夜は短し歩けよ乙女(2017年 日本)

京都と男女の恋をテーマに大学生達の長い一夜を描く青春映画。

大学生の男がそれまで色恋に無縁だった同じ大学生の女を追いかけ回す様をメインに比喩として描写された、とてつもなく長い濃密な一夜で通じて恋が成就する。全体的に少しわちゃわちゃし過ぎていたり衒学的な印象は受けるものの、京都を舞台にしたレトロでオリエンタルな雰囲気や次々と展開されていくまるで舞台劇のような場面をアニメーションで見事にやりきっているところは見ごたえがあった。とことん原始的な男女のあり方がいかがわしさと共に作品の面白さの重要な要素になっていたところは考えさせられる。

アックス・ジャイアント(2013年 アメリカ)

犯罪者更生プログラムの一環で山奥にやって来た者たちが斧を振り回す巨人に襲われるホラー。

作りはB級の安っぽい怪人ものであるのだが、4mほどの巨人のサイズは進撃の巨人などと比べてもややリアリティが感じられ、恐怖が身近に迫ってくるような設定である。巨人にが巨人に合うサイズの斧を振り回す様はシュールでありながらも迫力が存在していた。利己的でサディストだった嫌われ者の教官が真っ先に巨人に殺されるが、単純な悪役の嫌な奴としてではなく、更生プログラムに参加中の若者たちを最後まで逃がそうとする姿がしっかりと描かているあたりに、本作にこめられたテーマを感じ取ることができる。

がっこうぐらし!(2019年 日本)

突如、ゾンビと化してしまった人々に包囲された学校でサバイバル生活を送る女子生徒たちの姿を描いたゾンビホラー。

当初はほのぼのとした「学園生活部」の日常が、急に暗転してホラーシーンへ突入する意外性とコントラストは唖然とさせられるものがあった。ゾンビものとしてのツボもきっちり押さえられている。しかし、台詞回しが如何にもコミックを原作にしたような浮ついたものになっており、また全体的にアクションや演技にキレや迫力がなく、常にチープ感が漂う。ゆるふわな学園生活シーンは現実逃避的にも描写されているが、学校に閉じ込められた子どもたちが無理やり今の生活を楽しもうとする痛々しい姿はメタファーとして社会批判的にも捉えることができる。

ハドソン川の奇跡(2016年 アメリカ)

サレンバーガーという人間を英雄にした2009年のUSエアウェイズ1549便不時着水事故を描いたクリント・イーストウッド監督の作品。

作中では着水を特別に誇張するわけでもなく、また劇的にも演出しておらず、サレンバーガーの人間性と重ねられるようにどこまでもクールでコンパクトに仕立てられているが、それがリアリズムであるように感じられるかと言うと、サレンバーガーの英雄願望などの俗物さや高揚感が全く削ぎ落とされることで却って不自然にも感じた。本当にハドソン川に着水するしか選択肢はなかったのか、NTSBの厳しい追及はサレンバーガーのプライベートまで深く踏み入る。そして、ラストのNTSBの主張がひっくり返るシーンのコメディのような間抜けさと哀愁が漂うところで、私はこの事故の事実が本当はどうだったのか、余計に分からなくなり、日航123便墜落事故について少し思いを馳せることになった。ただ、本作が炙り出すある人間の歴史のほんの一部分だけを切り取ることで英雄扱いをし、過剰な注目を集めることに対する違和感や不信感というイーストウッドの視点には共感出来る。悪役にされながらも、真実の究明のために手を緩めないNTSBにも敬意を。

バリケード ~閉ざされた山荘~(2012年 アメリカ)

妻を失った主人公が子どもを連れて妻が生前行きたがっていた山荘で休日を過ごすが、そこで奇妙な現象に巻き込まれていく。

思わせぶりな現象と主人公の体調の悪さやメンタルヘルスを結びつけつつも、最後まで曖昧にしたまま幕を閉じる。実は主人公が風邪による熱にうなされたせいで凶行に走ったのではないかという演出ではあるのだが、元々精神的に不安定で妻が死んだ原因も主人公のDVなどがあったのではないかという解釈も出来るようになっていた。映像作品として、もう少し奥行きと明瞭さが欲しかったところ。

ザ・ボーイ 人形少年の館(2016年 アメリカ)

ベビーシッターの仕事を引き受けた女性。しかし、老夫婦が溺愛するその子ども「ブラームス」は人形だった。

老夫婦が旅行に出かけると、バカバカしいとルールを守らず、人形のことも放ったらかしにする女性。しかし、やがて不可思議な現象が次々と起きるようになり、その人形が本当に生きていると思いこむようになる。女性は辛い過去を抱えていたので、精神的な病の影響もあるのかと視聴者的に推察させるが、本物のブラームスが青年として登場する衝撃の展開からはありきたりな怪人ホラーになってしまった。社会から隔絶された醜い容姿の息子に何とかして女性を与えようとした老夫婦の策略のことを考えると、新しいタイプの恐怖が存在するし、社会風刺として考えさせられる物語にもなってはいるのだが……。

十二人の死にたい子どもたち(2019年 日本)

安楽死を目的にSNSを通じて廃病院へと集まった12人の青少年たち。しかし、廃病院のベッドには部外者である13人目の来訪者が眠りについていた。

この13人目の予期せぬ存在を巡って話し合いを進めていくうちに、やがて深い失望しか映らなかった長い人生の時を再び見つめ直すことを決意するというサスペンスストーリー。舞台調の演技や劇が決してチープでなく、迫力がある良いものであった。オチは予想通りだったが、ティーンエイジャーに寄り添った野暮な大人が介入しない(ように視聴者には一見映る)クローズドな自殺サークルものとして、一人一人の人物の設定や特徴に奥行きがあり、練られたギミックもなかなかの見ごたえだったといえるのではないだろうか。

ゴースト・シャーク(2013年 アメリカ)

水のあるところならどこへでも現れるサメの幽霊が暴れるモンスター・パニックホラー。

鮫の脅威に人間の生命が脅かされる映画は珍しくなくとも、鮫のお化けが人間を襲う映画となると今までなかったんじゃないか、と思わせる程度には設定に捻りがある。幽霊なので水があればどこへでも出現し、プールや浴槽、蛇口にコップの水から突如鮫が現れて人間を食いちぎるシーンはなかなかシュール。そもそも水要素は必要なのかというツッコミが野暮に思えるほど大真面目におふざけをしてみせるノリが、ラストで失われてしまったのは残念。

若おかみは小学生!(2018年 日本)

両親を事故で亡くした小学生の女の子が引き取られた先の祖母の旅館で女将として奮闘する児童文学原作のアニメーション作品。

両親を亡くす、苦手なものを親の代わりに幽霊の助力で克服する、両親を亡くした事故の当事者とわだかまりの融解を迫られるなど、小学生にはあまりにも酷な辛い現実が次々と主人公の前に襲いかかり、昔の世界名作劇場のアニメを見ているような陰鬱な気分に陥りそうになる。主人公の前向きな姿勢と性格により、とことん作品自体の雰囲気を明るく保とうとはしているが、そこがまた見ている方としては生きるということへの厳しさが強調されているようで切なく、また一方では作品を退屈にさせていることへの批判に繋がる部分でもあった。余談だが、昨今、喫煙のシーンはフィクションでも描写がカットされたり、NGになっているという話を聞くが、児童労働については、フィクションなら倫理的にまだ問題はないのだろうか、という疑問を抱いた。

パーフェクト・トラップ(2012年 アメリカ)

閉ざされた空間から殺人鬼が仕掛けた罠を掻い潜っての脱出を目指すシチョエーション・スリラー。

SAWのスタッフが脚本などに参加しているというだけあって、限定された空間という条件をうまく利用した罠のスリルや映像クオリティは素晴らしく、ショッキングなシーンが画面を飛び越えて視聴者にも襲いかかってくる。しかし、シナリオと罠や脱出要素の巧みな融合は奥行きはさほど見られず、ただスプラッターのシーンを淡々と見せられていくというだけの出来だったのは残念。冒頭における主人公が友人と遊びに行った先のクラブで踊っている大勢の若者たちが殺人鬼の仕掛けによりトランス状態のまま無残に虐殺されていく様を見た時は、B級ホラー的なアイロニーを感じさせこの作品にとても期待させられたのだが……。

ゾンビスクール!(2015年 アメリカ)

給食のチキンナゲットを食べたことが原因でゾンビになってしまった子どもたちにより、教師を始めとした大人たちが襲われ、学校に閉じ込められてしまう。

コメディテイストの強いパニックホラーで、個性的な教師達によるクレイジーなやりとりや教育方針などは面白く、大人が学校に閉じ込められる姿と共に、これらが風刺や社会批判として子ども達のゾンビ化に繋がっているのかと当初は考えさせられたものの、子どもたちがゾンビ化してからは、ありがちで内容の薄い退屈なB級ホラーのレベルでしかなくなってしまったことにがっかりした。映像的には、大人が容赦なく子どもに危害を加えており、見方によっては、なかなかのエグさがある。平穏を取り戻すために教師たちが子どもたちの存在しない場所を探す旅へ出るラストのシーンはなかなかシュール。

ダンケルク(2017年 イギリス・フランス・オランダ・アメリカ)

第二次世界大戦におけるダンケルクの戦い(ダイナモ作戦)を連合国側の視点で、ナチスドイツに追い詰められた英仏数十万人以上の兵士達がどのようにして救出されたかを描いた作品。

脱出劇といっても、『大脱走』のように大きなカタルシスが得られるタイプのものではなく、アクションや映像的なダイナミックさ、そしてた国のためにこの救出劇へ参加した多くの民間人の覚悟などのドラマ性すらも期待したほどではなく、クリストファー・ノーラン監督の戦争への冷徹な見方を強調したような控えたものになっている。陸・海・空の軍が場面毎にそれぞれ微妙に違う時間軸とアプローチでこのダンケルクの戦いに関わっていく演出になっていることから、構成が若干分かりづらく、なおさら没入のしにくさも感じた。しかし、これが一連の救出劇が成功した後のイギリス国民の高揚ぶりと、多くの助かった兵士たちの喜び少なく、ただただ疲弊した表情との比較や対照へうまく繋げられ、背景に流される「撤退は勝利を意味することではなく、戦いはまだ続く」という旨のチャーチルの演説が、決して戦争で成果をあげたことへの称揚ではなく、なんともいえない哀愁を生むことに、映画として成功していたように思う。

雪女(2017年 日本)

山の中で雪女に遭遇し、同行者を殺された主人公が、秘密の厳守を約束することで自分だけ命を助けられ、やがて、雪女が化けて現れた女性と結婚をし、家庭を築くという怪談の古典を下敷きにした作品。

明治期の日本を舞台にしたであろう映像は、静的な空気に包まれる中で、オリエンタリズムやエキゾチックさが強調されており、神事や学校教育での体操や踊りなどが日本人の目から見てもシュールに映るなど、なかなかのキワモノ感があった。人を殺し続けなければならない雪女の存在を異邦人として配置し、工場の町として発展を遂げる途上にある閉鎖的な村の中で軋轢が起きていく様は、様々な比喩が込められており、知的好奇心を刺激してくれるものの、話そのものには捻りがあるわけでもなく、娯楽作品としての分かりやすい面白さなどにやや欠ける。

ブラッディ・マリー(2006年 アメリカ)

鏡の前で名前を呼ぶと女性の幽霊が現れるという、アメリカの都市伝説「ブラッディ・マリー」を題材として扱ったホラー作品。

精神病院の地下フロアで鏡の儀式を行ったことにより看護師が行方不明になってしまうことから物語は始まる。マリーはかつてこの精神病院に入っていた患者で、ある事件をきっかけにブラッディ・マリーと呼ばれることになり、やがて離院として行方をくらませた末、地下フロアにおいて餓死しているところを発見されていた。医師をはじめとした医療スタッフの一部はこのマリーについての謎を明かそうとしない。それが最後まで明かされないままなので、話を掴みにくいものになっている。ブラッディ・マリーが勝手に暴れているだけでなく、医療スタッフや患者の中には悪魔崇拝者のようにマリーの味方をする人間もいるのだが、その理由もよく分からないまま幕を閉じてしまうのだ。冒頭の看護師が属する女性グループに鍵はあって、陰湿さやヒエラルキーが存在する関係性をそのまま医療の現場への批判の比喩にしているのかもしれない。

ドラゴンボールZ 神と神(2013年 日本)

圧倒的な力を有する破壊の神ビルスに対し、孫悟空がスーパーサイヤ人ゴッドとなって挑む。

今までの劇場版に比べてZ戦士達の日常を描くコメディパートの占める比率が圧倒的に高く、戦闘シーン自体はかなりあっさりしているので、アクションやアドベンチャーとしてのドラゴンボールを求めると淡白な出来にがっかりするかもしれない。個人的にも魅力に欠けるしっくりこない作りではあった。17年ぶりの映画ドラゴンボールは鳥山明が製作に深く関わったらしいが、漫画を描く才能と映画を作る才能はやはり違うということなのか、あるいはクリエイターとしての鳥山明にかつての輝きを求めることに無理があるということなのだろうか。

ブレア・ウィッチ・プロジェクト(1999年 アメリカ)

魔女伝説に関する調査を行うために森へ入った青年たちが様々な怪奇現象に見舞われるというモキュメンタリー。

日本でも80年代~90年代にかけて宜保愛子などの心霊番組が流行ったことがあるが、本作を観ていて当時を懐かしく思った。大したことがない仕掛けにキャストがやたら過剰なリアクションをするという展開をひたすら繰り返し、最後まで思わせぶりなままであったが、全体的には丁寧な作りとなっており、薄いオカルトテイストの膜で常に作品を覆うことに成功した映像はそれなりに不気味さもある。

人狼ゲーム インフェルノ(2018年 日本)

もはや定番となった人狼シリーズ。今作もティーンエイジャー達がリアル人狼ゲームを強制される。

既存のシリーズと大きく変わった点はなく、むしろあまりに変わり映えのしない王道的な配役やストーリーにしている点が気になるほど。あえて言うならば、痴情や個人への嫌悪感を絡ませ、極めて私的な理由で処刑を行おうとしていくところが今までと違うところだろうか。リアルの人狼ゲームを想定した場合、村人側は自分釣り(死)を避けるための狂人的な振る舞い(預言者騙り・霊媒師騙り)が多くなるなど、囚人のジレンマ的要素がもっとあっても良いのではないかという疑問は湧く。

マザーズデイ(2010年 アメリカ)

豪華な家を購入することが出来、友人たちを招いて新居祝いのパーティーを楽しんでいた夫婦。そこへ以前に家の住人であった女性とその子ども達が押しかけ、パーティーは暴力と恐怖で満ちていく。

「母親」になることと「母親」でいることのの神秘性や偉大さ、そして難しさをサイコパス的な異常さや屈強な息子達を従えて監禁と支配にのめり込む女性の姿に凝縮させており、それは共鳴的にやがて主人公のしたたかさにも投影されていくといったテーマ性は興味深いものがあったものの、全体的には冗長でひたすらバイオレンスを繰り返すだけなのが残念だった。監禁や支配による暴力や洗脳というと、日本では北九州監禁殺人事件を題材にした作品を想起する方も多いだろうが、近しい部分は存在するとはいえ、心理的駆け引きや服従する人間の滑稽さのようなものを含んだ深刻な悲劇性を描けているわけではない。

処刑教室(1982年 カナダ)

1980年代の学校崩壊したアメリカを舞台に教師が増長した不良生徒から自らの生命を守るために暴力を行使する。

あまりに酷い行為を嗜めるために拳でも振り上げようものなら有無を言わさず、大人(教師)だけが一方的に罰せられる環境のなか、子どもという特権的地位を最大限利用しつつ、大人顔負けの体力とずる賢さでありとあらゆる悪さをする不良生徒達。教育現場が厳格な管理や体育教師の体罰的な情熱を捨てた結果がこれだといわんばかりのラディカルな社会批判になっている。実際に、荒れた学校環境へ身を置いた経験の有無の差などでこの映画への評価は変わりそうであるし、教師を盲目的に信頼してクラスを支配させたり、必要以上に多くの裁量を与えることに対しても批判は存在するだろうが、ギャングエイジの厄介さへの対処方法として子どもたちの「自由時間」を極力なくし、大人に監視してもらうことでギャングエイジによるいじめなどの被害者を救うというのは一つの解であるのは間違いないだろう。

スマホを落としただけなのに(2018年 日本)

落としたスマホが第三者の手に渡ったことから、やがてシリアルキラーに命を狙われる危機にまで発展してしまう一組の男女を描いたサスペンスタッチの恋愛物語。

スマホの個人情報を悪用されて行われるなりすましの厄介さなど、スマホを大事なパートーとして携えている現代人にとって自分の身に置き換えたケースでのifを共感性の高い恐怖と共に展開させている。サスペンスやドラマとしては物足りない部分も存在するが、スマホによって明らかにされたヒロインの壮絶な過去と惚れた女性の過去を丸々受け入れることが出来る彼氏役の姿を綺麗にまとめている部分は十分すぎるほどのホラーであり、またコメディに映った。一見、スマホ依存や顔の見えないオンライン上のコミュニケーションなどの現代性を批判しているようで、最終的にはインターネットテクノロジーが生み出す新たな関係性や人間の度量の広がりに対し、期待を込めて肯定がなされているのはユニーク。

フォービドゥン 呪縛館(2016年 アメリカ)

かつて障害児を閉じ込めて世間から隠す失望の部屋が存在していた田舎町の古い邸宅に引っ越してきた家族が怪奇現象に巻き込まれていく。

実は主人公の女性にはベッドで寝ている時に赤ん坊に覆いかぶさって死なせてしまうという過去があり、この時のトラウマを失望の部屋の存在とリンクさせて、不可思議な現象を彼女の妄想癖という可能性を提示して片付けている。作品の質には疑問を抱くが、癒えることのない心の傷を背負った人間の辛さや、スティグマを免れられない人たちの存在を訴えかけているようには思えた。

名探偵コナン ゼロの執行人(2018年 日本)

謎の男・安室透との間でコナンがリアリズムを突きつけられながら、東京が狙われた爆破テロ事件に挑む。

国を守るために罪のない人間をでっち上げて逮捕する公安警察の姿や事件の進展について会議シーンに重点を置く構成など、警察ドラマのような重苦しさや複雑さを有しており、家族で気軽に楽しめるコナン映画とは一風違うものになっている。ただ、重厚さや張り巡らされた伏線の回収を高い娯楽性に昇華出来ておらず、また少年探偵団が自分たちが知らず知らずのうちに日本を救っていたという話を逆のケース等を一切想定しない、エクスキューズなしの美談として締めていることなどから、どうしても底の浅さが窺えてしまう。

MAY メイ(2002年 アメリカ)

斜視をコンプレックスとして抱えていたメイは幼い頃から母親の作ったスージーという人形以外に友達がいなかった。成長し、恋を知るメイだったが、自身がノーマルだと考えていたことが相手からは異常に捉えられ、失意の底に沈む。やがて、メイは恋人や彼氏をスージー(人形)のように作ればいいと人間のパーツを集め、繋ぎ合わせていく。

狂気に支配されたダークバージョンのアメリのような作品で、自分を受け入れてもらえない不器用な少女が人間を人形に変えることで解決を試みる姿は、他者を受け入れることと、物事がうまくいかない時にこみ上げる怒りの感情のコントロールがとても難しいことを我々に再認識させてくれる。また、生身の人間とのコミュニケーションの代わりに人形(バーチャル)で寂しさを埋めようとしている現代への警鐘にも捉えることが出来る。

グレイテスト・ショーマン(2017年 アメリカ)

フリークショーで身を立てたことで有名な興行師バーナムの半生をミュージカルタッチで描いた作品。

奇異な見た目を見世物にして富を得る彼らの姿が圧巻のミュージカルシーンと組み合わされることによって生命の躍動と人間の肯定に満ちたものになっている。個人的には、バーナムのキャラクターについてアウトローであるとか山師的ないかがわしさが欲しかったが、劇中の彼の陳腐な真摯さが存在しているからこそ、美男美女を見てうっとりすることとフリークショーのキャスト達の希少さを見ておぞましく感じたり嘲笑うことにどれだけの差があるのだろうかと我々に問いかけているようでもあった。

君の名は(2016年 日本)

東京と田舎、男と女、お互い離れた位置に存在する10代の二人が入れ替わりを繰り返しながらやがて大きな惨劇を回避し、新しい未来を作り上げていくラブストーリー。

男女が入れ替わるというアイディア自体はそれほど珍しいものではないが、本作はそれにタイムスリップを織り交ぜ、しかも叙述トリックのように演出して巧みに視聴者を騙して見せる。この演出があるからこそ、消失してしまう記憶と隕石衝突による惨劇が示唆する先人の教訓や戒めを活かせなかった東日本大震災への批判が説教くさくなっていない。かつて抱いた淡い恋心を何年も追い求める主人公の姿にも批判が込められているんだろうが、晩婚化・非婚化が進む現代にあって我々の琴線に触れるものが存在していた。贅沢を言えば、もう少し映像やストーリー展開にダイナミズムやスリルが欲しい。

パンドラム(2009年 ドイツ・アメリカ)

2174年、人口爆発による資源争奪戦争が始まり、危機的状況に陥った地球を脱出し、宇宙の果てにある地球とよく似た星へ移住するために宇宙船で飛び立つ数万人の人々。やがて2人のクルーが冷凍睡眠から目を覚ますが、そこではエイリアンのような存在によって多くの人間が食べられてしまうという地獄絵図が広がっていた。

ほとんど宇宙船内のシーンで完結した作品となっているが、船内の光景が地球における現代の人類社会のメタファーとなっており、エイリアンと思われた凶悪な存在が実は船内の権力者によって変貌させられた人間達で、殺し合いのゲームをさせられていたというのもブラックユーモアを含む社会批判になっている。SFモンスターパニックとしてはなかなかのスリルを楽しめるが、脚本はもう少し娯楽性を富ませてもらいたかったところ。

クレヨンしんちゃん 襲来!!宇宙人シリリ(2017年 日本)

宇宙人シリリによるバブバブビームで全員が子どもとなってしまった野原一家。シリリの父に元の姿へ戻してもらうため、遠く九州の地まで子どもだけでの日本横断の旅が始まる。

宇宙人へ注がれる好奇の視線や捕獲を試みようとする大人たちの姿勢による孤独な宇宙人シリリの恐怖が、野原一家の子どもだけの旅で繰り広げられるホラーでダークなテイストの旅とオーバーラップさせた構成は見事。宇宙人の父親とシリリとの和解がいまひとつうまくいかないまま幕を閉じ、母親の迎えのシーンで解釈を視聴者に委ねる演出も現実に様々な立場の子どもがいることを考えると趣がある。映像作品としては、もう少し力強さや思い切りの良さが欲しかった。

ザ・スクリブラー (2014年 アメリカ)

社会に適合できない人間が集まるビルで次々と自殺と思われる転落事故が起きる。この事故の謎がビルに住むことになった多重人格の主人公を通して次第に明らかとなっていくサイコスリラー。

グラフィックノベルを原作にしているということもあってか、アメリカンコミックスのようなヒーロー物にホラー要素を付け足したサスペンス仕立てのドラマになっている。主人公を始めとしたメンタルヘルスに問題を抱えた登場人物達の奇抜さがいまひとつ活かしきれていない点にもやもやとさせられ、また散々思わせぶりなストーリー展開をしておきながら結局は様々な女とセックスをする男に対する嫉妬が元凶というしょうもないオチにがっくり来た。変身してのバトルも取って付けた感がある。

本能寺ホテル (2017年 日本)

会社の倒産により失業してモラトリアム中の迷える女性が本能寺跡地に建設されたホテルから戦国時代の本能寺にタイムスリップし、信長最後の1日を体験するコメディ。

戦国ファンの女性を主なターゲットにしていそうな設定だが、幅広い層の獲得のために取り入れた少し中途半端な月9ドラマみたいなノリが気になる。コメディとしてのキレやテンポも冴えない。信長演じる堤真一の渋さや凛々しさと自身の生き方に悩む女性を演じる綾瀬はるかの迫力のなさがミスマッチで、だからこそ傑物としての信長が演出されているのだが、信長の生き様に影響されて今の恋人から離れて自立の道を歩むという将来を大きく変える決断をする主人公の姿がやはり流されているようにしか見えず、結果として社会への参画に挑まされる独身女性への皮肉と捉えてしまう。

ザ・インシデント (2011年 アメリカ・フランス・ベルギー)

職員達から酷い扱いを受けていた触法精神障害者用収容施設の患者たちが停電によるセキュリティ麻痺に乗じて暴動を起こすスリラー。

職員の適当な働きぶりが如何にも欧米的ではあるが、オチは責任感を強く持って仕事に臨んだ結果、時間外を含めた長時間労働の疲れと睡眠不足が原因で全て主人公の妄想だったのではないかというものになっており、様々な捉え方が出来るようになっている。精神病患者への偏見を露骨に煽っているとも取れるプロットなどもオチで多少のフォローになっており、逆に精神病院などでの患者への過度な拘束に対する批判のようにも受け取れた。映像的には、なかなかのグロさと迫力だったが、もうひと味欲しい出来。

ドラえもん のび太の宝島 (2018年 日本)

宝島を目指して大海原へ船で旅に出たら地球滅亡を企てる海賊集団と出会うファンタジー。

のび太たちのクエストの目標として設定される、海賊に攫われたしずかちゃんを救うというものがやがて地球を救うことに繋がるという壮大さとレトロなロマンの同居は観ていて面映ゆくなってしまった部分があるものの、海賊コミュニティで居場所を見つけるしずかの視点から見た「敵」であっても同じ人間としての魅力を存分にアピールしたドラマの描写は素晴らしかった。ラピュタをオマージュしたようなシリアスな戦闘シーンも見応えがある。友情の絆という精神論だけで解決させてしまう力技のラストシーンは粗が目立つ。

IT イット ”それ”が見えたら、終わり。 (2017年 アメリカ)

ピエロによる児童失踪事件の謎に挑むことになる少年グループの活躍を描いたホラー作品。

グーニーズやスタンド・バイ・ミーのようなアドベンチャーっぽさもあるが、ベースはピエロによる子どもたちへの暴力がメインで、それなりにスリルとグロテスクが楽しめる。実は被害者の子どもたちは皆、複雑な家庭などから重大な恐怖心を抱えており、それがピエロの存在を可視化し、子どもたちの逃避願望を叶えているというもので、新たな視点を提供する奥行きのある構成は面白い。いくつかの重要なシーンを子ども騙しでカバーしている点も興味深いが、結果として映像的にもプロット的にも中途半端になってしまっているように感じたのは残念。

京城学校 消えた少女たち (2015年 韓国)

1938年、日本の植民地時代の朝鮮(ソウル)を舞台に、病気療養中の少女たちが集められた全寮制で猟奇的な事件が起こる。

将来と占領下の朝鮮を悲観した少女たちの少しやさぐれた陰湿さの漂う学園生活の描き方がなかなか見事で、閉鎖的空間の暗部や女性だけの空間から醸される独特のエロスを巧みに演出している。少女たちが姿を消してゆく不可思議な現象の種明かしが日本軍による人体実験の結果だったというのは簡単に読めてしまったが、だからこそ朝鮮サイドから見た大日本帝国の非道をデフォルメしていることも容易に察することが出来、反日的な映画としての側面を備えていることが分かる。作品から発せられるメッセージは決して薄っぺらいものではないのだが、サスペンスとしてはもう少し脚本を練って欲しかったと思う。

名探偵コナン から紅の恋歌 (2017年 日本)

服部平次と和葉を主役に据えた作品。服部のハートを巡って百人一首に挑む女子の熱い戦いを主軸に、サスペンスとラブストーリーが交錯する。

如何にも2時間もののようなサスペンスドラマに派手なアクションやラブコメを加えた劇場版コナンらしさは健在。いつものコナン(新一)と蘭がやっていることをそのまま服部と和葉にスライドさせただけなのだが、それだけで少し新鮮味が出てくるのだからコナンキャラクターの豊かな魅力を再認識させてくれる。全体としては、構成が粗くとっちらかった印象を抱いてしまった。

クワイエット・プレイス (2018年 アメリカ)

音を立てたら襲いかかってくる謎の怪物によって荒廃した世界で静寂を保ちながらサバイバルする家族の姿を描いた作品。

ツッコミどころはいくつもある。滝や流れの激しい川のそばでなら会話をしたり音を立てても大丈夫なら川沿いでキャンプしていた方が安全ではないか、など。モンスターパニックホラーとしても話の進め方に力強さを欠いているが、平凡な市民が沈黙を貫くことを強制される姿は現実社会における独裁への批判や表現することに過剰なリスクを負わされることへの風刺にも捉えることが出来、設定だけは非常に面白い。

クレヨンしんちゃん 爆盛!カンフーボーイズ ~拉麺大乱~ (2018年 日本)

人々をラーメン中毒にさせて正気を奪う悪の集団としんちゃん達がカンフーで対決する。

風刺を効かせつつ、しんちゃんらしいオバカテイストのゆるいカンフーや日本の中の中国人とチャイナタウン(中華街)等の題材を用いた軽妙な内容で序盤こそ見ごたえがあるのだが、中盤以降は次第に息切れ感が出て、キレがなくなってしまう。途中まで共に戦っていた仲間であるゲストヒロインが強大な力をコントロールしきれず、行き過ぎた正義の象徴として主人公の前に立ちはだかるという展開は面白かった。製作サイドこそが劇中ヒロインの如くメッセージ性に取り憑かれた印象を抱かせるまとめ方には首を傾げる。

カメラを止めるな! (2018年 日本)

ワンシーンワンカットでのゾンビムービーとその作品の製作に挑戦した人間たちの奮闘ぶりにフォーカスしている。

チープでがっかりなB級ゾンビ映画と思いきや三谷幸喜作品のような舞台的でコミカルなメタフィクションであるところに意外性が存在し、よく練られた脚本から生まれたドラマの奥行きによる味わいも素晴らしいのだが、全体的にスリルと疾走感に欠けており、冗長さに作品の迫力が負けている点が残念だった。あれだけ苦労して作り上げたワンカットゾンビ映像がつまらないという残酷な結果はリアリティがあって考えさせられる。どんな作品にも誰かの情熱が込められ、汗が染み込んでいるのだ。

コンビニ・ウォーズ バイトJK VS ミニナチ軍団 (2016年 アメリカ)

ジョニーデップの娘と映画監督の娘の七光コンビがコンビニでのバイト中に現れたミニサイズのナチスであるソーセージの異形のような集団と戦いを繰り広げるコメディ。

ミニナチを平気で上下に引っ張って裂いたり、電子レンジで爆発させるなど、自分たちがナチを連想させる程に暴れ回る様が自虐的で風刺が効いている。ミニナチを絡めたアクションパートの出来はそれほど良くないものの、下ネタ全開で如何にも北米のB級映画に登場するステレオタイプのティーンを軽快に描いたコメディパートは脚本と演者のセンスを楽しめた。

グラドル学園 心霊写真部 (2017年 日本)

今野杏南、清水あいり、RaMuのグラドル3人が制服を着て、心霊スポットでひたすら自撮りする様を見せられるドキュメンタリータッチの心霊ホラー作品。

肝試しに取り組むグラドル3人からは真剣さが伝わってきたものの、作品としては厳しいクオリティ。冒頭のグラドル紹介シーンで3サイズをしっかりアピールする割にスタイルの良さを魅せるところもなく、お色気は申し訳程度のパンチラがあるぐらい。いやいや、このタイトルとキャストと出来で脱がなくてどうするの。作る側と見る側、双方にとって保険なし、ガチのアドベンチャーものとなっております。

ドラえもん 南極カチコチ大冒険 (2017年 日本)

映画ドラえもん。もしも南極の地下に巨大帝国が存在していたら……。

避暑に南極を選択する極端さと、雄大な自然の脅威を全く感じず、テクノロジーを用いて優雅にテーマパーク化してしまうのび太達の暢気さに大人を童心に帰らせてくれる懐かしさや憧れを抱かせるテーマが風景として存在していた。オリジナルということだが、今までのドラえもん映画の要素をかき集め、それらを継ぎ接ぎするようにミックスさせた作りになっていて、既視感に囚われることが多い点が気になる。

ハロウィン (2018年 アメリカ)

あのハロウィンシリーズが第1作から40年後という設定で帰ってきた。精神病院に入っていたマイケルが街へ現れ、殺人鬼ブギーマンと化す。

これに対峙するのがあのローリーとローリーの娘たち。原点回帰を意識した新作は古典スプラッターやB級ホラーのお手本を見ているようでノスタルジックな気分にさせてくれる。要所要所で観客を飽きさせないためにマイケルが活躍するなど、娯楽作品としてのポイントを掴んだ巧みさはあるものの、反面、奇抜さや斬新さなど突き抜けたものや惹きつけるものもなく、陳腐さを感じてしまう。こういうのでいいんだよと思えるかどうか。

エクスリベンジャーズ ひきこさん ミ・ナ・ゴ・ロ・シ (2010年 日本)

冒頭からひきこさんがミナゴロシのタイトルに恥じない大暴れを見せ、演技と演出こそチープであるものの、そのテンポの良さから期待感が高まる。しかし、勢いは一瞬で萎んでしまった。

ヤンキー女子高生グループを物語の中心に据えてアクションに力点を置いたアバンギャルドな作りや、誰もが己の中に「ひきこさん」を抱えており、いじめっ子にもいじめられっ子にもなる可能性を示唆したドラマは興味深いものが存在していたが、全体の粗が目立ち、作品の前提としてあるべき鑑賞を楽しむまでのクオリティに達していないのが残念。

人狼ゲーム マッドランド (2017年 日本)

人狼1に対して狂人7、村人2(予言者1・用心棒1)という一風変わったレギュレーションで繰り広げられるリアル人狼ゲーム。

狼陣営の方が多いものの、人狼の他に生き残れるのは一人だけというルールから、生き残るために人狼を名乗る人物に従う構図が出来上がり、監獄実験的なドラマがメインになっている。誰が人狼かをテーマにした捻りは存在しているし、学園デスゲームの設定と若手俳優のみの劇の割には演技が棒読みではなく、ちょっとした舞台ぽさがあるのは○

隙間女 劇場版 (2014年 日本)

もしも隙間の奥の暗闇に誰かが存在していてこちらを覗いていたら。

隙間女という題材は想像を掻き立てるものであった。隙間女が隙間女になる過程のストーリーを活かしきれておらず、隙間女の被害者が隙間女と化すという陳腐な連鎖に頼る強引な纏め方をしていてがっかり。もう少し隙間女には暴れて欲しかった。隙間女への恐怖から隙間に目張りをする人間の狂気に取り憑かれた様も弱々しく迫力不足。