就活ルールを考える ~日程規制、教育改善効果薄く
(日本経済新聞朝刊2018年10月22日より転載)
同志社大学准教授 奥平寛子
(日本経済新聞朝刊2018年10月22日より転載)
同志社大学准教授 奥平寛子
経団連が大学生の就職活動に関する採用選考日程ルールの廃止を決めた。企業側からの取り組みとして採用日程ルールの維持は難しく、今後は政府主導によるルールに委ねられる。就職活動の時期がさらに前倒しされるのではないかとの懸念が広がっている。
採用日程のルールが定められてきた最大の理由は大学生の教育への配慮にあった。経団連が定める指針には「学生が本分である学業に専念する十分な時間を確保するため、採用選考活動については(中略)早期に行うことは厳に慎む」と明記されている。学生にとって大学で学ぶことは、自分自身に対する大きな投資だ。採用日程ルールがなくなり、あまりに早い時期に就職活動が行われるようになると、教育投資の機会が損なわれる。そのため今後も何らかの採用日程ルールが必要と考える見方は根強い。
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実際に採用日程の繰り下げは大学生の教育投資を増やしたのだろうか。筆者は2010年秋の政府要請で決まった倫理憲章の改定を利用して分析した。13年3月卒業予定者から、広報活動の開始を卒業前年度の12月1日以降とする申し合わせがなされた。倫理憲章は法的な拘束力を持たない紳士協定にすぎないが、この時は就職支援サイトの登録開始が遅れたこともあり、少なくとも一時的に機能した。
図は、筆者が就職問題懇談会(文部科学省が事務局)から任意提供を受けたデータを基に作成した就職活動開始時期の累積密度を卒業年別に示したものだ。縦軸は、横軸の各時点でどの程度の大学で既に大学生が就職活動を始めていたかを示す。倫理憲章改定は実際に就職活動の開始時期を遅らせたことが分かる。
この一時的なショックを用いて、就職活動日程の繰り下げが大学生の登校日数などに与えた影響を分析した。大学生協の学生調査データに基づく分析によると、就活の繰り下げで2年生は登校日数が減ったことが分かった。
これは以前であれば3年生後期に授業を履修できないため2年生の間に授業を受けていた学生が、倫理憲章改定により3年生でも単位が取れると期待して2年生時点での授業履修を減らしたことを示唆する結果だ。留学への見通しや読書時間への影響も観察されなかった。3年生についてもどちらかというと減少を示唆する結果が多く、日程の繰り下げが教育投資を増やすという結果は得られなかった。
日本の大学は良くも悪くも自由であり、学生には教育投資のタイミングや内容について大きな自由度がある。その気になれば専門課程や就職活動が本格的に始まる前に、留学したり休学して海外企業のインターンに参加したりすることもできる。3年生で内々定が出たのであれば、残り期間で自分のキャリアを意識した教育機会にも投資できる。 日本の大学生が勉強できなかったり、留学できなかったりしたとすれば、それは本質的には就職活動というよりも学生の意思決定の問題だ。
採用日程ルールはそもそも逸脱の誘因が大きく、実質的な機能を担保し続けることが難しい。一時的に機能したケースでも、大学生の教育投資を増やす効果は観察されなかった。就職活動が卒業前に行われる状況では、採用日程の変更は投資のタイミングを変えるだけの可能性が高い。教育投資の観点からは採用日程ルールに意味はなさそうだ。
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採用日程ルールの是非を考えるうえで無視できないもう一つの観点は、採用市場のマッチング機能への影響だ。
新卒採用市場では毎年、ある一定のタイミングで多くの学生が市場に参入し、就職活動を始める。米スタンフォード大学のアルビン・ロス教授とムリエル・ニーデルレ教授はこうした混雑した労働市場では、企業が内定辞退を恐れて学生を拘束したり、短期間で内定受諾を迫ったりする傾向にあると指摘する。学生は他の企業の採用選考に参加しにくくなるため、選択肢の幅が狭まることになる。 採用・求職活動にかけられる時間や費用が限られるなかで、選択肢の幅を必要以上に狭めることなく、いかに効率的に企業と学生をマッチングさせるかは、新卒採用市場にとって大きな課題だ。
ところがこの課題を解消するために採用日程ルールが果たせる役割は必ずしも明らかでない。例えば採用日程が繰り下げられると、本当はもっと自分と相性の良い企業に就職できたかもしれないのに、卒業までの期間が短いために多くの企業に応募せず、そこそこの企業からの内定で満足し就職活動を終える学生がいるかもしれない。この場合、企業と学生のマッチングの質は下がることが予測される。
一方、採用日程が繰り下げられたからこそ、多くの説明会に足を運び、自分と相性の良い企業を見つけようと努力する学生もいるだろう。採用日程の繰り下げにより、自分のキャリアがより明確になった段階で就職活動ができる利点も考えられる。この場合、企業と学生のマッチングの質は上がることが予測される。 結局、採用日程のルールがマッチングの質にどんな影響を与えるのかは理論的にも実証的にも十分に検証されておらず、よく分かっていない。
採用市場のマッチング機能を高めるために、ほかにどのような方法が考えられるだろうか。最近、市場のマッチング機能を補完するサービスを提供する企業が増えている。人工知能(AI)の技術を用いて、過去の選考履歴と学生のコンピテンシー(特性)情報から採用選考の手間を効率化するサービスや、知名度の低い企業と学生を結びつけるスカウトサービスなどだ。
イタリアでは「AlmaLaurea」と呼ばれる大学コンソーシアム(連盟)が、学生の成績や履歴書データを企業に提供するオンラインサービスを実施している。英ワーウィック大学のマニュエル・ベイグ教授らは、このコンソーシアムに加入した大学の学生は、その後の失業確率が下がり、賃金率や仕事への主観的満足度が高まったことを明らかにした。この分析はマッチングの質が上がったことを示唆する結果だ。
大学生の成績や分布情報を包括的にデータベース化し、信頼できる形で採用企業に提供するには、大学や政府が中心になる必要がある。提供データが企業の採用活動に付加価値をもたらす情報であれば、そのデータを採用側に提供するタイミングを操作することで、ある程度の就職活動の目安の時期も操作できる。企業にはデータが提供されるのを待つ誘因があるからだ。
日本の新規学卒者の卒業直後の離職率は高く、マッチングの質を改善する余地がある。付加価値をもたらす成績情報を大学がどのように提供するかという点も含めて、採用市場のマッチング機能を強化する取り組みを巡る議論をもっと深めるべきだと思う。
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日本では半世紀以上にわたり、早期の就職活動が問題視され、採用日程の規制について議論されてきた。にもかかわらず採用日程ルールが本当に学生や企業に望ましい結果をもたらしたのかどうか、適切な方法で検証されることはほとんどなかった。採用日程ルールは維持されにくく、かえって学生の間に混乱を招く側面があったことも見過ごすべきでない。採用日程ルールが大学教育や採用市場のマッチングを改善するという見方には、今の時点では強い根拠がない点を認識すべきだ。