福岡市ホームページ南区の中に【桧原桜フォトコンテストを開催!】という項目があり,それに関連して「桧原桜とは」についての説明がなされている.
ホームページに記載されている内容をそのまま引用して,紹介させてもらった.
昭和59年3月,福岡市南区の一隅・桧原にある樹齢50年のソメイヨシノ9本が,道路拡幅工事により伐採されることになりました。
1本が伐られた翌日の未明,一人の住民が桜に次の歌を下げて,市長に「最後の花を咲かせて」と嘆願したのです。
筑前花守(も)り進藤市長殿
「花あわれ せめてはあと二旬(にじゅん) ついの開花をゆるし給え」(右の写真 出典:福岡市ホームページ)
使用されている語句の意味 ・二旬:二十日間 ・ついの:最後の
この短歌が,偶然にもある会社社長の目に触れ,それをきっかけとして,マスコミに桜助命嘆願が大きく取り上げられるや,あまたの短歌が桜の枝に吊り下げられました。
その中には・・・
「桜花(はな)惜しむ 大和心(やまとごころ)の うるわしや とわに匂(にお)わん 花の心は」
香瑞麻
の1首があり,のちに進藤一馬福岡市長の返歌であることが分かりました。
そして,道路拡幅計画は一部変更され,8本の桜が命永らえることとなりました。
この話は作曲家團伊玖磨さんが随筆「パイプのけむり」に書かれ,ワールドマガジン「リーダーズ・ダイジェスト」に掲載され,世界中に広く知られることになりました。
また,小学生の道徳副読本にも採用されています。
30年以上の時を経た今,一帯は「桧原桜公園」として平成19年から整備され,地域の人々の憩いの場となっています。
また,8本だった桜が13本となり,桜の季節には美しい花を咲かせています。
写真は福岡市ホームページにリンクして表示させていましたが,アドレスが変更されたためリンク切れ状態になっていました.
当時の桧原桜(道路拡張工事前)
当時の桧原桜(道路拡張工事後)
現在の桧原桜公園
前回紹介した「熊本の千原桜」は,大正14年の道路拡張工事に伴って伐採された桜の後日談であったが,昭和59年の桧原桜の救済はそれとは対象的な話である.まもなく令和を迎えるが,昭和時代の人間味溢れる心温まる話題のひとつと言えよう.
桧原桜公園周辺の景色については桧原桜公園のGoogleストリートビューにリンクを張っておいいたので,パソコン画面で周辺を散歩しながら景色を楽しんでみてほしい.
資料
福岡市ホームページ(南区) リンク先のURLが変更されていました.修正日;2021.2.28.
桧原桜公園のGoogleストリートビュー(画面の下部中心近くに表示される地図上の道路をクリックするとストリートビューが開始します)
(2019/4/15)