練牙を追いかけたのは気まぐれだった。たまたま練牙の身じろぎで目が覚めて、ふたたび眠れそうにはなくて、起きた練牙が何をするのか大体の見当はついた上で、想像通りの行動をする犬を見たかったから。それだけ。

 練牙が完全に部屋を出たのを確認してから、添も身を起こす。

 朝班の研修旅行で港町に来ていた。今回の宿泊先は旅館で、練牙は物珍しさにそわそわと見えない尻尾を振っていた。部屋に置かれたお着き菓子に感動し、温泉と浴衣を堪能し、留守の間に敷かれた布団に嘆息し。同室となった添はその一挙手一投足に内心笑いながら、自分はゆったりと寛いでいた。

 縁側から海の見える部屋だった。開け放した窓から入る生ぬるい風を感じながら、練牙と縁側で酒を飲む。日が完全に沈みきると、空と海の境界はぼやけて一体化していて、けれど波音が穏やかで心地の良い夜だった。向かいに座る練牙はほぼ寝ていて、後で布団に転がしてやるかと思いつつ、添は葉が擦れる音や虫の鳴き声なんかを聞きながら、ひとり地酒を飲み続けていた。

 そうしてのんびり過ごしたのが昨夜。毎回これくらいゆるい研修であってくれれば良いが、今日は一日観光兼研修の予定だった。だから添は時間ギリギリまで眠る予定だったのだけれど、目が覚めてしまったものは仕方がない。

 練牙の脱いだ浴衣が布団の端に畳んである。旅館の庭ではなく、港まで行って日の出を見るのだろう。添も着替えて部屋を出た。

 果たして、練牙は旅館の玄関を出て裏手に行ったところ──つまりふたりの部屋から見える位置で海を見ていた。

「練牙さーん」

 後ろから声をかけると、練牙はすこし驚いて、けれど添の姿を認めると「添!」と声を弾ませた。

「おはよう」

「おはようございまーす。早いですね」

「添も」

 曖昧に笑って、練牙の横に並ぶ。どうやら満潮に近いらしく、昨晩見たときよりも波が高くまで来ていた。カモメの鳴き声が波音に混ざって響く。

 練牙はプレゼントを待ち望む子どものように、水平線をじっと見つめていた。もっとも、練牙にそんな時期があったのかはわからないけれど。

 しばらくして、空が白み始める。薄く藍を掃いたような空の下から、じわじわと光が漏れ出した。

 光が目に染みる。まぶしくて、眠気がふたたび顔を出したような気がした。

「綺麗だな……」

 練牙の感慨深そうな呟きがぽつりと落とされる。ちらと見ると、その瞳は太陽を反射して輝いていた。

 添はあくびを噛み殺す。

「HAMAの日の出が一番だけど、どこで見ても日の出は綺麗なんだな」

 確かに、どこで見ても等しく日の出だなと添も思っていた。内情は練牙と真反対だが、「そうですね」と同調する。

 寮でもたまに、練牙が日の出を見に外に出ているのは知っていた。何回も見ているものに毎回感動できることにもはや感心すら覚える。今日も添の予想通り日の出を見に朝早く出て、しっかり感動し、その目をキラキラとさせているのだから、犬より単純かもしれないと思った。

 ふたたびあくびが出そうになり、けれど今度は堪えきれなかった。

「戻るか」

 添への気遣いか、練牙は後ろ髪引かれるように水平線を見ながらもそう提案してきた。

「はーい」

 日の出の早い時期だ。朝の集合まで時間があるから、この後二度寝しても良い。こんなことなら浴衣のままでもよかった、と横着なことを思う。

「今日の研修、楽しみだな!」

「美味い飯食べられるといいなー」

「主任がいくつかリストアップしてたぞ」

 これだけ元気な犬も二度寝を誘えば単純に乗るのだろうかと、よくしゅうまいと寝ている姿を脳裏に浮かべながら部屋に戻る。朝日は眩しくて眠たくて、これを好き好んで見たがる練牙が、やっぱり添にはわからなかった。