地方自治と国家存立のすり替え

(2014.8.11)

「この条例には全く必要のない人権主義をここに張りつけております。人権主義は百害あって一利なしであります。そもそも人権という概念を発明したのはフランスであります。フランス革命におけるフランス人権宣言がその始まりです。日本では、人権がさもすばらしい近代の哲理となされ、人権は保障されるべきもの、人権は自由を擁護するためになくてはならないものとの錯覚が広く教示をされております。人権が一定の法秩序の中に納まるものなら問題はありませんが、人権とはそもそも法秩序の中に納まり切らないものであります。人権とは自然権であって、実定法上の権利のように制限されない権利であります。無制限な権利であります。非文明社会の権利と言われているゆえんです。文明社会の文明的な自由と法秩序をもたらす国民の権利とは対極的もしくは対立的なものであります。このように、人権あるいは基本的人権は何者にも制限されない無制限な権利ですから、極めて危険な権利であります。現にフランス革命においては、人権宣言のもと数十万人がギロチンで死刑、その他で大量殺りくされております。人権はテロルの教理と言われるゆえんであります。

2点目に、人権思想がいつ日本に入ったかということですが、これはアナーキストでスターリン憲法を理想の憲法と考えていたGHQ民政局所属のロウスト中佐が1946年2月、現在の日本国憲法の第3章、つまり「国民の権利及び義務」の起草を担当したことによります。リベラルなアメリカ人であったホイットニー民政局長は、国民の権利よりワンランク下のシビルライツ、つまり公民権を発想し、ロウストにあくまでもシビルライツの章の起草を命じましたが、ロウストはこれを無視して勝手にファンダメンタル・ヒューマンライツ──基本的人権というフランス革命時のフランス的重要なポイントを、フランス的概念を墓場から掘り出して日本国憲法に刷り込んだ次第です。

重要なポイントを指摘しておきますが、日本国憲法を起草したアメリカ人の憲法には「人権」という概念は皆無だということであります。それどころか、むしろこれを積極的に排除しております。無制限の権利である人権を認めれば国家の存立が危うくなるのは必至ということをよく理解しているからにほかなりません。私は防府市の条例に「人権」という危険性を持ち込んではならないということを強く主張いたしまして、この条例に反対をいたします。」

(出典:「平成21年第6回防府市議会定例会会議録(その6)」http://h0fu.city.hofu.yamaguchi.jp/uploaded/attachment/34441.pdf

この発言を前触れも無く抜粋し、何も知らぬ人に突き付けた時、その人は何を感じるであろうか。これは、防府市自治基本条例制定時の反対討論における発言の一部分である。自治基本条例は、1990年代後半からその策定が始まり、既に300以上の市町村が策定をしている。この事を長い歴史から考えれば、自由と民主の折り合いをつけていく上で不可欠な社会の自治と分権に関して、社会が成熟しつつあるものだと捉えるべきであろう。

筆者は、知性の基盤を社会学によって培ってきた。社会学とは、社会科学の一部門であり、①社会の構造・機能・その動態的な変化や発展といった事象を人間の社会的行為と関係づけながら、②特定の概念や方法を使うことで、これを理論・実証の両面から分析し、③その歴史的・社会的現実を貫く方法のメカニズムを明らかにした上で、④現実の諸問題の解決に寄与する学問のことを意味する。

もっとも、現実の研究活動では、地球環境というものを相手にしているため、多様な分野の研究者・行政関係者・企業関係者などとの協働をくみ上げているため、その時々によって重点を置く知識や方法は異なる。しかし、多様な社会と科学の連携を行う中でも、多様な諸問題の実態を掴むために情報ではなく、長い知識と方法の歴史から継承した「教養」が重要となることを、日々の仕事の中で痛感している。そのため、本稿を通じて、ささやかなきっかけから知ることとなった、この反対討論の言説に対する社会科学的な意見と、地域における言説の未来について語らせてもらいたい。

まず、反対討論において述べられていることは、これまでの社会科学などによる一般化された知見という点から見ると、偏った人権概念とその定義を援用し、ランダムに歴史上の事例を挙げた上で、自治基本条例を恫喝しているだけに過ぎない、と言える。それだけのことなのだが、人権概念を盾にした一連の発言は、地域の自治と分権のなんたるかをわきまえていない、むしろ踏みにじった発言である。少なくとも、日本国憲法第8章の柔軟な表現の意味、そして国家の法律と自治体条例が憲法の下に並立しているという社会的事実を認識せず、自治基本条例に対する敵意すら見出すことができる。

率直に筆者の所見を書かせていただければ、この発言者は人権概念を特定イデオロギーであると決めつけ、これを媒介項として批判を展開している。わざわざ自治基本条例を叩くため、踏み台としての人権概念を用いているとも言えるが、真に不可思議な行為である。つまり、人権概念批判は、自治基本条例を否定するためのレトリックに過ぎないということである。

このような不必要なレトリックを用いた批判の本質はどこにあるのか、その意図は理解しかねるところであると言わざるを得ない。だが、少なくとも、防府市民ではない一人の通りがかりの日本人としてこれを読んだ時、この反対討論から得られる所感は、自らが理解したい通りの世界に関する解釈を述べ、実証性や客観性を軽視した発言に対する責任はどこにあるのか、ということであった。そして、このような恣意的な物語が地方自治の場において堂々と語られる、ということに地方自治の明るい未来ではなく、暗い影を見出してしまうのである。

他方で、なぜそこまで筆者がこの反対討論における発言に問題意識を感じるのか、ということには、このような身勝手な世界観の解釈をする態度というものが、職業としての政治を行う者たちの間に急速に広がっているからだと言える。まさに、防府市において起きている事象は、日本の政治において起きている深刻な「反知性主義(Anti-intellectualism)」とでも評すべき問題構造を描写した一コマに過ぎないのである。(かつての文化大革命やクメール・ルージュの悲劇との違いは、強制労働や銃による処刑が無いだけの違いと言ったら言い過ぎであろうが…)

現在、地方議会をめぐる職業としての政治の退廃ぶりは、テレビや新聞などが報じる通りである。しかし、これを単なる議員のスキャンダルとして片付けてしまうことは、彼らに投じられた税金やそれに伴った様々な公共政策上の評価を放棄することに繋がる。むしろ、防府市という自治体レベルで発生している事象を通じて、日本社会が抱える現在の社会構造上の問題を見据えていく必要があるのではないか、と思われる。

さて、ここで学問的な視点から発言の問題点を整理したい。通底する問題点としては、人権という既定が難しい概念を基軸として、現代の思考基準から過去の色々な事象の一隅を取り上げていることが挙げられるだろう。何事においても、過去の事象には「その時代毎の制約」というものがある。その制約とは、「時代毎の認識前提」と言い換えることが可能であろう。何事においても、過去を引用する際にはそのような制約条件が常に付きまとっていることを忘れないようにすることが重要である。

第1に、人権主義という言葉の曖昧さが挙げられる。反対者は、1789年の『人間と市民の権利の宣言』を人権概念のスタートラインとしているが、そもそも広義の「人権」という点で見れば、1215年の英国におけるマグナ・カルタを始めとして、多様な要求や宣言が行われてきたことは言うまでもない。その中で、現代において多く援用される人権概念の基本たる1789年の宣言は、それらとどのように異なるのか。

その解答は至ってシンプルであり、フランス革命が生み出した「ナショナリズム」という思想の下にある人権概念だということである。ナショナリズムは、ある民族が居住する地域における主権を、その民族が行使する思想を意味し、その起源は国家の主権が国民にあるという革命の原則にあるのだと言える。さらに言えば、自然権としての人権を絶対化することは、過去の歴史を見ても難しいとしか言いようが無く、あくまでも認識のひとつであると位置づけるのが適切である。

第2に、「人権宣言のもと数十万人がギロチンで死刑、その他で大量殺りく」されたフランスの事象についての不十分な理解と単純化が挙げられる。特に、ジロンド派からジャコバン派へ、そして徹底した恐怖政治による独裁については、その処刑という側面を強調するあまり、当時の社会状況に関する理解が一切、欠落している。そもそも、ジャコバン派による独裁が成立する背景には、国家の財源に関する問題や資源に関する再分配があり、これは現代社会においても起こりうる「国家機能の強化と独裁統治への傾斜のジレンマ」とでもいうべき問題に繋がる。

そもそも、裕福な商工業者たちによるジロンド派は、フランス革命において立憲君主制を打破した主役であり、旧体制の富を大衆にばら撒く政策を実施した。だが、資源には限界があり、列強との対立の中で食糧危機を迎えつつ、さらには不換紙幣を増発してインフレを招き、国民の支持を失った。そのような状況を見て、国民公会からジロンド派を追放し(1793年)、権力を掌握したのがジャコバン派である。ジャコバン派については、一般に恐怖政治だけが際立つが、その基本は緊縮財政・恐怖政治・国民皆兵という「ロベスピエール・3本の矢」政策とでも言うべきものであった。その目的は国家機能の強化という点に焦点を置いていたが、これはジロンド派が個人の権利を尊重しすぎたがゆえに、国家統治が疎かになったという認識前提に基づいていた。(ちなみに、このような認識前提は、昨今の与党[自民党]による自治基本条例潰しとも思えるような圧力に似たような空気を感じるのは筆者だけであろうか)しかし、ジロンド派以来のインフレは収まらず、恐怖政治で旧体制の粛清を行い、農民に無償で土地を分配をしたことが新たな保守層を生み、結果として保身を目指す国民の指示を失った。その後は、総裁政府からナポレオンによる独裁政治により、帝国主義的な政策が展開されたことは歴史教科書でも確認できる内容である。

俗説では人権宣言の無力化がよく指摘されるが、そもそもジャコバン派が目指した国家統治機能の強化というテーゼがどれほどの影響を与えていたのか、さらには列強に包囲された状態で国内では各種の内戦や掃討戦を抱え、内部の統制のための非常処置を選択した結果という側面を失念していることは、歴史を見る上で重要な欠陥だと言わざるを得ない。「人権思想をテロルの教理」と言い切る、基本的人権という概念に至るまでの人類社会の多くの犠牲を伴った試行錯誤、という歴史的事実を踏まえぬ暴論的表現を行う前に、その時代になぜあのような方法をロベスピエールが採用したのか、時代背景を踏まえぬ限りにおいてこのような表現を行うことは、甚だ不適当だと言わざるを得えない。ちなみに、「数十万人がギロチンで死刑」というのは完全に根拠を欠いた憶説と捉えられるような表現であり、人道的処刑具として作られたギロチンの実際の使用数は、全体から見れば僅かに止まる。これについては、吉田八岑氏の著書『ギロチン:処刑の文化史』(北宋社;1991)などを参照されると良いと思われる。

第3に、1つ目のフランス革命を援用した批判に続き、2つ目には人権思想の日本への流入を日本国憲法第3章の起草に求めているが、この段階で「人権」概念を無理やり一般化させて語っている問題を指摘できる。そもそも、自然法や自然権といった思想の導入という段階ならば、日本国憲法を端緒として挙げることができると思われる。理由は、大日本帝国憲法下における国民の権利は、天皇から与えられた権利としての保障であったからである。(ただし、大日本帝国憲法第2章における臣民権利義務においては、法律の範囲内での自由や権利は認めており、これを当時の時代基準から考える必要があることは言うまでもない)

だが、このような事実だけをもって「人権思想」の有無を論じることは、あまりにも歴史の実態を見ていないのではなかろうか。そもそも、人権思想そのものは、明治初期の自由民権運動などにおいて、多様な憲法草案が人々によって執筆され、そこにおいて既に人権の明文化が試みられている。

以上のように、社会科学的な視点からそれぞれの時代が持つ認識前提という制約条件を欠いた問題点を指摘してきたが、さらなる問題点を指摘しておきたい。それは、以下の反対に至る発言である。

「無制限の権利である人権を認めれば国家の存立が危うくなるのは必至ということをよく理解しているからにほかなりません。私は防府市の条例に「人権」という危険性を持ち込んではならないということを強く主張いたしまして、この条例に反対をいたします」

皆様の大半は、最初の段階で気づいておられたと思うが、この条例反対の主張には、ある致命的な「ずれ」を見出すことができる。そもそも、この条例は防府市の自治を取り扱っており、自治体条例が国家の法律と憲法の下に並立していることは、前述した通りである。にもかかわらず、反対に至る論理の骨子は、「国家の存立が危うくなる」という点に執着をしている。これでは、完全に的外れも良いところであり、憲法の基本的な構造さえ理解しないまま、自治体条例への反対を語っているのである。

穿った見方をすれば、これでは地域の自治に対する口封じをするため、恣意的な物語を捏造し、それを展開して自分の理解したい世界を展開しているだけに過ぎない。そして、エルンスト・トレルチが単純化された視点で統一的視点を構成すると、誤った認識を展開してしまうという指摘をした問題が、ここでは見事に再生産されていると言えよう。

最後に、衰退する紙メディアとしての新聞、特に地方紙というものの存在のあるべき姿について触れることで、本稿の締め括りとしたい。今日の地方紙というものは、総じてその経営は厳しく、読者を確保する上での持続可能性戦略は厳しい、と言わざるを得ないことは事実である。特に、大手新聞社のようにタブレット端末などを対象として、脱紙メディアを目指すような戦略を模倣したとしても、そもそもの基本投資額やシステム開発能力に雲泥の差がある。

ならば、地方紙にできることとは何か。それは、「ローカルな情報だけでなく、教養を担保するメディア」としての立ち位置を再考し、現代におけるその意味を再構成することにある。そもそも、本稿を読むすべての人々に考えてもらいたいことがある。なぜ、あなたはこれだけ情報が(玉石混合という側面もあるが)安売りされている社会の中で、敢えて地方紙に投資を行っているのだろうか。そこには、地域に特化した情報という側面だけでなく、何らかの「気づき」や自分が持つ知性への刺激があるからこそ、支払っているのではないだろうか。

ビジネスとは、常にトレード・オフではなくてはならない。読者の皆さんが本誌に投資をしてくださる代わりに、地方紙は何を持ち寄ることができるのか、ということを考え直さなくてはならない時代にあるのだ。

かつて、戦後に創刊された地方紙にあったものは「情報を通した人々の関係づくり」であったと筆者は考える。それは、ある種の紙面を通した「市(いち)づくり」とでも評すべきものであり、地方紙は地域の人々の様々な要望を紙面という場に落とし込み、人々が求める物を持ってくる行商人のような役割を果たしていたのだと言えるだろう。そこには、情報要約性と定時制を主とした、大手の新聞とは異なった世界観が通底していたのだろうと推察される。例えるならば、それはまずもって紙面を通じた人々の情報収集の場であり、その情報を通じた人々の出会いの場であり、そこから生まれた関係をもって未来に不可欠な刺激を得る場でもあったのだと筆者は考える。

だから筆者はこの紙面をお借りして、地方紙の編集部の皆さんに改めてそのような視点をお持ちなのかを問いたい。と同時に、今、地方紙をお買い上げいただいている読者の皆さんにも、改めて地方紙が自分に持っている「価値」というものを考えてほしいと思っている。 筆者の私見では、そこには単なる「供給と需要」という薄っぺらい無機質なビジネス論ではない、編集者と地域の皆さんが対話をしながら共に価値を創り出し、良好な関係というものを、緊張感を伴いながら作っていける数少ない新聞紙としての可能性があるのだと考えている。それは、「新しい地方紙作りの作法」とも呼べるかもしれない。

しかし、それは同時にマス化した大衆紙に思考が同化してしまった誤りを正すことを通じて、元々描かれていたあるべき姿を現在の文脈の下で新たに回復させるという共同作業なのでもある。そして、この課題は全ての地方紙が乗り越えなくてはいけないハードルでもある。

読者を倍増させようというような、共産主義国の5か年計画のような目標を立ててもたかが知れているのである。そもそも、日本の人口がこれから激減していく時に、どれだけ無駄なあがきをしても読者の絶対量が増えることはない。しかし、それでも地方紙が無くなって世の中が良くなるかと言われれば、反知性主義が蔓延る日本の政治状況を見るにつれ、そのようなことは無いと言える。むしろ、皆さんの身近な環境に関する問題などでも、「似非科学」や「トンデモ言説」といったものが幅を利かせ、WikipediaやSNSを走り回っているのが現状である。そして、これまで情報を精査して伝えてきた大手のマスメディアすらも「恣意的な物語」を提供しているのが現状ではないか。

そのような大きな物語が死に絶え、何が正しいことなのかも見えづらい時代の中で、「地域において知性を担保するメディア」というものは、それぞれの地域で皆さんが当事者となって支えるしかないと言うしかない。私のような職業研究者は、長年にわたる知的訓練の中で、自分で考え、判断することを積み重ねてきている。しかし、これと同じことを全ての人に行えということはあまりにも無理があるし、同時にそれはあまりにも「共創」を欠き、限定された行為である。

地方議員の発言を端緒として、地方紙の価値を考えるきっかけを得られたことは、私にとって偶然だが貴重な機会であったように思う。それは、古人の遺業とその継続を求めるのではなく、その古人の理想を求めるということであって、その理想は常に時代という文脈の下に再構成されなくてはならないということであった。そこにおいては、当事者はほうふ日報のスタッフだけでない。現在の読者、そして未来の読者に向けて問いかけるだけでなく、互いの意見を交わしながら「あるべき未来」を描くことが重要なのである。それは、今日の環境研究における用語を援用すれば、持続可能性というよりも、「未来可能性」というべきものである。

振り返ると、20世紀とは百家争鳴であるが、「成長主義や進歩史観のための合意形成、意思決定」といったことを自明のものとしていたように思われる。特に、環境問題においては今日でも色々なアプローチはあれども、異なった方向の「成長の出口」を模索してきた。しかし、世界を見れば新興国の成長によって明らかにエネルギー消費量は増大するばかりであるし、資源価格は高騰の一途をたどり、資本主義の基本となる利率も低下傾向にある。

そのような社会を支えてきた資本主義というエンジンが息をつく中で、定常状態の維持すらも難しい時代がもうそこに見えている。「古き良き昔」などというものは、恣意的な物語にすぎないし、我々にできることは「次なるシステムが見えない時代をどうやって乗り切るか」という空気椅子のようなチャレンジなのである。1億分の1秒でお金を動かさないと利益が得られない資本主義の末期症状を受け止めつつ、そのソフトランディングを模索するためには、皆が様々な知識・情報を持ち寄るだけでなく、対話を重ねていくしかない。小さな地方紙には、そのための可能性がまだ残っているのだということを、何よりも地域に住む読者の皆さんから、本稿を読んで気づいていただければ幸いである。


※本稿は、防府市出身者とご縁があった加藤がふとしたことでこのような事があったことを知り、かつて執筆をした原稿である。