2020.6.26fri 17:30-23:00上映研究#0.1【死は許されぬ、黒いボガート+黒い電話】by 異端審問: フィルム=ノワール研究所(担当・吉岡雅樹)
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『彼奴は顔役だ!』The Roaring Twenties 1939年/106分/アメリカ/ワーナー・ブラザーズ監督:ラオール・ウォルシュ 原作:マーク・ヘリンジャー 出演:ジェームズ・キャグニー、ハンフリー・ボガート
『孤独な場所で』In a Lonely Place 1950年/94分/アメリカ/コロンビア・ピクチャーズ+サンタナ・プロダクション監督:ニコラス・レイ 原作:ドロシー.B.ヒューズ 出演:ハンフリー・ボガート
◉概要◉
そもそも「フィルム・ノワール」とは何なのか、という御意見に応えて第0.1回を実施いたします。「フィルム・ノワール」の神話的作品や役者(身体)を見ること、それらを「フィルム・ノワール」前史を媒介に再考することを目的とします。それは映画の「ジャンル」「(映像音声)スタイル」「(人物)造形」「(物語)設定」の制度を再考することであると同時に、映画における「黒」を考えるための前提どころか中核と重なることでもあるのですが、基本的には既存の映画史を辿り直す作業です。全9回を予定しています。今回は、「フィルム・ノワール」以前から存在した「ギャング映画」を媒介にして、神話的役者としてのハンフリー・ボガート(1899-1957)を見てみようと思います。
ボガートが主演した『マルタの鷹』(1941, J.ヒューストン)から始まったとされる「フィルム・ノワール」とは、1944年のパリ解放から2年後、1940年代前半の一部のアメリカ映画に対してフランスの映画評論家が初めて使用したとされる「定義語」です。今さら我々が述べる必要がない程度には我国でも「フィルム・ノワール」なる「定義語」の「解説」をしている人間は存在していて、そのほとんどは「ジャンル」とも「スタイル」とも「造形」とも「設定」とも断定することの出来ない曖昧模糊とした存在である、といったその物言い自体が曖昧模糊に始末される事態となっています。
そこで我々は、ひとまず「トーキー(音声)映画」として「フィルム・ノワール」を仮定し、「映像(光)」と「音(ギャング映画)」の結託による「映画=黒」の敗北という問題を設定しました。その上でジャンルとしての「ギャング映画」の嚆矢『犯罪王リコ』(1930)と代表的「フィルム・ノワール」である『深夜の告白』(1944)を併映してこの問題を検討しよう、その時には神話的役者としてエドワード.G.ロビンソン(1893-1973)を取り上げようと企画していましたが、今回は諸事情によって参考作品と問題設定を変更せざるを得なくなりました。そこで急遽、黒いボガートの力を借りることになったわけです。[注. 当初の企画については第0.2回告知で説明いたします(7月上旬公開予定)
まず、ごく常識的な事実を幾つか記載しておかねばなりません。「フィルム・ノワール」の定義に多く見られるインモラルな、不道徳な「(物語)設定」とは、「ギャング映画」も同様であること、それどころかそれ以上のクズ世界であることがしばしばあるということ。しかし一方では、「フィルム・ノワール」的な「(人物)造形」とされる悪女がまだ少ないこと、また特徴的な「(映像)スタイル」とされる暗い照明は未だ明確な悪を表象しているのみで主人公には適用されていない場合が多いということ。
以上の事実は、『彼奴は顔役だ!』(1939)と『孤独な場所で』(1950)に出演しているボガードを見ればほぼ明らかです。「ほぼ」というのは、『深夜の告白』と同様に代表的「フィルム・ノワール」であるにも関わらず『孤独な場所で』には悪女が登場しないからです。つまり以上の事実は、先に書いた「曖昧模糊」たる定義の代表であり、「映画」を考える際にはなんら有効性を持たないということを示しています。
しかし、それでもなお何かが決定的に変容しているとつい思わざるを得ない『孤独な場所で』の底なしの翳りとは、一体何なのか。それを「定義」することはやはり必要ではないのか。ではそのような言葉はあるのか。それともやはり、「映画」は「黒」の敗北によって規定されてしまうものなのか。例えば両映画に登場する「黒い電話」は、常に敗北を呼び寄せる存在として映画史を通底しているのではなかったか。
ボガート神話の始まりである『マルタの鷹』を敢えて取り上げずに斥けたのは、戦前派であるR.ウォルシュ(1887-1980)と戦後派であるN.レイ(1911-1979)を直結させることで、両派をまたぐJ.ヒューストン(1906-1987)では問うことが難しいと思われる世代論的な言説なるものによって映画における「黒」は語り得るのか否かを探るためです。しかし何よりもその排斥が必要だったのは、『彼奴は顔役だ!』では死を表象したボガートが、『孤独な場所で』で死を引き延ばされる表象として再び表象の世界に引きずり戻されるそのダイナミズム、つまり映画/資本のどす黒い弁証法のダイナミズムを目撃いただきたいと欲望したからに他ありません。
最後に、本回は『彼奴は顔役だ!』のJ.キャグニーに見られるようなピエタ的表象を、映画における「黒」研究の一環として取り扱うその端緒という位置付けも兼ねています。本回から二日後に実施予定の第2回上映研究の参考作品『罠』(1949)でも見られるように、映画史の一側面を埋め尽くすピエタ的表象は、つい口走りたくなってしまう「神話的映画」なる修辞の実態を考えるための重要な問題のように思われます(『ゴダールの映画史』(1998)を想起すれば、ピエタ的映画たちの洪水が目に浮かぶのは一体何故なのでしょうか)。
映画における「黒」の敗北と共にピエタ的表象(あるいは「神話的映画」)は到来する、とひとまずは仮定することで、この問題が我々にとって抜き差しならない問題であることをお察しいただけたら幸いです。

■『彼奴は顔役だ!』The Roaring Twenties 1939/アメリカ/104min/B&W/1.37:1/ワーナー・ブラザーズ製作: ハル.B.ウォレス『マルタの鷹』『カサブランカ』『私は殺される』監督: ラオール・ウォルシュ『ビッグ・トレイル』『ハイ・シェラ』『夜までドライブ』『死の谷』『白熱』原作: マーク・ヘリンジャー「The World Moves On」(1938刊) 『夜までドライブ』『裸の町』(製作)脚本: ジェリー・ウォルド『夜までドライブ』『キー・ラーゴ』(製作), リチャード・マッコレイ『夜までドライブ』『生まれながらの殺し屋』, ロバート・ロッセン『呪いの血』『ハスラー』(監督)撮影: アーニー・ホラー『黒蘭の女』『理由なき反抗』『何がジェーンに起こったか?』編集: ジャック・キリファー『弾丸か投票か!』『ハイ・シェラ』音楽: レオ.F.フォーブステイン『黒地獄』『夜までドライブ』『ロープ』出演: ジェームズ・キャグニー, プリシア・レイン, ハンフリー・ボガート, グラディス・ジョージ, ジェフリー・リン, フランク・マクヒュー
□ この所「明日に別れの接吻を」「三つ数えろ」「死刑五分前」「死刑囚二四五五号」「前科者」「黒い街」「恐喝の街」「恐怖の土曜日」「二四時間の恐怖」それにフランス映画では「現金に手を出すな」「筋金を入れろ」等ざつと数えた所でもギャング映画、犯罪映画、暴露映画は最近の世相を反映してか数多い。この作品はこの●傾向にある映画中の白眉でジェイムス・キャグニィ(「ミスタア・ロバーツ」「追われる男」)とハンフリイ・ボガート(「三つ数えろ」「裸足の公爵夫人」)という二大スタアを双璧に「毒薬と老婆」の明花プリシラ・レーンを一枚加え、更に「探偵物語」のグラデイス・ジョージ、「三人への妻への手紙」のジェフリイ・リーン、「猿人ジョー・ヤング」のフランク・マクヒュー。「スプリング・フィールド銃」のポール・ケリイ、「血闘」のエリザベス・リスドンといつた●達者な演技陣を動員した傑作である。監督は豪放一散、荒けずりなタッチでハリウッドに君臨する「愛欲と戦場」のラオール・ウオルシュ、豪匠の名をほしいまヽにする巨匠ウオルシュは大監督としての貫禄を存分に発揮し、アクション映画としての要素を余す所なく現出している。原作は「裸の街」を最後として物故した名プロデューサー、マーク・ヘリンジャー、脚色は「機動部隊」「青いヴェール」等を製作して万丈の気を吐いたジェリー・ウォルドと「マンボ」の監督兼脚色者でもあるロバート・ロッスン、それに慢才リチャード・マッコレイの三人で「ダラス」「カーニヴァルの女」のアーニイ・ホーラーが撮影監督に当つた。音響は「我れ暁に死す」の名手E・A・ブラウン。特殊効果には「宇宙征服」「白人酋長」等ヴァライテイに富んだ傑作を監督したバイロン・ハスキンと「恐怖のサーカス」の名カメラマン、エドウィン・デュバーが共脚で担当している。(『彼奴は顔役だ!』パンフレット1955から引用, ●は解読不可)
■『孤独な場所で』In a Lonely Place 1950/アメリカ/107min/B&W/1.37:1/コロンビア・ピクチャーズ, サンタナ・プロダクション製作: ロバート・ロード『黒地獄』『暗黒への転落』監督: ニコラス・レイ『夜の人々』『暗黒への転落』『理由なき反抗』『黒の報酬』原作: ドロシー.B.ヒューズ「孤独な場所で」(1947刊)『黒い足音』『犯罪組織』(いずれも原作)脚色: エドマンド.H.ノース『死の谷』『地球が静止する日』『パットン大戦車軍団』脚本: アンドリュー・ソルト『ジョルスン物語』『若草物語』撮影: バーネット・ガフィ『私の名前はジュリアス・ロス』『暗黒への転落』編集: ヴィオラ・ローレンス『暗黒への転落』『上海から来た女』音楽: ジョージ・アンシール『平原児』『暗黒への転落』出演: ハンフリー・ボガート, グロリア・グレアム, フランク・ラブジョイ, カール・ベントン・リード, アート・スミス, ジェフ・ドネル, マーサ・スチュワート
□ ハンフリー・ボガートが殺人容疑をかけられる性格破綻の映画脚本家を演じ、自己中心的性格と感情の起伏の激しさゆえに自らの周囲に牢獄をつくってしまう男の孤独を描く。(『フィルム・ノワールの光と影』1999から引用)□ アメリカの女流作家推理小説家ドロシー・B・ヒューズの小説『In a Lonely Place』(邦訳:『孤独な場所で』吉野美恵子訳、早川書房、2003年)が原作。ハリウッドで活躍する脚本家ディクソン・スティールを演じたのはハンフリー・ボガート(『暗黒への転落』のプロデュースに引き続き、このフィルムでもレイを監督に抜擢した)、そしてディクソンに翻弄される恋人・妻のローレル・グレイを、当時の妻であったグロリア・グレアムが演じている。シリアル・キラーを題材にしたサイコ・サスペンスものとして脚本が用意されたが、ディクソンがローレルを絞殺してしまうという結末に納得しなかったレイは、即興的に別のやり方でエンディングを撮影したという逸話がある。レイとグラハムはすでに破綻していた夫婦生活を終わらせることをこのフィルムの撮影中に決断していたというが、その事実が本作の演出に強く影響を及ぼしていただろうことは想像に難くない。本作は、フランク・ロイド・ライトの下で建築を学んだレイの空間への執着が、見事に映像化された一本でもある。(『ニコラス・レイ読本 We Can’t Go Home Again』2013から抜粋引用)

◉主催◉
異端審問: フィルム=ノワール研究所 (吉岡雅樹[日本映画大学・瀆神]、山本桜子[ファシスト党〈我々団〉])

◉日程◉
2020年6月26日(金) 17:30-23:0017:00 開場17:30 参考上映『彼奴は顔役だ!』(106分)19:45 参考上映『孤独な場所で』(94分)21:30 基調報告&解説&自由討議「死は許されぬ、黒いボガート+黒い電話」23:00 閉場
◉場所◉
BAKENEKOBOOKsふるほんどらねこ堂(犬派の君には狂狷舎)1600004東京都新宿区四谷4-28-7吉岡ビル7F「珈琲と本 あひる社 絵本の国支部」最寄駅: 四谷三丁目駅[丸ノ内線]~徒歩7分新宿御苑前駅[丸ノ内線]~徒歩6分]新宿駅[JR]~徒歩19分

◉協力◉
あひる社
※どなたでも参加可能です※資料代のみ頂戴いたします