FAR EAST RADIO CLUB
For a Beautiful BCL Life!
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HCJB the Voice of the Andes - La Voz 3
資料提供:青木茂紀様
La VOZ
No. 97 (1983 11-12)
エクアドルのテレビ放送はHCJB-TV 4チャンネルが草分けでした。あれから20年、現在は首都キトで、2、4、8、10、13の5局をすべてカラー放送で楽しむことができます。テレビの普及率は全国で40%、都会では80%の家庭が白黒又はカラーテレビを一台すえつけています。
番組内容は、ニュースから教養、娯楽番組に至るまで、さまざまですがスタジオから放送されるトーク番組やクイズ番組以外は、ほとんどアメリカ・イギリスからの吹き替え映画です。もっともサッカーの国際試合ともなると全国のテレビ局がレギュラー番組を中断してサッカー中継放送に切りかえるのはさすがサッカー王国と感心させられます。
HCJBは4チャンネルとしてTV放送をはじめましたが その後ラレアマゾーナスに局としての権利をゆずりわたし、Producciones Vozandes(アンデスの声プロダクション)として再発足しました。エクアドルをはじめ、中南米諸国をふくむスペイン語を話す国々にキリスト教テレビ番組を制作して提供するのが目的です。目下、現代の家庭問題をあつかった「家庭の危機」というシリーズ番組を制作中です。日本語部も協力をたのまれ、先日は日本大使公邸の日本庭園にロケに出かけました。(写真参照)
離婚率の高いラテンアメリカに比べて、日本はときかれ、昔は仲人制度があり、人生の先輩たる仲人の努力でふさわしい結婚の相手がみつかること、また結婚後も相談相手になることなどから、結婚に失敗して離婚する率は少なかったと答えました。しかし最近は、好きだからいっしょになり嫌いになったから別れる式の結婚に対する甘い考えが日本にあることも否定できません。結婚とは、夫婦が懸命に支え合ってゆくものだという根本的な位置づけがないかぎり、家庭はくずれる可能性が常にあるものです。結婚することは比較的容易でも、結婚生活を営むことは難しいことなのです。家庭とは、神さまを中心として人間が生き方をおぼえ、愛をおぼえ、信頼をおぼえ、犠牲の尊さをおぼえることのできる場であるべきではないでしょうか。
La VOZ
No. 98 (1984 1-2)
エクアドル在留邦人 新年の集い '84
La VOZ
No. 99 (1984 3-4)
すばらしいプレゼント 二題 ーブラジルの聴取者の手紙からー
大石春治さんの場合:「暑い真夏の最中にクリスマスを迎えました。アンデスの声から流れてくる特集番組をききながら十分にクリスマス気分を味わうことができ感謝しています。同封の写真は12月24日の夜12時に撮りました。生れつき黒いのに夜とったので いっそう黒くなってしまったようです。家族水入らずのにぎやかなイブでした。私は孫たちにささやかな贈物をしましたが、次男の文夫は私がかねがね欲しいと思っていたラジオをプレゼントしてくれ、おどろくやら、うれしいやら。ブラジルでは最高といわれるPhilcoでとても良く入り、ダイヤルも合わせ易くラジオの苦労がなくなりました。文夫に『このラジオはよく入るよ』と言いましたら、『これで入らなかったら入るラジオはないよ』と言われました。相当調べた上で買ってくれたようです。これでHCJBの放送を存分に楽しむことが出来るようになりました。ありがたいことです。」
(写真右端は大石春治さん、ひとりおいて奥様、文夫さんは後列右から五人目 - 367通目のお便りより)
関口米吉さんの場合:「あの晩は生憎六時頃から四面黒雲がわきあがり、雷鳴をともなって雷雨となりました。そこで放送30分前から家内と二人で祈りつつ待っておりました。夜七時、ちょっと雑音がありましたが良く入り、ニュースの後、待望の曲「春の雨」がとてもきれいにきこえました。家内も喜んで顔を輝かして聞いておりました。そのあとピカリ、ドカンと鳴って停電、真っ暗闇となり、ローソクをさがしてつけたら又 電気がつきました。でもプレゼント曲がきけて本当によかったです。誕生日を祝ってもらうのは、いくつになってもイイモノですね。私は72才、家内も73才になりましたが、神に守られバストス教会の記録係を担当しています。毎朝私といっしょに早天祈祷をやっており、もうすこしで三年になります。
ところで、私は耳が遠く長い間困っており毎日神様に耳のことでお願いしておりました。二月四日のことでした。サンパウロ市からひとりのブラジル人がたずねてきました。補聴器を持ってきたというので、値段はいくらかときいたところ、日本製だから高い、37万クルゼーロだというので私は耳は遠いけれど、そんな高いものはつくらないと断わりました。するとその男はこう言ったのです。『セニョール、あなたの息子が全部支払い済みです。補聴器を本人の耳に合わせて操作を教えてやってくれというのでわざわざ来たのです。』耳にあててみると非常によくきこえ、雑音もなく小型なのでポケットに入れて持ち運ぶのにも便利です。こんなすばらしいプレゼントを神様が長男康男を通して与えて下さったことを心から感謝している今日このごろです。」
La VOZ
No. 100 (1984 5-6)
第一回エクアドル全国伝道会議
ECUADOR 84
congreso de evangelismo
エクアドル全国から百六十人のクリスチャン、教会記者が集って、第一回伝道会議が9月10日から三日間、HCJBGスタジオでひらかれました。名付けてエクアドル84。
初日の開会式には、この八月就任したばかりのBlasco Peñaherrera副大統領もかけつけ「心」の大切さを訴えて次のように語りました。(写真左)
「今世紀、人類は宇宙開発においても巨大な進歩をみせ、すでにどんな夢もかなう時代になりつつあります。バイオテクノロジーの分野でも生命の神秘にせまるめざましい研究がすすんでおり、人類が果してきた科学的功績は、目を見はらせるものばかりです。しかし一方で、人類は、不確実性の時代に悩み、精神的挫折に追いやられ、もっぱら人間性の回復が強くさけばれていることも否定できない事実です。『心の内感』は一向に解決されていないのです。かけがえのない『心』を『物』の犠牲にしてはなりません。そして『心』を『物』から守ってくれるのが神への信仰だと確信しています。また強い国家をきずくためにも強い信仰なしには、それを達成できないことを私は深く信じている者です。」
(会場となったHCJBGスタジオで熱心にきき入る参加者)
伝道会議最後の夜、夕食会の席上、HCJBのBen Cummings副会長は、30年前、エクアドルに最初にきた時を思いかえしていました。当時エクアドル全土で牧師はわずか6人、教会の数は4教会だけ。しかし、今は140教会を代表する160人の教会者が目の前に集っているのです。その中には、HCJBの局内のラジオ組立工場で働いていたパブロ青年とテレビ番組のディレクターをしていたアルフォンソ青年の姿もみえます。二人共、山岳インディオ部落と東部ジャングル部落のそれぞれ牧師になり、迫害にもめげず伝道を続けています。ビボ送信所でオペレーターをしているペドロも、週末はビボの町で神の僕として奉仕しています。刑務所の中でHCJBの放送をきき聖書を学んだホセは出獄して一口の罪から救い出す神の福音を身をもって語る伝道者へと変えられたのです。人々の心にまかれた神のみことばの種は、やがて芽生え、時と共に着実に成長し実を結んでいくのです。エクアドル84はこのようなエクアドルの教会の成長ぶりを垣間見せてくれ、集ったひとりひとりの心に救霊への情熱をさらに燃えたたせてくれたのです。
La VOZ
No. 104 (1985 1-2)
地球をまわーる 愛の贈物
緑の木立に囲まれた校庭で、西宮大使が生徒ひとりひとりに太平洋の彼方からとどいた学用品を手わたしています。日本の画用紙、クレヨン、色エンピツなどをかかえた子供たちは、みんな大よろこびです。ここはノグチ学校。1918年(大正7年)野口英世博士はエクアドルをおと ずれ、当時この地で流行した黄熱病やマラリア病に苦しむ人々を救いました。この時の感謝から政府は、キト市から北へ35キロのグァリャバンバ市に1925年(大正14年)野口学校を設立、現在はこの公立小学校に1年から6年まで220人の女生徒が学んでいます。
今年4月、この学校を取材した文化放送の柳沢記者は、教材や文具が不足しているのをみて、心を痛め、帰国後「地球はまぁーるいよ」の番組でよびかけたところ、日本全国の子供から数多くのプレゼントが寄せられました。カスタネット1ケゴム紐をつけかえて送ってくれた小学生。コンクールでほうびにもらった色エンピツ1ダースを大事に包んで送ってくれた中学生。入学祝にもらった色エンピツセットを送ってきた大阪の子。仲間で学校中によびかけてノートや消しゴムを大きな箱いっぱいにしたとどけてくれた子。―――
こうした日本の子供たちの善意と心づくしのプレゼントにエクアドルの子供たちも国籍をこえて人間兄弟助け合うことの大切さをしみじみ味わったことでしょう。 <写真提供 在エクアドル日本大使館>
「友はどんなときにも愛するものだ。兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。」(旧約聖書 箴言)
La VOZ
No. 119 (1987 7-8)
Steve Green
米国のゴスペル・シンガー第一人者スティーブ・グリーンを迎えて、一万人市民公開。キト北側の市民の広場カロリーナの、この二千人の聴衆の心の琴線に神の偉大さを強くひびかせたようでした。
「私は、南米アルゼンチンで宣教師の子として青春時代を過ごしました。そのおかげでギターは自然に習いおぼえ、教会の集まりでもよく歌わされました。両親は宣教師だったものの、しかし、私の心はどういうわけか神から離れていったのです。成長段階では誰もが経験することでしょうが、その時の私は自分の姿がよくわからなかったようです。米国、大学ではゴステル(伝道用聖歌)バンドに加わって活動しましたが、自分が拍手喝采を受けることしか関心はなく、次第に自己中心の生活に入っていきました。経済的に恵まれれば満足できると思っていた私の心は、逆に空虚な気持ちになっていくではありませんか。そこで、はっと気付いたことは、神に造られ愛されているものは、神のふところに帰るまでは真の自由をもつことができないという事実でした。魚が水にもどるように、いさぎよくもう一度神のふところにとびこんだ私を、神はしっかりと抱きかかえてくれました。こうして自己中心の罪から私は自由になれたのです。聖書にこう書かれています。“あなたがたは真理を知り、その真理があなたがたを自由にするのです。”(ヨハネ 8:32)」
アルゼンチン育ちの金髪の子は、今、ゴスペル・シンガーとして母なる大地にもどってきました。南米各地のコンサート会場をとびまわりながらスティーブは、みずから見出した真の自由を天賦の歌声に乗せて声高くさけび続けることでしょう。
La VOZ
No. 120 (1987 9-10)
赤道直下ーバナナの国 エクアドル
「バナナほどおいしかおもって、いちばん長い事買いよったもんが全然まずくて。─」福岡商業OBの南北アメリカ縦断隊のひとりは苦笑いしながらこう話してくれました。日本では屋台のたたき売りで親しまれているバナナも南米まで来ると意外に種類が多いので旅行者はいささかまごつくようです。
まず、小粒で手頃なのが親指大のモンキー・バナナ(Brito)、甘味も多くて南米風ひとくち人福ともいえましょうか。大きいものは、長さが30~40センチはある青バナナ(Verde)、これは輪切りにして油で揚げるとポテトチップならぬバナナチップが出来上がり、歯ごたえもあり風味もなかなかでスナックとして最高です。
御飯の上にカレーをかければカレーライス、では御飯の上にバナナをのせれば? エクアドルでは何と女王様へ捧げる料理とよばれる定食に早変わり、やはりバナナは南国では熱帯果物の王様なのです。
エクアドルは赤道直下にあって太陽エネルギーを十分に受け、豊かな資源に恵まれています。西部海岸地帯は、バナナ、コーヒー、カカオ、パパイヤ、パイナップル、マンゴの栽培。中央の山岳盆地では、トウモロコシ、ジャガイモ、小麦の栽培、さらには、アマゾン源流地帯のユカイモなど、それぞれ気候風土にあう作物を産出しています。特にバナナの生産は世界的に有名で、日本にも積み出されており、最盛期にはバナナ専用の貨物船バナドール号(バナナとエクアドルを合わせて命名したもの)が日本の造船所で建造され、日本とエクアドルを太平洋横断13日間で結んで活躍しました。
バナナは栄養価の高い果物です。糖質も多く、カロリーはバナナ一本で100カロリー。ビタミンCをふんだんに含み、消化がよいので、つぶしてレモン汁をかけると離乳食としても最適です。生命の火を燃やし続けるために、食物は体というエンジンの燃料といえます。口から入った食物が消化と吸収という一連の働きを通して「神の作品」である私達を動かしてくれるのです。そのために全能の創造主が地のおもてにあふれるばかりの山海の珍味をそなえて下さっていることは、なんと素晴らしいことではありませんか。
収穫の秋、食欲の秋です。神に感謝していただきましょう。
La VOZ
No. 122 (1988 1-2)
Michel
HCJB音楽祭'87と銘うったクリスマスコンサートは、エクアドルの首都キト市の市政記念日にあわせて、アライアンス・アカデミー校の屋内体育館で四回の公演が行われました。そのあと市内の高校、警察学校、陸軍士官学校などを巡回して校庭や講堂などでコンサートをひらき生徒たちにとても喜ばれました。
スイスから参加したミシェル・ティラボスコさんのパンフルートの演奏は素晴らしく、アンデスの笛に親しんでいるはずの人々でさえ、ひときわ澄んだ音色と洗練された演奏ぶりにはさすがに感動、さかんに拍手をおくっていました。スマートでハンサムな19才のスイス青年とあって、どこの会場でも群衆に囲まれてサインぜめで大変でした。
ミシェル君が生まれたのは1968年6月22日。その日ティラボスコ家は複雑な空気に包まれていました。産声をあげた赤ん坊が両手ともひじまでしかなく、片足しかないのです。両親はどんな気持ちだったでしょう。しかし成長するにつれてミシェル君はサリドマイド禍で不自由な身体を強い精神力で克服していきました。9才になった時、ルーマニアの民俗楽器パンフルートを習い始めるとその天才ぶりをめきめきと発揮、ついに名門校であるジュネーブ音楽院で専門に学ぶようになったのです。最近スイス国立管弦楽団と共演した若手音楽家ミシェル君はその将来の活躍が大いに期待されているところです。ミシェル君がここまで来る事ができた背後には、まわりの人々から注がれた深い愛情もさることながら、彼の心に早くから芽生えた神を慕う気持ちが支えとなっていたことも見逃せません。
本人はこう語っています。「私は小さい時から、いつも周囲の自然の美しさに心がひかれていました。この壮大な世界は一体だれがつくったのだろう、まただれのために。このような考えを重ねていくうちに私は創造主である神と出会ったのです。その神はまた人々を愛するが故にご自分のひとり子を十字架にかけて罪から人々を解放し、日々私たちを導き励まして下さる方だとわかりました。それ以来、苦しい時悲しい時つねに神は全く真実でした。その神を音楽を通してあらわすことができるのは私にとって何よりのよろこびです。今、神と人のために力いっぱい演奏できることを感謝しています。」
エクアドルでの演奏会が終わってスイスに帰ったミシェルさんからお礼の手紙がとどきました。「おみやげにいただいた笛を吹く人の木彫は家宝にしています。エクアドルでの楽しい思い出は忘れられません。アンデスには必ず舞いもどってきます。」
La VOZ
No. 123 (1988 3-4)
地球縦断30,000キロ
かつて私たちの祖先モンゴロイドが旅したといわれる道をたどって地球をタテに三万キロ。オートバイを駆ってアラスカをふりだしに赤道を越え、アンデスを突っ走り、南米大陸の最南端まで到達する冒険とロマンに満ちた壮大な旅。作家でルポライターの戸井十月さんと「エルコヨーテ」オートバイチームが途中労働ストライキや入国手続きで時間をとられたものの、一月半は全員無事に地球の真中赤道の国エクアドルに着きました。
早速HCJBに姿を現した戸井十月さんとメンバーのみなさんをスタジオにご案内してまず旅の途中報告をしていただきました。その中で戸井さんは現代人へのメッセージをこう語りました。「私たちのステージは地球です。しかし旅というのは何も飛行機に乗って遠くへ行くことばかりが旅ではないでしょう。自分がいる場所から一歩出て身も心も輝やける場所とか瞬間をさがすこと、それが旅だと思います。それは東京に居ても出来ることだしオートバイでなくても勿論できることです。みなさんにも自分なりの旅をして欲しいですね。そういう連中がふえると面白くなると思います。出会いを体験できる自分の旅をしてください。」二週間後、太平洋を越えた日本から一大学生が番組をきいて感想を寄せてきました。「現代の日本は、あまりにも現実的になってしまい夢とかロマンといったものが失われつつあります。そういう時に地球縦断という一大ロマンを追っている一行へのインタビューというのはまさにぴったりの内容でした。自分もこれからの人生を夢を求めながら生きていきたいと今日の放送を通して感じました。」
なお、日本テレビ開局35周年特別記念番組「地球縦断三万キロ」は三月三十日(水)午後九時半から二時間半にわたって全国ネットで放送されます。
La VOZ
No. 124 (1988 5-6)
ケチュア族伝導会議
はじめに地は かたちなく
暗やみ ふちとざすとき
神 そのつよき み手もて
あめつち つくりたまえり
光あれ その声に
やみは消え み光みつ
救いなき 罪の世に
み光を 与えたまえ
この歌は新生を体験したケチュア族がつくった賛美歌です。一世紀前までは「千古の雪山チンボラッソがそびえるかぎり、この本(聖書)が持ちこまれることはないだろう。」と福音に門戸をとざしたエクアドルでしたが、60年代にかけてアンデス高原に住むケチュア族の間でクリスチャンがふえひろがり、73年にはケチュア語に訳された聖書がチンボラッソ峰のふもとの村コルタに集まってきた三千人に手わたされるほどになりました。
インカ黄金帝国が滅んだ後、アンデス高原のケチュア族は山合い深くにかくれ、きびしい自然と戦いながら暗い日々を耐え抜いて来ました。白人への屈服と文明滅亡の悲哀を黒い貫頭衣に包みながら、いつかは自分たちの時代が来ることを待ち望んでいたのです。やがてその時が来ました。アンデスの階段畑でトウモロコシやジャガイモを栽培しリャマを飼育するケチュア族の心の奥深くに蒔かれた福音の種が芽生え、育ち、実を結ぶ時間がやって来たのです。それは白人への復讐でもなければ、過去の文明の復興でもありませんでした。全く新しい愛に根ざした神の家族への復帰だったのです。今年のイースター(復活祭)に開かれたケチュア族伝道会議には全国から一万人が集まり6日間の集会でさらに多くの魂が救いを見出していきました。時満ちてエクアドルは、今、ケチュア族の間で真の救いをもたらす「光あれ」のみ言葉が成就しつつあるのです。