競争とイノベーション

「どの辺りでハイテク系のM&Aを止めたらいいのか」

あなたの日常を支配する巨大ビジネスや独占企業のことが気になりませんか? 気にならないという人も、たぶん本気で心配したほうがいいと思います。やがて値段は吊り上がり、サービスの質は下がるでしょう。だからこそ、アメリカには独占禁止法が、ヨーロッパには競争政策があり、企業同士が買収しあって独占企業が誕生することを阻止しています。

しかし、話はそれで終わりではありません。世の中には新技術の波がつぎつぎと押し寄せ、企業は世代交代していくものです。イノベーションが重要な役割を果たす業界について考えた場合、じつは「大企業の合併は阻止した方がよい」という経済学的な論理は破綻します、あるいは「ほぼ」破綻します。

なぜでしょうか?

一つには、独占企業が出現するにいたったのは、過去にイノベーションに成功した結果かもしれません。ある企業が優れた新製品を生み出し、ライバル企業がそれに太刀打ちできない場合、イノベーションの結果として業界のチャンピオンが生まれます。

もう一つ大事なのは、将来得られるかもしれない独占利益を夢見ることで、イノベーションへの意欲が駆り立てられる(かもしれない)という点です。結局のところビジネスは慈善活動ではありませんから、テクノロジーへの投資を刺激するには利益という「ニンジン」をぶら下げておくことも必要です。

ここまでの話をまとめると、独占は過去のイノベーションの「結果」かもしれないし、独占利益を夢見ることが未来のイノベーションの「原因」になるかもしれないということです。

経済学者たちは、ほぼ一世紀にわたって競争と技術革新の関係について議論してきました。ある学派の人たちは、競争はイノベーションを促進すると言います。別の学派の人たちは、競争がイノベーションを抑制してしまうと言います。さらに「逆U字型パターン」を神聖視するカルト(新興宗教団体)もあります。逆U字型とは、多少の競争は良いが、激しい競争はイノベーションに悪いという信仰です。

ちなみに理論家たちはほとんど何でも起こりうると言っており、いっぽう実証家たちは現実の産業で「実験」するのが困難なため途方に暮れています。そんなわけで経済学者たちの議論は終わりませんでした。

私たちの新しい研究は、競争と技術革新の関係が【図1】のようになっていることを示しました。少なくとも、私たちが精査したハードディスクドライブ(HDD)のグローバル・ハイテク産業においては。すると結局、誰の言っていることが正しかったのでしょうか? 日本的な礼儀正しさでもって私たちはこのように宣言します、誰もがみんな「ほぼ」正しかったのだと。グラフは、最初は競争に伴って技術革新に投資するインセンティブが高まることを示していますが、このポジティブな効果は、4社か5社以上が競合するあたりから次第に減衰します。

【図1:競争に伴ってイノベーションは増加し、その後横ばいになる】

独占状態がイノベーションに悪影響を及ぼすのはなぜでしょうか? 疑問に思う方はご自身にこう質問してみてください、もし仕事をしなくても優雅に生活できるのであったなら、それでもあなたはあくせく働きますか?

それとは対照的に、2社、3社、または4社の競合相手がいる市場においては、企業は技術革新に熱心になります。より良い製品(または高い生産性)があれば、ライバル企業を圧倒することができます。つまりイノベーションに成功すればより多くのお金を稼げますし、人々はあなたの会社を愛してくれるかもしれません。そしてあなたは良い気分になれるでしょう。

ではその後、5社、6社…とさらに多くの競合他社に直面したとき、どうしてイノベーション意欲は一層高まっていかないのでしょうか? そこにはデリケートなバランスがあります。1つのケースとして、もしあなたの会社が業界トップクラスの競争力を誇っているとしたらどうでしょう。きっと、たくさんいる競合他社の12番手とか13番手が生きていようが死んでいようが、あまり気にならないでしょう。または逆のケースとして、あなたの会社が弱小な場合、もはや会社の存続は絶望的です。遅かれ早かれ倒産してしまう可能性が高いので、いまさら新しいテクノロジーに投資する意味はありません。

というわけで、「プラトー」(当初増加してその後横ばいになる台地型のパターン)こそが、「逆U字型」の邪教に取って代わるべき正しい信仰対象です。

さてそれでは表題の件に戻りましょう。M&Aによる業界の統合をどこまで許可するべきでしょうか? 慣例としては、一つの市場に3社くらい残っていれば、それで良いと言われてきました。少なくともテクノロジー系の産業については、それが合併規制における事実上の政策方針でした。

問題は、それが正しいポリシーであることを証明したり、どのような意味でこれが「良い」ポリシーであるかを説明できなかった点です。しかし今回の研究によって、それができるようになりました。

思考実験として、たとえばドナルド・トランプ大統領(または彼の後継者)が独占禁止法を廃止し、欧州委員会が競争総局を閉鎖するとしましょう。独占企業を生み出してしまうようなM&Aも含め、すべての合併が、確実に可能になるわけです。

私たちのシミュレーションによれば、その結果として2つのことが起こります。

一つには、より多くの企業が業界に参入し、多くの投資を行うでしょう。少なくとも業界の初期段階では、より多くの企業と投資が存在することになり、より多くの競争と技術革新が行われるでしょう。

その理由は、経営者や投資家にとって、この業界に参入しそこで生き延びることが、より魅力的になったからです。最終的にはお互いに合併を繰り返し、独占利益を上げることができるでしょう。または、そのような業界チャンピオンに買収してもらうことで、高い対価を払ってもらうことができます。こういう環境でビジネスを行うことには、それ自体に高い価値があるからです。これを合併規制を緩和することの「価値創造」効果と呼びましょう。

しかしこの規制緩和には、副作用があります。業界が成熟し、M&Aの波が実際に起こった後には、競争も技術革新もなくなってしまうのです。企業の数が減ると競争は緩やかになり、テクノロジーへの投資も減っていきます。消費者は、最終的には高価格・低品質・貧弱なサービスの三重苦に苛まれることになるでしょう。

残念ながら、業界のライフサイクル全体について計算すると、この「競争制限」効果の方が、先程の「価値創造」効果よりもはるかに大きくなります。(これらの経済学的な諸力の具体的なバランスがどうなるかは、産業や技術によって異なるでしょう。しかしこうした要因そのものはどの業界にも常に存在します。)

そのため、長期的な社会厚生(経済学者が市場のパフォーマンスを評価するために使用する総合的な幸福の尺度)は、「独占禁止法を廃止した仮想世界」において大幅に低下してしまいます。その様子は【図2】が示す通りです。

【図2:長期にわたる社会厚生】

というわけで、独占禁止法を廃止するのは悪いアイディアのようです。それでは逆に、M&A規制を強化したらどうなるでしょうか? 具体的には、業界にまだ4社または5社が存在している場合でも、合併をアグレッシブに禁止してしまえば、社会厚生は一層高まるのではないでしょうか。

私たちが再度シミュレーションしたところ、たしかに社会厚生は僅かに増加しましたが、それは無視できる程度でした。なぜなら規制によって競争を促進するのにも限度があるからです。規制当局は合併を阻止することならできますが、競争に敗れた企業の破産を止めることはできません。これはちょうど警察が殺人を抑止できたとしても、自然死を止めることはできないのと同じです。

註:このブログ記事は、The Review of Economic Studies に掲載された筆者二名の研究論文「合併、技術革新、および参入・退出のダイナミクス:1996年〜2016年におけるHDD産業の統合」に基づいています。このブログ記事は、 LSEビジネスレビューやロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの立場ではなく、筆者の見解を示すものです。

このページは「When to stop high-tech mergers」と題したLSE Business Reviewの一般向けブログ記事(2019年10月1日)を和訳したもので、内容は研究論文"Mergers, Innovation, and Entry-Exit Dynamics: Consolidation of the Hard Disk Drive Industry, 1996--2016"の要約です。