法政大学にはボアソナード・タワーという高層の建物があります。この名前は本学の草創期に大きな役割を果たしたボアソナード博士に由来しています。パリ大学の教授だったボアソナード博士は、「御雇い外国人」として明治時代の日本の近代法の整備に貢献するとともに、教育者として優れた弟子を育てました。本学の創設者である薩埵(さった)正邦もその一人です。薩埵正邦は、博士の弟子とともに1880年に東京法学社を設立します。これが今日の法政大学の源流です。1886年、東京法学社は法学にとどまらないフランス研究を専門としていた東京仏学校と合併し、和仏法律学校となります。「自由と進歩」を建学の理念として掲げる法政大学の歴史には、このようにフランスの精神が強く脈打っています。
「粗末な教室の扉を開け、ボアソナードは息を呑んだ。薄暗い講堂の中から、若者たちのまなざしが一斉に降り注いだ。300名はいるだろうか。身動きもできないほどに連なっている。何かを求めるようなぎらぎら輝く瞳がボアソナードの一挙手一投足を追った。ボアソナードは彼らの一人一人に目をやりながらゆっくりと教壇へ登った。粗末な壊れかけた壁の際まで若者たちがいた。彼らの期待に弾む心臓の鼓動がボアソナードには聞こえたような気がした。『私は……』 横で卯八に通訳するよう、名村が促した。卯八は、ボアソナードの次の言葉を待った。『私は、諸君に会えて、光栄である』 ボアソナードは自分でも驚いた。卯八と名村も驚きの表情でボアソナードに目を向け、卯八がゆっくりと日本語に訳す。拍手が湧き起こる。若者たちの熱気が音にならぬ地響きのように足元を覆った」
出典:小松良則『汝人を害することなかれ 明治政府とボアソナード』文芸社、2018年、166頁。※小説です。
フランスはヨーロッパ主要国のちょうど中央に位置しています。ドーヴァー海峡の対岸にはイギリスが、ライン河の向こう岸にはドイツが、アルプスの山々の彼方にはイタリアが、ピレネー山脈の反対側にはスペインが位置しています。この地理的環境は、フランスが今日にいたるまで文明の十字路として存在し、周囲の国々から多くの文物や人の流れを受け入れてきた一方で、フランス語はまわりの国々に大きな影響を与えてきたことを説明してくれます。辞典を引けば分かる通り、実に多くの英単語の語源が、ラテン語→フランス語→英語という流れで表示されています。11世紀の「ノルマン・コンクエスト」は、フランス王の家臣であったノルマンディ公がイングランドを征服した事件であり、その後イギリスの文化や法制度の中に当時のフランス語からの影響が残りました。英語や英語圏の文化をより深く理解する上でも、フランス語の学習はその一助となるのです。17世紀から19世紀のヨーロッパにおいても、国境を越えた上流階級や文化人に共通の言語として汎ヨーロッパ的な影響力を及ぼしました。20世紀に入ると、フランスはヨーロッパ連合の原加盟国のひとつとして、ドイツとともにヨーロッパ統合を主導してきました。
フランスの文化も魅力いっぱいです。たとえば映画の発明者リュミエール兄弟はフランス人です。首都パリはファッションの中心地と言われるように、世界中からモード関係者が集まる場所です。また、少子化対策や高齢化社会への対応、環境にやさしい公共交通機関の整備といった分野においても先進的な取り組みがなされており、わが国の未来を考えるうえで参考になる多くの事柄がフランスにはあります。またフランス人から見ても、日本の文化は魅力的で、パリ郊外で毎年開催されるポップカルチャーの見本市、ジャパンエキスポには10万人を超える人びとが足を運びます。
このように世界へと広がるフランス語圏について学ぶため、法政大学には様々な制度が整っています。まず、大学全体ではフランスや、フランス語圏カナダ(ケベック州)の複数大学への奨学金付き「派遣留学制度」があり、多くの学部では「スタディ・アブロード(SA)」と呼ばれる留学制度などが充実しています。授業関連では、2012年度には音声や映像を重視した教育を行うCALL教室が増設され、ピア・ラーニング・スペースに所蔵される多数のフランス語圏の映画・教材も学生は自由に閲覧することができます。授業以外では、頻繁にフランス(語圏)関連の企画・催し物も行われ、留学生と交流できる「フランス語カフェ」も開催しています。最後に、2018年度秋学期からは「北米文化論(ケベック講座)」というカナダ・ケベック州政府寄付講座が国際文化学部において開講されました。
― 胸像受領の辞 ― 法政大学総長 大内兵衛 (1954年)
出典 ボアソナード博士記念事業会編『G.E.ボアソナード教授』ボアソナード博士記念事業会、1954年、23-24頁。法政大学図書館URL http://opac.lib.hosei.ac.jp/opac/opac_link/bibid/1110171940
法政大学は明治12年、東京法学社のちに和仏法律学校という名で神田小川町の一角に声をあげたときから、ボアソナード先生にお世話になりました。というよりは、先生に教えをうけるためにこの学校ができたといったほうがいいでしょう。それから十数年、先生はこの学校を育ててくださいました。明治20年代の民法論争以後、法政大学が日本におけるフランス法学者の牙城となったのも、先生が、この学校の創立関係者であり、また直接に先生に教えをうけたフランス法系の大法律学者梅謙次郎、富井政章先生が先生の志をついで本学を経営されたからであります。
1934年、当時のボアソナード博士記念事業委員会が当時のフランス大使を通じて本学におくられたボアソナード博士の像は、法政大学の総長室におかれていましたが、幸いにも戦災にたえました。
今回、ボアソナード博士記念事業会が、その事業のひとつとして、ボアソナード先生の胸像を作り、その一基を本学に贈呈されました。これをここにお受けすることは本学至上の光栄とするところであります。〔中略〕
ボアソナード先生は、今日以後、総長室を出て、この大学院の前の庭に立つことになりました。自然、これより、
毎日ここに出入りする教授学生によって仰ぎ見られることになるのであります。
ボアソナード先生は、明治日本の建設に力をかされた外国人中、その第一人者であります。そしてそうあったのは、先生が、伝統あるフランス法学の輝かしき代表者であったのみではない。実に偉大なる人道主義のチャンピオンとして、当時の日本と日本人とを世界的社会に仲間入りさせるために、深く日本と日本人を愛したからであります。甚だおはずかしい次第でありますが、法政大学はこの20年間、その光栄ある歴史にそむいて、フランス文化の日本における学問的根拠地たることをおこたった謗りをまぬかれません。このことは、単にボアソナード先生に対する忘恩であるばかりではありません。ほんとうの意味におけるデモクラシーに対し、また先生の信条であった世界的な人道主義に対する怠まんであります。法政大学は、いま甚だしい戦禍をうけまして、いろいろの点で再建途上にあります。いうまでもなく、その昔の学問に対する自由の精神と真理に対する愛情とをまずもって大いに昂揚しなくてはなりません。その意味においては、ボアソナード先生により建学の精神をも復興しなくてはなりません。
ボアソナード先生に申し上げます。先生、当時の法政大学に比べては、今は、その規模は百倍も大きくなっています。日本における本大学の地位も高くなっています。われわれは、この学問の城を守り、世界的に眼を開いて、新日本の学問に何かを加えたいと存じています。どうか、いつまでもいつまでも、ここに立っていて、この精神を見守っていてください。どうかあなたの当年の志を、この温容を通じて無言の内に語って下さい。
ここに、フランス大使はじめご列席の皆さまに対し、改めてお礼を申し上げ、この像を受けた本学のよろこびを申し上げます。
(法政大学の除幕式にて)
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