夜風がカーテンを揺らす、しずかな夜だった。外を走る車のタイヤとアスファルトが擦れる音や、たまに聞こえる酔っ払いの大声に混じって、ページをめくる音が部屋を満たす。

 添は三段ベッドの最上段で肘をつき、テーブルで台本を読み込む練牙を眺めた。

 こうしているときの練牙はとてもしずかだ。眉根から綺麗に通った鼻筋が先端でツンと丸みを描き、その下にあるすこし薄い唇は手本のようなおうとつを伴って、顎までなだらかな曲線をつないでいる。

 普段HAMAツアーズのメンバー誰とでも交流を持つ姿とは異なり、誰も寄せ付けない冷たさを持っている。──情報漏洩に気を遣い、モデル仕事の台本チェックなどは付近に人がいない時にしているから、誰も寄せ付けないというのはあながち間違ってはいないのだけれど。

 しゅうまいは可不可と一緒に夜の散歩、添はベッドで横になっている。となれば、台本を広げるには絶好のタイミングなのだろう。

 この距離であれば、添は見ようと思えば内容を確認できてしまうが、積極的に覗くつもりはない。なのでこういうときは、添は暇つぶしに練牙の顔をよく見ている。改めて、己の顔と体に価値を生み出し仕事をしている人間だ、と思う。

 前髪で隠れているおでこが綺麗な丸みを描いていることを、寝返りを打った顔を見た時に知っている。

 精悍な顔つきが一瞬にして破顔することを、犬の世話で、飲みで、出かけることで知っている。

 すべてが地続きの練牙で、でも添がよく見るものは無防備な顔ばかりだから、こうして真剣な表情をしているのは珍しいのだ。

 バラエティーの台本なのだから──それくらいパッと見てわかってしまうのは許してほしい──、段取りと要所要所のみ抑えればいいと思うのだが、練牙は熱心に何度も何度も確認していた。

 しばらく車も通らなくなって、しずかな空気が満たす空間を、添は切った。

「練牙さん、なんか飲みません?」

「あっ、添! 起きたのか」

「うん、まあねー」

 別に寝ていたわけではないのだが、正直に言って「オレのために静かにしててくれたんだよな……?」などと勘違いされては面倒なので、特に指摘はしない。

「台本読んでたの?」

「ああ、明日収録で」

「じゃあ尚更一旦休憩した方がいいですよ。コーヒー淹れに行きません?」

「行く!」

 顔が一気に柔らかくなる。近ごろ招かれた糖衣のバースデーエリアに倣うなら、喜びで花が舞っていたことだろう。

 階段を降りるにつれ、キッチンから挽いた豆の芳香が漂ってきた。見ると、七基がちょうどコーヒーを淹れているところだった。

「ラッキー、オレたちも淹れてもらっちゃいましょうよ」

 七基ー、と呼びかけると、心優しい高校生は見返りを求めることもなく快諾した上に、好みや気分まで聞いてくれる。

「叢雲さんはブラックですよね。西園さんはどうします?」

「んーと、ミルク入れてもらえるか? 夜だし……」

「了解です。この豆カフェオレも合うので、そうしちゃいますね」

「ありがとう」

 七基からマグカップを受け取り──もちろん礼も忘れずに──、部屋に戻って、自分たちで淹れるよりもよっぽど美味しいコーヒーを飲む。可不可が設定したぬるい冷房のなかホットコーヒーを飲むのはすこし暑かった。

「七基いてよかったですね。うまー」

「ああ、こんな美味いコーヒーが淹れられてすごいよな! あったまる……」

 練牙を見ると、カップを両手で持ちながら目尻をゆるゆると下げていた。

「ちょっと暑いくらいですけどね」

「確かに。でもオレ、あんまり冷やさないようにしてるんだよな。腹は強いんだけど」

「プロ意識すごー」

 確かに胃腸の弱い人間は腹丸出しで寝たら体調崩すだろうな、と練牙の寝相を思いだし、内心でちいさく笑う。

 飲み終わり、またしずかになる前に、添はベッドに上がった。

「じゃあオレはお先に」

「ああ! おやすみ」

 ベッドのカーテンを閉める直前、「あ! 添!」と呼び止められる。

「休憩誘ってくれてありがとな!」

 血色の良くなった顔で、練牙が破顔する。コロコロ変わる表情に、そういう間抜けな顔のが合ってるよなー、とぼんやり思う。

「いえいえ。練牙さんも根詰めすぎないようにね」

「おう!」

「おやすみー」

 今度こそカーテンを閉める。再び、練牙が紙をめくる音が部屋を満たす。しずかな夜だった。