登場人物
片岡(かたおか) 男性
歴史研究家、民俗学者である
月欠島に伝わる伝承を調べる為、助手の葉月と共に島を訪れる
葉月(はづき) 女性
民俗学専攻をしている大学生
憧れの民俗学者である片岡に直談判をし、助手にしてもらった図太い神経の持ち主
月織(つきお) 女性
月欠島に住んでいる最後の島民
島唯一の宿を営んでいる
助彦(すけひこ) 男性
満月島の島民
伊織と恋仲である
身分違いの恋と自覚している
伊織(いおり) 女性
満月島の島民
代々、望月様を信仰する月宮(つきみや)家の当代を務める
助彦と恋仲である
巫女としての勤めと、自分の幸せとで揺れ動いている
※葉月が兼任
望月(もちづき) 女性
満月島の島民が祀っている月の神様
※月織が兼任
船長 男性
片岡と葉月を、月欠島に送り届けてくれた船の船長
月欠島に住んでいた人の子孫
※助彦が兼任
配役表
片岡:
葉月・伊織:
月織・望月:
助彦・船長:
望月
「(短歌)三日月や 願い届きし 望月の 浮かぶ灯火 一つなりけり」
伊織
「いつまでも共に……」
助彦
「いつまでも、あなた様の巫女のお傍に……」
-不定期船 船上-
葉月
「その昔、伊織と助彦という男女がいた。
豊穣神、望月に仕える巫女であった伊織は、ある晩、島民である助彦に襲われ、その身に子を宿す。
助彦は一方的に伊織に対して恋慕を抱いていた。
穢れを嫌う神の巫女である伊織を、穢したいという欲望があった。
望月は御身を穢した伊織と、月巫女を穢した助彦に天罰を下したのである」
船長
「月欠伝説か?」
葉月
「知ってるんですか?」
船長
「知ってるも何も、俺の先祖様はその伝説が生まれた島の出身だからな」
葉月
「え!?月欠島のご出身なんですか!?」
船長
「先祖が出身ってだけで、俺は生まれも育ちも本島だよ。伝説として話が伝わってるだけで、詳しくは知らんよ」
葉月
「月欠島のご出身の方にお会いできるとは思ってなかったので、嬉しいです」
船長
「それにしても、あそこに行きたいなんて言う子が出てくるとは思わなかったよ。こんな若い学者さんが、この伝説を知ってることにも驚いた」
葉月
「ぁ、私は学者ではありません。あそこでダウンしている人が、学者です」
船長
「はぁ!?」
片岡
「うっぷ……うっ、は、吐く……」
葉月
「私は、先生の助手です」
船長
「はぁ、学者さんは色んな所に行くイメージがあったんだがなぁ。船なんかにも強いと思ってたが違うんだなぁ」
葉月
「先生は特に船とかダメですね。飛行機もダメです」
船長
「難儀な先生だなぁ」
葉月
「でも、その土地の風土や歴史、伝説や伝承について語るときは凄いんですよ。今回は私の我儘で着いてきてもらってますし、有難い限りです」
船長
「論文でも書くのかい?」
葉月
「そうですね。月欠伝説には昔から興味がありましたので。それに、元々先生はこの伝説を調べていましたから!助手なんか取らない人で有名だったんですけど、直談判しました!」
船長
「はっはぁ!面白れぇお嬢さんだ!いいねぇ気に入った!ほら見ろぉ!見えてきたぞぉ!」
葉月
「あそこが、月欠島……」
-波止場-
船長
「足元気をつけろよー!」
葉月
「はーい!よっと。先生、大丈夫ですかー!」
片岡
「うっ、うぅ……おぇ」
葉月
「あーあ」
片岡
「葉月くん。荷物、先に降ろしてくれないか」
葉月
「分かりました」
船長
「軟弱だなぁ先生!海の男は強くねぇとモテねぇぞ!」
片岡
「軟弱でもいい。船は無理だ」
船長
「お嬢ちゃん!しっかり学者先生の面倒見てやってくれ!」
葉月
「任せてください!」
片岡
「はぁ、やっと降りられた。うっ、まだ身体が揺れている感覚がする」
船長
「そういやあんたら、野宿でもすんのか?」
片岡
「キャンプ道具は持ってきてはいる」
船長
「島唯一の島民が、この先で宿屋を営んでる。キャンプなんかより全然いいと思うぞ」
片岡
「人がいるのか?」
船長
「あぁ。島の守り人みたいなもんだ。目の前に見える道、って言っても既に獣道みたいになっちまってるが、そこを進んでいけば民宿がある。行ってみるといい」
葉月
「それは有難いです。もしかしたら私達の知らない伝説を知っているかもしれませんね」
船長
「ところで迎えは明日の昼頃でいいのか?」
葉月
「はい。その時間でお願いします」
船長
「分かった。もし船が着いてなかったら、海の状態が悪く船が出せない時だ。夕方に出せたら出せるが、それでもいなかったら翌日になるがいいか?」
片岡
「構いません。お忙しいのにも関わらずありがとうございます」
船長
「ちょど禁漁期間で暇してっからいいってことよ!んじゃ、気を付けるんだぞー!」
葉月
「さて。先生、早速向かいましょう……か?あれ、え!?いない!?」
片岡
「見ろ!葉月くん!さっきから視界の端で見えていたんだがもう我慢できない!これは石碑か!?おお!こちらは狛犬らしき石造だ!それに壊れた鳥居もある!
これは月欠島にあるという望月神社へと続く参道の入口か!?」
葉月
「望月神社は、月欠島にいたという五穀豊穣の神、望月様を奉っているんですよね」
片岡
「ああ!一般的に五穀豊穣の神と調べても望月は出てこない!この島の島民だけが祀っていた神の名前だ!」
葉月
「土着信仰ですね」
片岡
「大体年に一度祭事を行うと思うのだが、その跡が見つかれば大きな成果だ!いや、しかし数百年もの間、雨風に晒されている訳だな?残っているかも怪しい。
うああああ!どうする!どうすればいい!」
葉月
「落ち着いてください片岡先生!とりあえず、後程神社に行ってみましょう。まずは船長さんに教えていただいた宿屋に行ってみませんか?」
片岡
「そうだな。そうしよう。まだ昼だ。時間はたっぷりとあるからな」
葉月
「あっちの道から行けるそうですよ」
片岡
「かなり獣道だが、問題ないだろう」
-宿屋前-
葉月
「ここですね」
片岡
「ふむ。昔ながらの趣なる建物だな。茅葺屋根とは、珍しい」
葉月
「ごめんくださーい。誰かいらっしゃいますかー!」
-引き戸が開き、一人の女性が出てくる-
月織
「あら、この島に人が来るなんて珍しい」
葉月
「突然のご訪問、失礼いたします。あの、私達この島に残る月欠伝説を調べる為にきました」
月織
「月欠伝説、ですか?」
葉月
「はい。この島に伝わってるというお話を聞いてきたのですが……」
月織
「月欠伝説というのは、知りませんが……この島の民が信仰している望月様のお話でしたら、確かに存在しておりますよ」
葉月
「そ、それです!」
月織
「外では月欠伝説って呼ばれているんですね。全く知らなかったので、すぐにお答えが出来ませんでした」
葉月
「いえ、大丈夫です!それで、ここまで送っていただいた船長さんが、最後の島民である方が宿屋を営んでいるとお聞きしまして、伺わせていただきました」
月織
「確かに、私が最後の島民で間違いはありませんよ」
片岡
「突然で申し訳ありませんが、一泊だけ利用させていただいてもよろしいでしょうか?」
月織
「どうぞどうぞ。久しぶりのお客様です。一泊と言わずお好きなだけお泊りください」
片岡
「はは、いたいのは山々なんですがね。とりあえず一拍だけでお願いします」
月織
「お荷物、お預かりさせていただきます」
葉月
「ありがとうございます」
月織
「では、こちらへ。お泊りいただくお部屋にご案内します」
片岡
「しかし、無人島という話を聞いていたので、人がいるとは思いませんでした」
月織
「表向きは無人島であることには変わりません。それに、私しか住んでいないのであれば、それはもう人の営みがないのと同じですよ」
片岡
「一人でも、住んでいる人がいれば無人島ではなく有人島の扱いですよ」
月織
「然様でございますか。こちらが、今夜お二人が泊まっていただくお部屋になります。
真ん中の襖をお閉めいただくとお部屋が分かれますので、就寝の際はお閉めになってください。
ご夫妻様であればお布団は一つにしますが、いかがなさいますか?」
葉月
「分けてください!」
月織
「あら。ご夫妻様ではないのですね?」
葉月
「私まだ学生です!先生と生徒です!!」
月織
「まぁ。これは失礼を。では、お布団は二枚ご用意しておきますね」
葉月
「よろしくお願いします」
月織
「申し遅れました。私、この宿屋を営んでおります。月織と申します」
片岡
「片岡と申します。歴史研究家と民俗学者をしております」
月織
「学者様でしたか。それで我が島に残る月欠伝説をお調べにきたんですね」
片岡
「はい。色々、月織さんからもお話を伺えたらと思います」
月織
「構いませんよ」
葉月
「私は、葉月と申します。大学で民俗学を専攻しており、片岡先生の助手をさせていただいてます!」
月織
「葉月、さん。とても、お綺麗なお名前ですね」
葉月
「え、そ、そうですか?」
月織
「ええ。月が一番輝くこの時期に、相応しいお名前ではないのですか。きっと、この島に訪れるご縁があったんですね」
葉月
「小さい時から月が好きだったんです。だから今、こうして月の伝説が残ってる島にこれて幸せです!」
月織
「それはようございました」
片岡
「一つ、私からお伺いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
月織
「はい。なんなりと」
片岡
「どうして月織さんが、お一人で残られることになったのでしょうか」
月織
「この島が崇める神様のお名前をご存じですか?」
片岡
「五穀豊穣の神でもあり、月の神でもある、望月様であると聞いております」
月織
「学者様というのは確かのようですね。よく調べておいでです。
では、その望月様には必ず、神託を受ける一人の巫女がいたということは?」
葉月
「勿論知っています。伊織という女性が、巫女であったと伝わっております」
月織
「そうですか。伊織のことも伝わっているんですね。
この島では代々、望月の巫女として神託を授かっている家がありました。
それが伊織の家系、月巫女としてのお役目を背負った家です。といっても、それももう遠い昔の話です。
現代に神託を授けれる巫女はいません。私も神託を受けたことはありません」
片岡
「そうでしたか。ということは、月織さんは巫女の家系の末裔でいらっしゃるんですね」
月織
「そうなりますね。波止場近くに鳥居があるのには気づきましたか?」
片岡
「勿論!だいぶ朽ちてはいましたが、元々の素材が良いのでしょう!鳥居と分かる形は残っておりました!
狛犬らしき石像もありましたし、手入れが行き届いていたら今でもしっかりと残っていたでしょう!
あれば望月様を奉っていると言われている神社ですね!?こうして目の当たりすることが出来て、私は非常に興奮しております!」
月織
「は、はぁ……」
葉月
「すいません。先生、好きなことになると早口になるんです。こういう性格の人ですから、驚くとは思いますが気にしないでください」
月織
「不思議な方ですね。片岡様の仰る通り、あそこに建立されてるは望月神社になります。神託の儀式や祭事の際は、あの神社の広場が使われたと伝え聞いております」
片岡
「やはり!」
月織
「もし島を周るおつもりでしたら、先に望月神社へ行くと良いですよ。
この島では、望月神社でお清めし、祭事が行われる場所を巡り、再び神社に赴き感謝の意を伝える風習があったと言います。
今では誰も管理をする者がいなく、荒れ果ててしまっておりますが……」
片岡
「一人では管理は難しいでしょう」
月織
「形あるものはいつか壊れます。それが物の定めというのであれば、大人しく受け入れましょう」
片岡
「確かに、いつかは壊れゆくものです。ですが、その場で起きた出来事などは消えずに残っているものだと私は思います。
島民の想いが土地に残るとでも言えばいいのでしょうか」
月織
「そうですね。とても、楽しい記憶だったと思います」
片岡
「さて、郷に入っては郷に従え。この月欠島の風流を習う事にしましょう。葉月くん、準備が出来たら早速望月神社に行こう!」
葉月
「分かりました!準備します!」
月織
「それでは私は、夕餉のご用意をしておきます。豪華なものは出せないのが心苦しいです」
片岡
「突然の来島ですから。用意していただけるだけでも嬉しいです」
月織
「ありがとうございます。暗くなる前にはお帰りください」
片岡
「分かりました」
月織
「失礼いたします」
-お辞儀をし、月織が部屋を出ていく-
片岡
「しかし、一人で島を守っているとは、代々の巫女とは長い歴史だ」
葉月
「でも、月織さんがいなくなったら、その歴史も終わるんですね」
片岡
「歴史とは、人が繋いでいくものだ。人がいなくなる時が歴史の終わりでもある。
もしかしたら我々は、その歴史が終わる間際にいるのかもしれない」
葉月
「……この島に訪れる人は、私達が最後になるんですかね?」
片岡
「かもしれない。元々、月欠伝説は存在しないものとされてきていた。土着信仰が元となっている為、その土地でしか受け継がれていないのだろう。
私も半信半疑であったが、実際に島を訪れて分かった。この伝説は本物だ。月欠伝説は存在している。そして、ある意味生き証人でもある月織さんがいる。
これは、論文の書き甲斐がある」
葉月
「そうですね。先生、準備が出来ました。早速行きましょう!」
-望月神社-
片岡
「ここが、望月神社。確かに朽ちてはいるが、名残はあるな。これは賽銭箱か?」
葉月
「先生、まずはお参りですよ」
片岡
「おお、そうだったな」
葉月
「(二拍手)望月様。突然のご訪問、失礼いたします。少しだけ、望月様の土地を騒がしくさせてしまいます。お許しください」
-突然、鈴の音が鳴る-
葉月
「……え?」
片岡
「ん?どうした?葉月くん」
葉月
「今、鈴が……」
片岡
「鈴?そんな音は聞こえなかったが?」
葉月
「そんな。確かに今、あの辺りから……」
助彦
「伊織!」
葉月
「え?」
-回想-
助彦
「伊織」
伊織
「助彦さん」
助彦
「あぁ、会いたかった。誰にも見られていないかい?」
伊織
「ええ。助彦さんは?」
助彦
「大丈夫だよ」
伊織
「……助彦さん。ごめんなさい」
助彦
「どうして謝るんだい?」
伊織
「私が、望月様の月巫女だからです。こうして人の目を忍んでしか会えないのが、申し訳ありません」
助彦
「それでも構わないと、僕は言ったよ。伊織が月巫女様であっても、伊織には変わりない」
伊織
「そう言ってくれる助彦さんだから、私は惹かれたんです」
助彦
「嬉しいよ。少しの逢瀬しか許されないけど、今は伊織の存在を噛み締めさせてくれ」
伊織
「はい」
助彦
「望月様。あなた様の月巫女のお時間を奪ってしまう事、お許しください。少しの時間でいいんです。少しだけ、彼女の時間を僕にください」
-現実-
片岡
「葉月くん!」
葉月
「……片岡先生?」
片岡
「大丈夫か?いきなり黙り込んだと思ったら、声を掛けても反応しないから心配したよ」
葉月
「……大丈夫です。先生、月欠伝説に出てくる男女って、伊織と助彦って名前でしたよね?」
片岡
「ん?あぁ、そうだな」
葉月
「……信じてくれないかもしれませんが、今、見えたんです」
片岡
「何がだ?」
葉月
「伊織さんと、助彦さんが……」
片岡
「……夢でも見ていたのか?」
葉月
「分かりません。でも、確かにここでした。ここで、伊織さんと助彦さんが、逢瀬を重ねていました」
片岡
「逢瀬だと?」
葉月
「自分で言ってて、おかしなことを言っている自覚はあります!そんな昔のことが分かる訳ないのに、これは実際に起こったことだって思ってしまったんです!
それに、月欠伝説では二人は恋仲ですらありません!でも、私が見たのは確かに、恋人である二人の姿でした!」
片岡
「歴史と伝承は切っても切れない関係だ。昔は今よりも神の存在を信じていた時代。
あらゆる自然現象ですら神の行いだと思っていた時代だ。怪異を祓う陰陽師という職もあった。
自分で調べて目にしたことしか信じられんが、そういう摩訶不思議なことを解き明かしたいという想いは、根っからの学者肌なのだろう」
葉月
「先生」
片岡
「私には葉月くんが見ていた者達は見えなかった。ならそれは葉月くんが解き明かすべきだろう」
葉月
「信じてくれるんですか?」
片岡
「私はそんな非化学的なものは信じてはいない。だが、葉月くんが嘘を言うようには思えない。私は葉月くんを信じるんだ」
葉月
「ありがとうございます」
片岡
「元々、月欠伝説を調べたくて私の助手にしてほしいと直談判してきた子だ。まさか、その若さでこの伝説を知っている子がいるとは思わなかった。
既に諦めようとしていた時だったからな。葉月くんが声を掛けてくれたから、ここまで調べ上げることができ、実際に伝説が残る島に来れた。
これは葉月くんへ対するお礼だ。今度は君に付き合おうではないか」
葉月
「私も、なぜ私にだけ見えたのか知りたいです。それに、月欠伝説の全貌が分かるかもしれないと思うと、わくわくします」
片岡
「それでこそ学者の鑑!さぁ、お参りもしたことだ。島の探索をしようではないか!」
葉月
「はい!」
-ガケ-
片岡
「断崖絶壁とはまさにこの事だな」
葉月
「どうしてここだけ不自然に窪んでいるんでしょうか」
片岡
「地滑りでもあったか」
葉月
「ここから先は海ですね」
片岡
「危ないから近づいてはいかんぞ」
葉月
「先生、あそこ」
片岡
「何か見えたのか?」
葉月
「ぁ、いえ。あそこの岩礁、不自然に隆起してますよね?どうしてでしょうか」
片岡
「地質学者ではないから分からんが、確かに隆起しているな。消波ブロックの代わりみたいになっている。
あの岩礁のおかげで、こちら側の波は穏やかになっている。恐らく地震で地盤がずれて隆起したか、長年の石や泥の堆積でああなったのだろう」
葉月
「なるほど」
片岡
「しかし、不思議な形をした島だ。小さい島だから、半日もせずに外周は回れるだろうが、実際に歩ける場所から見てもだいぶ小さい」
葉月
「まるで月が欠けたような島ですね」
片岡
「なるほど。だから月欠島か」
葉月
「え?島の形が、伝説の名前になってたってことですか!?」
片岡
「それなら納得がいく。寧ろそれ以外に月欠伝説と繋ぎ合わせることが出来ない。
葉月くんが研究に加わるようになってから、島の名前が月欠島であることが分かったが、島の形までは分からなかった。
この島が本当に半月型だとしたら、月欠島と呼ばれていた理由も、月欠伝説という名も説明がつく」
葉月
「確かに、説得力がありますね」
片岡
「これは実際に歩いてみなきゃ分からなかったことだ。これは地図を描いておく必要があるな。どれ、紙とペンを……」
葉月
「あれ、先生。あそこ、お堂のようなものがありますよ」
片岡
「なに!?」
葉月
「崩れてますけど、神社とは違いますよね?」
片岡
「確かに、お堂と言われればお堂に見えなくもない」
葉月
「どうしてあんな断崖絶壁の近くに……それに海に向かって建ってるのも意味が……」
-またしても鈴の音が鳴る-
片岡
「葉月くん?」
葉月
「先生、また鈴が……」
片岡
「聞こえたか!」
-回想-
伊織
「望月様。満月島の島民より、昨年の豊作のお礼を承っております。どうぞ、お受け取りください。
今宵は満月祭。どうぞ、島民が奏でる祭囃子をお楽しみください。
翌年の神託がございましたら、月巫女である伊織がお受けいたします」
助彦
「(他の島民と話している)月だ。満月が映ったぞ!」
伊織
「確かに、望月様のお言葉、頂戴いたしました。責任をもって島民へとお伝えいたします」
助彦
「(他の島民と話している)良かったなぁ。今年はどうなるかと思ったが。……そうだな。ここまで豊作に恵まれるとは思わなかった。
これも伊織様が、日々望月様に祈っているお陰だな」
伊織
「望月様よりお言葉を承りました!皆も見た通り、今年も無事、湖の水面に満月が歪むことなく映りました。
初めて今年の満月祭に参加する島民もいると思います。満月祭はその名の通り、満月の日にその年の豊作のお礼と翌年の豊作を願って行う祭りです。
そして、望月様から翌年の神託をお受けする日でもあります。湖の水面に、満月が歪むことなく映れば豊作。歪んで映れば凶作となります。
翌年も、豊作となるだろうとのお言葉です。皆、望月様への感謝を」
助彦
「望月様。ありがとうございます」
-現実-
葉月
「……満月、島?」
片岡
「葉月くん?今度は何が見えたのかね?」
葉月
「あのお堂の前で、伊織さんが望月様からの神託を受けている場面でした」
片岡
「ほう!」
葉月
「ですが、そうなると月欠伝説自体がおかしなことになります」
片岡
「どういうことかな?」
葉月
「ここには、湖があったそうです」
片岡
「湖?」
葉月
「はい。あのお堂の目の前が、円形の湖でした。島民達はここでその年の農作物を望月様に収め、翌年の五穀豊穣を願う祭りを行っていました」
片岡
「よくある話だな」
葉月
「そのお祭りを、満月祭と呼んでいました」
片岡
「満月?」
葉月
「はい。そして、聞き間違いでなければ、こうも言っていました。満月島と」
片岡
「満月島?」
葉月
「……先生。私怖いです」
片岡
「月欠島ではなく、満月島?そうなると月欠伝説はどこから……」
葉月
「この島は、何かを隠しています。私達が知っている月欠伝説は、もしかしたら間違っているのかもしれません」
片岡
「……ここには湖があると言っていたな?」
葉月
「はい。恐らく湖は枯れたんだと思うのですが……でも、この地形の異常さを説明するには至りません」
片岡
「……伝説では、月巫女である伊織を助彦が誑かしたから、望月様の怒りを買っただったな」
葉月
「……まさか先生」
片岡
「自分でも馬鹿げた仮設を立てたと思うよ。現実的に考えるのであれば、年月をかけて波が崖を削っていった為に湖が消失したと考えるだろう。
だが、私が浮かんだのはこうだ。本当に天罰が下ったのではと」
葉月
「確かにどのような天罰が下ったとかは分かっていません!ですが、先生の考えでは、いるかも分からない神が土地を消し飛ばしたと言っているようにしか!」
片岡
「言っただろう。昔は、あらゆる自然現象も神の行いにしていたと」
葉月
「無理があります」
片岡
「私も、口に出しておきながら恐ろしいよ。あり得ないと思いながら、その答えにしか行きつかないんだ」
葉月
「……もし、先生の話を仮設として立てても、根本が既に違います。
確かに伝説通りでしたら、神は穢れを嫌うと聞くので天罰が下ったという話は分かります。
でも、私が見た景色では二人は恋仲でした。不純な動機もなにも、なかったように見えます」
片岡
「となると、伝わっている伝説自体が湾曲している可能性がある」
葉月
「真実ではないということですか?」
片岡
「受け継がれていく中で、尾ひれがついていったのだろう。
はたまた元から間違ったものを伝えていた可能性も捨てきれない」
葉月
「だとしたら、この伝説は……」
片岡
「人が踏み込んではいけない伝説かもしれない」
葉月
「ッ……」
片岡
「尾ひれはひれがついただけなら、どの伝承にも存在する。
だがそれは些細な齟齬にしかならない。こんなに根本から違う伝承は聞いたことがない。
まるで、人の悪意に満ち溢れ、故意に作ったようにしか思えんのだ」
葉月
「でも、知ってしまった以上、ここで手を引きたくはありません」
片岡
「そうだな。何が起きるか分からんが、この月欠伝説の真実を知れるのであれば、安いものだ」
葉月
「そろそろ日が暮れます。望月神社へお礼参りをして宿屋へ戻りましょう」
片岡
「そうだな。懐中電灯は持ってきてはいるが、暗くなると危ない山道だ。遭難はしたくない」
-再び望月神社-
葉月
「(二拍手)望月様。どうか真実を、お教えください」
片岡
「(二拍手)望月様。この島を土足で踏み荒らしたような真似をして、申し訳ありません。
ですが、我々は真実を知らずにはいられないのです。今しばらく、滞在の許可をいただきたく思います」
葉月
「……望月様が今もいるのなら、応えてくれますよね」
片岡
「信じる者は救われると言う言葉もある」
葉月
「私にしか見えないのにも、理由はあるんでしょうか」
片岡
「分からない。その現象は説明がつかないことだらけだ。葉月くんが見た全てを真実と捉えていいのかも、怪しい」
葉月
「もし、伝わっている内容が全て違っていたとしたら……」
片岡
「違っているという証明も出来ない。もし真実を突き止められたとしても、明確な証拠もない。論文に書こうにも、信じてはくれないだろうな」
葉月
「……」
片岡
「まぁ、伝説なんてものは曖昧なものだ。それに、正しく人の間で伝わっていればいいと思う。それこそ、月織さんのような末裔にな」
葉月
「そうですね」
片岡
「……末裔?そうだ。月織さんに聞けばいいじゃないか。彼女は伊織の直系の子孫にあたるだろう?彼女になら正しい伝説が伝わっているんじゃないか?」
葉月
「確かに」
片岡
「すぐに宿屋へ戻ろう。だいぶ暗くなってきたから、足元に気を付けるんだぞ」
葉月
「分かりました」
-宿屋-
月織
「まぁ、お戻りにならないから探しに行こうとしていましたのよ」
片岡
「申し訳ありません」
葉月
「心配をおかけしました」
月織
「夕餉はお部屋にご用意しております」
片岡
「ありがとうございます」
月織
「何か見つかりましたか?と言っても、既に朽ち果てている建物ばかりで、何か見つかるとは思っていませんが」
葉月
「色々と見つかりました。私達が知っている月欠伝説とは、違っているということが」
月織
「違っている?」
片岡
「月織さんは、巫女の家系なんですよね?ならば、正しい歴史が伝わっているはずです。お教え願えませんか?」
月織
「……私が知っているのも、些細なことかと思います。学者様のお力になれるかは分かりませんが」
葉月
「それでも構いません。私達は真実が知りたいんです」
月織
「分かりました。私が知っていることで良いのでしたら」
葉月
「ありがとうございます!」
月織
「でもまずは、夕餉をお楽しみください。お話をそれからで」
-夕食後-
片岡
「ご馳走様でした」
月織
「お食事は口に合いましたか?」
片岡
「ええ。こういうのを精進料理と言うんですかね。素材の味そのものを感じられて、美味しかったです」
月織
「品数が用意できなく、申し訳ありません。何分、島の外に出た事がないものですから」
葉月
「お気になさらないでください。たまにはこういう食事もいいものですよね。先生」
片岡
「そうだな。贅沢な食事もいいが、こういう素朴な食事も趣がある」
月織
「ありがとうございます。それと、お話ということでしたが、何からお話すればよろしいでしょうか?」
片岡
「まずは、私達が知っている月欠伝説からお話させていただいても?」
月織
「どうぞ」
片岡
「その昔、伊織と助彦という男女が、この島に住んでいた。
伊織は望月に仕える巫女であったが、ある晩、島民である助彦に襲われ、その身に子を宿してしまう。
助彦は一方的に伊織に対して恋慕を抱いていたと同時に、穢れを嫌う神の巫女である伊織を、穢したいという欲望があった。
そんな望月は御身を穢した伊織と、月巫女を穢した助彦に天罰を下した。というのが、私達が知っている月欠伝説の全貌です」
月織
「……そのような、嘘偽りの塊が、島の外では伝わっているのですね」
片岡
「では……」
月織
「全て、嘘でございます」
葉月
「あの、私達はこの島が月欠島だから、月欠伝説と言われているのだと思ってたんですが、違いますよね」
月織
「確かに、月欠島という名ではありません。ですが本当の名を知るものは、私以外にはおりません」
葉月
「……満月島」
月織
「……どうして、その名を」
葉月
「……元々この島は、満月島だった。望月神社で伊織さんが祈りを捧げ、湖にあるお堂で望月様からの神託を受ける。
そして島民達は、満月祭として湖に映った満月で翌年の豊作を見定めていた」
月織
「……湖があったことなど、もう誰も知り得ないことです」
葉月
「この島に来るまで、私も知りませんでした。でも、見たんです」
月織
「見た?」
葉月
「鈴の音がする度に、見ました。伊織さんと助彦さんが、恋仲であったことを。
湖の畔のお堂で、神託を授かる伊織さんの姿を……これは、本当なんですね?」
月織
「……私が知っている限りでは、本当の出来事です」
葉月
「やっばり……私が見た景色は、本当に起きたことだったんだ」
月織
「葉月様は、巫女の素質がおありのようですね」
葉月
「信じて下さるんですか?」
月織
「はい」
片岡
「その光景は葉月くんにしか見えなかったんですが、その理由は何か分かりませんか?」
月織
「……可能性ではありますが、葉月様に巫女の素質があった。
もしくは、ご先祖様がこの満月島に所縁がある方がいたんだと思います」
片岡
「葉月くん。何かご両親から聞いていないかい?」
葉月
「いえ。そういうことは何も」
片岡
「そうか。月織さん。湖がないのは、望月様が天罰を下し、この島の半分を抉り取ったとかいうお話は伝え聞いていませんか?」
月織
「……天罰を下したのは、確かです。その際、予言を告げる水鏡としての湖ごと、島の半分を海に沈めたという話です」
片岡
「私の仮説が、正しかったようだな。しかしこれは、人が踏み込んでいい伝説ではない」
月織
「そうですね。人の身には余る話かと思います」
片岡
「……これは、世に出さない方が身のためかもしれない」
葉月
「……公にするには憚られますね」
片岡
「何が起きたかは、知っておきたい」
葉月
「分かります」
片岡
「月織さん。話してくれてありがとうございました。この島の真実が、分かってきた気がします」
月織
「お力になれたのなら幸いです」
片岡
「私は今の話を纏めるから、葉月くんは先に休みなさい」
葉月
「分かりました」
月織
「お布団は既にご用意しております。何かあれば、お呼びください」
-夜-
片岡
「ここまで伝わっている話と違うのは、思いもみなかった。
しかし何故ここまで湾曲した伝説が伝わっているんだ?
この島出身の者が外に出た時に、嘘を流した?だとしたらなんの為に?
うーん。考えても分からん。何故嘘を流す必要があったのか。
それに、伊織と助彦は恋仲であったという話も、なぜ望月が天罰を下した経緯になるのかが分からない。
葉月くんはあれから何も見ていない。この話を紐解くには葉月くんが見た内容が必要不可欠。
複雑な話になるのは目に見えているが……どこまでこんがらがっているのやら」
葉月
「(寝返り)ん、んぅ……」
片岡
「……よく寝ているようだ。私もそろそろ寝るとしよう」
葉月
「(寝言)……望月、様」
-回想-
助彦
「伊織。伊織。聞こえる?」
伊織
「……助彦、さん?どうして!ここにいたらダメです!」
助彦
「しっ。静かに。ごめん。どうしても会いたくて」
伊織
「島民に見つかったら、今度こそ何をされるか。今すぐ家に戻ってください」
助彦
「それでも、僕は伊織と一緒にいたいんだ。身分違いだと理解している。伊織が望月様の月巫女であることも分かってる。
望月様に怒られてもいい。伊織と、一緒にいたいんだ」
伊織
「助彦さん……ですが、私達の関係は私のお傍付きにも島民にもバレてしまいました。
こうして会うことすらいけないのです。助彦さんの幸せを願うのなら、今すぐあなたを突き飛ばすべきだと分かっています。
でも、でも……こうして助彦さんが広げてくれたの腕の中に、このままずっといたいと思ってしまう私もいるのです。
月巫女としてのお役目を放棄したいとは思っていません。望月様と同じように、助彦さんの存在は私を癒してくれる。
望月様。申し訳ありません。私は、助彦さんをお慕いしております」
助彦
「僕からも、お願いいたします。望月様から月巫女様を奪うようなことをしてしまい、申し訳ありません。
ですが、本心です。嘘偽りなく、僕は伊織のことを好いております。月巫女のお役目から外させたい訳ではありません。
どうか、どうか……今だけはお許しください」
伊織
「……ぁ」
助彦
「どうしたんだい?」
伊織
「望月様から……」
助彦
「お返事があったのかい?」
伊織
「はい。今まで、神事以外で神託を授けてくれることはなかったのに……そうですか。望月様。私達はあなた様を、誤ってみていたようです。長年のご無礼をお許しください」
助彦
「望月様はなんて仰ってるんだい?」
伊織
「そなたの御心のままに生きよ、と」
助彦
「そうか。そうか。望月様、ありがとうございます。ありがとうございます」
-現実-
片岡
「葉月くん!」
葉月
「……ぇ、先生?」
月織
「葉月くんの様子を見に行ったらいなくなっていたから探していたんだ。月織さんが一緒に探してくれたんだよ」
葉月
「私、は……どうしてこんなところに……」
月織
「何か、見たのですね?」
葉月
「え……」
月織
「泣いておいでです」
葉月
「ぇ、あれ、なんで涙が……」
月織
「葉月様は、どうして月欠伝説を調べたいと思ったのですか?」
葉月
「……小さい時から、夢に見てたんです。空に大きく浮かぶ満月を。最初は、ただそれだけの光景だったんです。
でも、段々と明確になってきました。誰かが、満月に向かって話してたんですよ。
"どうか。どうか。この子だけは、私の愛しいこの子だけは、どうか御守りください。望月様"と」
月織
「……それは」
葉月
「それが月欠伝説だと知ったのは、大学に進学する時でした。
元々、この不思議な夢の意味を知りたくて、伝承を調べてはいたんです。
そしたら、月欠伝説に望月という神様が出てくることを知り、この伝説を研究していた片岡先生の元に行きました」
月織
「なるほど。探求心がお強い方なんですね」
葉月
「あはは、そうかもしれません。だから、知りたいんです。この夢を見る意味を。この月欠伝説の真実を」
月織
「……知りたいですか?」
葉月
「え?」
月織
「伊織と助彦がどうなったかを」
片岡
「そこまで、月織さんの家系では伝わっているんですか?」
月織
「はい」
葉月
「教えてください!私は、知るべきだと思うんです!何故だか、そう思ってしまって!島に関係ない私に教えたくないかもしれませんが、知らなければいけない気がするんです!」
月織
「言葉で伝えるよりも、葉月様には直接見てもらった方がいいかもしれません」
葉月
「……え」
月織
「どうか。巫女の素質を持つ者よ。そして真実を知りたい者よ。私の伊織と、その愛しき者助彦がどうなったかを見届けてほしい」
葉月
「あなた、は……」
片岡
「一体、何者なんだ」
月織
「そしてどうか、二人の中にだけでも、真実として受け継いでいってほしい。この、月影伝説の真実を」
-鈴の音が鳴る-
助彦
「がっ!」
伊織
「やめて!みんなやめてぇええ!」
助彦
「ぐっ、何が……穢らわしい、だ。望月様が、そう言ったのか?……月巫女は穢れてはならない?それはお前らが勝手に決めつけたことだろう!
誰も望月様から直接聞いた訳でもない!もし穢れてはならないんだとしたら、ここまで続いてる月巫女の歴史を否定することになる!
伊織の先祖が血を繋いでくれてなかったら、月巫女は存在していない!穢れを許してなかったら、子を授かることすら出来ない!
穢れてはないならなんて、お前らが勝手に植え付けた望月様の姿だ!」
伊織
「本当です!望月様は穢れを嫌ってなどいません!私達の事も祝福してくださいました!代々月巫女の力は私の血筋の女性にだけ受け継がれます!
私が子を成さなければ、誰が望月様の次の月巫女になるのですか!」
助彦
「僕が農民だから?だから相応しくないって?伊織には相応しい身分の男を用意する?……ふざけんな!そこに伊織の気持ちは含まれてないだろう!」
伊織
「私は!助彦さん以外と契りたくありません!助彦さん以外と契るくらいなら、舌を噛み切って死んだ方がましです!」
助彦
「伊織、逃げよう!望月様だって許してくれる!こんな島捨てて僕とっ、ぐ、あぁあああ!」
伊織
「やめてぇええ!助彦さんが死んじゃう!」
助彦
「が、ぁ……ぃ、おり……」
-現実-
葉月
「はっ、はっ!う、そ……嘘……そんな、そんな……」
片岡
「葉月くん、大丈夫か!」
葉月
「せん、せ……助彦さんは、伊織さんを殺しては、いません。ここの島民が、助彦さんを殺したんです」
片岡
「なっ」
-回想-
伊織
「……望月様。お願いがございます」
望月
「なんだ。申してみよ」
伊織
「どうか。どうか。この子だけは、私の愛しいこの子だけは、どうか御守りください。望月様」
望月
「伊織の子か」
伊織
「私と、助彦さんの子です。きっと、私はこの子を産めば望月様を裏切った者として殺されます。
でも、この子だけは助けてくださると。だからこの子がこの島の中でも生きていけるように、御守りください」
望月
「……もし伊織になにかあれば、私はこの島の者を許すことは出来ん」
伊織
「ならば、お捨てになってください。望月様がこの島に神託を授け続ける理由は、もはやありません」
望月
「……分かっておらんな。私が神託を授ける理由は、この島に縛られているからではない」
伊織
「では、なぜ……」
望月
「満月はな。空に在る。元々私は自由だ。どこからでも月は見える。私が神託を授けるのは、そこに月巫女がいるからだ」
伊織
「そうですか。それを聞いて、安心しました。では、私が死んだら、望月様は解放されるのですね」
望月
「……伝わらぬものだな」
伊織
「望月様。短い間でしたが、神託を承ることが出来て、幸せでした」
望月
「私は次の月巫女など要らぬ。これからもそなたが、私の声を聞き届けていればそれでいい」
伊織
「ふふっ。私も、望月様の声を聞いていたいです。助彦さんと同じように、聞いていたかった」
望月
「ならばずっと聞かせよう。例え伊織がいなくなっても、私の心は、そなたが生きたこの島に在り続けよう」
-現実-
葉月
「月織、さん」
月織
「なんだでしょう?」
葉月
「いえ、あなたは……望月様、ですよね」
月織
「……ふっ」
片岡
「なにを言っているんだ」
月織
「そこのお嬢さんの言う通りです」
-月織の姿が望月へと変わる-
望月
「私は、この満月島で祀られていた望月と申す。姿を偽って接していたこと、どうか許してほしい」
片岡
「これは、夢か……」
望月
「夢であれば夢でよい。だが、そなた達は真実が知りたいのであろう?」
葉月
「知りたいです」
望月
「ならば見よ。この島で起きた惨劇を。私の月巫女が、どういう末路を辿ったかを……見届けてやってほしい」
-回想-
伊織
「今、なんと?……私の子を、海に、流した?……まだあの子は乳飲み子ですよ!そんなことをすれば命は!
離しなさい!助けに行かなければ!……あの子は私と助彦さんの子です!決してあなたの子などではありません!
私と助彦さんを引き離したあなた方を、私は一生恨みます。あなた方が助彦さんのことを殺したこと、許しません。
例えこの身が尽きようとも、真実はこの地に刻まれています。再び月巫女の素質が現れた時、あなた方の行いが明るみに出るでしょう。
……どうか。不幸になさってください。この島が終わる時まで。望月様に見放される時まで。私は、望月様の月巫女です。
あなた方の求める理想の月巫女ではありません。この身は子を宿し、穢れました。ならばもう、私が月巫女としている必要はありません。
さようなら。私と助彦さんを、この島を殺した者達よ。
(息を荒げ)坊や!坊やぁ!どこ、どこにいるの!ぁあ、ああ……こんな荒れ狂う海になんて、あの子はもう……助彦さんも、我が子も失って、私は、私は……!
望月様、ごめんなさい。ごめんなさい。私はもう、生きるのに疲れました。あなた様の月巫女は、もうおりません。私のことなど忘れ、次の月巫女が現れるのをお待ち下さい」
望月
「(泣き叫ぶ)あぁああああああ!よくも、よくも私の月巫女を……私の伊織を!!許さぬ。許さぬぅ。私から伊織を奪った民に、伊織から助彦を奪った民に、罰を!!」
-望月神社で祈る葉月-
葉月
「伊織さん。助彦さん。どうか、安らかに」
片岡
「悲しい話だった。月欠伝説は、この島の民が起こした事件を隠す為に作られた、嘘だったとはな」
望月
「二人、そなた達は早く帰るのだ」
片岡
「なぜですか」
葉月
「もう少しだけ、ここで祈らせてください」
望月
「ならん。二度とここに来てはならぬ」
片岡
「訳をお話いただいてもよろしいですか?」
望月
「月巫女であった伊織は、私の神託を普段は夢で伝えていた。
神事の際は必ず満月の日。私の力も強くなる為、あのように直接伝えていた。
つまり月巫女には、夢見の力がある。葉月、そなたはこの島で何度も過去を見た。
夢見とはな、未来を見るためだけの力ではない。過去を見ることも出来るのだ」
片岡
「それは、つまり……」
望月
「伊織の血が、子孫が、この時代にまで続いていたこと、嬉しく思う」
葉月
「伊織さんが産んだ子供は、生きていたんだ」
望月
「この島にとって私と月巫女は何よりも大事な者。海に流したということ自体が嘘であったのだろう。
それでも、伊織が自ら命を絶つには充分すぎる理由であった。
私は伊織が自分の意思で選んだ相手であれば、誰と契りを交わそうが構わなかった。
夢見の力はそう消えるわけではない。子供が生まれたからといって、月巫女としての役割も終わる訳ではない。
そもそも子は女子(おなご)でなければならんのだ。男児が生まれたとしても発現はしない。
伊織が生涯、私の月巫女であることには変わりなかったのだ。それをあの民達は、私を崇め神格化する過程で、巫女は穢れてはならんという思考が定着してしまった」
片岡
「では、やはり、伊織さんと助彦さんが契ったことに対して怒ったのではなく」
望月
「伊織の想い人であった助彦を、自分達が湾曲して信仰している望月が許さないと曲解して殺し、伊織から何もかもを奪ったことに対して怒ったのだ」
片岡
「……失礼を承知でお聞きいたします。もしや、あなた様は伊織さんのことを?」
望月
「愚直な質問だ」
片岡
「申し訳ありません」
望月
「月巫女は私の眷属。私が気に入った者だけがなれる。それで答えにはなるであろう」
片岡
「お答えいただき、ありがとうございます」
望月
「さぁ、はよ行け。迎えがくるまでは時間があるであろう。待っていればすぐだ」
葉月
「でも!」
片岡
「行こう。葉月くん」
葉月
「望月様!」
望月
「伊織の子孫を、何も知らなかったそなたを、私の我儘で月巫女にするわけにはいかんよ」
葉月
「ッ……」
望月
「葉月。よい名じゃな。幸せに暮らせ」
葉月
「望月様ぁ!」
望月
「……伊織よ。そなたの子は、生きておったぞ。私も、途絶えたと思っていた。それがまさか、何百年も続いていたとは……。
とても良い名を授かっておった。まさか私が一番輝ける月の名を持っているとはな。そなた以外を、月巫女にするわけにはいかん。
言ったであろう。私の月巫女は、伊織だけだと」
葉月M
「その後、荷物を取りに宿屋へ戻った私達を待っていたのは、朽ち果てた建物だった。
あの綺麗だった建物は跡形もなく、私達が持ってきていた荷物が綺麗に並んで置かれているだけだった。
船長さんが迎えに来てくれた際に、ここはいつから無人島かと聞いたら、数百年は人が住んだ形跡はないと言われた。
最後の島民が住んでいると船長さんが言っていたと伝えたが、船長さんはそんなことを言った記憶はないと驚いていた。
きっと、考えられない程の何か不思議な力が働いたのだろう。
望月様は、寂しかったのかもしれない。だから、久しぶりの人を招き入れる為に、あのようなことをしたのだろう。
私と片岡先生は、船に乗りながら島を眺めた。きっと、まだあそに望月様は残り続けるのであろう。独りで、あの島が海に沈むまで。
私は願う。あの島に、安寧が訪れるようにと」
-幕-