研修旅行~1日目~
2023.9.12 研修旅行1日目です!
それは突然のことであった。この旅のわずか5日前に、ボスの弟子であり、私の高校時代の恩師でもあるS先生からご連絡をいただいた。特別な「勘」が働いた。「徳島行くよね?」突然すぎる一言に言葉が出てこなかった。困惑しかない私であったが、ボスからのお誘いだと知ってとても嬉しかった。しかし、二つ返事とはいけなかった。私は徳島行きを迷ってしまったのだ。果たして私のような人間が徳島に行って良いのだろうか。もっとふさわしい人がいるのではないだろうか。恥ずかしながら、当日の東京駅へ向かう電車の中でも、一人でずっと悶々としていたのだった。 東京駅での待ち合わせに少々手こずりながらも、ボスを含め四人のメンバーと無事合流できほっとした。初対面に緊張しながらも、新幹線の中では和気あいあいと話すことができた。約3時間かけて新神戸駅に到着した。そこからレンタカーを借り、未開の地徳島県へ向かった。本州と四国を結ぶ大きな橋から見える瀬戸内海は、息をのむほどの美しい景色であった。新神戸駅から約1時間かけ、鳴門教育大学に着いた。図書館に入り、大村はま先生の資料室に案内された。大村はま先生は、子どもたちの学びが疎かになることを懸念し、工夫と研究を絶やさなかった。そして、民主化により変わりゆく国語教育にも影響を与えたのだった。大村はま先生の資料を閲覧していると、突然資料室の扉が開いた。入ってきたのは、河野豊司先生であった。現在、徳島県立池田高等学校の教頭先生である河野先生は、ボスの水戸二高時代からのお知り合いで、当時徳島県から水戸二高へ赴任なさった方である。平日にも関わらず、この機会に対談させていただくことができたのだ。河野先生との対談の中で一番の話題となったことは、地方での教員不足である。河野先生によると、どこの学校、特に高校では、地元出身の教員が必要とされているのである。それは、高校は地域との関わりが深いからである。高校がその地域にあれば人を呼び込むことができるし、学校行事なども地域を賑わせたりするので、地方地域における高校の存在は地域活性に必要不可欠なのである。そして、地元出身の教員が、地域と学校を結ぶ鍵となるのである。私は、大村はま先生の資料と河野先生とのお話を含め自分なりに考え、過去と現在の教育における「足りないもの」に注目した。大村はま先生の、新聞の記事を切り抜き作った教科書のように、戦後の貧しい時代の教育における「足りないもの」と、河野先生がおっしゃった地方での教員不足のような、現代における「足りないもの」。どの時代も、教育は「足りないもの」に追われている。しかし、それは教育者の工夫次第で何とかなるかもしれない。手作りの教科書や池田高校探求科の「観光甲子園」への取り組みのように、子どもたちと教員が工夫し合えば、わずかながらも「足りないもの」を補えるかもしれない。この機会を通して、教育者の工夫や子どもたちの深い学びにつながるような活動を通して、地域へ還元していくことの大切さを学ぶことができた。鳴門教育大学を後にし、ホテルへ向かう道中、ボスからなぜ徳島行きを迷ったのかを問われた。私は正直に、徳島行きが自分で良いのか分からなかったからだと答えた。ボスは私の返答に対して言った。「やる前から失敗するよりも、やって失敗した方が絶対いい。」ボスからのこの言葉がとても胸に沁みた。これまで、私の中でずっと悶々としていたものがすっと消えた。このとき初めて、この旅に参加してよかったと思った。新たな友人と出会い、大村はま先生の貴重な資料を拝見し、河野先生との対談では、私の目指したい教師像が見えたかもしれない。そして、この旅の体験をいつか自分の生徒に話してやりたい。ずっと悶々としていた自分がどんなに愚かであったか。いつか私が、この話を笑い話として生徒に聞かせることができ、少しでもその子の心の荷が下りたのなら、この旅の本当の私の目的を果たすことができるのかもしれない。
H.S.