もともと東京キチは,2つのことを意図していました。
1つ目は,世界と日本をつなぐ場所。
2つ目は,地方と都会がつながる場所。
世界から,地方から,人が集まる場所ということです。
そして4年の運営を経て,いまあるもうひとつの価値はパーソナルな視点からは,
「それぞれに新しい価値観がもたらされて新しいライフスタイルを導き出す場所」
ということです。
それが東京キチです。
2014年12月27日です。
個人の取り組みとして,シェアする生活=シェアードライフ,所有しない生活をしたいと思いました。
一方で,海外から来る人が常にいる暮らしをしよう,という想いもありました。
そこで,この2つを実現する場として,東京キチを始めました。
東京キチを始める前は,世田谷に部屋を借りて住みつつ,シェアオフィスにてオフィスを構えていました。そのシェアオフィスで出会った人間とシェアオフィスをやろうという話が持ち上がり,どうせならそこに住もう,さらに海外のゲストが常にいるような環境を作ろうという流れで話が進んで行きました。
ライフスタイルを変えたい。
海外の人との接点を持ちたい。
Airbnbのホストをやろう。
シェアハウス,民泊ハウスを作ろうと思いました。
そんな時,日本国内の各地で活動する仲間たちから,そんな場所ができるなら泊めてほしい,との声が上がってきました。
世界から,地方から,色んな人が来るとなると,空港へのアクセスが良くて,東京駅へも近いところがいい。またどうせ東京の東側に来るなら下町の趣きがあるところが良いと思い,候補に上がったエリアが門前仲町とここ谷根千です。
もともと谷根千に縁があったわけではなく,
不動産会社を何件も歩いて回って,この家に巡り会いました。
もう15年以上Startupの世界にいました。最後は,年商約三億,社員が15人程度のウェブマーケティング会社にて,副社長をしていました。ナショナルクライアントのウェブマーケティングを行なっており,限られたリソースの中で,納品に間に合わせるために,夜な夜な仕事をする日々でした。
小さい会社が大きい会社に挑んでいく,そういうStartupが面白くて自分に合っていたので長いことその世界でやってました。
2011年東日本大震災があって,莫大なエネルギーを必要とする大量生産大量消費の価値観が崩れて行く感覚がありました。
モノが飽和している世の中である一方,全てが一瞬にして流されてしまう現実を目の当たりにして,自分自身に,「今の自分は本当に価値あることをやっているのか?」という問いがついて回るようになりました。
「このままの自分では何もなし得ることができないし,後悔することになる」という気持ちがどんどん高まっていきました。
働きずくめで稼いだお金を家賃に注ぎ込んで,ちょっとおいしいもの食べて旅行して自分の欲求を満たす。
そんな生き方を強いられてる気がしました。
この仕組みから出ないとしょうがない。そう思って,一度全てを変えようと思いました。
大前研一氏は, 「人間が変わる方法は3つしかない。」と言います。1つ目は時間配分を変えること。2つ目は住む場所を変えること。3つ目は付き合う人を変えること。
その全てを実行しようと思いました。
収入を減らしても豊かに暮らす道を探し始めました。
自分で作れるものは自分で作る。家具作りも始めました。
最初に作ったのは,キッチン棚。そこから,床を貼ったり,リビングローテーブル、ヘリンボーン壁を作ったりしました。
やってみれば,できるんだな,ということと,自分にも人にもいろんな才能が眠っているんだなということに気がつくことができました。
いまもその過程なんですが,価値観の大転換を自分の中にもたらすことができました。
この生活を始める前,30代前半に体重が90キロまで行ったことがあるんですよ。体重計の数字を見た時に,これはやばい,と思いました。
この生活に変えて,組織・人間関係・プレッシャーから来るストレスが減ったり,食に気をつけるようになって,随分と健康的になりました。
ただ実のところ,最初の1年目がつらかったです。
2014年の年末から東京キチを始めて,年明け2015年1月,2月は家具を揃える等,準備の期間でした。実際に,ゲストを迎え入れ始めたのは,3月からです。その時は,かなりの頻度でイベントも開催していました。3月,4月と過ごした後,5月になって,元々一緒に東京キチを始めてイベント開催をメインでやっていた人間が離れることになり,1人で東京キチを管理していかなければならないという状況になりました。
Airbnb運営をより良いものにして加速させながら、日中は家に人があまりいないので,スペースマーケットを始めよう。そうして,Airbnbに加えて,スペースマッケットでの運用が本格化していきました。
スペースマーケットでスペースの貸し出しを始めた当時は,東京キチのようにキッチンがあって,みんなが集えるというスペースがあまりなかったので,ホームパーティーの用途で多くの方々に利用していただきました。1年くらいの間,スペースマーケットの人気スペーストップ10にいました。その後は,競争が激化していったので,色々と工夫が必要になりましたね。
Airbnbもスペースマーケットも季節や時期による波があって,2つのサービスを組み合わせて1年を通じてプラスになるという形でしたね。でもやっぱり,マイナスの月があると不安になりました。常に変化に晒されている状態です。
そんな中で,協力してくれていた人から,「お前の本当にやりたいことはなんなんだ?」「なんでそんな大して利益もでないことをやるの?」と問い詰められたり。
今なら,「単純に面白いからやってる」「新しい価値観とそれを表現するライフスタイルを作っていっている」「世界と日本をつなぐことが自分のやりたいこと」と言える。「住む場所をシェアすること」が面白い。ライフスタイルをシェアしたら大いに喜ばれて、さらに収益も上げられることの価値は、いまだにそうであるけど、その価値観を共有できないことには面白さも価値も伝わらない。当時は自分自身もそれがもたらす価値を説明できなかったし、証明できてなかったし、周りの人の期待に応えてない自分がダメな奴じゃないかと思ったり、プレッシャーになったりもして,苦しい時期がありました。
金曜日の午後に木工教室に通っていたのですが,「平日の午後にこんなことをやって大丈夫かな?」と焦ったりもしました。
自分を奮い立たせて,「今はこれをやるんだ」「目の前のことをやるしかない」と言い聞かせました。
また,支えになったのは海外からのゲストの存在でした。
ほとんど常に海外からのゲストがいるわけで、お互いの暮らしについての話しになればなぜ自分がいまこのライフスタイルになったかの話しをするわけで,そうすると普通に「いいね」と受け止められるし,「わたしはここにまた来たいから必ず続けて欲しい」と言ってもらったりもよくありました。いろんな生き方があって当たり前という価値観を共有しながらする対話と、十人十色の彼らの生き方をみて,多くの気づきと学びがありました。
私は周りの人から,「好きなことをやって,自由に生きていいね」と言われていたのですが,この生活をはじめてみて,自分がいかに過去と世の中にある常識に囚われていたのかということを認識しました。
東京キチを始めて,もうすぐ丸4年になるわけですが,4年もやっていると実績と語れることが増えてきて,近所との繋がりも強くなってきます。このエリアでも,東京キチの存在感が増したおかげでいろんな話しができるようになったので、地域の一員である意識がより強くなりました。地域コミュニティは幸せを形成する大きな要素であることを学んだのも東京キチとこの地域との関係性のおかげです。
Airbnbのホストをやって,引っ切りなしにゲストが来ていた時,自分のベクトルはゲストに向いていました。
今は常に側にいるのは住人であり,住民にとってどんな場所であるべきかということを考えます。
シェアハウスのポイントは3つあると考えます。 ① よりよい住環境づくり ② 住人同士/地元地域との関係性づくり ③ 暮らしの中にある楽しさの追求
私ひとりが環境を作るのではなく住民の主体性が必要です。住民のみんなには,シェアライフがもたらす学びや価値観を享受してもらいたいなと思います。
ここに来て,単に暮らすだけでなく,次のステージにつながる生き方や暮らし方を見つけていってほしいと思います。
住民一人ひとりとしても,東京キチとしても,色んなことにチャレンジできたらいいなと思います。
入居者募集ページはこちら http://bit.ly/TokyoKichiRecruit