中山道 第31日目
2024年12月13日
浮津船戸駅~板橋宿~江戸日本橋
JR中浦和~浮津船戸
歩行距離 15.7㎞ 帰阪
中山道 第31日目
2024年12月13日
浮津船戸駅~板橋宿~江戸日本橋
JR中浦和~浮津船戸
歩行距離 15.7㎞ 帰阪
和宮一行は24日目に江戸城に入りましたが、大阪に何度も戻っている私は31日もかかってしまいました。午前7時ころから歩き始めたので日本橋には12時前に到着しました。板橋宿は古いものと新しい物が混ざり合った面白い商店街でした。巣鴨のとげぬき地蔵を過ぎてからは日本橋まで人混みが途切れることはありませんでした。銭形平次の舞台の神田明神や「新参者」の人形町や日本橋、三井本館や三越本店などすっかりお上りさんになってしまいました。
戸田公園の所で荒川を渡ると橋の途中から東京都になります。橋の左側の歩道を渡るとすぐに旧道に入れます。
船戸の板碑群
団地のごみ集積場くらいの広さの場所で前を通っても気づかないほどです
かなり古い物のようです
もう少しです
志村坂
坂下交番から坂上交番まで約1㎞、結構な上り坂です。両方の交番わきに公衆トイレがあります。
志村の一里塚(北塚)
日本橋より三里目。両塚が現存しています。都内で現存する一里塚はここを含めて二か所だけです。
南塚
塚の脇の古い建物。区の景観保存建築に指定されています。
清水町交番から旧街道幅の道に入ります。巣鴨のとげぬき地蔵商店街が終わるところまでずっとこの幅の道が続きます。京都から来た場合には最後の旧街道の風景になります。
縁切榎
和宮一行はここを大きく迂回しました
板橋宿
庚申塔と宿の街並みを描いている
元は板製の橋がかけられていて板橋の地名(鎌倉時代より)の由来となりました
宿は上宿、仲宿、平尾宿の三宿で構成されていました。
水村玄徳宅跡
高野長英がかくまわれていました
ショッピングモール以外でKALDIを見たのは初めてです
お洒落なカフェ・べローチェの隣が昔ながらの八百屋という、なかなか活気のある商店街です。古い建物はそれほど多くありません。
加賀前田家が拝領した土地27万7千坪が板橋宿の大半を占めていました(ピンクの部分)
板橋を出て巣鴨へ
亀の子たわし本店。たわしでできたゾウ。
とげぬき地蔵方面に向かいます
都電荒川線
遮断機を渡ると、とげぬき地蔵商店街入口。
遮断機脇の庚申塚
猿田彦を祭っています
とげぬき地蔵
参道の商店街を抜けると後は日本橋まで四車線以上の大きな通りを歩きます
有名な赤門
東京大学の敷地は加賀前田藩上屋敷跡
東京大学正門
正門から日本橋側の敷地の端まで徒歩で20分以上かかりました。さすがに東大!
湯島の聖堂
元禄四年(1691)五代将軍綱吉が創建。のちに昌平坂学問所が併設されます。
神田明神
銭形平次役の大川橋蔵さんが「明神下の平次」と名乗っていたのを覚えています。敵役の箕輪の万七親分が途中からいい人になっていましたね。
昌平橋からの眺め
背景は神田郵便局とJR
捕り物帳などにしばしば登場する昌平橋
三井本館
越後屋跡
三越本店
江戸日本橋
五街道の出発点
日本橋
明治四十四年に架橋された石造り二連のアーチ橋。東京市標を抱えた獅子像がデザインされています。
麒麟がデザインされてる
東野圭吾さんの「新参者」シリーズにしばしば登場
二連アーチが見えます
日本国道路元標(復元)
旅の情報
持ち物:レインウエア、傘、防水手袋(テムレス)、常備薬、テーピングテープ、ロキソニンジェル、ヘッドランプ、蛍光たすき、トイレットペーパー、スマホ(マップは旧中山道を表示してくれる)、充電セット、着替え、タオル、ちゃんと歩ける中山道(この本を持って歩いていると同好の士だとわかり情報交換ができる)
足元:ウオーキングシューズ(防水)、ジェル製中敷き、登山用靴下、ストック
食料:水分と昼食(とにかくコンビニを見つけたら買う)、おやつ