宿題をやる
ということ
2017/9/1
「人間は忘れやすい動物だから、復習しなければ身につかない」
これは、宿題をやる目的としてよく聞かれることだと思います。
もちろん、その通り。
でも、もう一つ大事な視点があると、私は考えます。
宿題は、「たかが宿題」。
宿題は、「たかが宿題」。
そう。宿題は、「たかが宿題」なんです。
その「たかが宿題」ごときをできない人が、『将来○○になりたい!』と言う資格はないと思います。
自分の希望を叶えるためには、楽しいことばかりではなく、地味な、めんどくさいこともやらなければならないはず。
「たかが宿題」をやれないようでは、耐えられるはずもなく、途中で簡単にあきらめることになるんじゃないですか?
そんな人間にはなって欲しくない。
「宿題を忘れました」
「宿題を忘れました」
「宿題を忘れた」という生徒さんがいますが、これは基本的に日本語の使い方が間違っています。
いつも必ずやってきている生徒が、たまたま、数ある宿題の中で、1つをホントに忘れてしまった…という時や、いつも宿題が出ないのに、珍しく出たから忘れた…、という時は正しい使い方です。
しかし、ほとんどは「またか…」という場合です。
必ず宿題が出る、ということはわかり切ってますから、忘れたということは記憶喪失になったということ?
「宿題を忘れた」ではなく、「宿題をやらなかった」でしょ?
もっと言うと、「宿題をやっていかなくても、『忘れました』って言っとけば、その場は何とか切り抜けられると思ったからやらなかった」と思うこともあるでしょう。
宿題は、プライドでやるもの。
宿題は、プライドでやるもの。
「忘れていくことなんて、恥ずかしくてできない」
「やらなかったら気持ち悪い」
「やらない自分は許せない」
と思ってもらいたい。
まさしく、プライドが許さない、ということです。
だから、「たかが宿題」なんです。