Step②「世界観を知る」各論
陰陽:変化する世界を表現する方法
Step②「世界観を知る」各論
陰陽:変化する世界を表現する方法
この世界のあらゆるものを「陽」と「陰」という2つの性質に分類する考え方を「陰陽論(いんようろん/おんようろん)」と呼びます。
陰陽は、対になって存在するものの性質を表す言葉です。
しかし、陰陽は単なる分類ではありません。
陰と陽は、互いに対立しながらも、共に存在して、ひとつの「世界」を作ります。
陰陽思想が展開される中で、⚋(陰)と⚊(陽)の象徴が生まれました。
「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の八卦(はっけ)は、陰と陽を3つ重ねて、変化を図像化したもので、☰(乾) 、☱(兌) 、☲(離) 、☳(震) 、☴(巽) 、☵(坎) 、☶(艮) 、☰(坤) の8種類あります。
陰陽の考え方には、以下のような特徴があります。
● 変化の物語を「陽」と「陰」で表現したもの
● 同質なものの真逆な2つの面
● お互いがいることで存在できる
● 依存しつつも反発し合う
● 繰り返すことで永続するもの
● 陽か陰かは、固定しておらず、相対的で、常に入れ替わり得るもの
つまり、「どんなものにも陰と陽がある」のです。
「これは陽」「あれは陰」と固定的に決めつけるのではなく、常に関係性の中で成り立っています。
たとえば、「暑さ」を感じるのは「寒さ」があるからです。
「光」があるから「影」ができ、「影」があるから「光」が分かります。
陽の中に陰があり、陰の中に陽がある。
そして、陰と陽は、刻々と変化し続けているのです。
陰陽のシンボルとして、最も有名なのものが「太極図」です。
白と黒の渦が絡み合うあの図は、単なる装飾ではありません。
これは、二十四節気における陰陽のバランスの移り変わりを模したものと言われています。
太極図には、主に4つの描き方があります。
陽が白、陰が黒、で表されています。
この図は、陰陽の転換がどこでおこるかを視覚的に示す図形でもあります。
たとえば:
北半球では、陽が陰に転ずるのは夏至。方角でいえば南に相当します。
東洋占術では一般に「南を上、北を下」として図を描くため、最も標準的な太極図では、一番左の図形となります。
南半球では、季節感が逆となり、冬至に陽が陰に転じます。方角としては、北に位置するため、太極図も逆転して表されます。
私は、十二支を円形に並べるときに時計をイメージして描くクセがありますので、
私にとっては、左から2番目の太極図が使いやすく感じます。
このように、太極図は「どの地点から見るか」「どう捉えるか」によって変わります。
まさに、陰陽の視点そのものです
東洋占術において「陰陽を知りたい」と思えば、「易(えき)」の思想は欠かせません。
易とは、世界の変化を「六十四卦(ろくじゅうしか/ろうくじゅうしけ)」という64個の符号によって表したものです。
この物語は、「太極」という原初のひとつなる存在が動き、陰と陽、すなわち地と天が生じたところからはじまります。
万物が生まれ、育ち、暮らし、衰え、繰り返し、やがて完成し、そして、物語の最後は「万物は未完成」で終わります。
易を創った人は、すべてを完成させた最後に「これは未完成だ」と楔を打ちました。
未完成であることが完成なのです。
現在、「易」という漢字は「簡単」「変わる」「交換する」といった意味で使われます。
もともとの象形は、
● 太陽と雲間からもれる光
● 日なたと日影
● 太陽と月
● トカゲ(時間によって色を変える伝説上の動物)
などを示す文字とされています。(※個人的には「日と雨」と考えています。)
「易」の思想を3つの概念にまとめたのが、「易の三義」と言われるものです。
● 変易:変わること
● 不易:変わらないこと
● 易簡:シンプルであること
まとめて理解するなら「変化するという不変がある」という意味となります。
易には、次の2つの体系があります。
先天図
河図から生まれた「宇宙から見た」図
後天図
洛書から生まれた「地球から見た」図
同じ世界を、視点の違いから見た2つの図。
それが、先天図と後天図です。
見る位置が違うだけで、おなじひとつの循環を構成しています。
この「どちらから見るか」という思考自体が、まさに陰陽の視点です。
● 太陽が動いているように見るか、自分が動いていると見るのか。
● 地が東へ回っている視点で考えるか、天が西へ動いていると考えるか。
私は変わっていないのに、見える世界がくるっと変わる。
占いにおいても、どの視点から見るか、という陰陽の眼差しは重要です。
陰陽は「深遠で難解」と思われがちですが、本質的にはとてもシンプルです。
陰陽は、その時々でくるっと変化するものです。
常に「どう役に立てるか」という問いを持つことが大切です。
これは、西洋哲学における「プラグマティズム(実用主義)」にも通じます。
陰陽の分類法や変化の思想は、「思考の道具」であって、
その道具に振り回されては本末転倒です。
たとえば、易のはじまりは天体観測だったと言われています。
「八尺圭表」という日時計の影の長さから得られた情報は、地球が球体である限り、ある地域でしか通用しないデータにすぎません。
つまり、どんなに体系化されたものであっても、それは限られた観測範囲の中での知です。
だからこそ、最後の卦は「万物は未完成」で終わるのです。
陰陽はあくまでロジカルなツール。
深遠に見えても、理想化すべきものではなく、「活用するためのもの」として理解していくことが重要です。
「陽極まれば陰と転じ、陰極まれば陽と転ず」。
陰陽は固定された性質ではありません。
陰だったものが、ある時には陽となり、またその逆もあります。
この“くるっと変わる”世界観が、陰陽の本質です。
四柱推命の占いにも、「変化するときは途端に変わる」という考え方が底流として存在します。
陰陽の思考とは、視点の転換に近いものです。
たとえば、天が「東から西に」動いているように見えるのは、実際には地が「西から東に」回っているから。
右を見れば左が後ろになり、左を見れば右が後ろになる。
けれど、それは首を回しただけで、「私」は変わっていません。
同じものでも、視点を変えれば、まるで逆に見える。
私たちは、そのような”当たり前”の世界の中に生きています。
「あべこべ」とも言える視点の転換をしながら、その時々で、くるっと思考をひるがえす。
それが、陰陽の見方です。