金光教は、1859年11月15日(旧暦では安政6年10月21日)、教祖様が親神様(天地金乃神様)からのお頼みをお受けになられ、家業である農業をおやめになって、常時、ご神前にお座りくださり、難儀な人々を取次ぎ助けられるようになりました。 そこから金光教が始まっております。
教祖様は、1814年、今の岡山県浅口郡金光町に生まれられました。 12才の年にご養子に行かれ、お若いときから、仕事にも、生活のなさり方にも、実意丁寧で、その上、信心深いお方でありました。人生の色々の難儀に出会われて、信心のご体験を重ねられ、42才の時に、"九死に一生"という大患いをなさいました。 教祖様は、その時「人間はしあわせでありたいのに、どうして、このようないろいろの難儀に出会うのだろうか」と、日ごろからのご自分の生き方をふりかえられ、そこに始めて心の底から、ご自身の不十分なところ、足らぬところに気付かれて、「これですんだとはもうとう思いません」と、人間思案の不十分さと思いあがりをお詫びになって、そこから神様のおかげを頂かれました。それをきっかけにして、一段と信心をお進めになって、46才のときに、『世間になんぼうも難儀な氏子あり、取次助けてやってくれ、神も助かり、氏子も立ち行く』という親神様のお頼みをお受けになられて、明治16年(1883年)、70才でお亡くなりになりますまで、ご神前にお坐りくださって、多くの人々をたすけられました。 教祖様の、このご信心と御取次のご神勤は、二代金光様、三代金光様、四代金光様、五代金光様、現教主金光様と、こんにちに受け継がれております。
親神様(天地金乃神様)は、人間の本体の親様であります。 人間は親神様のご神徳の中に生かされている氏子であり、神様をはなれては生き得られないものであります。 同時に、神様もまた、人間の働きによって、神の働きをあらわすことができるのであります。 このように、神様と人間とは『氏子あっての神、神あっての氏子』の関係にあります。 ところが、この道理を知らぬところから、あらゆる迷いが起こり、数々のご無礼を積み重ねて、人は難儀をするのであります。この人間の難儀が、そのまま、神様のお苦しみであり、人間が助かっていくことが神様のお喜びであり、神様も助かりなさるのであります。 この道理を人に伝え、人間の願いを神様にお祈りして、人を助け、神様を助ける働きを、金光教では"取次"といいます。教祖様は、生涯、この取次のご神勤をしてくださいました。 この、教祖様の助かっていかれた、ご一生の生きられ方、そのものが、金光教の教えであります。
そういう意味で、御取次は、"人が助かることによって、神も助かる"働きでありまして、金光教の信心は、この"取次"であるといえるのであります。 人間が助かっていくことをはじめ、教会や教団の一切の営みは、この御取次をとうして行われるのであります。 そして、取次としての金光教のあらゆる営みは、"人が助かりさえすればよい"という願いが基盤であります。 御取次は、"どうぞ、助かってくれ"という神様のお頼みと、"私の難儀をどうぞ、助けてください"という氏子の願いとの――ご神願と人間の願いとの――出会いどころであり、氏子の難儀のひきうけどころであります。 このように、御取次は、取次ぐものと取次がれるものとの間で行なわれる、信心の願い合い、頼み合い、助かり合い、拝み合いの関係で、取り進められているのであります。 親神様が、『まさかの折には天地金乃神と云うに及ばぬ』とおっしゃいましたのは、この御取次の働きにすがることであり、御取次が――従って、人が助かるということが――金光教の一切の根本であります。
ご本部ホームページより掲載