バスルームの扉が開いた音がして、練牙は背筋をぴんと伸ばした。

 自分から誘っておきながら、いまさら恥ずかしさや実感が波のように押し寄せてくる。添がベッドに来るまで、宣告を待つような気持ちだった。

「お待たせしましたー」

「お、おう!」

「なに練牙さん、緊張してるの?」

 ぎゅっと握った手を見つめる練牙の視界に、身を屈めた添が入り込んでくる。その拍子に髪からぽたりと水滴が落ち、そのおかげで練牙はいくばくか冷静になれた。

「髪、乾かさないと」

「いいじゃないですか、どうせこのあと汗かくし」

「風邪ひくし傷むぞ……」

「えー、いまのは照れないんだ」

 ベッドから立ち上がり、ドライヤーを取りに行く。ついでに先ほど自分が使ったヘアケアセットもピックアップして、練牙と入れ替わるようにベッドに座っている添の元に戻った。

「オレが乾かしてやる!」

「やったー」

 ずいぶんと平坦な返答は無視して、ヘアミルクを添の髪に馴染ませていく。ある程度馴染んだところで、ドライヤーのスイッチを入れた。

「ラブホでいつも通りのケアする人初めて見た」

「なんか言ったか!?」

「なんでもないでーす」

 練牙より短い髪の毛はすぐに乾いた。本当はこのあとにヘアオイルも付けたいが、先ほど添が言ったようにそれは必要ないかもしれない。そんなことを考えながらさらさらになった髪を触っていると、「練牙さーん、もういい?」と声をかけられた。

「あっ、ごめん。いいぞ」

「ありがとうございまーす。ドライヤー置いてきますね」

 ひょいとドライヤーを奪われ、練牙もヘアケアセットをしまう。そうしていると再び羞恥が込み上げてくるのだから仕方がなかった。

「やっぱり時間稼ぎだった?」

 戻ってきた添に顔を掬われる。頬に触れた添の手は冷たくて、自分の顔が熱を持っているのだと嫌でも気づかされた。

「だって、恥ずかしいだろ……」

「前は挿れなくていいのかとか言ってたのに?」

「それも恥ずかしかったに決まってるだろ!」

 添はおかしそうに笑ったあと、そのままおかしそうにキスしてきた。それで練牙は言い返す言葉を失ってしまう。

「いいじゃん、いっぱい気持ちよくなりましょう」


 練牙が「もっといっぱい添のこと触ってみたい」と言いだしたのは三日前のことだった。初めてセックスをしてから二週間が経っていた。

 ふたりでこんなに気持ちよくなれるんだ。初めて知った快感は練牙の心を甘く満たし、捉えて離さなかった。添とのセックスをつい思い出しては惚け、だめだだめだと頭を振った夜が何回あったのかわからない。男同士のセックスを調べていたときの不安──本当に尻で気持ちよくなれるのかという、あけすけで純粋な疑問からくるものだった──は過ぎ去り、ただただ気持ちよかったという事実だけが残った。

 そうしたら次は、もっと気持ちよくなってみたくなった。当然の欲求だった。

 添の「まだ触ってないところもあるしさ、もっと気持ちよくなれるよ」という言葉がリフレインする。もっと気持ちよくなりたいし、何より添を気持ちよくさせたい。そう決意した練牙が誘い、スケジュールを調整し、ようやく今日ホテルにありついたのだ。

 キスを繰り返しながら添を押し倒す。啄むように唇を合わせるだけのキスにじれったくなったのか、完全に横になった瞬間添の舌が口内に差し込まれた。

 舌を絡めると気持ちいいと知ったのは、セックスを知るよりもっと前のことだった。鼻から息が漏れ出て、ちいさな音になって霧散していく。

 気持ちよさにくらくらしながら、なんとか添のバスローブをはだけさせる。唇を離すと、練牙の息ばかりが上がっていた。

 おずおずと、添の胸元を触る。しっかりと質量を伴った肉体の弾力を感じながら指に力を込めると、添が隠すことなく笑い声をあげた。

「笑うなって!」

「いやー、練牙さんがあまりにも壊れ物みたいに触るからおかしくなっちゃって」

「そりゃ、人の体は慎重に触るだろ……」

「……」

 練牙にとっては当然のことだったが、添にとってはそうではなかったらしい。すこし目を丸くして、それから、

「好きにしていいよ」

と練牙の手を自身の胸元に押し付けた。そう言った添の表情があまりにリラックスしたものだったので、それなら、と練牙も素直に従うことにした。

「添はその、胸で感じるのか?」

 練牙が調べたネット記事には、胸は性別問わず性感帯になると書いてあった。それを読んだ夜に自分で触ってみたときは大して快感もなかったが、添は違うかもしれない。望みにも似た予想をしながら片方の乳首を手で触り、もう片方を舌で舐めていると、添は「うーん、あんまり?」と素直に答えた。

「……でも、勃ってる」

「それはほら、絵面がさ」

 それはつまり気持ちいいということだろうか? 練牙の腹に触れる添の性器は、互いのバスローブ越しでもわかるくらいには熱を持っている。このまま続けてもいいと判断し再び乳頭を口に含んでいると、急に添の指先が乳首を掠めた。

「ンっ!?」

 思わず胸から口を離す。見ると、添がずいぶんと楽しそうに笑っていた。

「練牙さんのが胸で感じるんじゃない?」

「いや、そんなことはないと思うぞ……」

「でもほら」

 添が爪の先で乳首(いつのまにかピンと勃っていた)を弾いた途端、練牙の体を電流が走ったみたいに快感が駆け抜けて、思わず背中を丸めた。

「ね?」

 添の言うことは尤もらしかった。ひとりで触っていたときに感じなかったのが嘘みたいだ。

 一瞬快感に気を取られたが、ふと見た添がニヤニヤという言葉が似合う笑い方をしていたので、練牙は己の頬を叩いた。文字通りではなく、頭の中で。

 このまま添に触らせると、また添に教えてもらうだけで終わりそうだ。添の気持ちいいところも見つけるという目的を果たせなくなるのは嫌だった。

「きもちい、けど、今日はダメだ」

 なので、練牙は素直にそう伝えた。添も「お好きにどうぞ」と引いてくれたので、脱力した体をあちこち撫で回すことにした。

 それからの練牙はさながら研究者だった。添の体──脇腹や肋骨、二の腕なんかを様々な力加減で触っては、添の反応を確かめる。途中で添も練牙の肌を触ったり、勃った性器を練牙に擦り付けたりして、ふたりはしずかに、けれど確かにセックスを楽しんでいた。

 添はどこを触っても練牙のように反射的に声を上げることはなかったが、頬は上気していた。

 そうして練牙がひとり満足していると、突然添に性器を掴まれた。

「さすがにこれだけでイけないんで、そろそろいい?」

 練牙さんもキツいでしょ、と言われてようやく、自分の性器も勃ち上がっていることに気づいた。

 練牙の返答を待たずして、添は自分のペニスと練牙のそれをまとめて握る。手で扱きながら腰も動かされ、途端に練牙は添の上に倒れ込んだ。

「あっ、や、きもちい」

「ね」

「てんっ、てんも」

「ん?」

「てんも、きもちいいか?」

 時間をかけて散々触って確かめてきたから答えは自明だったが、それでも添の口から聞きたかった。快楽でチカチカする視界の中、ふっと笑った添の顔が見えた。

「きもちいいよ」

 その言葉を聞いたのとほとんど同時、練牙は果てた。数瞬して腹に熱いものがかかったから、添も射精したのだろう。

 脱力した練牙を受け止めたままの添の首筋に汗が伝っていて、おもむろに舐めとってみる。急に覚えのある香りが鼻を満たし、遅れてヘアミルクの香りだと気づいた。

「てん、いい匂いだ」

「今? 練牙さんって本当に犬みたいだね」

 わしわしと、それこそ犬を撫でるように髪をかき混ぜられる。練牙も汗をかいていて、確かにドライヤーは二度手間だ、とそのときようやく実感した。この後は一緒に風呂に入り、また同じ匂いになってもいい。きっと添もなんだかんだ言いつつ快諾してくれるだろう。

 快楽の余韻に浸るなか、「今度は練牙さんの気持ちいいとこ一緒に見つけましょうね」という声が甘く響いた。