シーズンオフの海岸は閑散としていて、添の視界に入るのは海上にまばらにいるサーファーくらいだった。それから、たまに散歩で横切る犬たち。もう少し季節が進むと風が冷たく身を刺すのだろうが、辛うじて秋と言えるいまの時期は海辺でも過ごしやすかった。

 添と練牙は、砂浜に続く階段に並んで座っていた。会話はなく、波音だけがふたりの間に揺蕩っている。おそらく練牙も茫洋と海や犬を眺めているのだろう。

 その時だった。

 あっ、と思い身を躱したのと同時、「あっ!」と大きな声が練牙から発せられた。

「オレのクレープ!」

 添の目の前を、器用に爪でクレープを抱えたトンビが飛び去っていく。背後から二人の間を縫って、無事に獲物を──練牙が手にしていたクレープを奪い去って行ったのだ。

「あっ、ははは!」

 すこし離れた店で買ったクレープを落ち着いて食べようと海岸まで来ていたところだった。店先でも海岸でも、『トンビに注意!』という看板を何度も目にしたが、本当に狙われる人がいるとは。そして、それを目の前で見られるとは。

 添には信じられないことだが、絵に描いたようなアクシデントを引き起こすのが西園練牙という人間だった。添は腹を抱えて笑った。

「練牙さん面白すぎ」

 添がそう笑っても大した反応もなく、しばらく呆然としていた練牙だったが、「でもあいつも生きるのに必死なんだよな……」と同情するように言うものだから、添はより一層声をあげた。

「観光地のトンビは食べ物に困ってないと思いますけどねー」

 奪われたのに情けをかけてやるのがおかしくて、それから、それでも落ち込んでいるのがありありと伝わってきたから、これで機嫌が直るなら楽なものだと思い、

「食べます?」

 と自分の食べかけのクレープを差し出した。今度は奪われないよう、すこし身を寄せて。

「えっ、いいのか!? でも添のだし……」

「隣でそんなにしょんぼりされたら食べにくいなーって」

「そ、そっか、そうだよな! じゃあ……」

 もう少しごねるかと思ったが、練牙は案外すんなりと添の提案を受け入れ、添の手元のクレープをかじった。

 それから、「こういうの友だちっぽくて嬉しい」とはにかむように笑っていた。

 テレビで特集された観光地情報に釘付けになっている練牙に、「一緒に行きます?」と提案したのは添の方だった。

 HAMAよりすこし南下したそこは人気の海水浴スポットで、練牙は砂浜に喜びそうだと思った。元カノとも行ったことのある場所なので、賑わう商店街の人気店も大体わかっている。だから、練牙の喜びそうな店を選んでは提案してやっていた。

 帰りに寄った居酒屋もそのひとつだった。

 カウンター席のみのこぢんまりとしたそこは、目の前で板前が捌いた魚を出してくれ、案の定練牙は「こういう隠れ家っぽい店、かっこいいな!」と声を潜めながら喜んでいた。

 そして当然のように酔っ払い、料理がサーブされきる頃には骨の抜けたようにふにゃふにゃになっていた。砂浜ではしゃいでいたから──海に行くのは初めてではないのに、寄せては返す波にきゃあきゃあ喜んで駆け回っていた──、その疲れもあるのだろう。

 二人の目の前、カウンター内の料理人は、さっと練牙の前に水を出してくれる。本人は気づいていなかったけれど。

 それをむりやり手に持たせてやりつつ、ゆっくりと料理に舌鼓を打っているときだった。

「きょうは、添のしたいことできてよかった」

「え?」

 ぽつりと落とされた呟きに耳を疑う。

「おれ、いつも添にきぼう叶えてもらってるから……きょうも、そうだったけろ。でも添が行きたいお店とか行けたの、嬉しい」

 何を言っているんだこいつは、と素直に思った。それ全部お前の喜びそうなこと選んだだけだけど。

 そう言い返す代わりに、酒をぐっと煽る。バレない程度にちいさくため息をついた。

「よかったねー練牙さん、じゃあ最後にもう一個」

「ん?」

「ここは年上で優しい練牙さんが奢ってくれると嬉しいなー」

「いいぞ!」

「やりー」

 じゃあもう一杯、と地酒を頼む。胸がすきっとした気がした。