戦争時代のことを
韓国に謝罪する
ことについて
2023/1/7
毎週土曜日恒例の、中3受験生対象『OPINION TRAINING(意見練習)』
本日は、「日本は戦争時代のことについて、韓国に謝罪すべきである。賛成か、反対か。」でした。
日本人として、最も近い隣国との関係について、自分の意見を考えてみる必要はあります。
さて、生徒たちの意見です。
賛成意見はこちらをクリック
ソウルを制圧した後、日本軍は農民軍の大量虐殺を行ったから。
日本軍に非協力的な民衆を、見せしめに大量に殺したから。
三・一独立運動に対しても日本は徹底的に弾圧を行い、一年間に7000人以上を殺したから。
時効はないので謝るべき。
韓国は日本の誠意ある謝罪で99%解決すると言っているから、謝って終わらせるべき。
韓国が気が済むまで謝るべき。
日本の印象が良くないから。
国際問題解決の一歩になるかもしれないから。
多くの人を殺してきたことに対して謝るべき。
韓国を植民地化して、あらゆるものを搾取したから。
武断政治と呼ばれる暴力的な支配を行ったから。
支配を脱することができなかった恨み、悲しみ、憤りがいまだに根付いているから。
謝ってしまえば済む話だから。
日本は政府レベルの保証を回避しているから。
戦争中、慰安婦問題が起きているから。
占領したときに強制労働をさせたから。
多くの人を殺したから。
植民地時代に関するすべての問題を解決していないから。
韓民族にずいぶん迷惑をかけてきたから。
慰安婦問題については、日本の誠意ある謝罪で99%は解決できるから。
日本の指導者で、ドイツの元首相のようにひざまずいて謝罪した人はいないから。
※賛成・反対各意見の数の違いは、同意見をまとめた結果です。
『賛成・反対意見の強い・弱い』とは異なります。
反対意見はこちらをクリック
当事者ではなく、子や孫に謝罪させるわけにはいかない。
日本の植民地支配が終わった後に、日本と韓国が外交関係を回復させるために払う経済協力を約束した日韓基本条約で問題は解決しているから。
日本は発展させるためには植民地とすることは仕方がなかった。
韓国に対して、総理大臣などが何度も謝罪しているから。
アジア女性基金として韓国などに償っているから。
日本は日韓基本条約のときに、賠償金のようなものを払っているから。
賠償金を払ったため、事は終わっている。
両国の間で合意したから、蒸し返すことはできない。
韓国政府が国民に説明していないことが原因なため、日本は関係ない。
日本に謝罪を要求する権利はない。
謝罪したのに受け入れなかったのは、韓国側。
韓国併合は国際法上合法であり、日本が行った正当な行動であるため、謝罪はしなくてよい。
韓国が一方的に謝罪を認めていないだけ。
謝ったら韓国の言いなりになるだけ。
条約により、謝罪はすでに完了している。
欧米の植民地支配と異なり、韓国の国民生活を発展させたから。
政治的カードを外交的カードとして韓国が利用しているから。
謝罪声明だけで十分だと、被害国からも声が挙げられている。
日韓は戦争していないため、韓国は戦勝国ではない。
※賛成・反対各意見の数の違いは、同意見をまとめた結果です。
『賛成・反対意見の強い・弱い』とは異なります。
賛成意見(謝罪すべきである)は、
虐殺や慰安婦の問題が挙げられました。
反対意見(やめるべきではない)は、
日韓基本条約での解決や、すでに謝罪してきたという意見が出ました。
このトレーニングを通して、自分の意見を持つ習慣をつけ、また、自分との反対意見に対する理解も深めることで、さらに発信していく力になっていくことを期待しています。
『Opinion Training(意見練習)』とは
当校では、いろいろなことに自分の意見を持つ、という練習を毎週土曜日に行っています。
今年度の参加対象者は、受験対策を受講している中3生です。
普段から意見を持つことに慣れていないので、ディベートではなく、その一段階手前です。
主題は、時事・政治ネタから身近な生活についての話題など、多岐にわたります。
あらかじめ意見を調べてきて、発表します。
ここで大事にしているのは、
会の結論として、賛成か反対かは決めない。
賛成意見と反対意見を両方調べてくること。
挙手制ではなく、全員発表する「指名制」。
私自身の個人的な意見は言わない。
ということ。
意見を戦わせることが目的ではなく、「自分の意見を持つこと」が目的ですから、勝ち負けではありません。
また、私が個人的な意見を言ってしまうと、大人の意見であり教師の意見ですから、生徒の意志を左右させてしまうことにもなります。
いろいろな意見を聞いて、自分の意見もどんどん変わっていい。
意見が変わるのは知識を得たからであって、成長している証拠。
これによって、さらに自分の知識や意見が深まっていきます。
生徒がいろいろな物事に対して、いい意味で「意見を気軽に持つ」ことに慣れていってほしいと思っています。