2008-1995年

(吉田・久堀研時代)

2008

  • 2008年春、伊里君、杉森君、丸井君の三人が修士を修了して巣立って行きました。金君は博士課程に入りました。砂村君、畠山さん、中根君の三人に加えて、中村君と前田さんが修士課程に入学しました。また、杉浦君、福島さん、小田原君が生命理工学部から卒研生として加わり、学生数は一気に12人に増えました。グループ全部で19人という所帯になりました。

2007

  • 2007年冬、11ヶ月の研究を終えて、エリク君がドイツに帰国しました。彼は、一分子観察で非常に面白い結果を残してくれました。これから、研究室の新しい研究のタネになりそうです。

  • 2007年春、菱谷さんが修士を修了して巣立って行きました。原君は博士課程に入りました。4月からは砂村君、畠山さん、中根君という3人の元気な卒研生が加わりました。修士1年は進学した永瀬君と新しく加わった菅さんです。また、2月から研究員になったエリク君に加えて、4月から小林さんと本橋君も加わり、とてもにぎやかになりました。また、駒澤大学の持丸さんと早稲田大学の岡崎君が、それぞれ共同研究をするために、1年間研究室のメンバーに加わりました。

2006

  • 2006年冬、パトリック君が年末に就職すると言うことで帰国してしまいました(残念)。彼の果敢な生き方には教えられることが多かったと思います。入れ替わりのように、2007年2月にドイツからエリク君がポストドクとしてやってきました。彼には、ATP合成酵素の回転制御の研究で頑張ってもらいます。

  • 2006年春、藤井君、白石さん、菊地君が修士を修了してそれぞれ旅だって行きました。また、松田さんが神奈川大学のPDとして研究室を離れることになりました。まだ、共同研究は続けますが、長い間お疲れ様でした。4月になって、永瀬君が卒研生として、伊里君、金君、杉森君が修士課程に加わりました。

2005

  • 2005年秋、JSPS fellowとしてパトリック君がイギリスからやってきました。これから2年間、一緒に研究します。皆、これを機会に英語力アップ頑張りましょう!

  • 2005年夏、資源研の助手として紺野君が着任しました。頑張れ!また、新しく博士研究員として藤利君が加わりました。村上さんが技術補佐員になりました。秋になると、またまた新戦力が加わる予定です。だいぶ大きなグループになってきました。これからどんな展開があるのか、とても楽しみです。

  • 2005年、原君とともに、菱谷さんが修士課程に加わりました。また、卒研生として丸井君が加わりました。この春の最大の出来事は、なんといっても吉田研助手を長年勤めた宗行さんが中央大学に助教授として転出したことです。何ともさびしくなりました。

2004

  • 2004年春、さらに卒研生として原君が加わりました。また修士には、前の年の卒研生二人に加えて、菊地君が入りました。年が明けて3月に松田さんがシアノバクテリアの抗酸化ストレスシステムの研究で久堀研究室二番目の理学博士となりました。おめでとう!松田さんは、そのまま研究員として研究を続けています。

2003

  • 2003年、早川君とともに、信田君、溝田さん、中村君の三人が修士課程に加わりました。また、卒研生として藤井君、白石さんが加わりました。中西洋一君が大学助手に就職して、久堀研究室は総勢12人となりました。秋には、ERATOの研究員として房田君が加わりました。

2002

  • 2002年、早川君が卒研生として、生明君が修士課程として入りました。松田さんが、久堀研究室二人目の博士課程の学生になりました。早川君には、さらに材料を広げて緑藻クラミドモナスのチオレドキシンの研究をしてもらいました。松田さんがシアノバクテリアの研究を行っているので、いろいろな生物を飼うチャンバーが必要です。ERATOの方では、研究員として中西洋一、中西華代両氏が、研究補佐員として小山さんが加わりました。

2001

  • 2001年、山崎君と市村君が修士課程に入りました。山崎君はチオレドキシンの標的酵素、市村君にはATP合成酵素を研究してもらいました。
    チオレドキシンアフィニティークロマトグラフィーの研究を、論文として発表することができました。そして、10月、吉田賢右教授を統括責任者とする科学技術振興事業団創造科学技術推進事業(ERATO)「ATPシステムプロジェクト」がスタートし、久堀はエネルギー変換システム調節系グループの研究グループリーダーになりました。また、本橋氏がこのグループの最初の研究員となりました。年が明けて、3月に紺野君がATP合成酵素の調節機構の研究で久堀研究室最初の理学博士となりました(おめでとう!!)。紺野君は、久堀グループの研究員になって研究を続けています。

2000

  • 2000年、近藤さんとともに金山君、細谷、坂井さんの三人が修士課程に入学しました。また、卒論生として山崎君と野崎さんが加わりました。学生が増えて、研究テーマもATP合成酵素とチオレドキシンから、チオレドキシンの標的酵素までどんどん広くなってきました。本橋氏が、CREST研究員としてチオレドキシンの研究に加わりました。

1999

  • 1999年、ガンマサブユニットの研究で多くの成果をあげた淀川君が卒業するのと入れ替わりに、紺野君が久堀研究室最初の博士課程の学生として入りました。彼には、淀川君の研究を引き継いでもらいました。この年は、杉山君が修士課程に入学しました。彼には、酵母を使った葉緑体ATP合成酵素の発現系に挑戦してもらいましたが、失敗。でも、葉緑体のエネルギー化とATP合成酵素の構造変化の研究できっちり修士の研究をまとめました。また、近藤さんが卒業研究に来たので、長いこと思い描いていたチオレドキシンアフィニティークロマトグラフィーの研究を開始しました。また、卒研生の小山さんがチオレドキシンのモノクローナル抗体を作ったのも、この頃です。

1998

  • 1998年は、菊池君と山本君が修士課程に入りました。菊池君には阻害活性の強い葉緑体イプシロンサブユニットの機能に特に重要な残基の決定を、山本君にはチオレドキシンと酵素の相互作用の研究をしてもらいました。

1997

  • 1997年には、淀川君が大学院に入りました。また、二人の卒論生、小池さんと小松さんが加わりました。ちょうどその頃、研究室でようやく葉緑体ATPaseのサブユニットを好熱菌ATPaseのサブユニットと組み合わせることで機能解析をする実験系が完成していたので、淀川君にはガンマサブユニットの、卒研生の二人にはイプシロンサブユニットの研究をしてもらいました。この年の秋に、Boyer博士とWalker博士がノーベル化学賞をもらいました。新聞社が問い合わせの電話をしてきたり、解説記事の依頼が来たりと、なかなか忙しい年でした。さらに、スイスからMichael Stumpp君が研究生として加わりました。Michael君がやって来て、彼に葉緑体チオレドキシンの発現系を作ってもらい、酸化還元酵素の研究をスタートしました。

1996

  • 1996年4月、徳永君が角田君と一緒に大学院に入りました。徳永君には、ホウレンソウ葉緑体ATP合成酵素の発現系の構築に挑戦してもらいました。1996年は、吉田研究室にとっては歴史的な年で、秋に野地博行君がATPaseの回転実験に成功したのです。この研究は、翌年3月のNatureに掲載されました。

  • 4月がやってきて、東工大の最初の新人・角田君が卒論生として私と一緒に研究を始めました。彼には、葉緑体の遺伝子発現の研究の礎を作ってもらい、今も研究室の財産になっているホウレンソウの全RNAは彼が取ってくれたものです(角田君は、2005年8月、胃ガンのため早世されました。とても残念です。合掌)。

1995

  • 1995年1月1日 久堀が東京工業大学資源化学研究所生物資源部門・吉田賢右教授の研究室の助教授に着任したところから、この研究室の歴史は始まりました。久堀が前任校の横浜市立大学文理学部の助手だったときに、修士1年の阿部君が一緒に葉緑体ATP合成酵素の研究をしていたので、彼が最初は唯一の大学院生でした。着任してすぐの1月17日に阪神淡路大震災が起こり、3月には地下鉄サリン事件と、晴れがましく研究室を始めたつもりだったのに、非常に暗い年でした。