<末裔である伊王野正史による研究ノート>
鎌倉時代の伊王野氏の成り立ちから、各時代の状況とその栄枯盛衰。そして近代へ。
※「Masashi Iono's World(遊びとヘヴィメタルと作曲の超趣味的伊王野ワールド) 」からの先祖研究に特化した改訂・新規追加版です。随時作成・更新中!
<上部のホームから各項目に入れます>※試行錯誤しつつ作成中
先祖の居城
※音楽は自作
自作小説(1999年著作)の一部。
オープニング曲は自作「那須の動乱」。この小説のテーマ曲です。
伊王野氏館跡 試掘調査見学
1999年頃に自身のホームページ「Masashi Iono's World(遊びとヘヴィメタルと作曲の超趣味的伊王野ワールド) 」を作成しました。もう内容的にも古く、20年ほど更新もしていないことから、こちらで先祖研究に特化した改訂・新規追加版を作成することにしました。そう思ったのが10年前で、そこから多忙極まれり、ようやく再開でき、当時作成の非公開ページもまだ残ってましたので、そのまま作成を再開します。
ある程度の更新で出来た段階で随時反映させていきます。
そもそもが、私が先祖について研究しはじめた経緯は、「先祖は那須与一」「那須町に伊王野という地名があり領主だった」というくらいしか父からの情報がなく、家には「那須郡誌」という本があって、それで確認するくらいしか方法がなかった。それを詳細に知りたいと思ったのがキッカケだ。このままだともっと分からなくなってしまうのではないかと思った。その後、かなり経って、幸いなことに以外にも北関東の戦国時代についての研究者はいたのでとても参考になった。
小学生の頃に、専称寺の渡辺龍瑞ご住職から家に電話がかかってきて、私が電話をとり父に替わった。母曰く「お父さんが協力しているのよ」と。それが「那須町誌」編纂の折のことだった。私の大叔父と父と水戸在住の父の従兄(本家)が連絡を取りあって「継志集」(水戸伊王野家版)のコピーを龍瑞先生に提供した。そして完成した「那須町誌 前編」は研究するうえでのバイブルとなった。
うちにもあったはずの「継志集」(水戸伊王野家版)のコピーは、その頃、川上家の系図を作成していた曾祖母の甥(川上家)に提供したままになり、私が見ることはなかった。しかし、川上家が当時(50年前)に調べた内容は貴重であった。
その後、上記の大叔父が水戸の祇園寺に行って過去帳を調べた結果や当時の墓の情報なども見つかり、ありがたいと思った。
それでも、不明点は多々あったので、時間のあるときに調べるというライフワークとなっていった。いつしか伊王野家の誰かが知りたいときに割と簡単に調べることができるように。ある程度まとまった情報として提供できるように。
その後、本屋で学術書や地方史のコーナーで探したり、ネットやSNS、今や国立国会図書館デジタルコレクションのおかげで新しいことも分かったり、私のホームページからメールで関係者から問い合わせがあり情報を入手出来たり、また近年においては那須歴史探訪館や与一伝承館から情報を得たこともあった。
ということでエンドレスで研究し続けていると、永遠にまとめられないので、そろそろまとめないといけないと思った。
※この写真(画像)は2026年5月中旬に伊王野氏館跡の試掘調査の見学に行った時のものです。鎌倉時代前半の盃の出土や、柱跡など貴重な体験となりました。伊王野小学校の建築の際に50cmほど盛土をしているとのことで、現在、普通に見ている地面はその時のもので、もともとの地面は50cm下なんですね。コミュニティ施設の建設のための調査ですから、試掘箇所は館跡の一部ですが、東京在住のままだったら見学する機会もなかったでしょう。
2017年から栃木県の那須町(黒田原エリア)に移住し、2年後に台風で近くの黒田川が氾濫し、床下浸水(1998年の那須水害では1階の天井まで浸水したそうで、その辺りは湖のようだったとのこと。川の上流からは4WD車が流れてきて、自身の車も流されたと家主さんから聞きました。)。で、その時はあちこち50cmほど浸水しました。奇しくも上記の盛土の高さと同じですが(笑)、その2年後に伊王野エリアに引っ越しました。
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