円が相場で、500円以下はないとのことだったから、大都会の方が選択の余地があるのも皮肉なことである。

(2015.3.4)

80円コーヒー自販機
オール100円!
大塚駅、2980円マッサージ
吉野屋、日高屋。この2店はいつも混んでる。

屋久島

昨年5月から屋久島の財団に縁ができて、屋久島にときどき行くことになった。しょっちゅうは無理だが、頑張って2ヶ月に1度程度、次は3月上旬に行く予定である。

20年振りの島は、変わったところと変わらないところがある。たまにしか見ないとその変化がよくわかる。総合病院ができたのは地元にとって最大の変化だった。外食店などもポツポツ新規開店していて、先日は韓国料理店で昼飯だった。まだ出来て2年らしい。

屋久島にはモスバーガー店がある。ファーストフード店は人口規模というか経済圏がある程度大きくないと出店しない。全国を見た感じでは商圏最低5万人からだろうか。鹿児島でいうと奄美大島にはあるが人口2万5千人の徳之島にはない。

人口1万4千足らずの屋久島では成立しないはずだが… 観光客目当てなのか、オーナーの意志なのかなぁ。

この季節はさすがの屋久島にも花がない。四季咲きのハイビスカスはあったが、むろん自生種ではない。

少し前、宮之浦港に高速船で着いたら、美人が歩いていてぎょっとした。韓国テレビドラマの撮影だったらしい。

(2015.2.16)

平成25年世界遺産20周年に参加した壇ふみさん
韓国料理店昼食
旧西部林道沿い・ヤクザル
韓国女優・宮之浦港

タバコをめぐる状況

タバコをめぐる状況が大きく変わったのは、20年ほど前だっただろうか。自治体が次々と禁煙条例をつくり、嫌煙の動きはどんどん拡大してきた。東京も23区の主要部分はほぼ全滅じゃないかなぁ、路上喫煙は。

戦後の映画を見ると、邦画洋画にかかわらず出演者はじつによくタバコを喫う。ハンフリー・ボガードも高倉健も、女優の淡路恵子なども、かっこ良く喫煙っていた。嗜好というより一種のファッションだったんでしょうね。いまや喫わないのがファッションだけど。

大学での喫煙はほぼ全滅で、建物内はもちろんダメだし、キャンパスの片隅のわかりにくいところに細々と喫煙所がある。ちなみに大学では飲酒にも厳しくなりつつあって、大学祭ではほとんどの大学が禁酒になっている。数年前に鹿児島大学が学園祭が禁酒になって驚いたが、東大その他の大学もそうなったのはこの2,3年のことだろう。フツーのレストランは禁煙がいまや大部分、どうかすると飲み屋でも禁煙のところが増えつつある。

池袋駅前喫煙所、豊島区役所とあるが、たばこ産業が出資してるのか?
鹿児島空港喫煙所

私自身はかなりの愛煙家で、酒とタバコとどちらを取ると迫られたら、間違いなくタバコを選択する自信がある。むかし東京から福岡に出かけたときに、ついつい喫いそびれて福岡空港についてしまった(ここまで4時間ぐらい経過してた)。空港から地下鉄で博多駅にようやく到着、駅前広場でやれやれとタバコに火を付けたら、2人連れのおじさんにここは禁煙地区だと言われて呆然とした。あれは20年ほど前のことだった。いまから思えば、福岡市は嫌煙ムーブメントの先駆け自治体だったのだろうか。

ところで3ヶ月前に風邪を引いて以来、タバコを1本も喫っていない。そろそろ禁煙100日を突破したかも。

(2015.1.13)

大塚駅近灰皿、芸術的なほどたまっている
東大農学部1号館横喫煙所。定員4人!大丈夫か、東大

ハーブ軒

大塚北口にハーブ軒がある。ハーブ軒だけでも怪しいが、1回にあるのがホープ軒というラーメン屋で、これは偶然の一致だろうか、2つ並ぶとなんとなく笑える。ラーメン屋の方は、何軒か支店もあり比較的手広くやっている店だ。何度か行ったことがあるが、それなりにおいしかった記憶がある。ハーブ軒の方は看板を掲げているのだから一応違法じゃないだろうが、どうも怪しい。

大塚は北口が池袋に引っ張られているのか歓楽街的、南口は文京区の影響かやや落ち着いた雰囲気である。小さな商店などは南口に多い。駅ビルが再開発されて、これから雰囲気が変わるかもしれない。

鹿児島中央駅に第2ビルというのか、増築が完成した。東急ハンズや新しいブランドショップなどが入っている。ざっと見た感じでは何年か前に天文館にできたマルヤガーデンに似ているようにも思う。東急ハンズは鹿児島進出はもちろん初めてで、福岡に次いでである。工芸用小物などなんでもあって東京では便利だが、商品はおおむね高い。ホームセンターが充実している鹿児島では受けるかどうか微妙である。

ハーブ軒とホープ軒
鹿児島中央駅

12月初め仕事で屋久島へ。まったくの偶然だったが、種子島ロケット発射に遭遇、屋久島宮之浦からよく見えた。

帰りの鹿児島空港のクリスマスツリーは豪華な感じがした。横の縄文杉が効いているのかな?

(2014.12.9)

ロケット1
ロケット2
鹿児島空港クリスマスツリー

小豆島

昨年から仕事で小豆島にちょくちょく行くようになった。むかし高松の屋島山上の国立公園事務所にいたことがあって、小豆島も担当区域だった。三十数年前のことである。しかし、いまや高松も小豆島もすっかり様変わりして、ちょっとした浦島太郎気分である。小豆島は内海の穏やかな海にあり、舟運時代は、大阪経済圏との絶妙な位置関係にあったせいか、同じ島でも屋久島や奄美などとはかなり印象が違って面白い。

この10月下旬にも島に出かけた。オリーブの実がたくさんなっていた。緑から濃い茶に変わりつつあって、これからがちょうど収穫時期だという。むかしは小豆島、オリーブと聞くと、いかにも外国の物まねで軽薄な感じがしたが、50年も頑張っているとオリーブオイルその他関連商品のレベルも飛躍的に向上して、堂々たる特産品になりつつあるようだ。

オリーブの実

小豆島と言えば高峰秀子の映画「二十四の瞳」が名高いが、近年でも映画やテレビドラマのロケも結構多いようである。3年前の映画「八日目の蝉」では永作博美が島の素麺工場に勤めていたし、最近始まったテレビドラマ「Nのために」では、中山千枚田が登場した。小豆島がよく使われるのは、なんといっても牧歌的な風景が残っていることからだろうが、もしかすると雨が少なく撮影の予定が立てやすいこともあるのかもしれない。

二十四の瞳記念館
中山千枚田

4年前から瀬戸内国際芸術祭にも参加して、島にもたくさんの若者が来るようになった。その一方で、300年の歴史のある農村歌舞伎も健闘しているようである。

(2014.10.30)

ビートたけし作品
中山歌舞伎

うなぎ

こう高くては、好きなうなぎも気楽には食べられない。このデフレ時代に1人前4千円超ではなぁ。近年の価格高騰は養殖用の稚魚=しらすうなぎの漁獲量が激減したからだという。そういえばニホンウナギが、環境省の絶滅危惧種に指定されたのは昨年のことだった。

何年か前に川内市の川内川中流?の料理屋にうなぎを食べにいったことがある。おいしかったが、あれは天然だったのかな。

熊本県人吉に有名なうなぎ屋があって、店の前まで行ったがついに食べずに終わった。人気店らしいが、予約は認めずとにかく並ぶしかないという。

川内・うなぎ
人吉市・上村屋

若い頃、四国・四万十川の源流部に行って、アユやうなぎ、テナガエビなどをご馳走になったことがある。どれもたいへんおいしかった。水質が悪くなるとまずアユが消え、うなぎはしぶとく残るらしい。ここで食べたうなぎは間違いなく天然もので、じつに旨かった。

うなぎの生態はいまだに謎が多くよくわかっていない。深海で産卵し、川に戻って成魚になる。河口で獲ったうなぎの稚魚を育てるのが、うなぎの養殖である。

うなぎの出荷量は鹿児島が全国でもっとも多い。ついで愛知、浜松・静岡は4番目だ。

土用の丑の日、つまり7月下旬にうなぎを食べるのは、江戸半ばの本草学者で発明家、平賀源内のアイディアによると説があるが、どうだろう?

(2014.8.25)

名古屋駅ビル・うなぎなぜか東京竹葉亭の出店だった。
東京・大塚うなぎ屋

路面電車

いま住んでいる南大塚の最寄り駅は、JR山手線の大塚である。めずらしいのは山手線と路面電車がクロスしていることで、山手線ではたぶんここだけだろう。

都電荒川線・大塚駅。上が山手線
電車壁面広告にこんなものがあった

巣鴨とげ抜き地蔵などへ行くには便利だから、ときどき使う。乗ってみると素朴な味がある。客層はさすがに年寄りが多い。意外とスピードが出る。駅は当然路面にあって乗り降りも楽だ。

映画三丁目の夕日では六本木に路面電車が走っていた。あの映画は昭和30年代前半の東京が舞台だった。当時は東京の公共交通の主役は路面電車で、しかしいまは大塚を通る荒川線だけが残った。早稲田から三ノ輪まで、わずか12キロのみである。

都電三ノ輪終点・風景
電車ブランド・珈琲

札幌でも京都でもごく便利な乗り物だったが、京都は全滅した。札幌はそれなりに残っているようだ。まず車に追われ、次いで地下鉄など新しい交通機関に駆逐されていった。いま全国で残っているのは20路線足らずだという。もっとも最近では、温暖化、CO2削減の観点から見直されてきたようだ。富山市などでは市街地中心部の交通機関として積極的に活用しているらしい。

鹿児島が電車の軌道緑化を始めたのは平成18年、すでに約9キロ芝生が植えられた。温暖化防止効果もさることながら、見た目が涼しそうなのがいい。存外管理費もかからないという。

(2014.7.23)

鹿児島市電・軌道緑化

栗林公園

6月、ひさしぶりに栗林公園行った。20年ぶり、あるいは30年ぶりだったかもしれない。高松松平藩主が5代100年かけてつくったこの大名庭園は、さすがに落ち着いた雰囲気である。抹茶など飲みつつ眺めていると、じつにゆったりした気分になる。おおきな池に浮かんだ舟から見物している観光客がいた。これはむかしはなかったようである。島津から贈られたという巨大な蘇鉄があった。

高松市の中心部から車で10分ほどのところに屋島がある。若いころ、この山上に3年ほど暮らし、仕事をした。瀬戸内海国立公園の管理業務である。職員は1人しかいない。ヒマにまかせて?県立図書館に通い明治初めの栗林公園の成立事情など調べたりした。大蔵卿井上馨と県令の間で何度も手紙のやりとりがあり、払い下げられてようやく県管理の公園となった。

栗林公園・島津から贈られた蘇鉄。樹齢300年
屋島遠望

今年になって、文京区の六義園、銀座の先の海際にある浜離宮など、大名庭園をいくつか見て歩いた。それぞれ趣向があり、梅や桜の季節でもあったから、たいへん楽しい思いをした。浜離宮から、隅田川を上る船で浅草に戻った。

鹿児島の仙巌園磯庭園は、17世紀半ば島津19代藩主島津光久がつくった別邸である。日本の、大名庭園、回遊式庭園を代表する名園で、作庭技術もさることながら、庭から眺める桜島と錦江湾の風景が豪快である。庭園内に猫神社があって、写真を送ると飼い猫のお祓いをしてくれる。

(2014.6.30)

浅草・吾妻橋から、スカイツリーとアサヒビール本社
磯庭園・猫神社

黒うさぎ

東京、麹町の「黒うさぎ」なる店に行った。前から気になっていたが偶然に。南島酒房とあるから、奄美関係の居酒屋だろうか。入ってみると奄美というより沖縄色が強く、店内に流れてるBGMはビギン(石垣島出身)の曲だった。場所柄なのかどうか、料理も野菜中心、都会風にアレンジしてあって、どうやら女性客を意識しているようである。豚肉、ゴーヤ、もずくはやっぱり出ました。最後は鶏飯、さすが「黒うさぎ」。これも少量、上品な味でした。

その近くに「やくしま」という料理屋がある。ここはまだ行ってないが、昼には弁当を売っていて、いつも客が並んでいる。写真を撮りがてら店の人に聞いたところでは、店自体は開業して30年になるが、現在の二代目店主は屋久島出身者ではないという。

麹町・黒うさぎ
麹町・やくしま

「黒うさぎ」、「やくしま」とも、夜だけでなく昼食時もやっている。都心のオフィイス街の夜は人が極端に減るから、昼の営業は商売上の必然なのだろう。

上野駅の裏というか隣というか、最近建て替えた新しいビル内の居酒屋で飲んだ。上野駅周辺はここのところ再開発が進行中である。このビルもたしか聚楽第?とかいう、おそろしく古びたレストランがあったような記憶がある。ビルの名前は「3153」、さいごうさんと読ませるらしい。場所は上野の西郷像の真下になる。

(2014.5.22)

上野・3153

猫シリーズ・その2

ペット本が売れているという。とくに犬や猫の本。やや猫本のほうが優勢らしい。この本の売れない時代に、公称100万部超だというからバカにならない。街で猫の絵付きバッグを持つ女性をよく見る。関連グッズもどうやら猫優勢のようだ。

旅行、街歩きのついでに、犬猫の写真も撮るが、猫はほぼ単独行動なので撮りやすい。犬はだいたい飼い主と散歩中だから、やや遠慮がある。いちいち断るのも大げさな気がするし。もっとも猫だって半数ぐらいはすぐ逃げてしまって、写真など撮らせてくれないが。

自宅近く、ビワの木の横にいた猫。最近見ない
鹿児島中央駅・西銀座通り・早朝

どちらかというと、古い一戸建てが密集した、下町風の路地の多い地域が、猫には暮らしやすいようである。年寄りが多いこととも関係しているだろう。漁村でよく見かけるのは、餌が豊富だからだろう。都市より農村、田舎に多いのは、住宅、庭が広いことが第1の理由でしょう。都会に比べて、人の心もたぶんおおらかなんじゃないかなぁ。

しばらく前、「猫の一年」という本を買ってきた。予想に反して、サッカー、それもワールドカップに関するエッセイ本だった。ワールドカップ・サッカーは4年に1度、猫の1年は人間の4年と同じ、ということからきた題名らしい。著者の金井恵美子は純文学作家で、相当本格的な猫好き、サッカー好きである。

わが家にも10年選手のオス猫と、まだ拾われたばかりのメス猫がいる。小さなメス黒猫のほうが断然強気で、いつも大男の茶虎を追い回している。

(2014.4.25)

金沢の砂糖菓子。招き猫は食べられない
わが家のじろう(茶虎)とはなこ(黒)

桜2014

桜は2,3分咲きがいい。

今年の桜開花は例年通りで、3月末がピークのようである。昨日久しぶりに新宿御苑に行ったが、枝垂れ桜はほぼ満開だった。ソメイヨシノにはやや早く、まだ1,2分咲き程度であった。

新宿御苑の枝垂れ桜
ソメイヨシノの向こうに、一見教会風のドコモビルが見える

札幌の友人からの情報によると、大通公園のクロッカスがようやく芽を出した程度だというから、桜はまだまだだろう。昨年はたしかゴールデンウイーク明けようやく咲いたような記憶がある。

大塚、自宅近くの桜並木はまだつぼみ状態、月末に咲くかどうか。この並木はけっこうな古木で、といっても4,50年生だろうが。今年のはじめに何本か伐採された。空洞などができて危険だということらしい。幕末につくられた園芸種・ソメイヨシノの、本当の寿命はまだよくわかっていない。

鹿児島では、空港への高速道路上から山桜が点々と見え出すと春である。これは3月初めで、甲突川沿いのソメイヨシノは3月半ばだっただろうか。2年前に鹿児島を出るときには満開だった。

(2014.3.28)

自宅近くにこの天ぷら屋の看板というか店がある。少なくともこの10年はこの状態のままだ。10年以上前にこの天ぷらの値段だから、それほど安いというわけではない。その割りに店自体はいたって小さく、一種のテイクアウトの店だったのかもしれない。 ―南大塚・天ぷら屋

そこから50メートルほど離れたところに、にきび薄毛しみ云々という看板がある。こちらも完全に廃業している。この字の感じはいかにもシロートが書いたとおぼしい。ここは元々美容室だったようだ。 ―南大塚・美容室看板

(2014.3.28)

上野駅構内の桜、ただし造花
甲突川ソメイヨシノー2年前3月

看板その2

自宅近くにこの天ぷら屋の看板というか店がある。少なくともこの10年はこの状態のままだ。10年以上前にこの天ぷらの値段だから、それほど安いというわけではない。その割りに店自体はいたって小さく、一種のテイクアウトの店だったのかもしれない。

そこから50メートルほど離れたところに、にきび薄毛しみ云々という看板がある。こちらも完全に廃業している。この字の感じはいかにもシロートが書いたとおぼしい。ここは元々美容室だったようだ。

(2014.3.28)

南大塚・天ぷら屋
南大塚・美容室看板

平成2年に鹿児島に来て一番驚いたのは、このビル壁面の永田シロアリだった。シロアリ駆除の会社は九州のあちこちで見かけるが、ここは天文館の中心も中心、ほんとにど真ん中の場所である。シロアリがまたリアルで迫力がある。この一帯に再開発の構想があり、このビルも対象となっていると最近聞いた。そうなると、あれほど不気味に思っていたにもかかわらず、やや淋しいような気がしてくるから人間の心理は微妙である。

奄美・龍郷町の黒糖焼酎瓶が3本並んでいる眺めも独特だ。焼酎瓶の高さは数メートルはあるだろう。奄美空港から名瀬に向かうときには必ずこの焼酎瓶を見ることになる。これもインパクト十分である。

黒糖焼酎は米麹と黒糖を発酵させてつくるが、意外なことに原材料のコメはタイ米、黒糖は沖縄産のものを使う。奄美ではいまやコメはほとんどつくっていない。黒糖はもちろんたくさんあるが、税制上の措置、沖縄産黒糖との仕分けで、奄美生産分は加工用には使えないことになってるからだという。

(2014.3.11)

永田シロアリビル
奄美龍郷町・黒糖焼酎瓶

気温差30℃

3月8日、奄美で大雪にあった。とはいっても、奄美に雪が降ったわけではない。羽田空港が積雪で閉鎖されて乗る予定の飛行機が欠航、帰れなくなったためである。奄美―羽田直行便は1日1便しかない。同じの運命の人たちはたくさんいて、空港内でなすすべもなくウロウロしていた。奄美空港での4時間待ちはキツイ。

名瀬アーケード

2月1日まで札幌で、6日から9日までは奄美大島。気温差は30℃ぐらいあった。奄美に4日もいたのは、日本列島の大部分に降った雪のせいである。

今年の札幌は雪が多く、いつになく寒いとの事前情報であったが、雪はそれほどでもなくしかし寒さは厳しかった。国際的イベントである札幌雪祭り開催直前で、会場となる大通公園では自衛隊が雪像づくりに励んでいた。

自衛隊雪像づくり
道端雪だるま
自衛隊雪像づくり
道端雪だるま

札幌は鹿児島と縁が深い。というか、鹿児島が北海道開発をほぼ担ったといったほうが正確だろう。薩摩藩士黒田清隆は明治3年から北海道開拓次官、

明治7(1874)年から15年までは長官である。大通公園6丁目には彼の像がある。

サッポロビールは、これも開拓使であった薩摩藩士村橋久成の主導で明治9年札幌にビール工場ができた。政府内では神奈川県立地派が優勢だったから、彼なしにはサッポロビールは存在しなかっただろう。当時の名称は「開拓使麦酒醸造所」といかめしい。


黒田清隆像
サッポロビール工場

札幌の中心部にあり日本を代表する都市公園でもある大通公園は、佐賀藩士島義勇の構想したものだ。当時北海道開拓使判官だった。その後、佐賀の乱で江藤新平とともに斬首されたのは明治7年のことである。

(2014.2.17)

元旦2014

今年は新年の寺社詣でがいつにも増して多い。明治神宮など大どころの様子は確認していないが、手近で見たいくつかはかなり混雑していた。早稲田大学文学部前の穴八幡神社は毎年人気があり、今年もそうだった。自宅近くの天祖神社は、元旦の零時過ぎにはもう行列ができていた。巣鴨のとげ抜き地蔵も相変わらず盛況である。マスコミなどが伝える好景気の数字はともかく、世間はアベノ景気にいまいち実感がもてず、たぶん神頼みの気分なのだろう。

早稲田馬場下・穴八幡神社
巣鴨・とげ抜き地蔵・高岩寺

鹿児島時代もあちこちの神社に出かけたが、市内ではやはり照国神社の人出がダントツである。2,3年前の正月に川内の新田神社に行った。急な石段と楠の大木があって、神社らしい神社だった記憶がある。

さて、人気の穴八幡からほんの少し離れたところに北野神社があった。ごく小振りの神社で誰もいず、社務所が準備したお神酒も飲まれた気配がない。しかしこちらのほうが森閑として、なんとなく神社らしい。

(2014.1.9)

川内・新田神社
神楽坂下・北野神社

クリスマス模様

もう、クリスマスだ。ついこの間手帳とカレンダーを新しくしたような気がするのに。

街を歩くとイルミネーションが華やかである。一時地味になったように思うが、最近すこしもり返したようである。

もっともあんまり派手なのは趣味にあわない。前に、明治神宮前のケヤキ並木・電飾では反対運動がおきたというが、いまはどうなってるのだろうか。

銀座4丁目のミキモト真珠店では季節ごとに飾りを変える。桜の時期には本物を植えたり。クリスマス・ツリーも小振りでなかなか上品である。

銀座・カルチェ
銀座・ミキモト・ツリー

日本橋高島屋のショウウインドウでは、トナカイが首を振っていた。

札幌の大通公園ではイルミネーションが。これはクリスマス用というより雪祭りその他冬の間用かもしれない。冬の雪国はなんとなく淋しいし。

鹿児島の中央駅前広場にツリーがあるのを見たことがある。年によってはなかったりするらしいが、今年はどうなんだろう。

(2013.12.6)

日本橋・高島屋・トナカイ
札幌・大通公園

蕎麦100年戦争

蕎麦が好きになったのはいつごろからだったろう。小学校高学年にはもう好きだったような記憶がある。札幌の蕎麦出汁は関東をさらに濃厚にしたものだ。麺類の出汁の濃淡については、関東と関西のいわば100年戦争で、決着はとてもつきそうにない。関西人の関東攻撃の定番は出汁の濃さで、初体験時には驚いて「半分残した」と判で押したようにいう。

京都時代は舌に合う蕎麦屋を探すのに苦労した。そもそも京都の蕎麦専門店は限られた高級店のみで、うどんと蕎麦をメニューにならべた店がほとんだった。京都に蕎麦屋が激増したのはここ10年から20年のことではないか。しかし、北前船で運んだ北海道のニシンを加工して、名物「にしんそば」に仕立てるのはいかにも京都らしい。

東京の老舗の蕎麦屋では、神田「藪」や同じく神田の「まつや」が有名である。作家の池波正太郎がひいきだったという。両店ともいつも客でいっぱいであった。今年はじめ、この「藪」が火事で焼け、全国ニュースにもなった。

京都「河道屋」
東京神「まつや」

東京の北、南千住の商店街に砂場がある。千住は江戸の宿場町だった。砂場建物も大正初めのもので、江東区の文化財に指定されているらしい。砂場は東京では赤坂、虎ノ門など何軒かある。てっきり東京発祥のブランドだと思っていたが、なんと大阪だという。大阪城をつくったときの土砂の置き場に屋台風の簡便な蕎麦屋ができ、砂置き場―砂場がいつの間にか屋号になったという。

鹿児島はそばどころで、一時期の生産量は全国でもトップクラスだった。最近はベストテンにようやく入るぐらいだが。蕎麦屋もそれなりにあるが、どちらかというと素朴で昔ながらの味が多い。東京風の蕎麦屋がポツポツとできはじめたのは近年のことだろう。東京で修業して開店したらしき店がいくつかあり、どこもそれなりに工夫がある。私としてはいまのところ、市役所向かい大通公園近くの「あき葉」、東千石アーケード内の「丸新」が気分に合う。

(2013.11.28)

東京南千住「砂場」
鹿児島「丸新」

全国ラーメン事情

日本で一番多いのはラーメン屋じゃないだろうか。全国でどのぐらいあるのか数えたことはないが、軽く数万軒はあるような気がする。全国どの町に行ってもラーメン屋だけはある。日本人はカレーライスも同じように好きだが、カレーの専門店は意外に少ない。カレーもあるという店はたくさんあるが。

ラーメンといえば札幌ラーメンが有名だ。しかし、ひき肉、もやし、ときどき玉ねぎなどの炒めたのが入った味噌ラーメンは、わたしの子供時代にはなかったものである。むかし札幌で食べていたのは、ごくふつうの中華そば。チャーシュー、ナルト、支那竹に海苔なんかが乗ってるやつですね。味噌ラーメンは、昭和30年頃、札幌の三平という店が創作したものが札幌ラーメンの代名詞になって、あっという間に全国にひろがった。

すすきの・ラーメン横丁
札幌・三平ラーメン

文化が進化し、残っていく一般法則は、ラーメンについても同様らしく、日本各地で独自の発展形態を見せる。

福島の喜多方市にラーメンを食べにいったことがある。老舗風の店に、肉そばというメニューがあった。やや不安に思いつつ注文してみたが、チャーシューが十重二十重に重なって麺がまるで見えない。たぶん、30枚はあったのではなかろうか。居合わせた他の客がどよめいたほどの迫力であった。

東京の高田馬場に住んだことがある。ここは早稲田大学のほか、専門学校がやたらとある。若者があふれているせいかどうか、東京でも有名なラーメン激戦地帯だ。札幌、九州その他なんでもある。3軒並んでいたりする。

九州はとんこつスープラーメンが特徴だ。鹿児島のものはまた独特の進化を遂げていて、とんこつスープに醤油、味噌などを加えてなかなかうまい。むかしは天文館の「こむらさき」という店にはいつも行列ができていたものだが、最近はそれほどでもないようである。

(2013.10.18)

喜多方・板内ラーメン(これは東京の大塚駅前店)
鹿児島・天文館こむらさき

西村研究室探訪

この4月、鹿児島から東京に戻った西村くんのところへいく。東大宗教学研究室。大学正門から入って右手、2つめの建物。正面に安田講堂がある。入口で事務なのか守衛関係なのか、居合わせたおじさんに聞くが要を得ない。どうやら遠いエレベーターだけが、目的地の西村研・4階に行くということらしい。

東大正門
西村研究室

不安に思いつつエレベーターに乗る。エレベータ内の表示板はなぜか3階までである。ボタンは4階があったからとりあえず押す。出たところが西村研究室だった。もしかすると4階部分はあとで増築したのだろうか。それにしてもエレベーター内表示は謎である… 西村くんによれば、この建物は昭和初期に基本ができたとか。風格があるといえばあり、継ぎ足し継ぎ足しでややこしいといえばややこしい建物なり。

文学部棟
エレベーター内表示版

東大は、学生、教官、事務職員合わせて2万2千人ほど、その3分の2がこの本郷キャンパスにいるとして約1万3千人。田舎の町だと2つ分ぐらいの、大きな集団である。ちなみに、鹿児島大学郡元キャンパスは、1万人弱ぐらいだろうか。

独立行政法人化後、本郷キャンパスには、コンビニ、スターバックス、レストランなどが学内に続々とできている。先日北大でも真新しいレストランで食事したから、国立大学では全国的な傾向らしい。こちらとしては便利であるが、大学を一歩出て本郷通りを歩くと、シャッター通り化が、一段と進行している。5年前はこれほどではなかったから、ここ何年かで加速したのだろう。大学と地域との関係を考えると、やや複雑な心境である。

今月上旬、鹿児島大学法文門近く生協があったところに、大きな建物が建設中であった。ここにも、コンビニ、コーヒーチェーン店が入るとの噂である。

(2013.9.30)

東大本郷通りシャッター街

かりんとう戦線

数年前から、かりんとうがブームらしい。どのデパート地下菓子売り場にも、たしかにある。記憶にあるイメージとは違って、おおむね細く繊細なつくりで、種類もおどろくほど多様である。むかし食べたあの親指ほどの太さ、黒茶色のものは、むしろ見当たらない。

かりんとうの発祥には諸説ある。中国・唐から渡ってきた、オランダ人が持ち込んだ菓子に由来する、その他。

一般化したのは、明治初め、浅草の菓子屋から、ということのようである。

つくり方は単純である。小麦粉をこねてうすく板状にし、それを細かく切って油で揚げる。溶かした砂糖につければ出来上がりだ。

油、砂糖とも、江戸時代までは貴重品だったから、普及したのはやはり明治以降のことでしょうね。

最近、もの好きにもかりんとう老舗店見物に出かけた。浅草「小桜」、湯島というか上野御徒町に近い「花月」の2つとも、戦後の開業ということであった。

湯島「花月」
浅草「小桜」

どちらも小奇麗なつくりの店で、それなりの人気があるようだ。どちらも東京風なのか上品なものが多く、むかし懐かしいゴツゴツ系はない。子供のころはあまり好きでもなかったはずだが、いまとなってはちょっと食べたいような気がする。

ところで鹿児島にも当然あるんでしょうね、かりんとう。8月初め、鹿児島中央駅土産物コーナーでは見当たらず、豚まん・黒豚侍がありました。買わなかったけど。

(2013.8.20)

浅草小桜・かりんとう
鹿児島中央駅・黒ぶた侍

2500km

6月は、札幌から東京経由で奄美徳之島へ、東京に戻って1週間後に奄美大島と忙しかった。

札幌から徳之島は、移動距離でおおよそ2500キロある。アメリカ合衆国の南北が2570キロだと聞くと、なおさら感慨深い。とくに意味はないが。

札幌はニセアカシアの花にはやや遅かったが、ヤマボウシは満開だった。

北大植物園ヤマボウシ
イジュの花

奄美大島では遅咲きのイジュになんとか間に合った。イジュは、材が堅くシロアリなどにも強いので、高倉の柱材にも使われているという。奄美、沖縄の固有種である。

住用のマングローブ林の先、道路沿いでツマベニ蝶を見た。食草のギョボク(魚木)の花が咲いて、何匹かが舞っていた。元気で素早く、ようやく撮れたのがこの写真。だいたいブレる。

徳之島空港は、いつの間にか「徳之島子宝空港」になっていた。たしかに全国でも抜群の出生率の島ではあるが…

(2013.7.17)

ツマベニ蝶
徳之島子宝空港

札幌行き

6月半ばに札幌へ。さすがに風は心地よく、しかしいつになく湿度は高いようであった。東京も今年は天候不順で、東京と札幌の気温はあまり変わらない。もしかしたらまだ残ってるかと思っていたライラックの花は、残念ながらすでに終わっていた。北大植物園内にはまだ咲いているのがあったが、これは中国その他外国産のものらしい。

煉瓦づくりの旧道庁舎前にはハマナスの花が咲いていた。この季節はニセアカシアの花が咲く時期で、何本か大木を見かけたが、街中からはめっきり減ったようだ。花粉症?によくないとかで、いまやあまり好まれない木になりつつあるという。むかしはいくつか立派な並木があって、6月の帰省が楽しみだったものだが…

北大植物園・ライラック
旧道庁舎・前庭・ハマナス

千歳空港からJRで札幌駅に着く。駅ビルの一角に大丸デパートがある。地下の食料品売り場を覗いてみた。さほどの品ぞろえとも思えない。札幌市内のデパートではこの大丸がひとり勝ちだというから、JR、地下鉄駅至近でとにかく便利だということなのだろうか。売り場にあった鹿児島の痕跡は、種子島産砂糖と沖永良部のキクラゲだけであった。

(2013.6.21)

大丸デパート地下・沖永良部キクラゲ
種子島産砂糖
東京大塚駅近くのセブンイレブン、よく行く
これも大塚のファミリーマート店内
近くのスーパー売り場
与論で見かけた島バナナ