玉城一枝「藤ノ木古墳の南側被葬者男性説は成り立つのか ―片山一道氏の批判に答える―」同志社大学考古学シリーズⅪ『森浩一先生に学ぶ―森浩一先生追悼論集―』2015年1月30日
玉城一枝「藤ノ木古墳被葬者の性別をめぐる考古学的考察」白石太一郎先生傘寿記念論文集『古墳と国家形成期の諸問題』2019年10月25日 山川出版社
玉城一枝「藤ノ木古墳の被葬者と装身具の性差をめぐって」大阪府立近つ飛鳥博物館図録46『平成20年度秋季特別展 考古学からみた古代の女性 巫女王卑弥呼の残影』2008年10月11日
○藤ノ木古墳被葬者の性判別分析を検証する1
藤ノ木古墳の家形石棺には二人の人物が葬られていた。『斑鳩 藤ノ木古墳第二・三次調査報告書』の「Ⅶ人骨」(※1。以下「池田・片山1993」)では、南側に葬られていた人物の骨を1号人骨、北側に葬られていた人物の骨を2号人骨とし、それぞれの足骨の計測値に基づいて男性か女性かの性判別分析を行っている。以下の表は、池田・片山1993に掲載されている足骨の計測値(表33)、近畿現代人の距骨と踵骨の性判別値(表25)、近畿現代人の性判別式による判別得点と的中率(表26)である(※2)。
※1 池田次郎・片山一道 1993 「Ⅶ人骨」『斑鳩 藤ノ木古墳第二・三次調査報告書』奈良県立橿原考古学研究所
※2 表25・26の多賀谷1992は、池田・片山1993の引用文献に「多賀谷 昭 1992 私信」とだけ記されている。
池田・片山1993では、1号人骨距骨の判別得点を1.082、同じく踵骨の判別得点を3.974とし、これら判別得点から1号人骨が男性である確率を距骨で91.9%、踵骨で99.99%としている(114頁)。
しかし、検算すると距骨の判別得点は2.713で計算が合わない(表A)。また、踵骨は2項目の計測値がなく判別得点を求めることができない(表B)。さらに、池田・片山1993では、2号人骨の距骨の判別得点を2.308としているが(115頁)、これも検算すると1.397で計算が合わない(表A)。
○藤ノ木古墳被葬者の性判別分析を検証する2
1)はじめに
前項に記したとおり、池田・片山1993の性判別分析には矛盾がある。このことは玉城2015の補論で指摘したが、それ以後、池田・片山1993の執筆者の一人である片山一道氏からも、性判別式の作成者とされる多賀谷昭氏からも応答がない。個人名で発表した論文ならまだしも、池田・片山1993は公的機関が発行した調査報告書(橿原考古学研究所1993)に掲載されたものであるから、指摘された矛盾について執筆者あるいは作成者から説明なり反論があってしかるべきであろう。
しかし、このまま推移を眺めているだけでは、調査報告書の記載が事実として定着することになりかねない。そこで、本項では、池田・片山1993の性判別分析と同一の資料を用いて判別分析を行い、どのような結果が得られるか検証する。
※引用・参考文献は「検証する3」の末尾に掲載。
2)性判別分析の資料
池田・片山1993の性判別分析に用いられている資料は、平井・田幡1928の距骨(TALUS)計測値から6項目、踵骨(CALCANEUS)計測値から5項目を取り出したものである。なお、池田・片山1993-表25の距骨後間接面幅は、用語の意味としては「Breite der Facies articularis calcanea posterior」を指すのであろうが、池田・片山1993-表33に引用されている平均値と最大値は滑車(背面)幅「Hintere Breite der Trochlea」と一致する。そのため、距骨右足の滑車(背面)幅を含む6項目の計測値を表2に、同じく後間接面幅を含む6項目の計測値を表4に、踵骨右足5項目の計測値を表6に引用した(表2~7は、次表の「表2~7」タブを選択するか、次々表をスクロールしてご覧いただきたい)。
平井・田幡1928は、1924年から1928年にかけて、人類学雑誌に発表された「現代日本人人骨の人類學的研究」の一部である。当然、掲載されている計測値は、現在から100年以上前の日本人人骨のものであり、池田・片山1993でも「明治時代前半に近畿地方で出生した日本人骨格である」と明記されている(129頁-註1)。文中や表題に「近畿現代人」と記されていても、池田・片山1993が発表された頃の日本人人骨の計測値ではないので注意されたい。
「現代日本人人骨の人類学的研究」で用いられた日本人人骨は、当時の京都帝国大学解剖学教室が所蔵していた全身骨格から選ばれた、滋賀県を含む畿内出身で成年ないし熟年の男性30例、女性20例である(宮本1924)。「現代日本人人骨の人類学的研究」に準じて、男性30例を「標本♂1~♂30」、女性20例を「標本♀1~♀20」とし、宮本1924に掲載されている年齢と身長を表1に示す。このうち、♂23は距骨・踵骨の計測値が掲載されておらず、♂9と♂14は右踵骨の計測値が掲載されていないため、距骨の判別分析に用いる男性は29例、踵骨の判別分析に用いる男性は27例となる(この点、池田・片山1993-表26で、踵骨の男性例数が29、的中率の分母が49となっているのは不可解である)。
3)(線形)判別分析について
判別分析は多変量解析の一種で、同じ数値データのあるA・Bの2群(本例では♂と♀)について、両群を最もよく分離する各数値データの重み=判別係数を求める分析方法である。A・Bの2群を最もよく分離する判別係数とは、両群の数値データ全体の変動(全変動)に対するA群とB群の平均値の変動(群間変動)の比=相関比を最大にするものである(詳しくは多変量解析の解説書を参照されたい)。数値データ1、数値データ2、数値データ3・・・数値データnに対して求めた判別係数をK1、K2、K3・・・Knとすると、数値データ1×K1+数値データ2×K2+数値データ3×K3・・・+数値データn×Kn=判別得点となり、判別得点>0ならA群、判別得点<0ならB群と判断する。数値データの項目が多くなるにつれて計算量は膨大になるが、表計算ソフトとそれに対応した解説書(竹内・酒折2006、藤本2011など)を用いればそれほど難しくはない。
また、少し工夫すれば、マイクロソフト社のExcelに標準搭載されている分析ツール「回帰分析」を用いて判別分析を行うことが可能である。表2・4・6(表2~7は、次表をスクロールしてご覧いただきたい)の「性別」欄は、そのために設けたもので、値は男性=女性数÷全体数、女性=-1×男性数÷全体数である。Excelの分析ツール「回帰分析」で、性別を目的変数、計測値全体を説明変数として実行すると、瞬時に結果が出力される。
結果下段の表にある「係数」欄で、最上段の「切片」が定数、その下が各数値データの判別係数となる(項目名まで含めて範囲指定し、最上行をラベルとすればわかりやすい)。また、中段の表にある「変動」欄で、「回帰」行の数値が群間変動に、「全体」行の数値が全変動に、上段の表にある「重決定R2」の数値が相関比に当たる。データさえ入力すれば、数式の設定など必要なく実行できるので非常に有用である。
4)分析結果
右距骨について求めた判別係数・定数を表3・5(表3は滑車背面幅、表5は後間接面幅を用いた)の「a回帰分析」と「b相関比」行に記し、それから求めた判別得点を表2・4の性判別得点1欄と同2欄に示した。また、多賀谷昭氏が求めたとされる判別係数・定数を表3・5の「c多賀谷1992」行に、それから求めた判別得点を表2・4の性判別得点3欄に示した。
「a回帰分析」と「b相関比」の判別係数・定数および判別得点が異なっているが、これは問題ない。判別分析では、判別係数・定数の絶対値ではなく比に意味がある。表3・5のb/a行を見れば、「a回帰分析」の判別係数・定数と「b相関比」の判別係数・定数は、いずれも定数倍の関係にあることがわかる。判別得点も定数倍となっているので、判別結果(表2・4の判別得点の正負)も相関比(表3・5の相関比欄)も完全に一致している。
それに対し表3・5のc/a行に示すとおり、「c多賀谷1992」と「a回帰分析」(「b相関比」も)とでは、判別係数・定数の比は一定しておらず、判別結果も一致しない(判別得点の全体平均が0にならないので、全体平均の値を閾値として判断した)。表6・7に示した右踵骨の判別分析についても、同様である。
同じ数値データに同じ計算処理をして解が異なる場合、少なくともいずれかは誤りである。表3・5・7における「c多賀谷1992」の判別係数・定数を用いた判別得点は、「a回帰分析」・「b相関比」を用いた判別得点に対して的中率が低く、相関比も低い。また、前項で指摘したとおり、藤ノ木古墳被葬者足骨の計測値(池田・片山1993-表33)から求めた判別得点は、池田・片山1993本文中に記された判別得点とことごとく一致しない。さらに、池田・片山1993-表26に示されている現代人男性・女性の判別得点平均値と的中率も、本項で求めた値(表2・4・6の右下欄外)と異なっている。以上のことから、池田・片山1993の性判別分析が誤っていることは明らかと思われる。
では、「a回帰分析」の判別係数・定数を用いて、藤ノ木古墳被葬者足骨の判別得点を求めると、どのような値になるであろうか。結果は以下のとおりで、南側被葬者・北側被葬者とも判定は男となる(「b相関比」を用いても結果は同じである)。
南側被葬者 右足距骨の判別得点=0.5446(表3)または0.6739(表5)
北側被葬者 右足距骨の判別得点=0.1683(表3)または0.2786(表5)
北側被葬者 右足踵骨の判別得点=0.6550(表7)
しかし、この結果から藤ノ木古墳の被葬者を二人とも男性とするのは早計である。この点について、項を改めて検討する。
(入倉徳裕 2024/06/08)
○藤ノ木古墳被葬者の性判別分析を検証する3
1)池田・片山1993の性判別分析の問題点
池田・片山1993の性判別分析に数値的誤りがあることは前項で述べたとおりである。しかし、より根本的な問題は、明治時代人の骨格の計測値から求めた性判別式を、全く時代の異なる古墳時代人の骨格に適用していることである。
一般にもよく知られている事実として、日本人の頭型は鎌倉時代から現代に至るまで短頭化(頭蓋骨の前後長に対し横幅が大きくなる現象)が進んでいる(鈴木1963)。同じ日本人といえども、時代によって骨格の形状や大きさが変化している可能性があるならば、ある時代の骨格の計測値から求めた性判別式を、別の時代の骨格に用いるのは慎重であらねばならない。
平本嘉助は、関東地方出土人骨の大腿骨最大長から藤井明1960の推定式によって身長を求め、それを時代別に整理している(平本1972、1981)。表8に、平本1972―Tabl.2の値を引用する。表8をみると、平均身長は男女とも、古墳時代が最も高く、明治時代が最も低い。標本自体は大きくはないものの、ウェルチ検定で求めたt値は十分に大きく、危険率1%未満で、男女とも明治時代人より古墳時代人の身長が高いといえる。
一般に、身長が高ければ骨格も大きくなるであろうから、身長の低い明治時代人の骨格から求めた性判別式を身長の高い古墳時代人に適用すれば、誤判別率が高くなる可能性がある。
2)人骨の計測値による性判別式の信頼度について
上記のことは、改めて筆者が指摘するまでもなく、すでに複数の人類学者、法医学者が具体的に言及している。以下に、それらを紹介する。
①中橋孝博・永井昌文1986
中橋・永井は、「保存不良な人骨に対しても適用可能な性判定法を得るため、頭蓋、四肢、骨盤の比較的遺存しやすい部分を選んで計18項目の計測値、示数を求め、それを基にした判別関数法を、現代、中世(吉母浜)、弥生(金隈、土井ケ浜)の4集団に適用」している。その結果、現代人骨の計測値、示数(2~8項目の組み合わせ)から求めた判別式を現代人骨に適用した場合、的中率は81.3~98.5%であった。
次に、それを古人骨に適用すると、「吉母浜中世人に関しては、全体的に現代人での結果と大差ない確率での判定が可能」であったが、「より古い弥生の2集団に対しては、用いる項目によって判別率のかなりの低下と男女差、つまり計測値の差に因る境界値のずれから、男性ではほぼ100%の適中率なのに、女性では大きく低下するといった片寄りがみられた」。「これは主に用いた項目の時代差、つまり、一 般的に時代を遡る程、計測値が大 きくなることによるものと考えられる」としている。
そのため「ある集団に対する判別関数は、時代や地域が同じか、近い関係にある集団に対してはかなり有効かと考えるが、遠い関係にある集団、あるいは所属不明の人骨に適用する場合は、集団差の少ない項目(中略)に限定して用いるべき」とする(中橋は、池田・片山1993の性判別分析に対し「報告を読む限り、論の立て方に矛盾は認められません」とコメント〔宮代2009〕しているが、本論文の記述と矛盾しているのではなかろうか)。
②加藤克知1987
加藤克知は、人骨の計測値から性判別式を求めるには、骨の保存性、計測の容易さなどから四肢長骨の骨幹周径を用いる方法が最も実用性が高いとする。一方、「骨格には人種差、地域差および時代差などがあり、ある集団から得た判別式を直ちに同じ的中率で別の集団に適用できるわけではない」ことから、「新潟地方現代日本人の四肢長骨の長さと太さ、特に後者を中心に線形判別分析を用いた性別判定の可能性を検討し、さらに得られた判別式が縄文時代人集団へどの程度の効率で適用できるかについて調べ」ている。
その結果、現代人骨の計測値から求めた性判別式を現代人骨に適用した場合、全8項目を用いた場合の的中率は87.8%、2~4項目を用いた場合の的中率は73.5~88.8%であった。次に、それを縄文時代人骨に適用した場合、「いずれの式でも、男性例では本来の性への正の判別率は現代人の場合よりむしろ高いが,逆に女性例では正の判別率はかなり低下」した(概して10%程度)。
これは、「縄文時代人の四肢骨が現代人よりも太く、計測値の差による境界値のずれ」を生じることが原因と考えられ、「現代人四肢骨の太さから導いた判別式を縄文時代人に適用するには、十分な注意が必要」と述べている。
③長岡朋人・平田和明2009
長岡・平田は、「破損した古人骨の性別判定法を確立するために、(1)古人骨自体に基づいて性別判定法を求めること、(2)破損した古人骨でも残りやすいと思われる部位を計測すること、(3)少数の変数の組み合わせで性別判定の判別式を算出すること」を目的として、鎌倉市由比ガ浜南遺跡出土中世人骨のうち、上腕骨・橈骨・大腿骨の骨頭、骨頸周径を用いて性判別式を求めている。
性判別式の適用結果は、1項目を用いた場合で85.1~93.6%、2項目を用いた場合は93.9%の的中率であった。しかし、それを時代の異なる江戸時代人骨(一橋高校遺跡および池之端七軒町遺跡出土人骨)に適用したところ、的中率は約10%低下したという。
このことから、「現代人骨に基づく判別式を古人骨に当てはめるのと同様、時代の異なる資料の性別判定に使う場合にはその正確性が問題となる」と述べている。
④小川好則・宮坂祥夫・今泉和彦・吉野峰生2010
小川らは、頭骨の計測値から求めた性判別式について、「日本人の頭の形は、この100年間において頭幅の増大を代表とした急速な変化が生じていると言われている」が、「一方、現在指標としている平均値や判別式の報告時に対象とされた試料の生存年代は、1800年代から1900年代前半のものがほとんどである」ため、「現代の日本人が対象となる可能性が高い日本国内の法科学分野においては、それらの生存年代のやや古い試料から算出された指標によって推定した時、その得られた結果の信頼性の低下には注意を払う必要がある」とする。
そして、「科学警察研究所に保管されている白骨検査記録から、現代人の頭蓋計測データを収集し、その基本統計量を示すとともに、約50年前に報告され、かつ現在も頻繁に用いられている埴原(筆者注、埴原1959)の判別式の信頼性を、両集団の同性同項目間の平均値の差の検定と、判別結果から算出される誤判別率の2点から検証」している。
その結果、「現代人の計測値を判別式へ代入し、誤判別率を算出したところ、報告時に示されている誤判別率の理論値に比べ、男性の頭蓋を女性のものと誤判別する確率は低く、一方、女性の頭蓋を男性のものと誤判別する確率は高いものであった」とする。
これは、現代人の頭蓋の計測値が、「複数の項目で平均値が有意に大きなものであったため、男性、女性ともに得られる判別得点は増加し」、埴原1959の判別限界値を用いた場合、女性頭蓋の多数が男性側の判別領域に入ることによると述べている。
3)結語
本項1)で述べたように、縄文時代から明治時代までの間では、古墳時代人の身長が最も高く、明治時代人が最も低い。人骨資料が増加すれば、値は変動するとしても、大勢は変わらないであろう。池田・片山1993の性判別式は、明治時代人骨の計測値から求めたものであるから、それを古墳時代人骨に適用した場合、小川ら検証結果と同じく、男女とも判別得点が大きくなり、女性人骨を男性人骨と誤判別する確率が高くなるのは確実である。これを補正するには、性別が明らかな古墳時代人骨(距骨・踵骨)の計測値を一定数収集し、それに基づく性判別式を作成することが必要である。しかし、現状ではそれが示されていないため、藤ノ木古墳南側被葬者の性別を距骨・踵骨の計測値から求めることはできない。したがって、玉城一枝が述べるとおり、「藤ノ木古墳南側被葬者はやはり性別不明として扱うことが適切であり、現時点でとるべき学問的態度であると思う」(玉城2015)。
追記
なお、玉城は、明治時代の日本人には社会階層によって身長差があったとするベルツの報告から、「このような社会階層による体格の差は古代にも通じることだと思う」(玉城2008)とする。近代のイギリスにも、階層による体格差があったことは、ケンブリッジ大学教授のW.R.Inge(1860~1939)がその著“England”で述べている。参考までに、その箇所を小川東一の訳書から引用しておく。
「階級によって体格が違っている点では、わが英国は他のいづれの国よりも甚だしいのは事実である。英国のパブリック・スクール、特にイートンを訪れた人は誰でも上級生の身長が非常に高いのにきっと驚いたであろう。『家柄の良い人達』や社交界の人々の集まる(例えば)舞踏会へ入っても同じ印象を受ける。貴族階級の平均身長は労働者よりも優に3吋は高いに違いない。特に地方人では、南部ではケントだけを入れて、北部の者の方がよく成長している。しかし、貧民窟に住む者の体格が劣等なのは、正しい観察者なら誰でも注目するところである。この人達はまるで人種が違うのではないかと思えるくらいで、上位の階級に比べて劣るだけでなく、大陸諸国の同じ階級のものに比べても劣っている」
引用・参考文献
池田次郎・片山一道1993「Ⅶ 人骨」『斑鳩 藤ノ木古墳 第二・三次調査報告書』奈良県立橿原考古学研究所
小川好則・宮坂祥夫・今泉和彦・吉野峰生2010「現代日本人頭蓋の性別推定における判別関数法の再評価」『法科学技術』15-1
片山一道2013「藤ノ木古墳人骨再考 ―南側被葬者は男性である―」奈良県立橿原考古学研究所編『橿原考古学研究所論集 第16』八木書店
加藤克知1987「四肢長骨の長さと太さによる性別判定」『長崎大学医療技術短期大学部紀要』1
鈴木 尚1963『日本人の骨』岩波新書
竹内光悦・酒折文武2006『Excelで学ぶ理論と技術 多変量解析』ソフトバンククリエイティブ社
田中武史・埴原和郎・小泉清隆1979「判別関数による現代日本人頭骨の性別判定法」『札幌医誌』48-6
玉城一枝1992「足玉考」『考古学と生活文化』同志社大学考古学シリーズⅤ
玉城一枝1994「手玉考」『橿原考古学研究所論集』12 吉川弘文館
玉城一枝2008「藤ノ木古墳の被葬者と装身具の性差をめぐって」『平成20年度秋季特別展 考古学からみた古代の女性 巫女王卑弥呼の残影』 大阪府立近つ飛鳥博物館図録46
玉城一枝2015「藤ノ木古墳の南側被葬者男性論は成り立つのか ―片山一道氏の批判に答える―」『森浩一先生に学ぶ―森浩一先生追悼論集―』同志社大学考古学シリーズⅪ
玉城一枝2019「藤ノ木古墳被葬者の性別をめぐる考古学的考察」白石太一郎先生傘寿記念論文集『古墳と国家形成期の諸問題』山川出版社
長岡朋人・平田和明2009「四肢長骨の骨頭・骨頚の周径に基づく中世人骨の性別判定」『Anthropological Science (Japanese Series) 』Vol. 117-1
中橋孝博・永井昌文1986「Sex Assessment of Fragmentary Skeletal Remains」『人類学雑誌』94-3
奈良県立橿原考古学研究所1993『斑鳩 藤ノ木古墳 第二・三次調査報告書』
埴原和郎1959「判別函数による日本人頭骨ならびに肩甲骨の性別判定法」『人類学雑誌』67-4
平井 隆・田幡丈夫1928「現代日本人人骨の人類学的研究 第四部 下肢骨の研究 其二 足趾骨に就て」『人類学雑誌』43-第二附録
平本嘉助1972「繩文時代から現代に至る関東地方人身長の時代的変化」『人類学雑誌』80-3
平本嘉助1981「骨からみた日本人身長の移り変わり」『考古学ジャーナル』197ニューサイエンス社
藤井 明1960「四肢長骨の長さと身長の関係に就て」『順天堂大学体育学部紀要』3
藤本 壱2011『Excelでできるらくらく統計解析 増補版』自由国民社
宮代栄一2009「藤ノ木古墳被葬者 考古学者が新説『男と男』ではなく『男と女』?」2009年9月14日付朝日新聞
宮本博人1924「現代日本人人骨の人類学的研究 第一部 頭蓋骨の研究」『人類学雑誌』39-10~12
W.R.Inge著、小川東一訳1939『英国論』松山房
(入倉徳裕 2024/06/08)
○藤ノ木古墳出土の馬具は女性用?
藤ノ木古墳からは3セット分の馬具が出土している。そのうち最もよく知られているのは、象や鳳凰などが透かし彫りされた金銅製鞍金具を持つものである。1996年、国立歴史民俗博物館副館長(当時)の佐原真が、松本清張、門脇禎二との鼎談において、この馬具を女性用とする説を紹介している。以下、松本清張他1996から当該部分を引用する。
佐原 ところで、私は猪熊兼勝さんから教わったんですけれども、あの立派な鞍は女性用なんですね。
松本 ええっ。女性用?
佐原 鞍の後ろの板の内側に把手が付いてまして、把手を掴んで横乗りするんです。これは韓国慶州の皇南大塚の北墳からも出ていて、そこでは「夫人帯」と書いた付札も出ていますから、間違いなさそうです。
松本 だけど、あの二体の遺体は男でしょう。
佐原 ええ。九一年の十月に片山一道さんが骨を調べて、九〇パーセントの精度で両方とも男だと発表されました。
松本 すると女性用の鞍と被葬者の男性の問題はどうなりますか。
佐原 そのお答えの前に、実は、藤ノ木では足くびを玉で飾っています。これもまた女の埴輪に共通するので、猪熊さんは考古学だけで考えると、女説はすてがたいというのです。しかし人骨が九〇パーセント男だとなると、それをイエスといわざるをえないのです。
※1 松本清張他 1996 『日本史七つの謎』講談社文庫