……あぁ、いらっしゃい。
君が来た事に気が付かなかったよ。
紅茶でもどうかな?お茶菓子に君の好きなクッキーでも……
僕の話が聞きたい、と……
はは、本当に君は僕の話が好きだね。
いいよ。話してあげよう。
今日はそうだなぁ。
"時音(ときね)"について話そうか。
聞いたことがない言葉?
そりゃそうだろうね。
"時音"って言葉は、僕が作ったんだから。
時の音(おと)……そう書いて"時音"と読む。
読んで字の如く、時の中には様々な音が存在する。
今だって、聞こえているだろう?
本のページを捲る音。
ティースプーンがティーカップにぶつかる音。
窓から入ってくる心地いい風の音。
鳥達の囀り。
そして、今君が真剣に聞いている僕の声。
声だってちゃんとした音なんだよ。
何気なく聞いてるから分からないだろうけど、人間は音として言葉を紡いでる。
ほら、改めて言われれば音がない時なんてないだろう?
寝る時は流石に無音だろう、って?
はは、そうかもしれないねぇ。
でもさ、時計がない家庭なんてないよね?
小さく時を刻む音に、耳を傾けた事はあるかい?
それに、寝返りを打たない人間なんていない。
少なからず衣擦れ音はするし、窓を閉めていても外の音が小さく聞こえているはずだよ。
僕達は音のある生活に慣れてしまった。
音のない生活は考えられない。
いや、まず音を聞いていない人間はいない。
何かしらの音をみんな聞いているからね。
もし、音のある生活に慣れてしまった君が、音のない生活を一週間続けてみようとしようか。
多分、1日も経たずに君は限界になって発狂するだろう。
考えてみただけでも、怖いんじゃないかな?
何も音のしない生活なんて……
音に慣れすぎてしまっているから、実感が湧かないだろうけどね。
でもよく考えてみなよ。
さっき僕は、音を聞いていない人間はいないと言ったね?
でもいるんだよ。
逆に音のない生活に慣れてしまってる人達が……
これだけで分かってくれる君は本当に賢いね。
そう、耳に障害を持った人達の事だ。
彼等は僕達の事を羨ましいと思うだろう。
音がある生活が出来るのだから……
それに対して僕達は彼等に対してどうかな?
罵倒して、除外して、その障害を馬鹿にする。
自分は音が聞こえているからいいだろう。
でも、音が聞こえない彼等からしたら君達が何を言っているのかも聞こえやしないし分からない。
口の形で分かる場合もあるが、それはこちらが相手を思ってゆっくり話してくれた時だ。
だがそんな気遣いも罵倒する人にはないだろうね。
そして、彼等がそういう立場になった時に思い知るだろう。
音のない世界の恐怖を……
さて、ここまで話した所で最初に戻ろうか。
人は常に音を聞いている。
外部からの音も、そして自分の身体を流れる血液の音も知らずに聞いている。
……そんな音は聞こえない?
はははっ、それは君が知らないだけかな。
最も簡単に自分の音を聞く方法があるんだよ。
掌を耳に当ててごらん。
なるべく周りの音を入れないように……。
聞こえるかい?
低いノイズのようなゴーッて音が……。
それは身体を流れる血液の音だと言われている。
そしてミシミシと時折聞こえるのは君の関節の音だ。
どうだい?こうして聞いてみると神秘的だろう?
……初めて聞いたって顔だね。
今やってもらった方法は何も道具を使わずに出来る最も簡単な方法だ。
道具を使って出来る方法もあるのか?
あると言えば嘘になる。ないと言っても嘘になる。
……不思議そうな顔をしないでくれ。今から話すよ。
世界で最も静かな場所があるのを知ってるかな?
……残念。不正解だ。
世界で最も静かな場所。
それは"無響室"だ。
音の反射を極限まで無くした、遮音と吸音の極みと言える部屋だ。
ではここで音について詳しく話そうか。
室内で発生した音は空気中を伝わり自分の耳に伝わる。
また壁や天井などの固い面に反射し、再び空気中を伝わり自分の耳に届く。
室外でも同じことが言えるね?
外には建物や木がある。
そこに音が反射し耳に届く。
だから音が聞こえるんだ。
これが音のメカニズムだよ。
けれど、この無響室は全ての壁、床、天井に吸音加工が施されている。
つまり、音のメカニズムである反射が起こらないんだ。
起こらないと言うことは、音が返ってこない。
何も聞こえないんだ。
だがしかし語弊があるかもしれない。
全く無音という訳ではないんだ。
……嘘つきと言わないでくれ。
無音は、人の耳で聞き取れないから無音だと感じるんだ。
では聞き取れる音の音圧はどれくらいか。
"0dB"と言われている。これは人の耳が聞き取れる最小音圧だ。
つまり、マイナスのdBも存在するということだ。
僕が言った無響室は、-20.6dBでギネス記録に認定されている。
……実感が湧いていないね。
そりゃそうだ。君は常に音がある世界にいる。
では、音の無い世界を体感してみようか。
(指を鳴らすor手を叩く)これは今さっき僕が言った無響室を再現してみた。
例え話で、僕は音のない生活を一週間続けてみようかと言ったね?
一日も経たずに限界を迎えるんじゃないか、とも。
あれは誇張しすぎた。君は一時間も経たずに限界を迎え発狂するだろう。
ここの空間で、45分以上耐えた人はいないと言われている。
さて、君は何分耐えられるかな?
……10分経過。
まだまだ余裕そうだね。
少しは期待できそうだ。
……20分経過。
どうしたのかな?僕の声を聞いて安堵したような顔をして。
聞こえてきたんだろう?自分の心臓の鼓動や脈拍、関節の擦れる音が。
耳を掌で覆ってる時よりも鮮明に聞こえているんじゃないかな?
では、また10分後に声を掛けよう。
……30分経過。
……あぁ、やはり壊れてしまったね。
45分以上耐えた者はいないというのは本当だったらしい。
ありがとう。とてもいい実験が出来たよ。
君と話すのは楽しかったから残念だ。
さて、次の話相手が来るまでに、君を処分しておかないとね。
あぁ、次の子にはどんな話を聞かせてあげようか。
楽しみだね。
幕
2023/06/10 「優しい実験~音~」 公開