登場人物
楓(かえで) 女性
高校2年生
お気に入りの場所で空と雲を眺めるのが好きな女の子
悠翔(ゆうと) 男性
20代前半の心優しい青年
美鈴(みすず) 女性
高校2年生
楓の親友で同級生で良き理解者
お母さん 女性
楓の母親
身体が弱いが家族思い
時たま娘への愛で暴走する夫を優しくたしなめる
お父さん 男性
楓の父親
心配性で妻と楓が大好き
楓には時々うざがられているがめげない
配役表
楓:
悠翔:
美鈴:
お母さん:
お父さん:
楓
「さようなら。私の白鯨(はくげい)」
-学校-
-放課後の教室-
美鈴
「んん、やっと終わったー!」
楓
「疲れたぁ。五限の先生容赦ないねぇ」
美鈴
「宿題多すぎない?うわ、私の苦手なとこある。楓、後で教えてくれない?」
楓
「あー、ごめん。私この後用事あるんだ!帰ったら連絡入れるからその時でいい?」
美鈴
「いいよ。用事ってまたあそこ?」
楓
「そう!私だけの秘密の場所!」
美鈴
「大親友の私にも教えてくれないとか、ずるいなぁ」
楓
「全部教えたら秘密にならないでしょ?」
美鈴
「はいはい。楓にとっての大事な場所なら、誰にも言わずにいたほうがいいよ」
楓
「美鈴、ありがとう」
美鈴
「じゃ、私そろそろ帰るね!秘密の場所から帰ってきたら連絡入れてねー!」
楓
「はーい!また後でねー!」
-美鈴、教室を出る-
楓
「さて、私も行きますか!」
-学校から出て、少し離れたところにある朽ち果てた階段から行ける高台に行く-
楓
「はぁ、いい風。
やっぱり、ここの高台から見る空はいい表情してるなぁ。
……教室の窓から見る空も好きだけど、ここから見る空が一番好きなんだよねぇ。
今日の雲も、いい形してる」
楓M
「私は毎日学校が終わると、ここの高台に来て空を眺めている。
私しか知らない場所、だとは思う。
今まで私以外の人がここにいることを見たことがない。
だから多分、そういうことで合っていると思う」
楓
「でも今日は入道雲だけかぁ。明日はどんな表情を見せてくれるの?
部活があるから、私が来た頃には夕焼けに染まってるのかな?
雲が出てたら、夕焼けのオレンジ色が反射して綺麗なんだろうなぁ」
-不思議な音が聞こえる-
楓
「え?なに?何かいるの?」
-振り返り、辺りを見回すが誰もいない-
楓
「何だったんだろう、今の。
……あれ、おかしいな。何も聞こえない。うーん、やっぱり気のせい?
……あ、やば!もうこんな時間!今日の夕飯私が手伝う日だ!
早く帰らないと、うざいのが余計うざくなる!」
-帰路につく-
楓
「ただいまー!お母さんごめん!今手伝うね!」
お母さん
「おかえり、楓。いいのよ。
たまには気にせず、お友達とゆっくりお喋りしてきても(咳込む)」
楓
「お母さん!大丈夫?ゆっくりでいいからね」
お母さん
「(咳込む)ごめんなさいね。心配かけて」
楓
「ううん、大丈夫だよ。それよりお父さんは……」
お父さん
「かーえでー!おかえりー!今までどこに行ってたんだ!?心配したんだぞ!?」
楓
「抱きつくなうざい!ちょっとゆっくりしてたら遅くなっちゃっただけ!」
お父さん
「田舎町だから知り合いばかりだと思うけど誘拐されたんじゃないかと父さんは心配で心配で!」
楓
「いつもより帰るのが15分遅かっただけでしょ!?」
お母さん
「まぁまぁ楓。それだけお父さんはあなたのことが大切なのよ」
楓
「お母さん……」
お母さん
「お父さんも、心配性なのはいいですけど、楓ももう高校生なんですよ?
再来年には大学生か社会人なんです。いつまでも子供扱いはいけません。いいですね?」
お父さん
「うぅ、すまん」
お母さん
「分かればいいんですよ(咳込む)」
お父さん
「母さん大丈夫か?今日は俺と楓に任せて、母さんは休んでなさい」
楓
「そうだよ!今日はゆっくりして!」
お母さん
「そう、ね。それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかしら」
楓
「うん!」
お父さん
「楓、今日の学校どうだったんだ?」
楓
「え?んー、いつも通り?」
お父さん
「いつも通りか。高校三年は意外と短いぞ?」
楓
「うん、そうだね」
お母さん
「そういえば、楓は将来どうするの?そろそろ進路指導の時期じゃない?」
楓
「あー、うん。多分、そろそろだと思う」
お母さん
「楓はどうしたいの?」
お父さん
「ははは、母さん。そんな答えを急かさないでもいいんじゃないか?
楓、そんなすぐに答え出さなくていいぞー?父さんもギリギリまで悩んだもんだ!」
お母さん
「そうね、ごめんなさい。楓のペースでいいからね?」
楓
「うん、ゆっくり考えてくよ。あ、そうだ。
ねぇ、お母さんお父さん聞いて?今日不思議なことがあったんだよね」
お母さん
「不思議なこと?」
楓
「うん。多分私の気のせいだったと思うんだけど、なんか聞いたことない音が聞こえたの」
お父さん
「聞いたことない音?風の音とか動物の鳴き声じゃないのか?」
楓
「うーん、風の音とは違うと思う。ここら辺にいる動物の鳴き声なら聞いたことあるし」
お母さん
「不思議な音ねぇ。お母さんは聞いたことないわねぇ」
お父さん
「父さんもそういう不思議な音は聞いたことないなぁ」
楓
「そっかぁ。うん、私の気のせいだと思う。ほら、早く夕飯作っちゃおう!」
楓M
「翌日、私はこの不思議な音の正体を知ることになる。
それはとても綺麗で、私の心を落ち着かせてくれる。
けれど、ふと気が付いたらいなくなっているような儚い存在。
こんな近くの存在になんで私は気づかなかったんだろう」
-学校の下校チャイムが鳴る-
美鈴
「楓ー、進路希望どうするー?」
楓
「(美鈴のセリフに被せる)ごめん美鈴!その話また今度!」
美鈴
「……あら、行っちゃった。また例の場所かなー……」
-楓、息を切らしながら走って高台まで行く-
楓
「やっぱり気になる。あの鳴き声!
あそこでしか聞こえなかったのかもしれない!
あそこへ行けば!きっと何かわかるはず!」
-高台にくると、見ず知らずの男性が立っている-
楓
「(呼吸を整えている)」
悠翔
「(空を見上げていたが、楓に気づく)こんにちは?」
楓
「こ、こんにちは」
悠翔
「走ってきたの?」
楓
「ぇ、あ、はい」
悠翔
「まずは呼吸整えて?」
楓
「す、すいません」
悠翔
「(呼吸が整うのを待ってから声を掛ける)君、高校生だよね?懐かしいなぁ、その制服」
楓
「え?」
悠翔
「あぁ、ごめんね?知らない人に声掛けられるの怖いよね」
楓
「いえ、その、もしかして卒業生とか、ですか?」
悠翔
「うん、そうだよ。ここから眺める空が好きでね、毎日来てたんだ」
楓
「……私と、同じです」
悠翔
「君も?奇遇だね」
楓
「そう、ですね」
悠翔
「……綺麗だよね、ここからの眺め。
見上げると視界が全部空の色に染まって、まるで自分自身が包み込まれてるみたいに感じられる」
楓
「はい。ここにいると落ち着くんですよね。
……私以外にここに人がいるのを初めて見たので、ちょっと驚きました」
悠翔
「はは、僕も初めてだよ。まさかここに僕と同じように空を眺めるのが好きな女の子がいるなんてね」
楓
「昨日は青空に入道雲が浮かんでたんですよ」
悠翔
「へぇ、それは見たかったなぁ」
楓
「今日の入道雲も、昨日と違った表情を見せてくれてます」
悠翔
「夕焼け、綺麗だね」
楓
「はい。雲に反射して、輝いてるんです」
悠翔
「あっちに見えるのはひつじ雲かな?」
楓
「みたいですね?遠くの方にすじ雲も見えます」
悠翔
「……はは、会ってそんなに経ってないのに、ここまで意気投合するとは思わなかったよ」
楓
「私も、驚いてます」
-その時、昨日と同じ不思議な音が聞こえる-
-振り返るがそこには何も居ない-
悠翔
「……どうしたの?」
楓
「あ、いえ。なんでもないです」
-不思議な音が消えず、きょろきょろと周りを見渡す-
悠翔
「……聞こえる?」
楓
「え?」
悠翔
「聞こえてるんでしょ?この鳴き声」
楓
「え……」
悠翔
「大丈夫だよ。怖いものじゃないから」
楓
「どうして」
悠翔
「僕も聞こえてる。高校生の時からずっと、今この瞬間も、あの子は鳴いてる」
楓
「この音ってなんなんですか?」
悠翔
「そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。言ったでしょ?
怖いものじゃないって。ほら、空を見上げてみて?」
楓
「空を……」
悠翔
「うん、今も聞こえてる?」
楓
「……はい、聞こえてます」
悠翔
「その音にずっと耳を傾けて、空を見続けて。僕と同じなら、見えるはずだよ」
楓
「(言われた通り空を見続ける)……え?今なんか、雲の中を……」
悠翔
「うん、それが音の正体」
楓
「え?あれ、なんですか?」
悠翔
「くじら雲ってわかる?」
楓
「はい。レンズ雲や穴あき雲のように、そんなしょっちゅう見れるような雲じゃないですよね?」
悠翔
「うん、そうだね。それがくじら雲と言われている。
まぁ、気象的にはくじら雲って雲の種類はないみたいなんだけどね。
くじらみたいな形をしているからくじら雲と言われている。
見れると幸運が訪れるとかなんとか……けどね、僕らが聞いてるこの不思議な音はそのくじら雲の声。
雲の中を泳ぐ、鯨の鳴き声だよ」
楓
「……」
悠翔
「いきなりこんなこと言われて受け入れられないのはわかるよ。
僕も初めて見たときは受け入れられなかった。
けど、今も見えてるでしょ?雲の中を優雅に泳ぐ姿が……」
楓
「……はい。泳いでます。優雅に、ゆっくりと、雲から雲へ尻尾を振り上げて泳いでいます。
不思議ですね。ありえないことなのに、今目の前でそれが起きてるんです。
夢でも見てるんじゃないかって、これは夢で、私は今寝てるんじゃないかって」
悠翔
「夢じゃないよ」
楓
「はい。夢じゃないんです。嘘みたいな話を受け入れてる私がいるんです」
楓M
「言葉に言い表せない体験だった。 聞いた話は、夢物語みたいなもの。
鳴き声を聞いていなければ、姿を実際に見ていなければ、私は信じなかっただろう。
けれど、私は聞いた。見た。この耳、この目で。
見上げた空には確かに鯨が泳いでいた。
雲で出来た巨体を大きく動かし、雲から雲へ泳ぎ移りながら、鳴いていた」
悠翔M
「ここに人がいたなんて思わなかった。彼女は僕と同じだった。
あの子の鳴き声が聞こえた。きっと、あの頃の僕と同じだ。
そして今の僕とも。今の僕に、彼女の背を押せるだろうか」
楓M
「この日から、約束もしていないのに高台に集まるのが日課となっていた。
彼……悠翔さんと空を眺める時間が毎日の楽しみになった。
そして、あの鳴き声も日に日に聞こえる頻度が増え、遂には学校に居ても聞こえるようになっていた。
最初は不思議だった鳴き声も、今では日常の一つに過ぎない。
今もあの子は、この大空を泳いでいるのだろう」
美鈴
「楓はさー、将来どうするか決まった?」
楓
「……」
美鈴
「……んー?かーえーでー?聞こえてるー?」
楓
「……え、なに?美鈴」
美鈴
「だーかーらー、将来!進路どうするか決まった?」
楓
「あー、進路……」
美鈴
「そろそろ決めないとまずくない?この前先生に呼び出されてたでしょ」
楓
「うん」
美鈴
「なにしたの?」
楓
「……進路調査の紙、白紙で出しちゃった」
美鈴
「はぁ!?」
楓
「あはは」
美鈴
「あははじゃないよ!どうするの!?」
楓
「うーん、どうしよう」
美鈴
「悩んでるの?」
楓
「……まぁ、そうだね。美鈴は決まったの?」
美鈴
「うん、進学する」
楓
「地元?」
美鈴
「いや、県外かな。やりたいことを学べるのが県外でしかなかったから、地元離れて寮生活する」
楓
「すごいなぁ」
美鈴
「そういう楓だって、空のことはいいの?
あんたの空に対する熱意は尊敬に値するんだけど」
楓
「空は、うん、好きだよ。もっと色んな空を知りたいって思う」
美鈴
「だったらさぁ、空のことで進路考えたらいいんじゃない?」
楓
「そうなんだけどねぇ」
美鈴
「もう、なにがそんなに引っかかってるの」
楓
「……なんだろう。自分でもうまく説明できないや」
美鈴
「……あー、もう!」
-楓の背中を叩く-
楓
「いたっ!?」
美鈴
「楓らしくない!」
楓
「え?」
美鈴
「秘密の場所行って!空見上げて!思いっきり叫んでこい!
思いっきり悩んで悩んで、吐き出して吐き出して、すっきりしてこい!」
楓
「美鈴……」
美鈴
「空、好きなんでしょ」
楓
「うん」
美鈴
「大好きな空に楓の悩み聞いてもらいな」
楓
「……そう、だね。ありがとう美鈴」
美鈴
「うん。まぁ空が話聞いてくれるとは思わないけどね。勢いで言っちゃった」
楓
「あはは、美鈴らしいよ」
美鈴
「ちょっとそれ褒めてるの?」
楓
「褒めてるー!」
美鈴
「褒められた気がしない!」
楓
「あはははは!よし、じゃあ美鈴に言われた通り、空に話聞いてもらってくるよ」
美鈴
「うん、いってらっしゃい」
楓
「ありがとう、美鈴。じゃあ、また明日ね!」
美鈴
「また明日!」
楓M
「美鈴の優しさが嬉しかった。高台に行く道で密かに泣いてたのは内緒。
きっと誰も見ていない。見ていたとしても、この耳に触れる優しい鳴き声だけ。
慰めてくれてるのだろうか。私の都合のいい解釈かもしれない。
でも、今はこの鳴き声に救われている」
楓
「悠翔さん!」
悠翔
「あぁ、楓ちゃん。学校お疲れ様」
楓
「ありがとうございます。今日も、いい空ですね」
悠翔
「うん、そうだね」
楓
「今日も、優雅に泳いでますね」
悠翔
「うん、あいつはいつも優雅に泳いでるよ」
楓
「羨ましいです」
悠翔
「……学校でなにかあった?」
楓
「なにかあったって訳じゃないんですけど、そうですね」
悠翔
「当ててあげようか?」
楓
「え?」
悠翔
「将来について悩んでる。違う?」
楓
「そう、です。え、どうして分かったんですか!?悠翔さんってエスパー!?」
悠翔
「違うよ。今の楓ちゃんがね?昔の僕と同じだったから分かったんだ」
楓
「え?」
悠翔
「……昔のことなんだけど、聞いてくれる?きっと、今の楓ちゃんの力になれると思うんだ」
楓M
「悠翔さんは、ゆっくりと昔話をしてくれた。
まだ悠翔さんが高校生で、この町にいた時のことを……」
悠翔
「今の楓ちゃんと同じように、僕も進路に悩んでたんだ。
楓ちゃんがどう悩んでるのかはわからないけど、僕は両親に家業を継げって言われててね。
けど僕は継ぎたくなかった。僕は天文学者になりたくて、県外の大学に進学したかったんだ。
でも両親に言ったら絶対反対される。だから僕は言えなかった。
両親からはしつこく継げ継げって言われて、毎日が億劫だったよ。
学校に行くのも憂鬱で、家に帰るのも憂鬱だった。
……この場所を見つけたのは、そんな時だったなぁ。ここへ繋がる階段を見つけてね。
家に帰るのも嫌だったから、登ってみたんだ。綺麗だったな。その時見た空は。
今でも覚えてるよ」
楓M
「私は黙って悠翔さんの話を聞いていた。
空にいる鯨も聞いてるみたいに、時折寂しそうな鳴き声が響き渡った。
きっと、悠翔さんにもそれは聞こえているんだろう。空を見る目がとても優しかった」
悠翔
「ここで空を眺めるのが一番好きなんだ。嫌なことも悩みも忘れられる。
ずっとこの時間が続けばいいのにって思ってた。そんな時だったかな。不思議な音が聞こえたのは。
最初は楓ちゃんと同じように、なんの音なのか分からなかったよ。
どうせここら辺に住んでる動物の鳴き声だろうとも思ってた。
けどずっと空を見ているうちに見えるようになっていったんだ。
雲の中を泳ぐ姿が見えて、あぁ、これはあの子の鳴き声なんだって感じた。
不思議だよね。なんでか分かったんだ。あの子が鳴いてるって」
楓
「私も、そうです。悠翔さんから教えてもらって、姿を見て、私も分かりました」
悠翔
「楓ちゃんにはまだ言ってないことがあるんだ。あの子が、どうして現れるのかってこと」
楓
「え、理由があるんですか?」
悠翔
「ここに通うようになって、気づいたんだ。あの子はね、人生に悩んでる人の前に現れるんだ」
楓
「……」
悠翔
「昔の僕と、今の楓ちゃんと一緒」
楓
「結局、悠翔さんはどうしたんですか?家業を継いだのか、進学したのか」
悠翔
「両親と大喧嘩して、進学した。大喧嘩って言ったら大袈裟だけど、まぁ酷かったよ。
母さんは泣くし、親父からは一発殴られた」
楓
「ええ!?」
悠翔
「ははは、我ながら思い切ったことをしたと思うよ。
穏便に過ごしたかったのに、まさか自分から波風立てるとはね。
でも、そうしたかった。そうでもして、夢を追いたかったんだ
何日も、ずっと両親と話し合いが続いたよ。
僕の思いを精一杯伝えて、両親の思いも聞いた。
ただただ家業を継げって言われてたから、どうせ親の代で家業を潰したくないとか跡取りが僕以外いないからとかだと思ってたけど、違った。
ちゃんと、両親は僕のことを考えてくれてた。一から土台を作っていく苦労を、あの人達は知ってるから。
その苦労をさせるくらいなら、既に土台がしっかりしてる家業を継いでくれたら、僕の将来が安泰だと考えたんだって。
だったら最初からそう言ってくれって感じだよね。言ってくれなきゃわかんないって親父に喧嘩腰で伝えたよ。
僕の気持ちも、ちゃんと伝えた。それでやっと進学を認めてくれたし、僕の夢も応援してくれた。
その翌日だったかな、あの子の声を聞こうと思ってここにきたら、もう鳴き声は聞こえなくなってた」
楓
「え?」
悠翔
「姿も、見えなくなってた。それで気づいたんだ。
僕の悩みが解決したから、姿を消したんだって。
いや、きっとまた、僕みたいに人生に悩んでる人のところへ泳いで行ったんだろうって」
楓
「そう、だったんですね。あれ?でも、今の悠翔さんにも声が聞こえるって、それってどういう?」
悠翔
「……進学して、大学に入って、夢を追うのが楽しかった。
でも、夢って難しいね。中々思い通りにはいかなかったんだ。
大学を卒業して、大学院に入って……そこからが散々だったなぁ。
博士号が中々取れなくてね。研修者としてのキャリアスタートも出来なかった。
夢を見失って、大学院を辞めて、就職した。
就職しても、上司のパワハラやモラハラで心身共にどん底に落ちてね。
生きてる理由も分からなくなって、ロボットみたいに毎日を過ごしてた。
そんな時に空を見上げたんだ。
人込みの雑踏の中見上げた空は、ここの景色とは違ってたけど、やっぱり綺麗だった。
そしたら、聞こえたんだ。煩い音に混じって、澄んだ声が確かに聞こえた。
あぁ、あの子の声だってすぐに気づいた。
そして、僕が今人生に疲れて悩んでるってことにも気づかされた。
そこからは両親と喧嘩した時みたいに思い切りがよかったな。
会社に辞表叩きつけて、地元に帰ってきた。両親には驚かれたけどね。
事情話して、懐かしさに浸りながらここに来たんだ。そして、楓ちゃんと出会った」
楓
「……今も、聞こえてるんですよね?」
悠翔
「うん、聞こえてるよ」
楓
「悩んでるんですか?」
悠翔
「……うん、悩んでる。まだ聞こえてるってことは、答えが出ていない証拠」
楓
「そう、ですか」
悠翔
「鯨って、回遊してる魚なんだよ。だからいつまでここにいるかはわからない。
でも、悩みがなくなった時に聞こえなくなったから、自分の中で答えが出るまではいてくれるみたいだね」
楓
「答え……」
悠翔
「楓ちゃんもさ、一度ご両親に胸の内を話してみたらどうかな?」
楓
「でも……」
悠翔
「怖いと思うよ。自分の思いを言うの。
けど、いつまでも悩んでいられないっていうのは楓ちゃんも気づいてると思う」
楓
「はい」
悠翔
「大丈夫。分かってくれるよ。
分かってくれなかったから僕の名前出してもいいし、楓ちゃんの親父さんに殴られる覚悟は出来てる」
楓
「そ、そんなことしませんよ!お父さんだってそんなことッ……しない、とは言い切れませんけど……」
悠翔
「え、ほんと?冗談で言ったんだけど、まじで覚悟しとかないとなぁ」
楓
「だ、大丈夫です!お父さんには悠翔さんの名前言いませんし、そんなことさせませんから!」
悠翔
「あはは、ありがとう。でも、一度ご両親とちゃんと話した方がいいと思うよ?」
楓
「はい、そうしてみます」
悠翔
「……うん、さっきよりすっきりした顔になったね」
楓
「そうですか?自分じゃ全然分からないです」
悠翔
「それくらい思い悩んでたってことだよ」
楓
「そうなんですかね」
悠翔
「そうだと思うよ。
……さて、だいぶ長話しちゃったね。近くまで送っていくよ」
楓
「ありがとうございます」
楓M
「悠翔さんに自宅の近くまで送ってもらった。
遅くまで私を引き留めてしまったから両親に挨拶したいと言われたけど断った。
お母さんは何も言わないと思うけど、お父さんが絶対うるさいからなぁ。
家に入る前に、鯨の鳴き声が背中を押してくれた。
大丈夫。きっと話せる。夕食を食べた後、両親に胸の内を話した」
楓
「お母さん。お父さん。
あのね、話があるんだけど、聞いてほしいの」
お母さん
「どうしたの?そんな改まって」
お父さん
「学校でなにか嫌なことでもあったか?」
楓
「ううん、違うの。進路のことで、相談したくて……」
お母さん
「進路?」
楓
「うん。実はね、進路希望の調査用紙、もう随分前に配られてたの。
けど私、悩んでて。白紙で出しちゃったんだ」
お父さん
「そうか。楓は何に悩んでるんだ?」
楓
「それは……」
お母さん
「ゆっくりでいいわよ。お母さんもお父さんも怒らないから。
楓の言葉を聞かせてちょうだい?」
楓
「私、学校帰りにある場所で空を見るのが好きなんだ」
お父さん
「空か」
楓
「いつも帰りが遅かったのは空を見てたからなの。ごめんなさい。
ぁ、でも友達とも放課後少し話してるからね?友達がいないわけじゃないよ?」
お母さん
「大丈夫よ。そんなことで怒らないから謝らなくていいの」
お父さん
「そうだぞ?それに空を見上げるのはいいことだ。下ばかり向いてた父さんが言うんだ間違いない」
楓
「あはは、今のお父さんからじゃ想像つかないよ。
それでね、私もっと空を見たいんだ。もっと空について知りたい。
私の知らない色々なことを知りたい」
お母さん
「進学したいのね?」
楓
「進学、したい。県外の専門大学に行って、勉強したい」
お父さん
「決まっているのならどうして悩んでいるんだ?」
楓
「お母さんと、離れるのが嫌だ」
お母さん
「私?」
楓
「お母さんを置いて、私だけ県外に行くのが怖い」
お母さん
「楓……」
楓
「お母さんのことが心配だから、このまま地元で就職してお母さんの傍にいた方がいいんじゃないかって」
お母さん
「ごめんね楓。私の身体が弱いせいで、あなたの人生を迷わせてしまって」
楓
「ち、違うの!責めてるんじゃなくて!謝らないでお母さん」
お父さん
「楓、地元に残るのも上京するのも自分次第だ。だけどな?その選択に母さんをいれるな」
楓
「え……」
お父さん
「母さんも父さんも楓の親だ。それは楓がいくつになっても変わらない。
けれで、楓の人生は楓だけのものだ。そこに俺達の人生まで入れなくていいんだぞ」
楓
「でも……」
お父さん
「それに俺もまだまだ若者には負けんぞ?母さんを支えることくらい容易にできる。
自分のせいで楓の人生を狂わせてしまったという想いを抱えて生きる母さんと、やりたいことを封じてまで世話する楓の両方を見る方が俺はつらい。
それで楓が後悔しないと言うなら地元に残ればいい。年齢的に母さんや父さんの方が先に死ぬ。
死んだ後に、あの時やっておけばよかったと後悔するくらいなら、今やりなさい。
楓が大学を卒業して、夢を叶えて、就職して生活が安定するくらいまでは父さんも母さんも元気でいる。
と言っても人間何があるか分からない。突然病気になるかもしれない。
その時はすまないが楓に連絡が行くかもしれないが、それまではやりたいことをしていいんだぞ?」
お母さん
「お父さんの言う通りよ楓。私のことは考えなくていいわ。楓のやりたいことをしなさい。
将来絶対的に親の私達は子供に苦労かけさせてしまうわ。
でも、高校卒業と同時に苦労なんてかけさせたくないの。
そんな若い頃から、自分の道を潰さないでちょうだい。
私は大丈夫よ。お父さんがいるから、安心して夢を追いなさい」
楓
「お父さん、お母さん……」
お父さん
「俺としては、大事な一人娘が知らない土地に行くことが不安だ」
お母さん
「もう、お父さんは……。
楓の私への心配はお父さんに似たのね」
楓
「えー、やだぁ」
お父さん
「……っ!」
お母さん
「ふふ、心優しい子に育ってくれて嬉しいわ」
楓
「ありがとう、お母さん。お父さんも、ありがとう」
お父さん
「いいんだよ楓。気づけなくてすまなかった」
楓
「ううん、私がもっと早く話してたらよかった。
お母さん、お父さん、私、大学行く。出来るなら一人暮らししてみたい」
お母さん
「ええ、楓の好きなようにしなさい。やりたいことはなんでも挑戦することが大事よ。
失敗したっていいの。くじけたっていい。その時は連絡してきなさい。いいわね?」
楓
「うん、わかった」
お父さん
「学費のことは心配するな。楓の為に貯めておいたからな」
楓
「あ、そのことなんだけど、多分最初はお母さんとお父さんのお世話になると思う。
だけど向こうに行ったらアルバイトもするし、貯金できるようになってきたら家賃とかも自分で払いたい!
学費も、自分の夢の為だから自分で払いたい!」
お母さん
「楓、立派になったわね」
お父さん
「こんな優しい子に育って、嬉しいよ。分かった。楓の意見を尊重しよう。
ただし、無理ならちゃんと俺達を頼りなさい。約束できるね?」
楓
「うん!」
お父さん
「よし。住む場所の防犯はしっかりしたとこを選ぶんだぞ?
見知らぬ土地だ。怖い連中がいるかもしれない。出来れば二階建てにしなさい。
それからオートロックで女性専用住居の方が父さんも安心できる」
お母さん
「(途中で会話を遮る)楓の住みやすいところでいいのよ。
防犯に関してはお父さんに同意するわ」
楓
「もう、ほんと二人揃って心配性なんだから。わかった。そこは慎重に選ぶよ。
なんなら決める前に二人に相談する。それならお父さんも安心?」
お父さん
「お父さんもそっちについて行って実際に見た方が……」
お母さん
「あなたも子離れしなさい。もう子供じゃないのよ」
お父さん
「お父さんは心配だぁ」
楓
「私よりお父さんが深刻だったね、お母さん」
お母さん
「本当ね?お父さんのことは任せて。楓は自分の将来を考えなさい」
楓
「うん、ありがとう」
楓M
「悠翔さんの言う通り、話してよかった。
もっと早く話してれば、こんなに悩むこともなかったのかな。
その日はいつもと違ってゆっくり眠ることができた。
翌日、美鈴にも進学することを伝えたら安心したように喜んでくれた。
先生から渡されていた新しい進路調査の紙に進学と書いて渡した。
悠翔さんにも、知らせないと。それから、あの子にも……」
悠翔
「おかえり」
楓
「はい、ただいまです」
悠翔
「……答え、出たみたいだね」
楓
「もっと早く両親と話してたらよかったです。私、進学することに決めました」
悠翔
「そっか」
楓
「悠翔さんは……あれ、声が……」
楓M
「ずっと聞こえていた鯨の鳴き声がすっと消えていった。
空を見上げれば、雲を優雅に泳いでいた鯨が方向を変えている。
最後に大きく一鳴きし、その姿は周りの雲と同化していく。
そして気が付けば、その姿は消えていた」
楓
「声、聞こえなくなっちゃいました」
悠翔
「なんか言ってた?」
楓
「最後に、今まで一番大きく鳴いてくれました」
悠翔
「あの子なりの激励(げきれい)かな?」
楓
「かもしれませんね」
悠翔
「……楓ちゃんにご両親と話すこと進めた日にね、僕も両親に話してみたんだ」
楓
「どうでしたか?」
悠翔
「まだ悩んではいるけど、また夢を追ってみることにするよ。
けど今は、身体を休めることに専念する」
楓
「そうですね。ゆっくり休んでください」
悠翔
「ありがとう、楓ちゃん」
楓
「お礼を言うのは私の方です。背中を押してくれて、ありがとうございました」
悠翔
「うん、どういたしまして」
楓M
「しばらく悠翔さんと話してから、私達は帰路についた。
そこからは進学の為の勉強であの高台に行けなくなってしまった。
悠翔さんも答えが出たみたいだけど、悩んでるって言ってたからきっと今も高台であの子の鳴き声を聞いているんだろう。
私が高台に行けるようになったのは、一年以上が経った頃だった。
約束もせずこの高台で会えてたのは、きっとあの鯨のおかげだったんだろうか。
そこに悠翔さんの姿はなかった。
一縷の望みに賭けて、私は手紙を置いておくことにした。
これは、私の上京する日が決まったことを教える手紙。
会えるか分からないけれど、悠翔さんにも知ってほしかった。
聞こえなくなってしまった声に、想いを託してみることにした」
お父さん
「(泣きながら)楓ぇえええ、寂しくなるなぁああああ!」
お母さん
「ほらお父さん、恥ずかしいから泣かないでちょうだい」
楓
「周りの視線が恥ずかしいんだけど……」
お父さん
「楓、向こうに着いたら連絡するんだぞ?」
楓
「分かってるよ」
お母さん
「たまには連絡ちょうだいね?」
楓
「うん、必ず連絡するよ。お父さんもお母さんも身体に気を付けてね?」
お父さん
「母さんのことは任せろ」
お母さん
「そういう楓も、体調には気を付けなさいね?」
楓
「うん。それじゃあそろそろ時間だから、行くね」
お母さん
「ええ、行ってらっしゃい」
お父さん
「気をつけるんだぞ」
楓M
「私は両親に見送られながら、搭乗ロビーに向かった。
両親に手を振っていると、その後ろに悠翔さんの姿があった。
私の手紙、気づいてくれたんだ。
悠翔さんに向かって大きく手を振ると、悠翔さんも笑顔を向けて手を振り返してくれた。
きっと悠翔さんと会えるのはこれが最後だろう。
少し胸が痛むけど、出会いがあれば別れもある。
自然と流れた涙を拭きながら、私は指定された座席に座った。
ゆっくりと離陸を始め、あっという間に機体は大空へ飛び立った。
窓から空を眺めていると、真っ白な雲が視界を横切る。
けれで、それは少し不自然な動き方をしていた。
あぁ、きっとあの子だ。聞こえるはずのない声が聞こえた。
送り出してくれてるんだろうか。
私はそっと窓に手を添え心の中でお礼を言った。
いつかまた、悠翔さんみたいにあの子の声が聞こえるかもしれない。
そうなったら、またあそこに帰ろう。
あそこが私の……ううん、私達の場所であることに変わりはない。
だからそれまで……」
楓
「さようなら。私の白鯨」
幕