昔、読んだ本の記録

研究者としてちゃんとお給料をいただいて生活ができるようになるまでの間には、修士論文を書いて、博士論文を書いて、色々な仕事をして紆余曲折を経てポスドクになってという長い道のりがありました。思い返しますと、修士論文を提出して博士課程に進学する際に、今となっては淡雪のようなものかもしれませんが、かなり苦労を強いられた時期がありました。そのような時期において、色々な本を読み、その時に気になったことや共感したことを個人Webサイトの掲示板に殴り書きをしていくということが、博士課程に入るまでによくありました。懐かしい「掲示板」というシステムがあった時代のことです。あの頃は、日記代わりに読んだ本の記録を殴り書きのように書いていました。ある種の読書メモのようなものですが、ある時期に苦悩した自分の記録だと思っております。

終わったようで、終わらない戦争 投稿者:いぶき 投稿日: 5月31日(月)10時40分22秒


『陸軍中野学校 終戦秘史』(畠山清行著、保坂正康編、新潮社、2004年)は、旧陸軍の中野学校研究に関する第一人者であった故畠山清行氏が著したものを、保坂正康氏が編集し、大規模な注釈を加筆したものである。中野学校とは、旧陸軍が1938年に創設した工作員養成学校であり、敗戦の1945年8月15日まで数千人の工作員を送り出した。しかし、現在でもその位置付けは明らかではなく、まともなレベルの研究も僅かなものに止まっている。そのような中で、本書のような好著が文庫化されるのは、これまでの戦史を修正していく上でも良い動きであろう。

文庫版で697ページの厚さを誇る本書を読むのは、はっきり言って一苦労であった。しかし、所収されている膨大なインタビュー記録は、戦史に興味を持つものにとってはとても興味深いものではある。

幾つかの点で、とても興味深い個所があったが、それらの中でも最たるものは、中野学校における教育のコンセプトが、「誠」であったことにある。「誠」をもって相手に接するという性善説的な教育方針は、一見するとうまくいかないように見えるが、我々の実社会における生活を考えれば、これはとても的を得たコンセプトであったと考えられる。

また、戦史的な観点から興味深いのは、ベトコンの戦闘術の基本を中野学校出身者が教育していたことであろう。従来、ベトコンのゲリラ戦術はコミンテルン系の軍事教育にあったとされることが多いが、膨大なインタビュー記録を所収した本書には、ベトナムにおいてゲリラ戦教育を行った当事者の重要な記録が残されている。ジャワには、「青年学校」が存在しており(これについては映画化がされている)、これはオランダからの独立運動に大きな働きをしている。

あと、本書の後半において、中野学校が忘れた教育として「万一の時は逃げろ」という点を教えなかったということが挙げられている。これは、キナ臭い大学という組織の中にいる時には、まずもって必要とされる言葉なのかもしれない。


「日本人は、なにか失敗があると、職を退いて『責任をとって辞職した』と称し、後は知らぬ顔の半兵衛でいる。こんなずるい、卑怯なことはない。本当の責任をとるというのは、どんなつらくとも、苦しくとも、その職にとどまって、失敗を完全に拭い去る。そうしてこそ、責任をとったと言えるのだ。諜報員は死ぬことを許されない。たとえ、手をもがれ、足をきられ、目をえぐられても、まだ耳が残っている。口がある。その一つでも残っているうちは、苦しみにたえて、敵の動向をさぐり、諜報を送り続けるのが、残置諜者の任務だ。」(p.189)


「中野学校出身者は、日本陸軍の軍人としては異質のタイプに育つよう教育された。天皇のための軍隊の兵士でありながら、その軍隊の一員であることを忘れろというのである。謀略工作や情報工作といった特殊任務には、いかに非軍人であるか、という装いの"演技"こそが要求されるのだ。任務を全うするために、ともかく戦ってはいけない、まずは身を隠せ、と命じられているが、これは日本軍の軍人としては辛かったはずである。つねに人の目につかないところに立って、諜報工作に専念した中野学校出身者は、歴史のなかに見え隠れしている影のような存在だが、そのひとりひとりは「軍人であって軍人ではない」という亀裂のなかにいたのだ。」(p.676-677)


ZS-PART1読了(1) 投稿者:いぶき 投稿日: 5月23日(日)22時03分53秒


『LA ZAMENHOF-STRATO』の邦訳は、インターネット上でメールのやり取りだけで出されている。この種の動きは、(組織的という限りにおいては)未だに少数ではあるが、インターネットが示す「草の根レベルの市民によるコミュニティ」創出というものの萌芽的なものの良い例ではなかろうか?ただし、問題は、このようなプロジェクトの多くも、既存の紙メディアの延長線的な部分に位置しているということにある。ちなみに、『LA ZAMENHOF-STRATO』は、国際公用語として1887年に提案されたエスペラント語を創ったL.L.Zamenhof (1859-1917) の孫であるZakeski Zamenhof(ザレスキー・ザメンホフ)のインタビュー形式の回想録である。今回は、ネットにある邦訳のPART 1のみを読了したので、メモを残す。


「それまでの戦争は、一般的には軍隊同士の戦いでした。ところが、第二次世界大戦になると、国民全体の総力戦・全面戦争となり、「一般市民」という概念は消え失せてしまったのです。ワルシャワでは、たくさんの死体や傷ついた人々、炎に包まれた民家や廃墟を見ました。家を失った人々が群をなして雨風をよける場所を探していました。」


「一般的に言えば、多くの人は自分の身を守るための行動が遅すぎました。ユダヤ人登録をさせられた段階では、次にゲットーへ移動させられるとは誰一人想像できませんでした。そしてゲットーが人であふれた後も、その次はホロコーストで殺されることになるとは思いませんでした。何しろ、歴史上まったく先例のないことでしたから。青いダビデの星の腕章の着用命令は、まだ許容範囲内でした。それどころか逆に誇らしげに腕章を着けた人も少なくはありませんでした。それに、ポーランドがドイツに占領された当初は、ドイツ軍は多数の市民を民族に関係なく処刑していました。私自身、もっと早い段階で偽の身分証明書を入手しようとすればできたのですが、その時はそれがそれほど危険を冒す価値がないと思いました。」


「ユダヤ人警察は占領軍に奉仕するという意図でつくられたのではなくて、ゲットーの中の秩序を維持するためでした。ゲットーは非常に人口密度が高い大都市そのものでした。最初のうち、警察に入ったのは職をを求めた法律家などが大部分で、正直な人たちでした。その後、状況が変わり、ユダヤ人警察はテロのシステムに加わるようになったのです。メンバーはおよそ2500人でした。この涙の谷間にあって、警官たちは、自分は特権をもった人間だと思いあがるようになりました。彼らの多くは、エリートとしての自分の地位を守るために、ドイツ人の命令を実行する手先となりました。ゲットーの粛清が始まって、いわゆる「移送」を手伝うボランティアが不足したとき、ユダヤ人警察は路上での人間狩に参加したり、ユダヤ人を自宅から引きずり出したりしたのです。その意味では、たくみにつくられた一種の国際協力の組織でした。ドイツの憲兵が道路をふさぎ、ウクライナやリトアニアやラトヴィアのボランティアが家を取り囲み、ユダヤ人警察がその家から住人を連行したのです。そのあとで、ユダヤ人警察がしっかり家を「浄化」したかどうかを、ボランティアたちがもう一度調べ、隠れていた残留者はその場で射殺されました。一方、占領軍はゲットーの住民が「農作業のために移送──―つまり、運び去られたのだ」という嘘の宣伝を行ったのです。ユダヤ人警察は、知らぬ間にユダヤ人大虐殺に奉仕したのです。当時大虐殺は想像できませんでした。」


※出典:上記の文章の引用は、次のURLから行われております。

<URL:http://www.rato.jp/zs/traduko1_p44org.htm>



ZS-PART1読了(2) 投稿者:いぶき 投稿日: 5月23日(日)22時04分27秒


つづきじゃ。


「毎朝、歩道にゴミのように積まれた死体を見ました。人々は飢えで、衰弱で、ありふれた病気や伝染病、主にチフスで、死んだのです。遺体は通りに放置され、時には新聞雑誌をかぶせてありました。専門の会社がそれらを埋葬場所へ運んだのです。大抵は共同墓地です。衛生観念が高いことで知られていたドイツ人は、この件には特に注意を払っていました。すべての前線で輝かしい勝利をおさめていた時期、彼らはただ一つのことを非常に恐れていました。それは伝染病の感染です。"ユダヤ人評議会"が優先して行なわなければならなかったのは、伝染病の源らしいものを直ちに取り除くことでした。通りの清掃と死体を特別速やかに片付けることに一生懸命でした。歩道に放置されていた死体を初めて見たころは、私は息が詰まり、涙がこぼれました。しかし、時には奇妙なことに感情もなく確認したものです――おゝ、今日は死体が少ないぞ! そして、私は走りすぎました。最初は悲痛な光景だったものでも、突然ありふれた日常になりました。人間というものは、どんな条件にも適応できるという異常な能力を持っているものです。ぞっとするようなことでも、ある程度ながく続くと当たり前の事になってしまうのです。」


「ホロコーストは、すでに述べたように、もっとも明瞭な知力をもってしてもその想像を超えるものでした。さらに、ユダヤ人評議会は、ドイツ人達を怒らせないためと、ゲットーの状況をこれ以上悪くさせないために、抵抗することに反対していました。同時に、ナチスもは連帯責任に基づく容赦ない殺戮によって目的を達しました。勇敢なレジスタンスも連帯責任によって他の罪もない人が殺されるのを嫌い、戦いを控えたのです。ナチスが巧みに嘘をついている間に、ナチスによる犠牲者達は、愚直にも、恐ろしい真実を受入れる代わりに、嘘を信じる方を選んでしまいました。「神が必ず救ってくださる」ことを信じる宗教的神秘主義は、「戦っても勝つ筈がないから、神の救いに頼ろう」という敗北主義へと傾いていきました。「自己防衛は、ゲットーすべてを滅してしまうことになる」という恐れが支配したのです。ですから、ユダヤ民族の本質的な部分を救うためには、何人かをいけにえにすることが必要だというのです。かなりの情報をつかんでいた「ユダヤ評議会」でさえ、要求された割当人数のユダヤ人を「積み替え広場」へ引き渡すことが、ゲットーの他の住民達を救うことになる、と考えていました。ユダヤ評議会の議長アダム・ツェルニアコフは、そのように状況を理解していたらしく、10万人を救うために、1万人を死へ向かわせる事が必要だと思ったようです。けれども、彼は自分でその責任を取ることに耐えきれず、自殺を選んだのでした。」


※出典:上記の文章の引用は、次のURLから行われております。

<URL:http://www.rato.jp/zs/traduko1_p44org.htm>

全ては、この本から始まった・・・。 投稿者:いぶき 投稿日: 5月13日(木)14時46分22秒


『史料館・文書館学への道:記録・文書をどう残すか』(安澤秀一著、吉川弘文館、1985年)の著者は、駿河台大学文化情報学部の私に対して、公私にわたっていろいろなことを教えてくれた、最初の恩師である安澤秀一先生である。社会学的な方法論が基盤となっている私の研究の伏線的なスタートラインは、大学に入って初めて学んだ文書館学とそれを記述したこの本にあったのだけは確かである。自らを問うことが多くなった最近においては、「全てはここから始まった」ことを素直に認めざるを得ない。いや、むしろ、それを認めずに来たからこそ、現在の自分の中途半端な学問的立場が生成されてしまったのだろう。

既に1985年に書かれたものということもあり、古典としては良いのだが、現代社会において適用しようと考えるならば、次の点を考慮する必要があるだろう。それは、(合理的無知によってそれを意識しない人もいるが)既にCMC(Computer Mediated Communication)が生活圏に組み込まれてきている現代の社会においては、史料保存機関は史料公開の方向性が大別して、(1)専門的な歴史研究者に奉仕するためなのか、(2)広く市民による公共的な利用に供するためのものであるのか、という二つに分かれていることを認識することである。

これまでの史料保存機関は、前者に大きく依拠してきた。国立公文書館や国立国会図書館に一度でも行ったことがある者ならば、それが明らかにユーザーフレンドリーではないことぐらい、すぐにわかることであろう。だが、そのような状態では「玄人」である専門の研究者に史料を提供することができたとしても、「素人」である市民には公開はおろか、機関への利用可能性すらも殺いでしまうことになる。

つまり、研究者のみがオリジナルの史料を利用する、という特権的な時代は終ったのである。史料へのアクセシビリティだけで優位性を獲得していた研究者は、徐々にアンバンドリング(解体)されていくことだろう。そのような中で、史料公開というものは、まずもって、「広く市民による公共的な利用に供する」ことを念頭に置かなくてはならない。

当たり前のことのように聞こえるだろうが、こんな当たり前の理念すら、この国は実現できていないのである。だから、海外の文書館学を輸入することばかりを優先して、何も考えていない人々を見ると、本当の学的営為とは何なのだろう?という問いが無意識的に浮かんでくるのである。


あと、この本については、いろいろな(政治的な要素が加味された)見方があるので、ここでは細かく言及することはしないが、少なくとも、この本が様々な見解を生む結果となった原因は、この本が言及した図書館の十進分類法批判にあると考えられるが、時間の媒介係数が増加した現在においてこの批判を見ると、さほど過激なことを書いているわけでもない。むしろ、十進分類法に関する軽い批判が僅かに存在するのみであり、これがなぜに後世まで図書館情報学サイドから問題視されたのか、という点では腑に落ちないことしきりである。

この問題に関しては、資料の量的な裏づけが無いために確証はできないのだが、この本が受容される過程に問題があったのではないかと私は考えている。『史料館・文書館学への道』は、出版された直後から『放送研究と調査』(ISSN:02880008)等の様々な文献においてレビューされた。それらの幾つかを無作為に読むと、なぜか十進分類法批判ばかりが強調されているのである。そして、このような物事の一側面だけを事実化するような紹介を媒介したテクストの受容が存在したために、『史料館・文書館学への道』は、「図書館情報学・文書館学の不一致への道」を生み出したのではなかろうか?

しかし、これは確証なき私の推測であり、必ずしも正しいとは言えないだろう。だが、この本の受容過程の枠組みは、どう見てもかつてのマルクスの著書がエンゲルスの『反デューリング論』やエイヴェリングの『ダーウィンの理論』を媒介して受容され、誤読・歪曲されていった枠組みに酷似しているような気がしてならないのである。



つづきじゃ。 投稿者:いぶき 投稿日: 5月13日(木)14時57分26秒


既に荒れ野となってしまった道のつづきじゃ。


「日本では一七世紀以降に限っていえば、地方行政にかかわる史料の保存が危機にさらされる制度的転換が二度あった。一つは徳川体制の崩壊である。ほぼその時代を通じて、成文記録証拠主義を採用していたから、幕府・大名、そして大庄屋・庄屋(町年寄)といった各レベルでの行政機関は、それぞれに記録/文書を保有していた。これら記録/文書、とくに地方行政関係のものは明治新政府とその地方行政組織の史料保存利用施設に殆ど引継がれることなく、幕府崩壊時は行政担当者であった人たちの手に集積されたまま、私有化されてしまった。二七〇年にわたって作成され、蓄積されてきた尨大な量の史料は全国的にせみて、優に一億点をこえるものと推定されている。

二度目は第二次世界大戦が終って占領下におかれ、旧内務省が解体された時である。明治体制発足以来、約七〇年間にわたって作成され蓄積された地方行政機関の記録/文書は、中央当局の権限縮小、また戦争末期の戦災や緊急避難ともあいまって、保存への強制力が弱まった。そしてこの傾向に拍車をかけたのが広域行政主義による町村合併の進行であった。支所へ格下げになることで非現用記録を払い下げたり、焼却した例がかなりみられたし、新庁舎建設にあたっては記録/文書収容空間を考慮しなかったりということがあいついだ。

また戦中、戦後の経済変動は、明治維新後に私有化されたことによって徳川期史料保存の役割を果たしてきた社会的基盤(旧大名華族・旧大庄屋・庄屋層等)に、大きな打撃を与えた。ここでも湮減/払い下げが進行した。

右に述べたことは、法律上、行政上の参照を必要とする筈の記録/文書の保存/利用を、行政当局自らが軽視したことの結果といえよう。それは近代日本における文書館制度の欠如に現れていたのである。予定敷地を半分以下に削られた国立公文書館の正式開館は、昭和四六年七月のことである。」(p.30)


「Archives「文書」「文書館」は、Administrative Official Current Records 現用公文書と、その保管場所としての「公文書」こうぶんしょ・「公文書館」こうぶんしょかん、を意味する読み方と区別するため、non-current records「非現用記録」という歴史的意味合いを表現する読み方としての「もんじょ」「もんじょかん」と読んで頂ければ有難い。この読み方がむずかしければ、「史料」「史料館」をあててもよいが、この言葉は「資料」「資料館」と混同される恐れがある。」(p.44-45)


「一九世紀ないし二〇世紀初頭までは、Archives=公的組織起源文書と Manuscript=私的起源文書とを区別していたが、その後は両者ともに国民的共有財産としてのArchives=「文書」であると考えられている。さらに従来の粘土板・金石木板・羊皮紙・紙などに記された可視文字記録のほかに、直接に文字に依存しない記録、つまり図像・地図・写真・音声・映像・磁性媒体機械可読記録までも含む様になっている。かくして記録された情報は Archival value にもとづいて永久保存の可否を判定され、永久保存の対象にされると、保存環境条件の整備された史料保存利用施設において、保存管理と利用提供のための検索に応じられるように、整理が行われる。その整理の出発点を支えるのが「出所原則」the Principle of Provenance なのである。」(p.48)


「日本では、史料保存利用施設とそれを支えるアーキヴィストの必要度が、いまも無視されているが、国際的水準に追い付く努力をしないままに放置するのであれば、史料館/文書館制度最低国という知的鎖国状態のまま、国際的に、とくにアジア・アフリカ諸国から全く孤立した、自称「文化国家」という空洞に自らを閉じこめることになるであろう。史料保存利用施設が存在しなかったからアーキヴィストを必要としなかった、という悪循環から脱け出るためには、イギリスで第二次世界大戦後すぐに実行されたように、まず良いアーキヴィストを養成することから始めねばならない。」(p.49)

感謝は偉大なり。 投稿者:いぶき 投稿日: 5月 9日(日)22時33分12秒


『アーレント=ハイデガー往復書簡 1925-1975』(ハンナ・アーレント/マルティン・ハイデガー、大島かおり・木田元共訳、みすず書房、2003年)は、待ち望まれたハイデガーとアーレントの往復書簡集の邦訳である。まだ、前の大学院にいた三月頃に図書館で読み、読書メモを残していたのを発掘したので、ここに書き留めておく。できることなら、自分で購入して、再読したい本である。

ちなみに、最近では、アーレントがハイデガーと不倫関係にあったということをちゃんと認知していない若輩者が多くいるのが気になるところである(だから、単純に「恋人」と言ってしまうとかなり問題があるのですよ)。確か、34歳の時にハイデガーが16歳のアーレントに恋をしちゃったのがそもそものはじまりだったはず・・・。まぁ、なにはともあれ、この二人が1945年以降、どのような考えを交わしていたのかを知るためには、重要な文献である。


「現在の時代における一つの省察の努力に

共感をお寄せくださるすべての方がたへ、

想起していただくことを感謝しつつ



感謝はつねに

詩作よりもいっそう建立的で

思索よりもいっそう基礎を築くもの。

感謝は

感謝することに到達する者たちを

到達不可能なものの面前に連れもどす。

われわれ - 死すべき者すべて- は

はじまりのときこのかた

その到達不可能なものの現前に

ふさわしい。



マルティン・ハイデガー



[個人的添え書き]


ハンナのために

心からの挨拶とともに」(p.209)

それでも、文献研究は紙メディアが情報のQC機関として存立する限り、不可欠とされるであろう。 投稿者:いぶき 投稿日: 4月23日(金)07時37分24秒


『歴史のための闘い』(ルシアン・フェーヴル著、長谷川輝夫訳、創文社、1977年、歴史学叢書)は、歴史学における大きな趨勢の一つである「アナール学派(L'ecole des Annales)」の創始者であるルシアン・フェーヴルの代表的な著作の一つであり、よくいろいろなところで引用される文献でもある。

かなり以前に読了していたのだが、もう一度、読みかえしてみようということで再読したみた。図書や雑誌論文というテクスト系の研究成果を、権威付けのためのモニュメントとして捉えながら、モニュメント(もしくは神話)を解体するという『知の考古学』(ミシェル・フーコー)的な歴史方法論を展開してきた自分の研究も、そろそろre-framingしなくてはいけないと思うことが多い。しかし、それでも、文献研究は紙メディアが情報のQC機関として存立する限り、不可欠とされるのであろうなと思う今日この頃である。


「歴史家にとってはすべてが整然としていたのです。予備的な定義は一切無く、歴史とは歴史であると言われていました。たとえ定義の試みがあったとしても、不思議なことに歴史の対象によらず、歴史の素材しかも豊富な素材の一部によってなされていました。」(p.5)


「しかし、文献を通して事実が把握されていたでしょうか。歴史とは事実を確定し、次にそれらを組み合わすことだと言われていました。その通りで、実に明快ではありますが、ただし、それは大筋において、とくに歴史が出来事だけで織られていると仮定しての話しです。これこれの王がどこそこで、いつ生まれたとか、隣人に対しどこそこで決定的勝利を収めたとかいう出来事を取り上げ、これらに言及しているすべての文献を探し出してその中から信用の置けるものだけを選ぶ。こうして最良の文献を用いて正確かつ詳細な物語を作成するというわけですが、実はそれほど簡単にはまいりません。」(p.8)


「歴史は勝利していました。外部の人びとはその権勢を羨みましたが、実は歴史は徐々に実質を失って行ったのです。歴史学は完全に規定された内容を持つ一つの個別的学問ではなく、人間諸科学の領域ではほぼ普遍的になりつつある方法だとさえ言われていました。だが、ある有名なテクストが「歴史学を構成するために用いられる方法」と規定していたまさにこの方法は、現実には、すべての科学が用いている方法の一つ、すなわち間接的認識の方法に過ぎなかったのです。いわば、歴史は虚を取り、実を捨てたのです。・・・(中略)・・・しかし現実を制していなかったことは確かです。」(p.14)


「歴史とは人間を対象とする学問です。従って、取り扱う事実はもちろん人間的な事実。そこで歴史家の任務は、これらの事実を生きた人々、およびそれらを解釈するため自らの観念を頼りに彼等ひとりひとりの内面に分け入った人びと、を見出すことだと言ってもよい。

確かに文献を用います。だが、人間的な文献を。文献を構成する言葉自体にも人間の血が脈打ち、すべての言葉はそれぞれ固有の歴史を持ち、時代に応じて異なった響きを発します。しかも事物を意味する場合でさえ、同一の実在や同一の性質を指すことはほとんどないのです。」(p.18)


「彼等はただ一つのこと、すなわち科学が何か新しいものを獲得する時には、いつでも非順応主義があることを忘れています。宗教が養分を摂取し肉を付けるのは異端によってであるのと同様、「科学」の進歩は不和のたまものです。Oportet haereses esse 異端は存在しなければならない。」(p.23)


「経済・社会史は存在しない。存在するものは歴史そのもの、統一性を持った歴史です。歴史とはもともと社会史なのです。私は歴史を次のように定義します。「歴史とは、過去の人びとを、彼等が次々と地上に作り上げた極めて多様だが比較可能な(これは社会学の公準です)諸社会の枠の中に時間的に位置づけられたうえで、彼等の様々な活動と創造を対象にして科学的に行う研究。」少々長たらしい定義ですが、私は奇蹟的なくらい短い定義というものに対して不信を抱いています。しかもここに用いられている言葉自体によって、数々の誤った問題が退けられていると思います。」(p.28)


「私は、「人びと」と申しました。人間科学の一つとして人類学や心理学や言語学等と肩を並べる歴史学にとって、まさに「人びと」こそ唯一の対象だからです。換言すれば、捉えどころのない抽象的な永久不変の人間が対象なのではなく、いつも社会の枠組みの中で把握される人びと、発展段階の一時点にある社会の成員としての人びと、混ざり合いぶつかり合い、対立し合い、ついには「生」と呼ばれる妥協的な和平、和解に達する多様な機能・関心・能力を備えた人びとです。」(p.29)



続きじゃ。 投稿者:いぶき 投稿日: 4月23日(金)08時16分53秒


終わらない歴史のための闘いの続きじゃ。


「「歴史が人間の科学であること」、歴史が人間社会の絶えざる変化と物質的・政治的・道徳的・宗教的・知的生活の新しい条件への人間社会の適応を対象とする科学であること、人間の様々で共時的な生活条件の間に絶えずそして自然に実現される一致、調和を対象とする科学であることは決して忘れられてはならない。」(p.45)


「歴史を研究するためには、決然と過去に背を向け、まず生きなさい。生活に没頭しなさい。さしずめ知的生活といったところでしょうが、多様な知的生活に。・・・(中略)・・・そればかりか実生活をも生きなさい。荒れ狂う海に生じていることを、岸辺から物憂げに眺めるだけで満足してはならない。」(p.46)


「引き裂かれ、砕かれ、血まみれになって赦しを乞う世界、この世界の統一性を再建するのは外部からの干渉ではない。各々が自己の深遠な思想と無私無欲の行動を見事に調和させることによって、言い換えれば、私がこの講演を始めるに当って喚起したあの無言の問いから我々の良心を解放してくれる献身によって、自己の内に世界の統一性を再建するのです。この世界の統一性を実現した暁にこそ、我々は歴史研究を行う権利があるのかという大いなる問いに対し、心安らかに然りと答えることができるのです。」(p.47)


「我々は物的財産のすべてを失った。しかし精神が残されているかぎり我々は何も失っていない。世界を世界に説明しよう。」(p.59)


「歴史はただ「人間的なもの」だけを考えるのではない。歴史が呼吸する自然の空気は時間、従って歴史とは時間における人びとを対象とする科学である。ところで時間は継続であると同時に絶えざる変化であり、「これら二つの特性の取り合わせから歴史研究の大きな問題が生じる」。」(p.138)

ひさびさの読書メモ。 投稿者:いぶき 投稿日: 4月22日(木)16時05分57秒


忙しくて、読了してもメモが残せない~。

『図書館情報政策』(金 容媛著、丸善、2003年)は、未だに領域として発展途上の段階にある図書館情報に関する政策を網羅的に纏め上げた良い本である。著者の金先生は、私が駿河台大学大学院に在籍していた時に、研究計画や研究の方法論について様々な指導をしてくれた恩人の一人でもある。


「現実には、網羅的な唯一の情報政策を形成することは困難であるといえよう。厳密には、情報の収集、蓄積、提供に関する首尾一貫した情報政策および政策機関は存在しない。そのため図書館情報政策の研究には、(1)図書館情報政策樹立機構および実行部署(予算反映)、(2)法律による条件整備(図書館法と関連法)、(3)国立中央図書館制度、(4)研究開発および支援(機構および制度)、(5)国際協力(国際機構、国際協力)、(6)人的資源の開発(図書館情報専門職および専門団体の育成と活用)など、多方面にわたる研究が必要である。また、政策機構に関する研究においても、財政的な問題と国立中央図書館制度の研究が必要である。また地方自治制を考慮して、その実施と政策の存立方式に関する研究も必要である。」(p.218)


「図書館情報政策は、特に図書館・情報サービスの全国的展開のために重要な領域であるが、その理論的な裏付けとなる図書館情報政策研究はいまようやく始まったばかりである。21世紀の情報社会、知識基盤社会において、その中心となる知識・情報資源に関わる政策は、単なる「図書館行政」の域を超え、社会との関係を国内・国際的に見据えた、より高度の図書館情報政策として形成されるべきである。そのために、図書館情報政策のあり方を明確にし、固有の研究領域として確立していくことが求められる。」(p.218-219)

ひさびさのポンコツ読了メモ 投稿者:いぶき 投稿日: 4月 2日(金)14時26分12秒


『排除の時空を超えて』(赤坂憲雄ほか編、岩波書店、2003年、いくつもの日本Ⅴ)は、私の学部時代の恩師の書かれた近著が所収されているという理由で購入した本である。広い範囲で差別に関する様々な論考を所収した本書は、ごく普通の日本人であれば、読む度に気付かされることが多い本であろう。


「柳田はまちがいなく、『金枝篇』の核心を掴んでいたのである。それは、王という存在の奥深くに秘め隠されてあるものを、暴力的に白日の下にさらす。だからこそ、柳田はそれを劇薬ないし毒物として扱い、安易なかたちで世間に流出することを容認しなかったのではないか。『金枝篇』の影に包まれながら、「毛坊主考」はヒジリの根源に迫るなかで、ほんのつかの間、天皇という存在が王ゆえに帯びる秘密のひとかけらに接触してしまった。天皇をめぐる起源の風景が開かれ、また、あわてて閉ざされたのである。」(p.14 「ヒジリの精神史」)


「柳田の「毛坊主考」一編は、かぎりない暗示に満たされた論考である。そこには、ヒジリと呼ばれた人々のじつに多様な姿が書き留められてあった。ヒジリの後裔である毛坊主を起点として、柳田は「ヒジリと云ふ階級」の全体像の掘り起こしへと赴いた。たとえば、そこに登場してくる人々を並べてみればいい。鉦打、鉢叩、茶筅、オンボウ、夙の者、坂の者、谷の者、野の者、山の者、河原の者、産所、サンカ、非人、餌取、院内、寺中、願人坊主、勧進・・・・・・、その、だれもが少なからず差別を蒙ることのあった人々である。眼が眩む思いがする。柳田の眼差しはしかも、たいへんに関心をそそられることだが、それらの人々を「賤民」や「被差別部落」として括ることをやわらかく拒んでいる。いわば、差別というものを自明の前提として抱え込んでいない、ということだ。ヒジリや毛坊主といった知のフィルターに濾過されることで、それらの人々はまるで異質な相貌を見せはじめる。ここにはやはり、差別の構造を無化するための方法的な試みが沈められてある。それを可能性の種子として掘りあてるのは、柳田以後を生きる者たちに託された仕事である。」(p.24 「ヒジリの精神史」)


「真実はみな、かならずしも公表すべきものではないのかもしれない。気の弱さゆえに、自分が言葉を濁したのは恥ずかしいことだ、そう、柳田は書いている。おそらく、ここにも言葉を濁し、秘め隠されたことがあった。「諸君の家はもと毛坊主だ、本願寺などヽ同類だ」と宣告されねばならなかったのは、むろん、遊芸歌舞の徒ばかりではない。毛坊主から聖へ、さらには古びた日知へと、ヒジリの零落史が逆向きに辿られるとき、王や天皇といった存在もまた、「諸君の家はもと毛坊主だ」と呟くような宣告の声を無視することができなくなる。柳田は聖帝=ヒジリノミカドのかたわらに、「毛坊主如き者の元祖と共通の名と云ふのは畏多い」と書いた。むろん、すべてを承知していたのである。そして、ひとたび開けてしまったパンドラの箱を前にして、たじろぎ、途方に暮れ、右往左往しながら、しばし言葉を濁したのである。それを痛切に自覚してもいた。しかし、そうした柳田の弱さを非難する気にはなれない。時代のもたらす制約に抗いながら、柳田はかぎりなく涯まで歩き抜いた、そう、わたしはある深い敬意とともに思う。」(p.25 「ヒジリの精神史」)



続きですわ。 投稿者:いぶき 投稿日: 4月 2日(金)14時27分23秒


なかなか超えがたい排除の時空の続きですわさ。


「日本の民俗社会・信仰体系から導出されるカテゴリーとしての「穢れ」が差別と深く関わってきた事実は、この真言の御札の事例のみに限らない。実際、多くの場合において女性は「穢れたもの」とされて神事や儀礼(祭り)の場から排除・差別をされてきた。また祭りの場で、被差別民が「穢れたもの」とされて排除・差別を受けてきた事例も、歴史を通じ、これまた少なくはない。」(p.118 「穢れ」と差別)


「スタティックな分析は、前に指摘したように潜在的に状況の温存理論となりかねない側面をもつと指摘したが、そのほかにもこのような見方は、第一に「換喩(metonymy)」的」な分析となりやすい、という点があげられよう。換喩とは、原因で結果を、結果で原因を、包むもので包まれるものを、記号で記号によって意味される事物をあらわす働きをするものである。そうした分析においては、それが「結果であるもの」を、「原因」として分析をするという事態が生じる。

第二に記号学的(構造主義的)な分析は、高度に「抽象的」な見かたである、という点がある。リーチは、主として「分類のあいまい性」から論を立てたのであるが、それ自体にも、「疑似的なあいまい性」や「次元のあいまい性」などが考えられ、その「あいまい性」の判断は、研究者の「恣意性」にゆだねられるものとなる。したがって、この見かたによる研究は、他の理論的装置以上に研究者の「恣意性」が入り込む可能性が高いのである。また、高度に抽象的な見かたは、抽象的であるだけに「具体的なもの」を「恣意的に配置」しやすいという問題も残ってこよう。」(p.123-124 「「穢れ」と差別」)


「「穢れ」というのも、それが「穢れであるとされる」から「穢れ」なのである。すなわち、インドにおける「不可蝕民が穢れている」、「生理時の女性は穢れている」、「被差別部落民は穢れている」、「ハンセン病者は穢れている」等々というような謂い条は、これらの人々が文化的・歴史的・社会的に「穢れたものと見なされた」からである。

他方、「穢れとすること」は、秩序や体系の維持と関係する「権力のメカニズム」に拠っている。フーコー的な言説を借りて言えば、「権力」は、あるカテゴリーに属すると見なされるものを「穢れ」として「秩序」・「体系」を維持するために、そのレッテルが貼られるカテゴリーの事象・人々に、禁止を押しつけると同時に沈黙の強制を強い、隔離による存在しないことの確認を迫るのである。別言をするなら、「穢れ」と関係する抑圧や差別は、「穢れとすることの権力」と関係をとりむすぶもの、と言い得よう。」(p.126 「「穢れ」と差別」)


「教室で机の上に飛び乗り天真爛漫に遊ぶ子供がいた。それは確かに度を越していたが、咎める者はいなかった。だが、ある日、厳格な先生や父兄が現われた。そして、その行儀の悪さは人並み以下の恥ずべきことだと寄ってたかって詰った。・・・・・・そういえば、その子のことばはどうも共同体の並のことばとは違う。しかも、およそしつけがない。親の生業はしがなく、一家は貧しいし、やることは何やら怖い。

あとは推して知るべし。監視をするか遠ざけるかだ。かれらの生活とこころの遍歴、それを取り巻く人びとの光景はこんなふうに喩えられるだろう。」(p.164 「「賤民」の文化史序説」)


「ヤマトゥにおける沖縄の表象が問いかけているのは、ウチナーンチュ自身がウチナーンチュであることの意味を考えているか、ということでもある。自らを問うことは主体性の一つのあり方である。ウチナーンチュにとって沖縄とは何か、それは一時的な沖縄ブームとは無縁の、人の生活や移動、労働、文化などの問題であり、ウチナーンチュ一人ひとりが向きあう答えのないテーマである。なぜ関西に沖縄があるのか、それは単に出稼ぎが多かったというだけでなく、生活意識に基づいて「ウチナーンチュであること」が、変化しながらも問いつづけられているからである。」(p.213-214 「ヤマトゥのなかのウチナーンチュ」)


「ヤマントゥンチュのウチナーチュへの視線と態度は、一九二四年に関西沖縄県人会が結成された約五〇年前と変わりない。五〇年前と異なるのは、ウチナーンチュを拒否する側に半世紀をヤマトゥで生きたウチナーンチュがいることである。」(p.218 「ヤマトゥのなかのウチナーンチュ」)



また、続きですわ。 投稿者:いぶき 投稿日: 4月 2日(金)14時28分0秒


今回はメモが多かったのよね・・・。


「従来の「在日韓国朝鮮人」の定義では、国籍のいかんより、戦前から「日本」に居住する旧植民地出身者とその配偶者・子孫で、「在日韓国朝鮮人」等というアイデンティティを自認する者のみを指していた。一方、「ニューカマー」は「在日」という冠をあえてはずし、たんに"韓国人"と呼ばれることはあっても、「在日韓国朝鮮人」とは区別されていた。もちろん「在日韓国朝鮮人」もたんに"韓国人" "朝鮮人"と呼ばれることはあった。しかし、「在日韓国朝鮮人」という言葉には、"韓国人・朝鮮人・日本人のいずれでもないが、かつ、それらいずれの要素も重複してもつ人々"というニュアンスがつきまとっていた。つまり、「在日韓国朝鮮人」とは、UFO(未確認飛行物体)と同様、当初から内包が確定されえない名詞なのである。」(p.230-231 「「在日韓国朝鮮人」とは誰か」)


「政治的役割を担うために「在日韓国朝鮮人」は存在するのではない。むしろ、日本社会における排除の政治によって生み出された社会的存在であった。日本という国家は近代以降、国民を管理・支配するためにこそ、民族差別を利用してきた。そう、朝鮮人や中国人は常に、国民を統合し丸め込むためのスケープゴートだった。しかし、日本においても、近代国民国家、近代家族、近代的自我・アイデンティティが動揺する時代にあって、社会構造は質的にも根本的な変化を迎えようとしている。移民労働者の大量受け入れ(ただし、相手方が来てくれれば、の話だが)を前にして、排除の政治も大きく変化しようとしている。社会はあらためて排除の対象と方法を検討しなおしている。今後、「在日韓国朝鮮人」がその社会的役割を終えるのか、更新するのかは、まだ予断を許さない。しかし、「在日韓国朝鮮人」自身も質的に大きく変化し、もはやかつてのままではないことは確かだ。「在日韓国朝鮮人」の今後は、日本社会の今後だけではなく、近代性以降に何が浮上するのかを映し出す試金石でもあるだろう。」(p.249 「「在日韓国朝鮮人」とは誰か」)


「視覚障害に起因する麻原の苦悩・疎外感が、現世拒否を根幹とするオウム教義の底流にはある。しかし、彼は完全に現世から超越(解脱)することはできず、自己を「無用」「特殊」としてきた「近代」社会を攻撃した。麻原の自己実現のための「努力」は、障害者を「廃人」と定義づけた近代の日本、あるいはその裏返しとしてことさらに「頑張る」障害者像を期待する戦後のヒューマニズムの欺瞞に、彼流のやり方で挑戦するものだった。そして、その「挑戦」は、多くの人々を巻き込んで悲惨な結末をもって終わった。地下鉄サリン事件という自作自演のハルマゲドンは、「視覚障害者」教祖・麻原彰晃の自己破滅でもあった。」(p.265 「近代日本の〈厄介な人〉,〈気になる人〉,〈変な人〉」)


「彼の失敗から僕たちがしいて学ぶべきなのは、現代社会にあって、障害者は常に〈気になる人〉として健常者(多数者)中心の社会のあり方、能力主義などの一元的な価値観に疑問を投げかけるという意義があることだ。そして、かつて盲僧たちが己の「特殊」性を武器にしながら活躍したように、現代を生きる障害者が「いくつもの日本」を構築する個性的な存在=〈変な人〉になることが、二一世紀の「福祉」社会の具体化につながるのではないか。同化でも隔離でもなく、〈変な人〉がそのまま許容される柔軟な社会こそが「シャンバラ」のはずである」(p.269 「近代日本の〈厄介な人〉,〈気になる人〉,〈変な人〉」)

残り物には福が無い時もある。 投稿者:いぶき 投稿日: 3月22日(月)23時36分11秒


『図書館運動は何を残したか:図書館員の専門性』(薬袋秀樹著、勁草書房、2001年)は、1960~1970年代の図書館運動の実情を、批判的に記述している。司書を志す方は、過去にこのようなことがあったということを、この本を読んで知っておくべきであろう。詳しい内容は、とある英文書評からの翻訳を読書メモをまとめたところに置いてあるので、それを参照されたし。もっとも、私の手による翻訳だから、お世辞にも精度が高いものではない。


「これまでの図書館学研究は、内外を問わず、歴史の研究と外国の事情や学説の研究が多かった。その結果、日本の公共図書館の現状に関する批判的な研究はきわめて少なかった。」(p.14)


「市民には倫理綱領があることを知っている人は少ないため、どんな専門職であれ、倫理綱領によって信頼されることは考えられない。市民は、自分にはできない専門的なサービスを専門職から受けることによって専門職を評価する。専門職は専門的サービスによって信頼される。したがって、利用者に対して図書館がどういうサービスを提供するかが問題である。誤解のないように述べておくが、利用者の信頼を得ようとすることが誤りなのではなく、専門的サービスが不十分なまま倫理綱領によって信頼を得ようとすることが誤りなのである。」(p.94)


「司書に必要な資質については、これまでさまざまな形で論じられてきているという印象を受けていたが、実際には、論じられたことが少なく、先人の意見を整理することもなく、各論者が自分の意見を述べるにとどまっていた。その内容も抽象的で具体性のないものであった。さらに、組織と社会の分野の能力はほとんど無視されたいた。

大学では、司書の養成に際して、図書館情報学の専門的知識だけでなく、基礎的能力を育成するように努める必要がある。基礎的能力がなければ、専門的知識や司書資格も役に立たない。司書をめざする人々はこうした基礎的能力を身につけるように努力すべきである。また、図書館に事務職員や事務系管理職を配置する場合には、これらの基礎的能力を持つ人々を配置することが望ましい。それには、司書が持つべき基礎的能力の具体的な内容とそれを身につける方法が示されなければならない。」(p.137-138)


「新たな歴史を創造するには過去を総括することが必要である。過去の総括には遅すぎるということはない。これらの人々や団体には彼らの過去の運動に対する明確な責任がある。もし、本当に公共図書館の発展を望むのであれば、勇気をもって事実を認め、自らの過去の総括を行なうべきである。労働組合に責任を転嫁する人々がいるが、労働組合は単に現場の要求を集約して伝えるだけであるから責任はない。もし、当事者に総括ができないのであれば、過去の経緯にかかわりのない新しい世代が過去の歴史を客観的に調査研究し、総括することが必要である。そこから特別区の図書館の新しい歴史が始まるであろう。」(p.219)


「図問研東京支部と日本図書館協会図書館員の問題調査研究委員会を中心とする司書職制度確立のための取り組みが成功しなかった最大の原因は、本書での考察から次の二つの点にあると考えられる。

一つは、これらの図書館運動のリーダーたちが、自分たちだけの組織を作り、その結果、自らの取り組みの失敗を認め、その原因を反省し、失敗から学ぼうとしてこなかったことである。本書で繰り返し指摘してきたように、外部の人々の批判を無視し、自らの誤りを認めようとしない態度はこれらの図書館運動の体質となっている。他の一つは、これらの運動に合理的・現実的な思考が欠けていたことである。これらの運動のリーダーたちは、現実的な裏付けのある理念と政策ではなく、抽象的な、実体のない「イデオロギー」と「規範」にとらわれ続けてきたのである。

公共図書館が真に市民に役立つ図書館となり、司書が図書館の職員として認められるためには、これらの「負の遺産」を清算し、新たな目標をめざして再出発することが緊急の課題となっている。」(p.220-221)

- とある英文書評の邦訳(by Hisaaki Kato) -

図書館員は専門職か?事務職か?この古典的な質問は日本においてはまだ生きており、また、日本の図書館において同業者を苦しめている。この本は日本語で書かれており、専門職としての図書館員の地位の構築、とりわけ、1960年代から1970年代にかけての公共図書館についてのことが説明されている。ミナイ教授は関係資料を集め、関係のある多くの人々にインタビューを行い、そして発展のための明快な意見を提示した。

第二次世界大戦終結後、占領軍は日本における専門職としての図書館員を教育するための支援をアメリカ図書館協会(ALA)に対して求めた。アメリカ図書館協会は、現在の慶応大学図書館情報学部であるJapan Library Schoolを構築した。しかし、アメリカ図書館協会による支援は、占領軍が日本から去ったのと同時に止まってしまった。それは、伝統的な人事管理のシステムと現在の日本の図書館における事務的な労働者と専門職としての図書館員との対立の時でもあった。地方自治体は、公共図書館における職業分野としての専門職の図書館員の運用を認めなかった。まさにそれは、日本図書館協会(JLA)が図書館の領域における専門職の運用に反対しつづけるように見え、そして、経験が豊富な図書館の労働者である既存の司書の領域を支援するための案であった。これらの司書たちは、専門職の図書館員ではなかった、しかし、経験豊富な図書館の労働者は日本の図書館システムに固有のものである。

ミナイ教授は、日本における専門職としての図書館員の構築に対する日本図書館協会の抵抗の背後にある政治的な理由を調査した。日本図書館協会は図問研(図書館問題研究会)という政治団体によって感化と支配がされており、それは図書館員の問題における研究グループと自身のことを呼んでいた。図問研の幹部の多くは左翼運動の活動家であり、そして、彼らの一部は日本共産党と日本社会党による支援を受けていた。従って、司書構築のための支援者たちは労働運動と結合する。結果としてこの状態は、日本の官僚機構が司書を敵視し、そして専門職である図書館員の声を無視することにつながり、専門職である図書館員が教養を備えることもなく、1960年代から70年代の間にかけて司書の教育を整えることとなる。

著者は、図問研の活動における代表的な例として、2つの問題に従った分析をした。問題の1つは、1970年の日本図書館協会による、図書館員の問題のための調査委員会である。この委員会は3つの調査報告を発表し、それらの専門や倫理綱領が異なること、そして、70年代前半の図書館員の見通しについて述べた。2つ目の問題は、60年代後半に、東京都立図書館とその他の東京の公共図書館が司書を制度化したことである。

著者の結論は下記のとおりである。委員会によって出された調査報告は、図書館員の地位に対して専門職としての意識というものを強める説得力が無かった。東京における司書の制度化のための抵抗は、専門職としての図書館員が専門職として就労する可能性を押し潰した。そして最後に、図問研の図書館活動は日本図書館協会から分かれたことと、日本の図書館界がそれらと領域における高い教養を一体とするために、1つの大きな負のイメージとなってしまった。その様な負のイメージを取り除くことは、日本図書館協会と激動する情報の世界における図書館のための重い負担となっている。この情報化時代における評判の良い参加者として、日本の図書館が生き残るために望ましいとされる活動は、過去の過ちを繰り返すよりも、合理的かつ現実的な論理的思考に基づいて、考え方を改善することである。この本は誰かが、誰が日本の図書館を走らせているのかについて知っておいて悪くないことを欲するための必読書である。

蜜柑のマルクス? 投稿者:いぶき 投稿日: 3月19日(金)02時07分10秒


ローカルなコンテキストが主幹となった事件の時ほど、周りの意見がありがたくもありながら迷惑である時は無いということをつくづく感じされられた一日であった・・・。うーん、「コミュニケーション」というものは、かくも難しいものであったのね。『未完のマルクス:全集プロジェクトと二〇世紀』(的場昭弘著、平凡社、2002年)は、マルクス嫌いで有名な私が最良のマルクス研究の一つであると考えて推薦する本である。マルクスとエンゲルスの遺稿(テクスト)に関する様々な物語を、多くの側面から掘り起こしたこの本は、これからマルクスというものを知ろうと思う人の役に立つであろうし、また、狂信的なマル系が語るマルクスとは全く異なるマルクスを知りたい人のためにも役に立つと思われる。大原社研によって1928年から1933年にかけて出された全集が、世界初の全集だったりと、内容としては図書館情報学的?な側面も持っているように感じたのは私だけであろうか。この掲示板を定期購読?している人々のためにも、読み直したついでにメモを残しておくものである。


「社会民主党のように、マルクス・エンゲルスの遺稿は所持するが、編集や出版には積極的ではないという方針はある意味では妥当だったのかもしれない。ソ連では、マルクス・エンゲルスの思想のみならず、彼らを崇拝するための記念碑まで押し付けられていく。その結果、人々はマルクス・エンゲルスに対して敬愛するよりも、むしろ憎悪と軽蔑を投げかける結果になってしまった。一方、社会民主党は、そうした思想のみならず物心崇拝的な記念碑の建立もほとんど行わなかった。結果として、マルクス・エンゲルスは今でも憎悪の対象となっていないのである。」(p.56)


「エンゲルスの伝記の歴史を振り返ってみると、マルクスに比べてはるかに少ないことにまず気づくだろう。その理由は、マルクスを語ることがエンゲルスを語ることになっていたからである。すなわちエンゲルス像は、マルクスを語るときに、マルクスと一体の人物として言及されることによってのみ形成されてきたのである。このことは、エンゲルスという人物への接近を大変困難なものにしている。」(p.72)


「フランクフルト社会研究所のアメリカでの評判は、けっして芳しいものではなかった。その理由はドイツ人の研究所であったからではない。むしろソ連のマルクス・エンゲルス研究所と関係があったからである。そしてマルクス主義者が多いこともその理由であった。特に一九三九年に独ソ不可侵条約が締結されたとき、批判は頂点に達した。研究所の予算が底を尽き始めると同時に、メンバーはそれぞれ研究所以外で独自のアルバイトを始めた。」(p.148-149)


「『資本論』の出版部数は一〇〇〇部。五分の一は予約注文によってすでに発売前に売り切れていた。しかしすぐに売れたわけではない。まず書評の少なさがわざわいした。一〇月になってマルクスは、エンゲルスなどの友人に頼んで『資本論』の書評を書いてもらうことにした。いわば「やらせ」である。とりわけエンゲルスは、同時にいくつもの書評を書き、掲載してくれるようにいろいろな策を弄した。しかし、彼の書評が掲載されたのは急進派の新聞か、地方新聞であり、有力紙にはほとんど取り上げられなかった。そのため、一八六九年末になっても三〇〇部が売れ残っていた。『資本論』第一巻は、初めはかくも売れない本だったのである」(p.192)


「社会民主党内に最初に入ってきたマルクス主義は、エンゲルスの『反デューリング論』によるダーウィン主義的流れであった。だから、『国際文庫』第一巻としてディーツが一八八七年出版した、エイヴェリングの『ダーウィンの理論』はよく売れた」(p.199)



みかんのマルクスはさぞマズイであろうな・・・。 投稿者:いぶき 投稿日: 3月19日(金)02時08分26秒


オレンジじゃないマルクスの続きじゃ。


「戦後を通じて言えることは、マルクス思想の解釈の華々しさに比べ、マルクスのテクスト及びマルクス自身に関する研究は、やや影の薄い存在であったということだろう。マルクスのテクスト研究と伝記研究がソ連、東ドイツにほぼ独占された状態では、マルクス研究はその思想解釈以外になかったのかもしれない。

また、めまぐるしく拡大していく社会主義圏を前にして、マルクス主義がややバブル状態になっていたこともその原因だろう。革命運動が「前進」しているうちは、少々荒っぽい研究でも、人々の心をつかんでいく。現実が証明となって、マルクスの理論との整合性とは二の次となる。ソ連もマルクス主義なら、北朝鮮もマルクス主義、多様性は良しとしながらも、牽強付会な理論が横行していく。バケの皮が剥がれていくと、その責任はすべてマルクスにかかってくる。バブルがはじけ散るとともに、マルクス主義は債務の山となり、マルクス主義への罵倒が始まる。」(p.218)


「廣松渉は海外に出ないで、文献考証学を行った稀有な学者である。おそらく、海外の史料館で資料を見る時間も惜しんだのであろう。海外に出ることもなく、ひたすら書き続けていった。死後出版された全一六巻の岩波書店の『廣松渉全集』、全六巻の情況出版の『廣松渉コレクション』を見ても、その執筆量の多さには驚かされる。」(p.238)


「マルクス主義の勃興とそれを大衆に示すマルクスの記念碑は比例的な関係にある。大衆にとってマルクス主義とは、マルクスのテキストではなく、至る所にあるマルクスやエンゲルスの記念碑である。ソ連、東欧華やかなりし頃、それこそ無限にあったマルクスそしてエンゲルスの記念碑は、そうした大衆のマルクス主義への表象となっていた。

記念碑を建てることは大衆への啓蒙効果だけではない。マルクス主義の正当性を顕示するための具体物でもあった。マルクス博物館やマルクスの記念碑を数多く持つことが、その国が正統マルクス主義の国として存在していることを誇示することにつながった。」(p.256)


「マルクス・エンゲルス研究が、学問的営為ではなく、政治的問題として始められたことが二〇世紀マルクス研究の新たな展開であったと言えなくもない。ドイツ社会民主党もマルクス主義の研究を熱心に行ってはいたが、社会民主党の思想はラサールをはじめとするさまざまな社会主義の温交の中で育まれたものであり、マルクスという一思想家の思想のうちにあったわけではない。そのため、マルクス・エンゲルス研究所をドイツ社会民主党は設立する必要も感じなかったし、全集の完成、さらにはマルクス主義を流布する教科書を大量生産する必要も感じなかった」(p.248)


「エンゲルス自身が書いた『反デューリング論』やエイヴェリングの『ダーウィンの理論』などが、社会民主党の中の進化論の信奉者たちに特に読まれたことも忘れてはいけない。エンゲルスが「カール・マルクスの葬儀」で「ダーウィンが生物界の発展法則を発見したように、マルクスは人間の歴史の発展法則を発見しました」と述べたように、マルクス主義がダーウィン主義の社会科学版だと誤解される余地を作ったのはエンゲルス自身である。」(p.275)


「テクストをめぐるマルクス・エンゲルスの歴史は、実はマルクス主義の発展と衰退の大きな鍵を握っていたのだということをあらためて認識すべきであろう。「完成されたマルクス」とは、正しいマルクスを求めようとして結局虚偽のマルクスを捏造する過程に他ならなかったのである。その意味で「未完のマルクス」のままの方がよいのかもしれない」(p.291)

日本生まれの英語本? 投稿者:いぶき 投稿日: 3月16日(火)22時59分11秒


『NEW ATLANTIS:西洋精神と科学のユートピア』(Francis Bacon. edited with notes by Terufumi Takeda and Tomio Ishikawa. 旺史社. 1989年)は、日本の出版社から日本人の手によって編集されて出された珍しい英語版『ニュー・アトランティス』である。綴りと句読点を現代英語の様式に改め、単語などに対するちゃんとした註釈を入れており、とても英語で書かれたものとしては(そこいらのペーパーバックなんぞと比較したら遥かに)読みやすいものとなっている。前掲した岩波文庫版などと比較しながら読まれるとよいかもしれませんね。あと、どうでもよいことなのだが、この本は我が国における殆どの大学図書館に所蔵されていないらしい・・・(以下のURLを参照)。


http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BA22035057


「God bless thee, my son ; I will give thee the greatest jewel I have. For I will impart unto thee, for the love of God and men, a relation of the true state of Salomon's House. Son, to make you know the true state of Salomon's House. I will keep this order.First, I will set forth unto you the end of our foundation. Secondly, the preparations and instruments we have for our works. Thirdly, the several employments and functions whereto our fellows are assigned. And fouthly, the ordinances and rites which we observe.

The End of our Foundation is the knowledge of causes and secret motions of things, and the enlarging of the bounds of Human Empire to the effecting of all things possible.」(p.36)

読んだ足跡 投稿者:いぶき 投稿日: 3月 9日(火)04時11分21秒


うーん、24歳独身男性による悲しきポンコツ書評?の掲示板になっておる。だけども、読んだ本のメモをするのがここじゃないと出来ない(と言っているあたりでかなりダメ人間じゃな)から、ここに書くのだ。『ベルツの日記上・下』(トク・ベルツ編、菅沼竜太郎訳、1979年)は、明治近代化に大きな役割を果たした「お雇い外国人」の一人であるエルウィン・ベルツの日記である。日本の医学の西洋化に大きな貢献をしたこの人の日記は、その優れた洞察力を垣間見させるものとなっている。既に読み終わっていたのだが、ここに足跡を残しておく。


「わたくしの見るところでは、西洋の科学の起源と本質に関して日本では、しばしば間違った見解が行われているように思われるのであります。人々はこの科学を、年にこれこれだけの仕事をする機械であり、どこかほかの場所へたやすく運んで、そこで仕事をさすことのできる機械であると考えています。これは誤りです。西洋の科学の世界は決して機械ではなく、一つの有機体でありまして、その成長には他のすべての有機体と同様に一定の気候、一定の大気が必要なのであります。」(上巻、p.238)


「西洋各国は諸君に教師を送ったのですが、これらの教師は熱心にこの精神を日本に植え付け、これを日本国自身のものたらしめようとしたのであります。しかし、かれらの使命はしばしば誤解されました。もともとかれらは科学の樹を育てる人たるべきであり、またそうなろうと思っていたのに、かれらは科学の果実を切り売りする人として取り扱われたのでした。かれらは種をまき、その種から日本で科学の樹がひとりでに生えて大きくなれるようにしようとしたのであって、その樹たるや、正しく育てられた場合、絶えず新しい、しかもますます美しい実を結ぶものであるにもかかわらず、日本では今の科学の「成果」のみをかれらから受取ろうとしたのであります。この最新の成果をかれらから引継ぐだけで満足し、この成果をもたらした精神を学ぼうとはしないのです。」(上巻、p.239)


「ところで、さきに西洋から豊富な精神的の資本が諸君の意のままに提供されていたのですから、日本ではこの資本によって巨利をすら博する機会に恵まれていたにもかかわらず、実際にはこの資本の利子を食いつぶすだけで満足していたのでした。

このようなおくれを取りもどすのは、今が潮時です。やがては、ごくわずかの外人教師しか当地に居なくなるでしょう。わたくしが諸君にお勧めするのは、これらの外人教師にもっと自由を与え、活動の機会を与えることであり、また教師としての仕事以外でかれらとの接触を求めることです。それを実行した結果、諸君が後悔されるようなことはないでしょう。またそうすることにより諸君は、講堂では(たとえヨーロッパの講堂でも)学び得ないが、ただ学者自身との交際においてのみ知り得る精神について、もっと多くのことがおわかりになるでしょう。またそうすることにより、講堂で講義される事がらの出所である精神の仕事場をのぞきこむことができるのです。この精神をわが物とすることは容易ではありません。それはとても手のかかる存在で、たいてはそれに一生を費やすのであります。」(p.240)

読み読む読む・・・。 投稿者:いぶき 投稿日: 3月 4日(木)21時37分51秒


物事の解釈の趨勢というものは、とても面白いものであり、例えば、我が国におけるマックス・ヴェーバーの最たる解釈と言えば、ほとんどの人が大塚久雄を挙げるであろう。しかし、大塚久雄による解釈を、ヴェーバー自身が書いたものを読んだ後に見てみれば、それが余りにもヴェーバーの問題意識を汲んでいないということが問題となるだろうし、それ以外にも様々な問題がある。そのような点から考えれば、尾高邦雄によるヴェーバー解釈は、人間としてのヴェーバーという側面をよく考慮しながら展開された深い内容であり、熱狂的にヴェーバーを語る大塚派のシンパとは異なり、学ばされることしきりである。そして、哲学者である坂本賢三が亡くなる10年前に纏め上げた、フランシス・ベーコンに関する最良の解釈の一つである『ベーコン』(坂本賢三著、講談社、1981年、人類の知的遺産 30)も、この問題と似たような路線に置かれるべき本であるかと思われる。

ベーコンに関する解釈の趨勢は、『ノヴム・オルガヌム』における言説を挙げた解釈が主要なものを構成しているが、これは一枚岩的なものが多く、多くの問題点がイタリアのパオロ・ロッシ等によって問題点が指摘されている。ロッシは、「古人の知恵」等の様々なベーコンの埋もれていた著作を掘り出し、それまでのベーコン解釈が様々な著作を読み落としていた点を指摘している。そのような、ベンジャミン・ファリントンやパオロ・ロッシ等によるベーコンの読み直しの成果を汲みながら、坂本は、既存の解釈に対してベーコン自身が遺した言説を対置するという独特の手法を用いた解釈を展開している。そこには、「書かれた歴史」に関する問題が残っているだろうが、まずもって、ベーコンの問題意識を汲むための方法論としてはかなり有効なものであると考えられる。

同時に、この本は、各種の貴重なベーコンのあまり表に出されていない著作の部分訳を多く所収しており、ラテン語や当時の英語で書かれた原典に触れる機会が無い我々にとっては、貴重な一冊であると言える。ちなみに、ここにおいて展開されている坂本賢三の解釈は、その後、『命題コレクション哲学』(坂部 恵, 加藤尚武編、筑摩書房、1990年)のp.83-88において、「古人の知恵」を基盤とした命題と共に、コンパクトでわかりやすく要約された上で展開されている。


「『ノヴム・オルガヌム』と称する書物が出たのはベーコンの死後一六四五年になってからである。表題が変っただけのように見えるが、オランダで出たこの書物は、学問のあり方を根本から改造しようとする(それは人間の自然に対する態度を根本的に変えることである)哲学上・思想上の「大革新」の試みを「論理学の革新」に矮小化する結果を招いた。」(p.12)


「名前は知られ、レッテルは知られていてもベーコンは読まれていなかったのであり、その事情は日本でも外国でも変わりがない。否定するためにだけ言及される哲学者など正に「死せる犬」であって、もはや学ぶこともなければ、「人類の知的遺産」としても無であるということになる。」(p.17)


「古いものを批判すると同時に新しいものを提出するという歴史的使命、学問のあり方を根本的に改め、自然に対する人間の態度を根底から変えるというまさに革命的な仕事こそベーコンの遺産だったのである。したがってベーコンを狭い意味での哲学者と呼ぶべきではない。認識論や論理学や完成した体系というところに「哲学」を押し込めるなら、ベーコンは貧弱な哲学者でしかないでもあろう。しかし、そのような立場からはベーコンの意義は見えてこない。人間の根本的な態度を変革することこそ、哲学の課題であったはずである。」(p.23)


「ベーコンは、形式的な数学的自然学から内容を取り戻そうとするとき、つねに想起され再評価されている思想家なのである。「内容が無い」どころか、それはつねに内容を求める哲学なのであって、それ故にこそアリストテレス主義に対してはその言葉の空虚さを、プラトン主義に対してはその思弁の空虚さを、批判の主要目標としていたのであった。」(p.39)



続きじゃ・・・。 投稿者:いぶき 投稿日: 3月 4日(木)21時38分50秒


食べられないベーコンの続きじゃ。これは、「古人の知恵」の部分訳からの抜粋である。


「最後の問題が残っている。それは燃えるたいまつを掲げて走るプロメテウス競走である。これもまさに技術と科学に対応しており、火がこの記念と祝賀の競走に企てられたのと同じである。それは次のようなきわめて賢明な忠告を含んでいる。すなわち、科学の完成は誰か一人の機敏さや能力ではなくて、継続に期待されるということである。なぜなら、速く走っても余りにも遅く走っても火の消える危険があるので、競走でもっとも速くもっとも強い人はおそらく点火したたいまつを維持するうえではあまり有用ではないからである。しかしこの、たいまつ競走はずっと以前から中断されているように思われる。もっとも盛んに闘われた科学は最初の著者たち、つまりアリストテレス、ガレノス、エウクレイデス、プトレマイオスにおいてであり、その後継者たちにおいては偉大な著作は何もつくられなかったし、その試みさえもなかった。したがって、プロメテウスつまり人間の本性を記念してこの競走が再開され、競走と幸運を取り戻し、一人による幾分か揺れるたいまつに依存するのではなくなることを望むべきだったのである。こうして、みずから奮起して、めいめいの力と任務を賭けて争い、すべてを少数の小さな人間の脳に置かないようにという戒めを人びとにしておくべきである。」(p.252 「古人の知恵」)



さらにオマケじゃ。 投稿者:いぶき 投稿日: 3月 9日(火)03時26分3秒


これを忘れておった・・・。


「この書物を読んで下さる読者は、おそらくこれまで描いてきたベーコン像と非常に違うものを、あるいはまったく正反対のベーコン像を印象づけられるに違いないと思う。それはわたしが独自の解釈をしているからではない。恣意的な解釈をできるだけ差しひかえ、ベーコン自身に語らせたからである。これまであまりにも歪められた、ないし、一面的なベーコン理解が堂々とまかり通ってきた。だからこそわたしは、できるだけ忠実にベーコン自身とその著述を再現しようとした。有名な著作だけをくわしく取りあげることもしなかったし、最新の研究成果を紹介することもやめにした。ただただ忠実にベーコンを読むこと、何よりもそれが必要な段階だし、新しいベーコン解釈もそれを抜きにしてはありえないと思われたのである。」(p.1-2)

読む読む・・・。 投稿者:いぶき 投稿日: 3月 4日(木)14時27分59秒


『思想としてのパソコン』(西垣 通編著訳、NTT出版、1997年)は、私が学部三年の時のゼミにおいて初めて学んだ情報化社会論の本である。今になって思えば、この本に提起されていた情報化社会というものに対する問題が、私に研究への道を歩ませるきっかけになった契機となったのだと思う。誰にでも、人生を変えることになった一冊というものはあるのだが、この本ほど、私に影響を与えたものはなかったのかもしれない。久しぶりに自分の問題意識の原点というものを漁ってみたかったため、空いている時間を使いながら読了した。現在から見ると、アラン・チューリングに対する考察が抱える問題点など、様々なミクロな点での問題を指摘することができるかもしれない。しかし、マクロな点でのその知的生産性の高さというものには、感服する次第である。


「「いかに」して来たるべき情報化社会を生きていくかは、なるほど大切ではあるだろう。しかしながら、「なにが」情報化社会なのか、そのあるべき姿を考えることの方が、実ははるかに大切なのである。なぜなら、情報化社会というものはこれからわれわれが作っていくもの、いまだにその姿は明瞭ではないものだからだ。にもかかわらず、「超カンタン、インターネットのたのしみ方」といったたぐいのハウツー出版物が氾濫するなかで、われわれは、問題が「いかに」という技術的次元だけにあるものと錯覚してしまう。情報化社会のビジョンづくりは他人まかせにし、ただそこで巧みに立ち回る術のみを求める、精神的隷属状態に陥りがちなのである」(p.4-5)

ひたすら読むべし。 投稿者:いぶき 投稿日: 3月 4日(木)12時48分48秒


『ハーバーマス:コミュニケーション行為』(中岡成文、講談社、2003年、現代思想の冒険者たち Select)は、かつて出版されていた「現代思想の冒険者たち」シリーズの軽装版である。以前、図書館で借りて読んだのではあるが、ちゃんと軽装版が出たのを契機に、ちゃんと買って読了したもの。ハーバーマスに関する書誌情報や彼の生立ちから現在に至るまでの歴史に関することなど、コンパクトにきっちりと纏められた本書は、初めてこれを学ぶ学部生などにとってはかなり有用かもしれませんね。


「ウェーバーは資本主義経済と近代国家が成立し発展する道筋を研究したわけだが、この研究においては、文化的(ないし動機的)合理化の社会的合理化への「転化」がポイントとなったと、ハーバーマスは指摘する。つまり、ウェーバーは、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に典型的に見られるように、合理性の問題を経済や国家という行為システムのそれとして捉えたうえで、合理化を意識構造のレベル(人格と文化のレベル)から解き明かそうとしたのだ。ハーバーマスの提案は、それに対して、意識(というより人間)と日常的実践との根拠地である「生活世界」の合理化を、システムの合理化からあくまで区別し、それ自体として尊重しようというものだ。」(p.160)

読まねばならぬ・・・。 投稿者:いぶき 投稿日: 3月 2日(火)19時13分6秒


忙しくても読まねばならぬのが悲しいところじゃな。この先がどうなるかはわからぬが、学籍があるうちは、己の本業に励むのが人の務めであろう。『ニュー・アトランティス』(ベーコン著、川西進訳、岩波書店〔青617-4〕、2003年)は、待望のニュー・アトランティスの新訳である。以前に取り上げた『ベーコン』(フランシス・ベーコン、服部英次郎ほか訳、河出書房、1966年、世界の大思想 6)に所収されている邦訳と比較すると、かなり読みやすいものとなっている。また、ベーコンの助手であったウィリアム・ローリーによる「ベーコン伝」も所収されており、薄いながらも内容に富んだものとなっている(但し、ローリーのベーコン像はかなり過大広告気味ではあるが・・・)。


「わが子よ、神の祝福のあらんことを。私は私の持っている最大の宝石を与えよう。すなわち、神と人々の愛の故に、「サロモンの家」の実情を語り伝えよう。子よ、「サロモンの家」の実状を知らせるのに、私は次の順序に従おう。第一に学院設立の目的を述べる。第二にわれわれの活動のために設けられている諸設備と器具、第三にわれわれ研究員に委ねられている種々の業務と役割、そして第四にわれわれの守る法令と義務についてである

わが学院の目的は諸原因と万物の隠れたる動きに関する知識を探り、人間の君臨する領域を広げ、可能なことをすべて実現させることにある。」(p.51-52)


「「サロモンの家」の研究者たちの祈りはベーコンが逃げ口上として取って付けた言葉ではなく、理性の働きの偉大さを人一倍知っているベーコンの日常の祈りであったろう。『ニュー・アトランティス』は、ユートピア文学であると共に、文明の発達に伴う危険を告げる警世の書、その回避を神に祈る宗教書という一面を持っているのである」(p.118)

いろいろな時間の合間に読了・・・。 投稿者:いぶき 投稿日: 3月 2日(火)00時26分9秒


『戦艦大和誕生:「生産大国日本」の源流 上・下』(前間孝則、講談社、1999年)は、内容の主幹たるサブタイトルよりもメインタイトルのみで読まれることが多い図書であると言える。これは、旧軍の兵器を主題として扱ったものが、全体的に(研究や調査・分析としてはオタクじみたものであるとして)軽く見られてしまうことが起因していると考えられる。しかし、何よりも大和を作った技術士官であった西島大佐による「西島カーブ」と呼ばれる経験曲線(累積生産量の上昇に伴い、製品の一個あたりの平均コストが低下する現象)が既に昭和の初期から用いられていたことを纏めたことに、この本の歴史的な価値があると言えよう。生産工程を管理していた海軍の技術士官が、大正年間には既にテイラーの科学的管理法に基づく様々な生産性向上の施策を施していたという事実は、一枚岩的に過去の兵器生産を解釈した人々の見解とは大きく異なるものであるのだから。

これを読んで感じることは、戦前から戦中までの我が国の民間企業の問題は、軍が導入した技術を民間が後追い的に踏襲するという悪習にあったのではなかろうか、という点である。それは、日本軍の失敗に関する著名な某研究が、単に日本の兵器生産の問題を「経験曲線」が無かったという問題から論じたことが、いかに物事の一側面だけを愚直にも事実化してしまったかを浮き彫りにしている。もともと、民間企業が主体となって生産を行った航空機とは異なり、戦闘艦や補助艦艇は、海軍自身が主体となって生産を行っていたようなことから、当時の日本軍の兵器生産の問題点を考察する際には、その複雑な文化的背景を考慮することが不可欠なのである。


「"親方日の丸"意識こそ、西島がもっとも嫌ったものだった。金に糸目をつけない性能第一主義ばかりが幅をきかす中で、官僚主義やセクショナリズム、現状になんら疑問をもとうとしない人間を、「ちょんまげを結って、下駄を履いたような奴を相手にしても話しにならん」として相手にせず、もっぱら設備と生産システムを近代化して生産効率を高めることに懸命に取り組んだのである。

一般に、科学技術における新しい発明や発見、開発といったことは、劇的であるがゆえにわかりやすく、人々の注目を集めがちである。ところが、流れ作業化やコンピュータ化といった生産システムの近代化はそうではない。しかも、ジワジワと浸透していくものであるため、一つのシステムが完成するまでには時間もかかる。しかし、影響力は大きく、その成果は全産業へと広がっていく。しかも、一国の工業生産力、国際競争力を左右することになる。」(p.51-52)

同じ場所にてもう一冊・・・。 投稿者:いぶき 投稿日: 2月22日(日)14時04分51秒


『ベーコン』(フランシス・ベーコン、服部英次郎ほか訳、河出書房、1966年、世界の大思想 6)は、ようやく手に入れることが出来た本の一つである。図書館にはあるんだが、いかんせん、自分の本じゃないと不便きわまりないのである。しかも、私より年寄りの本であるが故に、古本でも背張りや紙の状態が悪いものが多く、良品を見つけるのに苦労してしまった・・・。だが、「学問の進歩」・「ノヴム・オルガヌム」・「ニュー・アトランティス」の邦訳を所収した上で、著作の解題とベーコンに関する詳細な解説と年表を付けた本書は、知識という問題を扱う人間にとっては、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』を買ってむさぼり読むより先に買って読了しておくべきものであろう。なぜならば、今日の社会における「Knowledge」とは、社会における生産要素の一つとしての認知がなされてきており、そのような性質的側面の源泉は、アリストテレスやプラトンではなく、ベーコンの「Scientia est potentia」という思想にあるのであるから(もし、疑問を持たれる人がいれば、ダニエル・ベルの著作を詳細に引用分析してみるとよいでしょう)。


「諸学における創始者たちを、そのことばには文句なしに服すべき独裁者にしてしまい、助言を与える顧問にはしないような、かれらに与えられた過度の信用に、ついていえば、それは、諸学を成長させあるいは発達させずに、低いところに停止させておくおもな原因なので、諸学がそれからうける損害ははかりきれないほどである。・・・(中略)・・・というのは、流れ下る水がその最初の水源の高さよりもうえに上ることがないように、アリストテレスからおこって、自由に吟味されずにうけとられる知識もまたアリストテレスの知識よりもうえに上ることはないであろうから。・・・(中略)・・・それゆえ、この点の結論として、わたくしは、偉大な創始者たちがその当然うけるべき尊敬をうけるのはよいが、創始者中の創始者である時が、その当然の権利、すなわち、さらにふかく真理の正体をあばく権利をうばわれないようにしなければならないとだけいっておこう」(p.31-32 「学問の進歩 第1巻」 4・12)


「知識のとうとさを、その原型またはもとのひな型のなかに、すなわち、神の性質とみわざのなかに、それらが人間に啓示されていて、観察しても不穏当でないかぎり、さがし求めることにしよう。この場合、われわれはこの原型を学問という名でさがし求めてはいけないのであって、それというのは、学問はみな習得した知識であるのに、神の知識はみな本源的なものであるからである。それゆえ、われわれは、これを別の名、聖書のいわゆる知恵または英知という名でさがし求めなければならない」(p.37 「学問の進歩 第1巻」 6・1)


「技術の歴史の効用は、すべての歴史のうちで、自然哲学のためにもっとも根本的で基本的なものである。自然哲学といっても、こまかい区別だてをしたり、崇高にすぎたり、あるいは勝手な空論に終る自然哲学ではなくて、人間の生活の幸福と利益とに貢献するような自然哲学である。というのは、技術の歴史は、個々別々の技術の経験がただひとりの頭脳によってまとめて考察されるとき、技術と技術との観察をたがいに結びあわせ、たがいに利用しあえるようにすることによって、さしあたって、どんなことについても、うまいやりかたを数多く提供して示唆するだけでなく、なおそのうえに、原因と一般的命題に関して、これまでに得られたのよりも真実ほんものの知識を与えるからである」(p.69 「学問の進歩 第2巻」 1・6)



長いが、続きじゃ。 投稿者:いぶき 投稿日: 2月22日(日)14時24分53秒


食べ物じゃないベーコンの続きじゃ。最後の山崎正一氏による解説は、ベーコンの問題意識をとてもよく汲み取ったものだと思いますよ。


「伝達の方法あるいは本性は、知識の使用にとってたいせつであるだけでなく、知識の進歩にとってもたいせつである。というのは、ひとりの人間の労力と生涯では、知識の完全に到達することができないがゆえに、伝達の知恵こそ、学ぶものを鼓舞して、一歩一歩前進、成功させるものだからである。そしてそれゆえに、〔伝達の〕方法に関するもとおも本質的な差異は、〔伝達された知識を〕使用される方法と、進歩させる方法との差異である。」(p.126-127 「学問の進歩 第2巻」 17・2)


「わが子よ、神の汝を祝福したまわんことを。わしはわしのもつ最大の宝石をお前にやろう。神と人類と愛のために、サロモン学院の真の状態をお前にものがたろう。・・・(中略)・・・わが学院の目的とするところは事物の諸原因と秘かな運動に関する知識であり、人間帝国の領域を拡大して、可能なあらゆることを成就するにある。」(p.436 「ニュー・アトランチス」)


「ベーコンの操作は、カッシラーも批評しているように、無概念的である。(E, Cassirer, Erkenntnis Problem, II. S. 3ff.)しかし、ベーコンは概念を求めようとしている。概念を多様の事象のうちに求めようと努力している精神が、ベーコンにおける展望の精神である。それは断崖の上に立ち、大空めがけて飛翔しようとしている精神である。一歩足を踏みはずせば、ふたたび魔術の世界におちこむことになるかもしれない。それは、一つの極限におけるあやうい姿勢であったということもできよう。この精神に羽根が生えるのは、いつの日のことであろうか。いやベーコンには、羽根が生える必要などなかった。ベーコンにおいては、飛び立とうとする姿勢そのものが問題であったというべきである。分類し展望し飛び立とうとする主体的な内面の原理が実は重要であった。彼のイドラ論も、それをめざしていたはずであった。この故に、イドラ論は、史上、重要なものとなったのである。・・・(中略)・・・展望しようとする精神は、みずからを、方法として以外に形付けようがない。それは方法の哲学たらざるを得ない。ベーコンの述作が多く断片的であり、体系的組織が欠けているのも、それが方法の哲学であったがためである。体系的組織ができあがるとき、方法の精神は死んでしまうであろう。ベーコンの場合、方法の精神は、ひたすら展望し飛翔しようとする精神として、危険な絶壁の上においてのみ、はじめて自己を位置付け、はじめてみずからを方法の哲学として、定着させることができたのであった。故に、その方法も、決して仕上げられることはなかった。仕上げられるならば、それは少なくともベーコンの場合、もはや方法の哲学ではあり得ない。」(p.478)

す●い●ーくにて読了・・・。 投稿者:いぶき 投稿日: 2月22日(日)13時25分36秒


『Made in America:アメリカ再生のための米日欧産業比較』(M.L.ダートウゾス著、依田直也訳、草思社、1990年)は、サブタイトルからもわかるように、1980年代の米国におけるMITの研究グループによる産業調査分析の報告書である。この本は、現在が修士学位論文の修正期間であって、大幅な加筆を試みてみるために取り寄せて読んでみました。1980年代は、日本企業が世界を席巻していた時代でった反面、米国企業が不振のどん底に落とされており、そのような中で、不振の1980年代の中で日本的経営を欧州などの産業と冷静に比較調査・分析したこの調査は、さすがは米国と言わしめるような、見事な現状分析であると言えると考えられる。そして、1990年代に入って、米国企業が台頭してきた理由には、このような様々な表にあまり見えない努力というものがあったのですな。これは、現在の日本も見習うべき点かもしれませんね。ちなみに、具体的な内容は、8つのカテゴリに分けられた調査内容とそれに対する考察であり、本当に「報告書」なんだなぁ、という内容です。


「かりに本書に述べられている教訓が生かされ、また個々に述べた必要条件がすべて実施され満たされたとしても、アメリカと日本のあいだにはなおも問題が残ると思われるのである。われわれがこの指摘を行う理由は、本調査委員会の調査した多くの優良企業が、すでに本書が提案しているような経営を実施しているにもかかわらず、他の先進諸国においてよりも、日本において事業を行う方がはるかに困難だとの報告を行っているためである。さらに、各種の経済指標が示すところによれば、日本経済は国際取引の場で、より閉鎖的であるとの指摘もある。

その原因は多くの場合、輸入割当、関税、あるいはその他の国境における諸規制などにはないと思われる。障壁はむしろ、日本のミクロ経済機構に根差したものであろうとわれわれは考えている。すなわち企業間協調とか、政府と産業界との相互支援体制、さらには政府による調達の慣行とか、メーカー、供給業者、流通業者間の緊密なネットワークなどである。

こうした関係のあり方が、これまでの日本の強さの真の源泉であり、驚異的な経済成長をもたらした決定的要因でさえあっただろう。興味深いことに、アメリカに関するわれわれの分析によると、大量生産というアメリカが歴史的に培ってきた強さが、逆に今日の新しい経済環境に対応するうえで必要な変革にとって障害となっていることである。そこで、日本の読者に問いかけたいのは、日本が歴史的に培ってきた強さが、今日、国際経済の場に日本が全面的に参入していこうとする場合の障害となり、日本が大きな役割を果たしている世界市場において、かえって日本の弱みとなってしまうのではないか、ということである。

われわれは、日本ではなくアメリカを調査した。したがって、こうした疑問には答えることができないのである。アメリカについて本書で分析したのと同様に、日本自身のミクロ経済の強さと弱さとを自己検証し、答えを出しうるのは、日本をおいて他にはない。」(p.5-6)

気合いを入れるために読了・・・。 投稿者:いぶき 投稿日: 2月18日(水)02時31分26秒


『壬生義士伝』(上・下、浅田次郎著、文春文庫〔あ 39 2-3〕、2002年)は、己を奮い立たせるためによく読むことが多い本であったりする。少なくとも、映画版もそれなりには良いが、様々な登場人物の多様な個性を描き出すという点では、原作には遥かに及ぶことが無いように感じられる。映像を用いているのに、不思議な話ですね。


「敗け戦だから忘れたなどと、池田の小倅も都合のよいことを言うものじゃな。嫌なことを忘れておったのでは、進歩などひとつもあるまいよ。男ならば、敗け戦だからこそその有様をしかと胸に刻みつけねばならぬ。それは、力及ばざるおのれの務めであろう。」(p.62)


「あの姿は、今もはっきりと覚えておる。忘れようものか。侍ならば、男ならば、誰も死ぬまで忘れはせぬよ。池田の小倅も、ありありと覚えていたであろう。

撃ち倒された会津兵の骸のただなかに、吉村は右手に刀を、左手に脇差を抜き放って立った。

さよう、たしかに聞いたよ

「新撰組隊士吉村寛一郎、徳川の殿軍ばお努め申っす。一天万乗の天皇様に弓引くつもりはござらねども、拙者は義のために戦ばせねばなり申さん。お相手いたす」

横なぐりの雪が、だんだら染めの隊服を翻しておった。それはわしが後にも先にもこの世で初めて見た、まことの侍の姿じゃった。たったひとりの、いや、ひとりぼっちの義士の姿じゃった。」(p.68-69)

1日に何度書き込んでいるんだろう・・・、と言いながら読了。 投稿者:いぶき 投稿日: 2月16日(月)01時34分32秒


どうも、私のアタマはニーチェを欲しているらしい・・・。いや、別に気が狂ったわけではありませんよ。『この人を見よ』(手塚富雄訳、岩波文庫〔青636-6〕、1969年)は、ニーチェが発狂して亡くなるまでの10年以上の期間を迎える直前に書かれた自伝であり、大学院に入った頃からずーっと持っていて、何かスランプにぶつかった時に読むようにしている一冊である。少なくとも、いろいろとゴタゴタに巻き込まれることが多かった飯能での6年間の間に、政治的な紛争で精神的に何度も追い詰められた私が自ら命を絶たずにすんだことには、この本が大きな働きをしている。内容は、普通の人から見れば至ってアブナイものばかりだが、ニーチェという人の内象が如何に外象を左右する力を持っているのかということがよく理解できる一冊ではなかろうか。さらに、自分のやってきたことを、最後にちゃんと自ら解明して、それを外在に知らしめるように努めたという時点で、この本はそれなりに評価されるべきであろう。


「弟子たちよ、わたしはこれから独りとなって行く。君たちも今は去るがよい、しかもおのおのが独りとなって。そのことをわたしは望むのだ。

まことに、わたしは君たちに勧める。わたしを離れて去れ。そしてツァラトゥストラを拒め。いっそうよいことは、ツァラトゥストラを恥じることだ。かれは君たちを欺いたかもしれぬ。

認識の徒は、おのれの敵を愛することができるばかりか、おのれの友を憎むことができなくてはならぬ。

いつまでもただ弟子でいるのは、師に報いる道ではない。なぜ君たちはわたしの花冠をむしり取ろうとしないのか。

君たちはわたしを敬う。しかし、君たちの尊敬がくつがえる日が来ないとはかぎらないのだ。そのとき倒れるわたしの像の下敷きとならないように気をつけよ。

君たちは言うのか、ツァラトゥストラを信ずると。しかし、ツァラトゥストラそのものに何の意味があるか。君たちはわたしの信徒だ。だが、およそ信徒というものに何の意味があるか。

君たちはまだ君たち自身をさがし求めなかった。さがし求めぬうちにわたしを見いだした。信徒はいつもそうなのだ。だから、信ずるというのはつまらないことだ。

いまわたしは君たちに命令する。わたしを捨て、君たち自身を見出すことを。そして、君たちのすべてがわたしを否定することができたとき、わたしは君たちのもとに帰ってこよう・・・・・・」(p.13-14)

さらに、一冊読了・・・。 投稿者:いぶき 投稿日: 2月15日(日)18時25分56秒


さらに一冊・・・。『「いき」の構造』(九鬼周三著、講談社学術文庫、2003年)は、昨年末に出ていたのだが、薄い文庫で800円という価格にちょっと南極状態の我が財布が拒絶反応を起こしていたため、大学の購買にて1割引で購入。もともと、この本は岩波文庫で出ており、社会学を学んだ私めは岩波版を読了しているのだが、これがなんとも岩波らしく読みづらい・・・。しかし、今回の講談社学術文庫版は、文字も鮮明であり、読みやすく、藤田正勝氏による細かな注釈と解説を膨大に所収したものとなった。一章ごとに解説もついており、「この本は知っているけれど読むのはちょっと・・・」と思っている方にはぜひとも薦めたい一冊である(もともと、この本自体がかなりわかりやすい言い回しで書かれているのだけどもね)。

久しぶりに読み直すと、改めてこの本が思想系の良文の一つとして挙げられる理由がなんとなーくわかったような気がする。ちなみに、思想系最高の悪文としては、一般に、西田幾多郎の頑張っちゃった私には超絶技巧理解不可能な文章が引き合いに出されることが多い。


「生きた哲学は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。我々は「いき」という現象のあることを知っている。しからばこの現象はいかなる構造をもっているか。「いき」とは畢竟わが民族に独自な「生き」かたの一つではあるまいか。現実をありのままに把握することが、また、味得さるべき体験を論理的に言表することが、この書の負う課題である。」(p.9)


「客観的表現を研究の対象として、その範囲内における一般的特徴を索めるから、客観的表現に関する限りでさえも「いき」の民族的特殊性の把握に失敗する。また客観的表現の理解をもって直ちに意識現象の会得と見做すため、意識現象としての「いき」の説明が抽象的、形相的に流れて、歴史的民族的に規定された存在様態を、具体的、解釈的に闡明することができないのである。」(p.30)


「絶対的な価値判断は客観的には与えられていない。しかしながら、文化的存在規定を内容とする一対の意味が、一は肯定的に言表され、他は否定的の言葉を冠している場合には、その成立上における原本性および非原本性に関して断定を下すことができるとともに、その意味内容の成立した公共圏内における相対的な価値判断を推知することができる。合理、不合理という語は、理性を標準とする公共圏内でできた語である。信仰、不信仰は、宗教的公共圏を成立規定にもっている。そうして、これらの語はその基礎附けられている公共圏内にあっては明らかに価値判断を担っている。」(p.70-71)


「身振りその他の自然形式はしばしば無意識のうちに創造される。いずれにしても、「いき」の客観的表現は意識現象としての「いき」に基礎附けて初めて真に理解されるものである。」(p.152-153)


「「いき」は武士道の理想主義と仏教の日現実性とに対して不離の内的関係に立っている。運命によって「諦め」を得た「媚態」が「意気地」の自由に生きるのが「いき」である。人間の運命に対して曇らざる眼をもち、魂の自由に向って悩ましい憧憬を懐く民族ならずしては媚態をして「いき」の様態を取らしむることはできない。「いき」の核心的意味は、その構造がわが民族存在の自己開示として把握されたときに、十全なる会得と理解とを得たのである。」(p.160)

もう一冊読了・・・。 投稿者:いぶき 投稿日: 2月15日(日)16時21分14秒


これも、明大前駅近くの古本屋において査収したもの。『ボブ・ディラン:60年代を挑発した風』(小西慶太著、メディアファクトリー、1992年)は、ロックの歴史に欠かすことのできないボブ・ディランの生立ちから彼のフォークからロックへの変化を詳細に記述した文献の一つなのではなかろうか。いやですね、ポピュラー音楽を扱う人が私の周辺には多くて、いろいろとこちらも勉強せねばならぬわけですよ。でもって、私はそれほどボブ・ディランが好きなわけでもないので、これを機会に少しは勉強しましょうかね?というところですね(そんなことより本業をがんばりなさいというのはナシですよ)。


「1965年3月、シングル盤「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」リリース。このレコードに針を落とした瞬間に、フォーク・ファンは腰を抜かした。聞こえてきたのはアコースティックギターではなく、バックビートの効いた全速力のロックンロールだったのだ。そして、そのビートに乗っているのは、今までの歌の中では聞いたことのないようなハードな単語だった。音韻を響かせ合いながら、格言や警句のようなフレーズが歯切れよく、マシンガンのように撃ち出されてきた。」(p.86-87)

古本屋で査収して、帰りの電車で読了・・・。 投稿者:いぶき 投稿日: 2月15日(日)16時11分34秒


『エリーゼのために:忌野清志郎詩集』(忌野清志郎著、1995年〔5版、初版は1983年〕、弥生書房)は、RCサクセション時代の忌野が出した初の詩集だったりする。京王線の明大前駅近くの古本屋にて査収したもの。帰りの電車の中で軽く読了することができた。内容としては、TIMERSなどにおける様々な放送禁止用語ばかりの内容かと思いきや、意外と忌野様も普通の若者だったのねぇという感じを受ける内容なり。しかし、内容よりもすごいのは1983年に撮影された忌野の着物姿の写真のような気がする・・・。


「誰もやさしくなんかない 思い違い -ひとりよがりの

ぼくはやさしくなんかない

ずるい人だ 君は

(ずるい ずるい ずるい ずるい)

責任のがれ 君の荷物さ それは

ぼくのじゃない

ぼくのじゃない

ぼくのじゃない

ぼくに背負わせないで


誰もやさしくなんかない 君と同じさ

いやらしいのさ

誰もやさしくなんかない

だからせめて

汚いまねはやめようじゃないか」(p.122-123)

研究に関係ないが最近、読了した本。 投稿者:いぶき 投稿日: 2月14日(土)03時57分13秒


寝る前に、最近読んだ研究以外の本について書いておきますかね。私の趣味は、戦史を漁ることなので、それに関するものです。『彗星夜襲隊:特攻拒否の異色集団』(渡辺洋二著、光人社NF文庫、2003年)は、13年前に朝日ソノラマから出されたものの新版である。既に本土が戦場となっていた太平洋戦争の末期に、全軍特攻が当たり前になっている中で、夜襲による通常攻撃を貫き通した海軍の通常「芙蓉部隊」と呼ばれる部隊が存在したのをご存知であろうか。この図書は、その芙蓉部隊の戦史を詳細に記述した一級の資料である。また、著者の渡辺洋二氏は、日本陸海軍の軍用機研究の第一人者であり、その研究レベルの高さと詳細な資料収集は有名である。

太平洋戦争の戦史を纏めたものの中においても、「芙蓉部隊」という大戦後期のフィリピンにおける敗走の後に、「使えるものをうまく有効活用して作られた」部隊について、部隊を創設した美濃部少佐の過去や様々な経緯を総合的に記述した文献は、しっかりとした資料による裏づけをとったものが殆ど存在しなかった。そのため、このような図書が出たことは、太平洋戦争中の軍組織を研究する上では面白いのではないでしょうか。日本の工業技術力を超えた液冷エンジンを搭載したが故に、誰も使いたがらない余剰機材であった艦上爆撃機「彗星」一二型(AE1P)を部隊の主力に用いて、実験段階の余った新兵器を積極使用したという組織行動の特徴は、「使えるものをワガママ言わずにうまく活用する」というものであり、やたらと新技術ばかり導入している現代の我々は、これに学ぶところが多いような気もしないでもないですね。


「特攻のかけ声ばかりでは勝てるとは思えません」(p.105)


「ここに居あわす方々は指揮官、幕僚であって、みずから突入する人がいません。必死尽忠と言葉は勇ましいことをおっしゃるが、敵の弾幕をどれだけくぐったというのです?(中略)今の戦局に、あなた方指揮官みずからが死を賭しておいでなのか!?」(p.106-107)


最後の言葉は、現在の図書館情報学と文書館学に関して大変壮語する人々に浴びせてやりたいものです。彼等は、彼等の勇ましい言葉に乗せられて実際に苦戦した者たちの叫びを聞いたことが無いのですから・・・。

誕生日に気づいたこと&既に読了した本。 投稿者:いぶき 投稿日: 2月13日(金)23時47分43秒


珍しく、誕生日が数年に一回はある「13日の金曜日」だったんですよねぇ。

いやー、おめでとうジェ●ソンってカンジなわけですよ。

でもって、一冊ばかり受験対策で読了しちゃいました。と言っても、既に読了してから数日が経っているのですが・・・。『湾岸戦争は起こらなかった』(ボードリヤール著、塚原史訳、紀伊国屋書店、1991年)は、あまりにも有名すぎて最近まで読まなかった本の一つである。もともとは、湾岸戦争をめぐる報道が錯綜していた時に書かれた、ボードリヤールの「湾岸戦争は起こらないだろう」という論文が発端となっている。湾岸戦争は起こってしまったわけで、良き思想家は良き予言者とは成り得なかったわけだが、その後の「湾岸戦争はほんとうに起こっているのか?」・「湾岸戦争は起こらなかった」において展開されるボードリヤールの分析は、コミュニケーション論において湾岸戦争を題材にする際には不可欠な参照項でとなっている(もっとも、予測がはずれた論文もすごい分析なんですけど・・・)。しかし、フランス系の思想は、高尚でわかりづらいですねぇ。やっぱり、ドイツ系のほうが私は手になじむわ・・・。


「人びとはもっと前に気づくべきだったのだ。宣戦布告という、行為への移行の象徴的な儀礼が消滅したことがすでに、戦争そのものの終焉と、勝者と敗者の区別の消滅との前兆だった(中略)。そればかりか、軍事作戦さえもが消滅しようとしている。だから、戦争はいつ終わるとも知れない。というのも、始まってさえいないのだから。いっさいの政治的、地域的ななりゆきから浄化されたスターウォーズという純粋な戦争を夢みて、人びとはけっきょく、軟弱な戦争、つまり戦争の潜在的不可能性にたどりついた」(p.21-22)


「情報は、精度の悪いミサイル以上のものではない。行く先もはっきりせず、獲物をもとめて飛びまわり、あらゆる疑似餌に食いつく- 情報自体が疑似餌なのだ。じっさい、情報は周辺の空間を乱射するが、たいていの場合、何の結果ももたらさない。的をしぼった宣伝や情報は、標的を限定したミサイルとおなじで、じつはどこに届くかわからない。たぶん、どこかに届くということではなくて、ミサイルとして発射されるということ自体が、本質的な任務なのだ(中略)。ミサイルやロケットや人工衛星にかんして、いちばん過激的なイメージは、発射の瞬間のイメージである。・・・(中略)・・・キャンペーンの成功は、潜在的モデルの成功である。スカッド・ミサイルを見たまえ。その戦略的有効性はゼロだ。唯一の(心理的)効果は、サダムがスカッドの発射に成功したという事実のなかにある」(p.56-57)


「抑止力が存在するためには、コミュニケーションが成り立たなければならない。それは理性的な戦略のゲームであり、二人の敵対者のあいだのリアル・タイムのコミュニケーションを前提としている- ところが、湾岸戦争では、いかなる時点においても、コミュニケーションは一度も成立しなかった。時間的ずれだけが存在したのである」(p.102)


「情報は、人をあざむくという深刻な機能をもっている。情報がわれわれに何を「知らせる」のか、出来事がどんなカヴァーに包まれているのか、そんなことはどうでもよい。情報とは、まさしくカヴァーにすぎないのだから」(p.108)

ストレスが溜まるので、一冊読了。 投稿者:いぶき 投稿日: 2月 7日(土)22時31分48秒


シュベッペンホイザー『アドルノ:解放の弁証法』(徳永・山口訳、作品社、2000年)は、近年のアドルノ解説書としては、特に秀でたものであろうと考えられる一冊である。最近の音楽ばかりから見られるアドルノではなく、否定の弁証法に沿ったアドルノ像をこれだけ読みやすく紹介しているものは、なかなか邦訳文献ではありませんねぇ。既に持っていて、一度、軽く斜め読みしていたのだが、ストレス発散に読んでしまった・・・。もっとも、普通の人ならばストレスが発散されるどころか逆に溜まってしまうかもしれないんですが・・・。ちなみに、訳文の日本語が一部、明らかに変である?という部分もあるのが欠点ですね。しかし、邦訳が出るだけでもありがたいので、ワガママは言いません。


「アドルノは、哲学的な批判者の立場は批判される全体よりも上にあると信じていたわけではない。批判者は全体の中に組み入れられている。しかし、根底的な批判は、批判されるものの外部にその立場を置くことを明瞭にするか、さもなければ沈黙しなければならないと要求することは誤りであろう。批判が物差しを獲得するのは、決断や最終的な基礎づけによって方法的に別の仕方で証明される基礎からではない。問題となる事象そのものから得るのである。そして、事象が哲学的思索の歩みである場合には、それは自己の前でも立ち止まることはせず、自己自身に関係する。従って、理性の哲学的自己批判は伝統に対して断続的ではあるが生産的な関係を持つ。批判的思惟は伝統に媒介された哲学的自己反省と伝統の物質的基礎に関与している。すでにマルクスにおいて明白となったように、批判は両者を限定的に否定しなければならない。・・・(中略)・・・根底的な理性批判と個別的なもの、特殊なもの、移ろいやすいものに哲学的に関与することの間のアポリアは、伝統への関係を弁証法的に反省することによって解決されるわけではない。その逆である。アポリアをアポリアとして認識する者のみがアポリアに耐えることができる」(p.55-56)



長いが、続きじゃ。 投稿者:いぶき 投稿日: 2月 7日(土)22時32分14秒


シュベッペンホイザーのオマケじゃ。


「思惟の法則を意識する以前にも、われわれはそれらを常にすでに使用している。それらがなければ、認識はないであろう。このことをアドルノも否定するわけではない。-そこが非合理主義的なアドルノ愛好者や合理主義的なアドルノ批判者が考えたがるのと違うである。彼等はどちらもアドルノをポスト・モダーンの先駆者にしたいと思っている。アドルノが示そうとするのは、認識とは認識の名に値するかぎり、単に感覚や思考の素材を規則に従って論理的秩序に従属させることにとどまるものではないということである」(p.58-59)


「「今日まで文化は失敗であった」という言葉は、さしあたり、文化はまだ全般的な現実となっていないということを意味するだけである」(p.154)


「「文化産業」という概念は、後に批判理論が用いる最も影響力の大きい概念の一つとなったものであるが、アドルノはそれを「大衆文化」という術語を限定することによって定義する。なるほど彼は「大衆文化」と同じような諸現象、すなわち二〇世紀に大量に受け入れられた芸術的文化的生産のあらゆる形式、つまり映画、ラジオ、印刷媒体、蓄音機、テレビに狙いを定めてはいる。だが、大衆音楽が大衆の音楽ではなく、大衆のための音楽として生産されるのとまったく同様に、文化産業の産物は、アドルノによれば、大衆自身のものではない。すなわち、大衆が、自分の文化的要求を明確に表現するために、そこに真正の表現媒体を発見したわけではない。-その点でアドルノは、映画という芸術形式をなお確信に満ちて解釈したベンヤミンとは異なる」(p.165)

忙しいのだが、一冊読了。 投稿者:いぶき 投稿日: 2月 2日(月)18時32分36秒


『創発の暗黙知』(大塚・栗本ほか、青玄社、1987年)は、科学者でありながらも様々な分野に横断的な才能を見せたハンガリー人であるマイケル・ポランニーの業績と内面的なコンテキストを纏めた良い文献の一つである。修士論文執筆中は、資料購入費の枯渇により入手できず、古本でようやく手に入ったが、これと同じ内容は、既に持っている『現代思想』のバックナンバーにその多くが掲載されているので、まぁ、よしとしましょうかね。そして、慶伊富長が次のように述べることは、現代の我々がポランニーという人物に対していかに多くの誤解を持っているのか、という事を悟らせてくれる。


「一九六八年、ポランニー教授はまぎれもなく物理化学者であり哲学者であった。最盛期の哲学者ポランニーが物理化学者としての盛名を持ち続けているのを、バークレーの化学教室で私は見たのである。文献のみによってしか科学を知らず、そのことに不自由を感じない孤島の化学者は、「一九四八年、化学者としてのポランニーは活動を停止した」と思い、哲学者は「一九四八年、もと物理学者であったというポランニーが科学哲学に入ってきた」と錯覚していたのではなかろうか」(p.15-16)

ついでにもう一冊・・・。 投稿者:いぶき 投稿日: 1月29日(木)02時19分53秒


こいつは、既に読了したやつの読み直し・・・。『社会学の展開』(大学教養選書、北樹出版、1989年)は、古い本ではあるが、社会学の基本をわかりやすく説いている文献の一つではある。もっとも、これを書いている一部の論者のハーバーマスに対する解釈は、明らかに問題視角がハーバーマス本人が問題にしたところとずれているなぁと感じるところが多くあるが・・・。


「従来の合理性の概念は、目的達成にもっとも適切な手段の選択という意味での合理性であった。したがって、この観点からすれば、これ以外のものはすべて非合理的と名付けられることになる。しかし、合理性には、さらに、行為者たちが共通の状況規定に基づき、相互に一致しうる目標を形成する合理性も存在している。このような合理性は、人間のコミュニケーションを通じて獲得されることから、J.ハーバーマスによって、「コミュニケーション合理性」と呼ばれている。

大衆社会の成熟は、このような「コミュニケーション合理性」の実現を十分に可能ならしめる。大衆社会は産業化・民主化の進行によって、社会の広がりを最大にし、人間の社会性を最も拡大させる社会だからである。そこにおいて狭い範囲の局地性は打破され、広い世界の普遍的社会性が確保されうる。このような社会に住むことによって、人間は広範な社会性を獲得し、その社会性に基づいて、自らの個性を全面的に開花しうるようになる。」(p.153)

倒れながら、一冊読了・・・。 投稿者:いぶき 投稿日: 1月28日(水)20時14分16秒


いやぁ、ようやく手に入ったのよね。ツヴァイクの『権力とたたかう良心』(みすず書房、1972、高杉一郎訳)がね。もっとも、フツーの人は読みたくもないと思うが・・・。しかも、倒れて寝込んで読んでしまった・・・。


「どんな上げ潮のあとでもかならず水がひくように、あらゆる専制政治もごくわずかな期間のあいだに古びて死んでしまうし、あらゆる教条主義的な思想とその一時的な勝利も、その時代とともに終りをつげる。ただひとつ、あらゆる思想のなかの思想であり、けっして死ぬことのない思想である精神の自由な思想だけは、精神そのもののように永遠であるから、永久にくりかえされる。そのような思想が、表面から見たところでは一時的に発言を妨げられているように思われるときでも、それはあらゆる圧迫の手のとどかない、良心の最も深い内部へ避難しているだけのことである。だから、権力者が自由な精神の口を封じたから、もう勝利は自分のものだと思っても、それはむだというものだ。あらゆるあたらしいひとびとのなかにはかならずひとつのあたらしい良心が生まれてきて、人類と人間性の侵すことのできない権利のために、昔からつづけられてきたたたかいをひきつぐのが自分の精神的な義務だと自覚するからである。いつの時代になっても、あらゆるカルヴァンに抵抗してひとりのカステリオンが起ちあがり、信念の自主性にたいする崇高な権利をあらゆる暴力からまもるであろう。」(p.321)


あー、修士論文で挙げればよかったなーと、つくづく後悔・・・。最初に読んだ時には、プロ倫(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』〔M.ヴェーバー〕)に挙げられているプロテスタンティズムの最たる一つである「カルヴィニズム」に関する本として読んでしまったので、一枚岩的な解釈をしていましたです・・・(あとは、この時期に小●直●客員教授の最後の講義を受けた際の悪影響もあるが・・・)。うーん、ファシズムへのアンチテーゼだったのね~。

そーいえば、フッサールの有名なウィーン講演は1935年で、このツヴァイクの原著が出される1936年の一年前だし、ツヴァイク自身もユダヤ人で亡命しているということを考えれば、当然のことだもんねー。いやはや、不勉強はいけませんな~。つくづく、反省の嵐であります。