1. 研究の背景と概要

1980年代半ばの光電子分光を用いた研究で、Ni, Co, Feなどの重い3d遷移金属の酸化物が、現在 "電荷移動型" と呼ばれている電子構造を持つことが明らかにさた [1]。電荷移動型の物質の最大の特徴は、ドープされたホールが遷移金属イオンのd 軌道ではなく酸素イオンのp軌道に入り、遷移金属イオンと反強磁性的なスピンの結合をすることである。この結合状態は高温超伝導銅酸化物においてはZhang-Rice シングレットと呼ばれるスピン1重項となり、高温超伝導体の異常な伝導現象を担 っていることはよく知られている。"電荷移動型" の概念は、その後の実験的・理論的な検証を通じて、遷移金属化合物の研究における基本的な概念として定着してき た。最近話題となっている巨大磁気抵抗を示すペロブスカイト型Mn酸化物も、ドープされたホールがかなりの部分が酸素サイトに分布していることがわかっている。

本研究では、より純粋に酸素サイトにホールが分布することが期待される、高い原子価を持った重い3d遷移元素(Mn4+, Fe4+, Co4+, Ni3+, Cu3+等)の酸化物の特徴的な物性に着目する。酸素ホールの引き起こす現象は、高温超伝導に限らず実に多様であることが、最近の研究により徐々に明かにされてきている。上記のような反強磁性的な相互作用にもかかわらず、酸素ホールは強磁性を引き起こすことも、ごく普通の金属としてふるまうこともあり、また局在化する過程で、電荷の不均化、電荷・スピンの整列、酸素バンド中のギャップ形成("負電荷移動型絶縁体" の形成)[2] など特異な物性を示す。本研究では、これらの物性の出現機構の解明、新しい物性の開拓、新物質・新材料の探索を行うものである。

2. 目的、内容

本研究で重点的に取りあげる物質の一つであるペロブスカイト型Fe酸化物は、電荷不均化、電荷・スピンの秩序化、反強磁性-強磁性転移、金属-絶縁体転移など多彩な現象を示すことがメスバウアー分光、中性子散乱等でで明らかにされている [3]。一方、この物質ではドープされたホールが最も純粋な形で酸素に分布している(形式価数"Fe4+"の状態は、実際はFe3++酸素ホール(d5L)となっている)ことが光電子分光から示唆されている [4]。従って、伝統的な混合原子価(Fe3+ (d5), Fe4+ (d4), Fe5+ (d3))モデルではなく、酸素ホールとそれを媒介としたFeの局在スピン間の相互作用として上記の現象をとらえなおすことが必要である。我々は最近、反強磁性半導体CaFeO3のCo置換による強磁性金属への転移を、酸素に局在したホール対の融解(遍歴化)として解釈することを提案しており [5]、これを微視的な実験や電子状態の解析により検証し明確化していく必要がある。また、強磁性酸化物として重要な物質であるCrO2の強磁性出現機構として、遍歴的な酸素ホールを介したCr局在スピン間の2重交換相互作用機構が理論グループから提案されており [6]、実験的な検証が待たれている。その他にも、酸素ホールの挙動が鍵を握っていると考えられる現象と物質は広範囲にわたっている。本研究の対象と目的は:

(1) 酸素ホールの整列・不均化により生じる電荷・スピン秩序の構造、および整列・不均化が引き起こす格子変形を同定する。そのフィリング、バンド幅依存性を系統的に調べ、ホール整列・不均化の機構を解明する。とくに、Fe混合原子価モデルで説明できない酸素ホール特有の現象を同定し究明する。(La1-xSrxFeO3, CaFeO3。酸素ホールの挙動に対する軌道および結晶場の効果は、La1-xSrxCoO3, La1-xSrxMnO3との比較・対照から同定する)。

(2) 圧力、原子置換によるバンド幅制御を行い、酸素ホールの局在ョ非局在転移とそれが引き起こす強磁性の出現機構を解明する。このために、転移近傍の酸素ホールの動的なふるまいを実験的に調べる。同時に、新しい電子相の探索も行う。(Ca1-xSrxFeO3, SrFe1-xCoxO3, CrO2)

(3) ホール濃度が100 %に達したときに出現する"負電荷移動型絶縁体" とそこからの金属-絶縁体転移によって生じる金属状態は、モット-ハバード型、電荷移動型に続く第3の電子構造と考えられる [2,7]。このような電子状態、金属-絶縁体転移機構はまだ本質的な理解には程遠いので、これらの解明を目指す。(CaFeO3, BaNiO3, LaCuO3, LaNiO3)

(4) 酸素ホールが引き起こす新しい量子現象(スピンと軌道のからんだ磁気フラストレーション、1次元磁性など)を探索し、機構を解明する。(LiNiO2, NaNiO2, BaCoO3)

3. 研究の進め方

本研究では以上の目的のために、次のように研究を進める。上記の酸化物はいずれも遷移金属が異常に高い原子価をとっており、強い酸化雰囲気で試料合成をする必要がある。これに有効な高圧合成、レーザーアブレーションによる単結晶育成を行う。酸素ホールの電荷・スピン整列、格子変形との結合など静的な挙動を、X線回折、電子線回折、中性子回折により調べる。遷移金属サイトの静的・局所的なスピン状態・軌道磁気モーメントの情報はメスバウアー分光 [3,8]、内殻吸収磁気円二色性の測定より得る。これらの実験結果の理論的な説明を、光電子分光で求めた電子構造パラメータを用いたハートリー・フォック近似ハンド計算で行い、電荷・スピン整列の機構を調べる。バンド幅制御による電子状態の変化、新しい電子相の出現を検証するために、磁気・伝導測定、メスバウアー分光 [9] を高圧下でも行う。格子振動を含めた酸素ホールのダイナミックスを、高分解能光電子分光(電荷・スピンゆらぎ)、非弾性中性子散乱(スピンゆらぎ)、核共鳴非弾性散乱(電荷ゆらぎ) [9]を用いて調べる。これらの結果を新しい視点で統一的・系統的に見直し、物性の出現機構を明らかにし、その成果を、物質合成、新物質開発にフィードバックしてゆく。

以上の研究を遂行するために、本研究課題の研究組織は複数の研究機関にまたがる専門家で構成され、これらが有機的に協力する。さらに、研究組織外の研究者とも、必要に応じて試料提供、測定・解析依頼を行い共同研究を行ってゆく。

[1] A. Fujimori and F. Minami, Phys. Rev. B 30 (1984) 957; J. Zaanen, G. A. Sawatzky, and J. W. Allen, Phys. Rev. Lett. 55 (1985) 418.

[2] T. Mizokawa, H. Namatame, A. Fujimori, K. Akeyama, H. Kondoh, H. Kuroda, and N. Kosugi, Phys. Rev. Lett. 67 (1991) 1638.

[3] M. Takano, J. Kawachi, N. Nakanishi, and Y. Takeda, J. Solid State Chem. 39 (1981) 75; J. Q. Li, Y. Matsui, S. K. Park, an Y. Tokura, Phys. Rev. Lett. 79 (1997) 297.

[4] A. E. Bocquet, A. Fujimori. H. Namatame, S. Suga, N. Kimizuka, Y. Takeda, and M. Takano, Phys. Rev. B 45 (1992) 1561.

[5] S. Kawasaki, M. Takano, R. Kanno, T. Takeda, and A. Fujimori, J. Phys. Soc. Jpn. 67 (1998) 1529.

[7] T. Mizokawa, A. Fujimori, H. Namatame, Y. Takeda, and M. Takano, Phys. Rev. B 57 (1998) 9550.

[6] M. A. Korotin, V. I. Anisimov, D. I. Khomskii, and G. A. Sawatzky, Phys. Rev. Lett. (1998) 4305.

[8] M. Takano, S. Nasu, T. Abe, K. Yamamoto, S. Endo, Y. Takeda, and J. B. Goodenough, Phys. Rev. Lett. 67 (1991) 3267.

[9] M. Seto, Y. Yoda, S. Kikuta, X. W. Zhang and M. Ando, Phys. Rev. Lett. 74 (1995) 3828.