今までの曲作りでどのようなマインド変化の中で,今もなお変化する私のスタイル感になったのか。
様々な曲を聴く中で,様々な曲やジャンルに触れる中でごちゃごちゃと混ざり形成された故。
勿論として,作詞の際に意味合いを下さ家にしているわけではない。その曲が何を言いたいのかは全て歌詞に詰め込んでいる。私はそれを英語だから,とか,タイ語だから,とか,として懸念するのではなく,しっかり見手に詠んでもらいたい。
英語の授業で作った曲。指定されたイディオムを用いてのオールイングリッシュラップを試みた。
Fantasticを作った際に,英語でラップをすることの楽しさと,よりネイティブリィなセンテンスを描けるようになりたいという思いから,日本語の強みである,一音一音の子音の強さ,英語の強みである,単語数以上の音数を活かそうと試みた。
友だちに向けてのファンソング。その子の作るノベルや,趣味の物のワードを用いて作った。この頃から“誰かに届ける”という方向性にフォーカスし始めた。
日本語と英語+タイ語を使うようになった。タイ研修を経てタイ語に興味を持ち,またタイの子にも届くようにと思い,3ヶ国語の作詞を試みた。
日本語を少なく,英語とタイ語を多く使うことを試みた。
トラック(音源)の曲構成を分かりやすくしつつも,作詞,メロディやラップラインで展開を増やすという形態での作成となった。
初めてタイトルにタイ語を用いた楽曲。タイ語をより多く使うことにフォーカスしつつ,英語だけの8小節や日本語の音の強さを生かしたパートを取り入れたりと,ラップラインの強い楽曲となった。
PīsavageやSassy Predatorを受けてその系統の延長線上のような楽曲となった。タイ語が目立つほど分布はしていないが,8小節タイ語のパートを取り入れ,また,全体的に見ると英語が多い歌詞形態となった。