中山道 第5日目
2023年3月29日
柏原宿~今須宿~関ケ原宿~垂井宿
JR岐阜駅~柏原駅
歩行距離 13.1㎞ 帰阪
中山道 第5日目
2023年3月29日
柏原宿~今須宿~関ケ原宿~垂井宿
JR岐阜駅~柏原駅
歩行距離 13.1㎞ 帰阪
この付近はすぐ近くにJRが走っているせいか、街道沿いには現代的な家屋が増えます。小さな子どもさんがいるお宅が多いようです。旧家屋は意外に奥行きがあり、建て替える際には道路際に広々と駐車場や庭を設け、奥に住居を建てる形式が多く見られます。不破関資料館を過ぎると国道21号線と合流します。歩道が無く、交通量も多く注意を要します。関ケ原宿中心部は国道沿いで古い町並みは残っていません。この辺りは街道歩きよりも、関ケ原の合戦や壬申の乱などの合戦場めぐりをされる人のほうが多いようです。
JRの踏切を渡って今須宿へ向かいます。長い貨物列車が線路上に長時間止めっぱなしになっていました。
近江美濃両国境と書かれた杭が立っています。「寝物語の里」の碑で写真中央の溝のような小川を挟んで美濃側に旅籠両国屋、近江側に旅籠かめ屋があり、寝ながらにして話ができたという国境の場所でした。
今須宿
広重は今須としてこの国境を描いている
芭蕉の句碑(野ざらし紀行)
「正月も美濃と近江や閏月」
今須宿
美濃十七宿には同じデザインの案内板が設置されています。(馬籠が岐阜県に編入されて十七宿となりました)
関ケ原の合戦に勝利した翌日、家康が腰掛け休息した場所。座った石は青坂神社に奉納されています。
山中踏切
今須峠からの下り道
関ケ原の合戦時の武将の陣地跡を示す標識で、他にも多数あります。この標識はブラタモリにも登場しました。
不破関跡
壬申の乱後、伊勢鈴鹿関、越前愛発関とともに設けられた律令時代の三関の1つです。
関ケ原宿
西町の茶屋風景を関ケ原宿として描いている
コメリのある交差点から国道21号線を離れ趣のある街道を垂井宿まで歩きます。旧家屋の中には、「維持してもらえるなら無料でお貸しします」という建物もありました。この先のSUZUKIの修理工場が「合戦場めぐりの方、トイレをお使いください」との掲示をしてくれていました。ありがとうございます。
桃配山
壬申の乱のときに大海人皇子が兵士に山桃を配り、戦いに勝利した故事から桃配山と呼ばれました。家康はそれに倣いこの地に最初の陣をはりました 。
野上の七つ井戸
関ケ原宿と垂井宿との中間地点にあり、江戸時代にわずかな地下水をくみ上げて飲用や灌漑など多目的に利用されました。
垂井宿
石垣の上に土塁を築いた見付を両側に、中央には参勤交代の先頭、出迎える町役人を描いている。
垂井宿西の見付(見張り場所)
各宿の入口と出口に見付が設けられていました
高札場跡
油屋卯吉家跡
昭和初期まで「亀屋」として旅籠を営んでいました。正確にはわかりませんが、1817年ころの建物と言われています。
旅の情報
関ケ原宿以外は国道を離れて静かに歩けます。その分食事場所に困るが、何度か国道に接触するのでマップ等でリサーチしておくとよい。不和関資料館は館外にトイレと自販機あり。