総理大臣の

靖国神社参拝

について

2022/2/13

毎週日曜日恒例の、中3受験生対象『OPINION TRAINING(意見練習)』

本日は、「総理大臣は、靖国神社を参拝すべきである。賛成か、反対か。」でした。

毎年8月15日を中心に、この議論が繰り返されています。

一人の日本人として、この問題を考えてもらいたいと思います。。

さて、生徒たちの意見です。

賛成意見はこちらをクリック

  • 日本のために戦死した人を祀(まつ)るのは当然。

  • 自国のことを他の国からとやかく言われる筋合いはない。

  • 神社への参拝は日本の大切な文化の一つであり、それを否定することは日本を否定するといっても過言ではない。

  • 国民が許されて総理大臣が許されないのは差別。

  • 戦争を風化させないために、参拝してもいい。

  • 信教の自由があるからいい。

  • プライベートで参拝する分には、政教分離には関係ない。

  • 宗教としてではなく、戦死した人に敬意を払っているので問題ない。

  • 政府は戦没者への責任をもって参拝すべき。

  • 不戦の誓いとして参拝しているのでむしろ良い。

  • 沖縄の平和の礎や、広島・長崎の平和記念公園には参拝しているのに、靖国神社へ参拝しないのは、戦没者への差別である。

  • 戦争で亡くなった人を供養するためには、日本人の代表として参拝すべき。

  • 遺族が参拝を強く希望しているから。

  • 日本と世界の平和への決意を新たにする。

  • 反対しているのは、半日思想がある中国と韓国だけだから。


※賛成・反対各意見の数の違いは、同意見をまとめた結果です。

『賛成・反対意見の強い・弱い』とは異なります。

反対意見はこちらをクリック

  • A級戦犯が眠っているので、世界からたたかれる。

  • 日本が攻撃した中国と韓国の人たちの気持ちを傷つける。

  • 公の立場の人が参拝するのは憲法違反。

  • 政教分離の精神に反する。

  • 中国・韓国への配慮が必要。

  • 憲法上の各義務に違反する。

  • A級戦犯が祀(まつ)られている靖国神社を参拝することは、相手国側の遺族から戦争を反省していないと誤解を招く。

  • 戦前の靖国神社は戦死者を祭神とする特殊な神社だが、戦後は一つの神社、一つの宗教に過ぎない。しかし、海外からはそうは見られていないので、外交問題に影響がある。

  • 総理大臣の参拝=侵略戦争肯定の意思表示としてみられる。

  • 日本の戦争が正しかったということになってしまう。

  • A級戦犯の名誉復活としてとらえることもできる。

  • 中国との国交回復の条件として、戦争はA級戦犯たちが引き起こしたものとなっているので、そのA級戦犯も祀っている靖国神社を参拝することは、中国側を怒らせることになる。

  • 戦争犯罪人の責任をあいまいにしてしまう。

  • アメリカ・中国・韓国との仲が悪くなる。

  • 国民全員が神道を信仰しているわけではないのに、税金で神社に参拝するべきではない。



※賛成・反対各意見の数の違いは、同意見をまとめた結果です。

『賛成・反対意見の強い・弱い』とは異なります。

賛成意見(参拝すべき)は、

自国のこと、という意見や、『戦没者への差別』という意見も聞かれました。

反対意見(参拝すべきではない)は、

政教分離の視点や、中国・韓国への配慮が必要、という意見が出ました。

このトレーニングを通して、自分の意見を持つ習慣をつけ、また、自分との反対意見に対する理解も深めることで、さらに発信していく力になっていくことを期待しています。


『Opinion Training(意見練習)』とは

当校では、いろいろなことに自分の意見を持つ、という練習を毎週日曜日に行っています。

今年度の参加対象者は、受験対策を受講している中3生です。

普段から意見を持つことに慣れていないので、ディベートではなく、その一段階手前です。

主題は、時事・政治ネタから身近な生活についての話題など、多岐にわたります。

あらかじめ意見を調べてきて、発表します。

ここで大事にしているのは、

  • 会の結論として、賛成か反対かは決めない。

  • 賛成意見と反対意見を両方調べてくること。

  • 挙手制ではなく、全員発表する「指名制」。

  • 私自身の個人的な意見は言わない。

ということ。

意見を戦わせることが目的ではなく、「自分の意見を持つこと」が目的ですから、勝ち負けではありません。

また、私が個人的な意見を言ってしまうと、大人の意見であり教師の意見ですから、生徒の意志を左右させてしまうことにもなります。

いろいろな意見を聞いて、自分の意見もどんどん変わっていい。

意見が変わるのは知識を得たからであって、成長している証拠。

これによって、さらに自分の知識や意見が深まっていきます。

生徒がいろいろな物事に対して、いい意味で「意見を気軽に持つ」ことに慣れていってほしいと思っています。