安楽死

について

2021/1/24

毎週日曜日の『OPINION TRAINING(意見練習)』、本日は『安楽死(尊厳死)は認めるべきである。賛成か、反対か。』でした。

中3は公民で自己決定権を学習しました。

現時点では、日本では認められていませんし、世界的にも非常に少ない状況です。

さて、生徒たちの意見です。

賛成意見はこちらをクリック

  • 治る見込みがなく、治療でつらい思いをしているなら認めてもよい

  • 病院に限りがあるので、希望するならしてもらって空けた方がよい

  • 人生は個人の自由

  • 重い病気で意識がない場合、費用もかかるし、家族の負担もあるから、選択肢をつくってもよい

  • 治らない病気で苦しんでいる人がたくさんいるから

  • 苦しんで死ぬのは嫌だ

  • 延命してお金を払い続けるより、自分の決意で安楽死したほうが希望に合う場合が多い

  • 苦痛ばかりで本人が望むなら、早く楽にした方がいい

  • 治らないのに治療しているのは、患者本人の精神的苦痛が大きい

  • 不治の病で苦しんでいる人の一つの道となるから

  • 生きる権利があるなら、死ぬ権利もある

  • 本人に意志があるなら、周りは尊重するべき

  • 苦痛しか感じられない命に、価値はない

  • 朝日新聞の世論調査で、安楽死を認める法律をつくるべきという意見が74%だった。

  • 自己決定権がある


※賛成・反対各意見の数の違いは、同意見をまとめた結果です。

『賛成・反対意見の強い・弱い』とは異なります。

反対意見はこちらをクリック

  • 医師の負担が重い

  • 家族による説得で、生きる時間が短くなる可能性がある

  • 病気になると、精神的に異常状態になり、正常な判断ができない

  • 簡単に死ぬことができるから、安易に選ぶ人が出るかもしれない

  • 今は治らなくても、新薬などが開発されて、今後は治るかもしれない

  • 医師と看護師の精神が不安定になる

  • 死を望む人が多くなるかも

  • 安楽死にかかるお金をカットできる

  • 死ぬ権利を合法化すると、障がい者など弱者が切り捨てられる社会になるかもしれない

  • 望まない死の強要が出てくるかもしれない

  • まだ生きられるかもしれないのに、医療者の共感で死なせてしまうことにもなりかねない

  • 延命措置の中止は、命の軽視につながる

  • 延命治療に金がかかっても後悔はない

  • 安楽死を認めている国は少ない

  • 人口減少になる

  • どんなに決心しても、周りは悲しい

  • 死を「恐怖」から「希望」にとらえる人が増えるかもしれない

  • 生まれてくることに干渉できないなら、死ぬことにも干渉できない

  • 死の軽視になる

  • 人間の摂理に従うべき

  • 死後の世界が楽であるとは限らないのに、何をもって安楽死というのか


※賛成・反対各意見の数の違いは、同意見をまとめた結果です。

『賛成・反対意見の強い・弱い』とは異なります。

賛成意見は、

感情的な意見が多くなるかと思いましたが、冷静な意見も見られました。

反対意見は、

死への決断が及ぼす影響の大きさを危惧する意見が出ました。

安楽死については、自分が選ぶ当事者なのか、家族の立場なのかでも意見は変わると思います。

酷なお題でもあったかと思いますが、しっかり考えてくれました。

このトレーニングを通して、自分の意見を持つ習慣をつけ、また、自分との反対意見に対する理解も深めることで、さらに発信していく力になっていくことを期待しています。

『Opinion Training(意見練習)』とは

当校では、いろいろなことに自分の意見を持つ、という練習を毎週日曜日に行っています。

今年度の参加対象者は、受験対策を受講している中3生です。

普段から意見を持つことに慣れていないので、ディベートではなく、その一段階手前です。

主題は、時事・政治ネタから身近な生活についての話題など、多岐にわたります。

あらかじめ意見を調べてきて、発表します。

ここで大事にしているのは、

  • 会の結論として、賛成か反対かは決めない。

  • 賛成意見と反対意見を両方調べてくること。

  • 挙手制ではなく、全員発表する「指名制」。

  • 私自身の個人的な意見は言わない。

ということ。

意見を戦わせることが目的ではなく、「自分の意見を持つこと」が目的ですから、勝ち負けではありません。

また、私が個人的な意見を言ってしまうと、大人の意見であり教師の意見ですから、生徒の意志を左右させてしまうことにもなります。

いろいろな意見を聞いて、自分の意見もどんどん変わっていい。

意見が変わるのは知識を得たからであって、成長している証拠。

これによって、さらに自分の知識や意見が深まっていきます。

生徒がいろいろな物事に対して、いい意味で「意見を気軽に持つ」ことに慣れていってほしいと思っています。