好きなはずの撮影が、少しだけ痛い 


どうか最後まで読める方だけ、

お進みください。


(コスプレもカメラも現像も、

始めの内からなんでも手を出すのは

珍しいのかもしれない。)


何百枚も現像して、
全部整えて渡して、
それでも投稿されるのはほんの数枚。


期待して、
落ち込んで、
遅れてしまった私のほうが
「申し訳なかった」って思ってた。


なのに、
「現像しなくていいから早く」
そんなふうに言われる。


加工する時間がないって言いながら、
毎週のように予定を入れて、
「データ遅いとモチベが…」
なら、自分のスマホで撮れば何でも自由だよ。


撮って満足なら、
高い衣装も重たいカメラも、
本当はいらなかったのかもしれない。


全部指定して、
思い通りに撮って、
「盛れてる顔」だけを求めているなら、
それはあなたの三脚の前で完結する世界だ。


光は、機材だけではつかめない。
被写体にも、
その光を受け止める準備がいる。
作品は、
ひとりじゃ生まれない。

それなのに。


衣装やウィッグの準備、

もちろん大変だと思う。

被写体としての心構えも、

と求めるのは贅沢なのだろうか。


一眼レフやミラーレスを求めるのに、
どうして画質に無頓着でいられるんだろう。


努力を偏らせたまま、
良い結果だけを望むのは、残酷だ。


大幅な加工ありきで、
別の誰かの顔へ作り替えるのなら——
どうして「あなた」である必要があるんだろう。
私は、レンズの前にいる
“目の前のあなた”に向き合っているのに。


キャラクターへの敬意は
「好き」で充分なはずなのに。
どんな顔でなければならないなんて、
ルッキズムじみた縛りを
そのキャラは望むのだろうか。


加工ばかりの現状に、
もうついていけない日がある。


自分の顔を「加工ありき」でしか
好きになれないのに、
それでもカメラの前に立ってしまう。


あなたが美人かどうかなんて関係ない。

人にはそれぞれの美しさがある。


私はそこに存在する表現が好きだ。


自信や表現に責任を持てないなら、
どうして被写体になろうとするのだろう。


どうして
いつも「決める側」でいられるんだろう。


レイヤーって、
そんなに偉いの?

併せのその一枚のために、
一日中、
慣れない仕草も、体勢も、
心まで整えてきた。


「共同制作」のはずなのに、
あの日の苦悩さえ、
数枚の裏に消えていく。


無償で差し出した想いを
当たり前みたいに消費して、
都合よく動くカメラが欲しいのなら、
その対価をプロに払ってほしい。


私は、
あなたの便利な飾りじゃない。

あなたの便利な三脚じゃない。


ほんの少し前までは
「新参だから頑張らなきゃ」
「次こそは使ってもらおう」
「いつか報われるように」
そうやって前を向いてきた。


でも、
その未来はずっと来なかった。


気づけば、
私の心だけが
静かに傷ついていた。


ここまで読んでくれたあなたへ


分かる人だけで、静かに頷けたらいい。

それで十分。 


好きなはずの撮影が、
少しだけ、痛い。



※こちらから飛び込んだ撮影については、

異論を唱えることはありません。


ただ、作品づくりの考え方が

根本的に違うと感じる方は——

どうか、私をお誘いにならないでください。


お互いのために。

好きな撮影を、好きなままにするために。


そして偶然これを見つけても、

どうか見ていないふりを。

もしここでお別れになったら、

これまでへの感謝を。