2011年

  • 2011年11月、助教の紺野君が金沢大学のテニュアトラック准教授としてラボを離れました。彼は、学生時代から足かけ12年に渡って研究室の運営に尽力してもらいました。この間に、ERATOがあり、特定領域研究があり、ラボの引越があり、とまさに研究室の激動の期間だったと思います。ご苦労様。そして、ありがとう。これからは、自分の研究室の歴史を刻んでください。
    ところで、9月から3ヶ月弱、カナダに短期留学していた菅野准教授が帰国します。土産話をお楽しみに。

  • 2011年10月、久堀の提案がめでたく採用されて、科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業(CREST)のプロジェクトがスタートします。研究テーマは「ハイパーシアノバクテリアの光合成を利用した含窒素化合物生産技術の開発」というもので、これまでの基礎研究を生かした応用研究を目指しています。皆さん、地球を救うために頑張ってくださいね。

  • 2011年7月、原怜君が、資源研のアライアンス特任助教として採用され、引き続きこの研究室で研究を続けることになりました。

  • 2011年4月、小板橋君、土屋君、松岡君、森田君の修士4名が入学、ラボの4年生からの進学の3人と合わせて修士1年は7人の大所帯です。一方、卒研生として打越さんが加わりました。新年度の研究室メンバーは、24名となりました。これでも少し所帯が小さくなったので、全員の居室を2階にすることが出来ました。節電も厳しいですし、これから暑い夏と寒い冬を乗り切らなくてはなりません。震災に負けずに頑張りましょう。

  • 2011年3月、地震の混乱で卒業式・学位授与式も中止になってしまいました。修士修了の6人のうち、小田原君、木田君、福島さん、山内君、渡辺君が卒業です。杉浦君は、博士に進学してこれからも研究を頑張ります。また、吉田研時代から技術補佐員をしてくれていた大坂谷さんが大岡山に異動になりました。5年間頑張ってきた金君は学位を取って母国に帰りました。もう一人の博士・原君はまだ研究室に残って、レドックス研究を頑張ってくれます。

  • 2011年3月11日、宮城県・福島県沖を震源とするM9.0の大地震が起こり、東北地方沿岸で地震と津波で死者1万人以上と言われる大災害になりました。被災された皆様には心からお見舞い申し上げます。また、亡くなられた沢山の方々のご冥福をお祈り申し上げます。また、この地震の被害が東京電力福島第一原子力発電所の事故を引き起こし、日本で最大の原子力発電所事故になりました。いつ鎮静するのかわからない状況です。福島の皆さんはじめ、近隣の皆さんが一刻も早く安全に暮らせるようになることを祈ります。
    東京電力の重要な発電所が失われたため、関東圏は深刻な電力不足に陥りました。これから、耐乏生活が続きます。みんな、工夫して何とかこの事態を乗り切りましょうね。