彦根ダンスホール紅花のバーカンチームが「すなっくホンファ」として独立!
とめだいおんが彦根ダンスホール紅花を離れることになり、代表をぶくぶくが引き継ぎ、紅花のお客さんだった仲間たちのチームで運営していくことになりました。
野本さんの引っ越しに伴い、彦根ダンスホール紅花の管理人をとめだいおんに引き継ぎます。
「刺激と緩和と協力、滋賀には無いものを少しずつ取り入れ、皆様に紅花で起こっている事は面白いという信頼を持っていただけるようにしたい。ディープイベントスペースとしての立ち位置も確立しつつ、受けやすいイベントも企画する。この場所にお越しいただいたり、使いたいと思ってくれる人達の感性溢れる空間になる事が、ダンスホール紅花の色になればいい。基準やルールは今後自然と出来ていくと思う」
2014年の冬、ライブの会場を探していた野本さんが紹介を受け、この場所と出会います。
「ダンスホール紅花」と名付け、2015年3月29日に柿落としイベント Grand Hotel を開催。パフォーマーやDJが出演し、混乱もありながら大盛況と。この場所を懐かしむ人々や、新しい音楽ファンまで、多くの人が駆けつけてくれました。
従業員控え室には、カレンダーとミニスカサンタの衣装が残されていました。
ダンスホール紅花の名前の元となったべに花。1985年ごろにはピアノが置かれていて、専属のピアニストの方もおられたそう。彦根の古いタクシー運転手の方に紅花までとお願いすると、「べに花やっているの?」と驚かれたり。名の通ったラウンジだったようです。
また、べに花のあった1988年(昭和63年)に鉄骨で建物を補強するなどの改修工事が行われています。
キャバレー時代には、バンドを招いてステージでライブを行い、着物姿のホステスや専属シェフ、バーテンダーも在籍しており、飲食やフルーツバスケットなどを提供していたそうです。
当時の間取りが描かれた青図が残されており、ステージや円形に配置された客席、洋酒を揃えたバーカウンターが設えられ、華やかな空間だったことが伺えます。
かつて、紅花の1階は見番と呼ばれる芸妓さんの事務所として使われていたそうで、稽古のための舞台も置かれていました。
1942年から1954年頃にかけての写真が残されており、華やかな着物姿の芸妓さんたちや、旅行先でのひととき、多賀田植祭に参加した様子などが記録されています。